アガサ・クリスティー作「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies)」(1933年)は、エルキュール・ポワロとアルゼンチンから一時帰国したヘイスティングス大尉が、米国からロンドン/パリ公演ツアーに来ている女芸人カーロッタ・アダムズ(Carlotta Adams)の舞台を観たところから、その物語が始まる。背景や衣装等を必要としない彼女の「人物模写演技」は完璧で、一瞬で顔つきや声音等を変えて、その人自身になりきるのであった。男爵であるエッジウェア卿(Lord Edgware)と結婚している米国出身の舞台女優ジェーン・ウィルキンソン(Jane Wilkinson)の物真似に関しても見事の一言で、ポワロは深く感銘を受ける。
その夜、ポワロの元をジェーン・ウィルキンソン本人が訪れる。彼女から「離婚話に応じない夫を説得してもらいたい。」という依頼を受けたポワロがエッジウェア卿を訪問したところ、彼は「6ヶ月も前に、離婚に同意する旨を彼女宛に手紙で既に伝えた。」と答えるのであった。話のくい違いに納得がいかないポワロであったが、そのまま帰宅せざるを得なかった。
その後、エッジウェア卿が自宅において何者かに鋭利な刃物で刺され、他殺体となって発見される。事件当夜、犯行現場の屋敷で姿を目撃されたジェーン・ウィルキンソンが有力な容疑者となるが、その犯行時刻、彼女は離れた場所で行われていた晩餐会に出席しており、犯行現場に行く時間がないという鉄壁のアリバイがあった。非常に難解な謎に、ポワロの灰色の脳細胞が挑む。
英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「エッジウェア卿の死」(2000年)の回では、エッジウェア卿の自宅外観として、ロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあるアディソンロード(Addison Road)沿いに建つデベナムハウス(Debenham Houseー「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」に関連して、2016年2月21日付ブログで紹介済)が使用されているが、エッジウェア卿の自宅内部として、テンプルプレイス2番地(2 Temple Place)の建物が撮影に使用されている。
テンプルプレイス2番地の建物入口 |
入口の両脇にある住所表示 |
英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「エッジウェア卿の死」(2000年)の回では、エッジウェア卿の自宅外観として、ロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあるアディソンロード(Addison Road)沿いに建つデベナムハウス(Debenham Houseー「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」に関連して、2016年2月21日付ブログで紹介済)が使用されているが、エッジウェア卿の自宅内部として、テンプルプレイス2番地(2 Temple Place)の建物が撮影に使用されている。
テンプルプレイス2番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)にある地下鉄テンプル駅(Temple Tube Station)を囲むテンプルプレイス(Temple Place)の一番東側に建っている。
テンプルプレイス2番地の建物(地上2階+地下1階)は、初代アスター子爵ウィリアム・ウォドルフ・アスター(William waldorf Astor, 1st Viscount Astor:1848年ー1919年)の依頼を受けて、ベルギー/ブリュッセル出身の建築家ジョン・ラフバラ・ピアソン(John Loughborugh Pearson:1817年ー1897年)が建設し、1895年に完成した。
ウィリアム・ウォドルフ・アスターは、元々米国人で、弁護士、政治家、実業家、そして、新聞社主であり、また、ニューヨークにあるウォドルフ・アストリアホテル(Waldorf Astoria Hotel)を創業した人物としても有名で、1891年に家族を伴って英国に移住した。その後、1916年にアスター男爵(Baron Astor)、そして、1917年にアスター子爵(Viscount Astor)に叙せられている。
テンプルプレイス2番地の建物は、オフィスの他に、彼の家族が住むことができる住居部分も併せ持っていた。また、彼が蒐集した芸術品、楽器や稀覯本等の膨大なコレクションを展示する場でもあり、一般には「アスターハウス(Astor House)」と呼ばれた。
大聖堂や教会等を主に手掛けた英国の彫刻家ナサニエル・ヒッチ(Nathaniel Hitch:1845年ー1938年)が建物外壁の石細工を担当。
建物の上部にある風見/風向計(weather vane)は、英国の金属加工業者ジョン・スターキー・ガードナー(John Starkie Gardner:1844年ー1930年)が担当し、ウィリアム・ウォドルフ・アスターの出身国である米国を意識して、クリストファー・コロンバス(Christopher Columbus:1451年ー1566年)がアメリカ大陸を発見した際に乗船していた小型軽快帆船(caravel)「サンタマリア(Santa Maria)」の形で制作され、設置されている。
また、大英博物館(British Museum)やナショナルギャラリー(National Gallery)等の内装を手掛けた英国の内装家ジョン・ディブリー・クレース(John Dibblee Crace:1838年ー1919年)が内装を担当し、1892年から1895年にかけて施工している。
1897年にジョン・ラフバラ・ピアソンが死去した後、彼の息子であるフランク・ラフバラ・ピアソン(Frank Loughborough Pearson:1864年ー1947年)が後を引き継いで、ナサニエル・ヒッチを含む施工業者を使って、建物の改築等を担当した。
第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1944年7月24日、ドイツ軍による爆撃を受け、多大なる被害を蒙ったが、1949年から1951年にかけて復旧工事が行われた。
アスター家が売却した以降、テンプルプレイス2番地の建物は所有者を転々としてが、ブルドッグトラスト(Bulldog Trust)というチャリティー団体が購入され、2011年10月28日にギャラリーとしてオープンした。
なお、エッジウェア卿夫人であるジェーン・ウィルキンソンが住む家として、「百万ドル債券盗難事件(A Million Dollar Robbery)」や「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」でも使用されたロンドン北部のハイゲート地区(Highgate)内にあるハイポイント(Highpointー2015年11月22日付ブログで紹介済)が撮影に使用されている。
カーロッタ・アダムズの住居として 撮影に使用された「アディスランドコート」 |
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