トマス・カーライルが住んでいたチェイニーロウ24番地の建物― 現在、ナショナルトラストによって「カーライルハウス」として公開されている |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。
1878年に、ワトスンはロンドン大学(University of London)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospital)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。
チェイニーロウを南側から北へ向かって眺めたところ |
英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strand)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Bar)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。
こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。
ホームズとの共同生活を始めたワトスンにとって、彼の無知は、彼の知識と同様に、驚きだった。現代文学、哲学や政治に関して、彼はほとんど何も知らないようだ。トマス・カーライル(Thomas Carlyle:1795年ー1881年)についても、そうだった。
ホームズがワトスンに対して、「誰で、何をした人物なのか、知らない。」と告げたトマス・カーライルは、スコットランド出身で、ヴィクトリア朝時代の大英帝国を代表する歴史家で、評論家でもある。トマス・カーライルは、「英雄崇拝論(On Heroes and Hero Worship and the Hero in History)」(1834年)、「フランス革命史(The French Revolution : A History)」(1837年)や「過去と現在(Past and Present)」(1843年)等の著作で知られている。
カーライルハウスの外壁に設置されているトマス・カーライルの肖像 |
ワトスンがホームズと出会った頃(1881年初頭)、トマス・カーライルは、妻のジェーン・ウェルッシュ・カーライル(Jane Welsh Carlyle)と一緒に、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内にあるチェイニーロウ24番地(24 Cheyne Row)に住んでいた。
チェイニーロウは、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるチェイニーウォーク(Cheyne Walk)から北へ入った所に位置している。
カーライルハウスの入口 |
トマス・カーライルがチェイニーロウ24番地に住み始めたのは1834年で、当時の住所表記上は5番地であった。
建物の地下は台所、1階はトマス・カーライルの書斎、2階は居間、図書室や妻の寝室、そして、3階は本人の寝室として使用されていた、とのこと。
1881年2月5日にトマス・カーライルが亡くなった後、1895年にトマス・カーライル博物館として一般に公開された。
現在は、ナショナルトラスト(National Trust)により、「カーライルハウス(Carlyle's House)」として管理されている。
カーライルハウスの中庭 |
カーライルハウスの近辺には、以下のような著名人が住んでいた家が所在している。
(1)「アダム・ビード」、「サイラス・マーナー」や「ミドルマーチ」等の作者ジョージ・エリオット(George Eliot:1819年ー1880年 本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans))
(2)ラファエル前派の画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年)
(3)「吸血鬼ドラキュラ」等の作者ブラム・ストーカー(Bram Stoker:1847年ー1912年)→2015年1月16日付ブログで紹介済。
(4)「サロメ」や「ドリアン・グレイの肖像」等の作者オスカー・フィンガル・オフラハティー・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)→2015年5月24日付ブログで紹介済。
(5)「クマのプーさん」シリーズや「赤い館の秘密」等の作者アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne:1882年ー1956年)→2015年5月3日付ブログで紹介済。
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