2016年4月3日日曜日

ロンドン ハムハウス(Ham House)

ハムハウスの正面全景

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、エルキュール・ポワロが謎多き裕福な蒐集家であるシャイタナ氏(Mr Shaitana)からブリッジパーティーへの招待を受けるところから、物語が始まる。「まだ告発されていない殺人犯を招いた上でのパーティーだ。」と言うシャイタナ氏の趣旨に興味を覚えたポワロは、パーティーへの参加を決める。


シャイタナ氏の自宅で行われたパーティーに招待されたのは、以下の8人だった。
(1)探偵組
*エルキュール・ポワロ
*バトル警視(Superintendent Battle)ースコットランドヤードの警察官
*レイス大佐(Colonel Race)ー秘密情報局の情報部員
*アリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs Ariadne Oliver)ー女流推理作家
(2)容疑者組
*ロバーツ医師(Dr Roberts)ー成功をおさめた中年の医師
*ロリマー夫人(Mrs Lorrimer)ーブリッジ好きな初老の女性
*デスパード少佐(Major Despard)ー未開地を探索する探検家
*アン・メレディス(Anne Meredith)ー内気で若く麗しい女性

ハムハウスの北側を流れるテムズ河(その1)
ハムハウスの北側を流れるテムズ河(その2)
ハムハウスの北側を流れるテムズ河(その3)

食事の最中、シャイタナ氏はパーティーの出席者に対して、謎めいた告発を行う。そして、食事が済むと、容疑者組の4人はメインルーム(客間)で、また、探偵組の4人は別の部屋でブリッジを始めることとなった。シャイタナ氏はメインルームの暖炉の側に置かれた椅子を自分の居場所として、ブリッジへの参加を辞退する。
ブリッジが終わり、ポワロとレイス大佐がシャイタナ氏に暇を告げようとした際、彼らはシャイタナ氏が彼の蒐集品であるナイフで胸を刺されて死んでいるのを発見する。
果たして、シャイタナ氏が謎めいた告発をした対象の人物は誰だったのか?そして、その人物がシャイタナ氏を刺殺したのだろうか?
名探偵、警察官や情報部員等が同席しているパーティーの最中、大胆にも行われた犯行を解き明かすべく、ポワロの灰色の脳細胞が、ブリッジの点数表の内容にその糸口を見いだすのであった。

入口手前から見たハムハウス
ハムハウス手前の芝生に居た野鳥

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ひらいたトランプ」(2006年)の回では、 デスパード少佐が住む家として、ハムハウス(Ham House)の厩舎が撮影に使用されている。
ハムハウスは、ロンドンの南西部サリー州(Surrey)のリッチモンド地区(Richmond)内にあり、テムズ河(River Thames)の南岸に位置している。

ハムハウスの The Long Gallery 内に架けられている
チャールズ1世の肖像画

現在、ハムハウスが建つ一帯は、17世紀初めに国王ジェイムズ1世(James Ⅰ:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)から王太子である長男ヘンリー・フレデリック(Henry Frederick, Prince of Wales)に授けられた。そして、1610年にジェイムズ1世の臣下(Knight Marshall)だったサー・トマス・ヴァヴァソア(Sir Thomas Vavasour:1560年ー1620年)が、王太子のために、この地にハムハウスを建設したのである。

ハムハウスの The Stairs (その1)
ハムハウスの The Stairs (その2)

ヘンリー・フレデリックが腸チフスが原因で若くして死去したため、1618年に当地は後の国王チャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)となるチャールズに譲られた。

ハムハウスの The Stairs (その3)

ハムハウスの The Stairs (その4)

チャールズ1世の即位後の1626年、幼少の頃から彼の親友であった初代ダイサート伯爵ウィリアム・マレー(William Murray, 1st Earl of Dysart:1600年ー1655年)が当地を賃借する。ピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)が起きて、チャールズ1世が処刑される前に、初代ダイサート伯爵ウィリアム・マレーは妻のキャサリンへハムハウスの所有権を用意周到に移転させた。初代ダイサート伯爵ウィリアム・マレーはチャールズ1世に繋がる王党派と見做されたため、ピューリタン革命中にハムハウスは議会派に一旦差し押さえられたが、彼の策が功を奏し、ハムハウスの所有権を妻のもととして守り抜くことができたのであった。

ハムハウスの The Marble Dining Room
ハムハウスの The Great Hall

1649年にキャサリンが死去したことに伴い、議会派はハムハウスを含む当地一帯を売却しようとしたが、初代ダイサート伯爵ウィリアム・マレーの長女エリザベスと彼女の夫第3代ヘルミンガムホール准男爵リオネル・トレマッシュ(Lionel Tollemache, 3rd Baronet of Helmingham Hall)が当地を購入した。
その後、ハムハウスを含む当地一帯は同家で代々相続された。

ハムハウスの外観側面
ハムハウスの外観裏面

時代は下り、第9代ダイサート伯爵ウィリアム・ジョン・マナーズ・トレマッシュ(William John Manners Tollemache, 9th Earl of Dysart)の死去に伴い、第4代ハンビーホール准男爵ライオネル・フェリックス・カートレット・トレマッシュ(Lyonel Felix Carteret Tollemache, 4th Baronet of Hanby Hall:1854年ー1952年)が1935年に81歳の高齢でハムハウスを含む当地一帯を相続し、長男のセシル・ライオネル・ニューコメン・トレマッシュ(Cecil Lyonel Newcomen Tollemache:1886年ー1969年 → 後の第5代ハンビーホール准男爵)と一緒にハムハウスに住み始めたものの、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発により、ハムハウスを維持するスタッフに事欠くようになった上、近くにあった戦闘機製造工場がドイツ軍による爆撃対象となったことから、第4代ハンビーホール准男爵ライオネル・トレマッシュはハムハウスの売却を決意した。

ハムハウス内の上階から見た Cherry Garden
Cherry Garden 横にある回廊
地上から見た Cherry Garden

1943年にナショナルトラスト(National Trust)のためにカントリーハウス等の調査協力をしていたジェイムズ・ヘンリー・リーーミルン(James Henry Lee-Milne:1908年ー1997年)を招き、彼の調査を経て、1948年にハムハウスは正式にナショナルトラストへ寄付された。

天候が怪しくなってきた空を背景にしたハムハウス
ハムハウスを囲む柵の装飾

その後、ハムハウスは1950年に一般公開され、数々の復旧工事が行われ、現在に至っている。

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