2016年4月30日土曜日

ロンドン パル・マル通り(Pall Mall)

夕暮れが迫るパル・マル通り

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」は、シャーロック・ホームズがジョン・ワトスンに対して、自分の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)の話をするところから始まる。



マイクロフトは、シャーロックとは7歳違いで、表面上は下級役人であるが、実際には英国政府の政策全般を調整する重要なポストを務めている。シャーロックは、「マイクロフトの卓越した頭脳は自分以上で、自分よりも優れた探偵になれただろう。」と高く評価している。


パル・マル通りからトラファルガースクエア方面を望む

「君の兄さんは探偵を生業にしていないのかい?」
「とんでもない。僕にとって生活の糧になっていることが、彼にとっては道楽者の単なる趣味に過ぎないのさ。兄は数字には物凄く強いから、いくつかの政府機関で会計監査を担当しているのさ。兄はパル・マル通りに住み、毎朝角を曲がってホワイトホールまで歩いて行って、毎晩戻って来るんだ。年がら年中、兄は他の運動を全くしないし、他の場所にも出かけない。唯一の例外が、兄の家のちょうど真向かいにあるディオゲネスクラブだけなんだ。」

パル・マル通りの南側からセントジェイムズ宮殿方面を望む

'It is not his profession, then?'
'By no means. What is to me a means of livelihood is to him the merest hobby of a dilettante. He had an extraordinary faculty for figures, and its the books in some of the government departments. Mycroft lodges in Pall Mall, and he walks round the corner into Whitehall every morning and back every evening. From year's end to year's end he takes no other exercise, and is seen nowhere else, except only in the Diogenes Club, which is just opposite his rooms.'

パル・マル通りの北側からセントジェイムズ宮殿方面を望む

シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズが創設した「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」は、パル・マル通り(Pall Mall)にある。


パル・マル通りの場合、北側をピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)に、西側をグリーンパーク(Green Park)に、南側をセントジェイムズパーク(St. James's Park)に、そして、東側をトラファルガースクエア(Trafalgar Square)に囲まれている。通りの東側はトラファルガースクエアから西側はチャールズ王太子(Prince Charles)が住むセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)まで至っている。チャリングクロス(Charing Cross)からバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)まで延びるザ・マル通り(The Mall)とほぼ並行して走るパル・マル通り近辺には、紳士クラブが数多く集中している。


マイクロフトが創立発起人兼会員となっている「ディオゲネスクラブ」には、社交嫌いな人間ばかりが集まっている。よって、当クラブでは、「来客室以外では、他の人に口をきいてはいけない。」等、非常に風変わりな規則が厳しく運用されている。



ちなみに、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイルは、作家達が集う紳士クラブ「アセニアムクラブ(Athenaem Cub)」の会員で、このクラブはパル・マル通り沿いのウォーターループレイス(Waterloo Place)に今も存在している。


ウォーターループレイスにある紳士クラブ「アセニアムクラブ」

シャーロック・ホームズ作品は全部で60作(長編4作+短編56作)あるが、その中でマイクロフト・ホームズが登場するのは、次の4作のみである。
(1)ギリシア語通訳 (The Greek Interpreter)
(2)最後の事件(The Final Problem)
(3)空き家の冒険(The Empty House)
(4)ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)


ウォーターループレイスからパル・マル通りを望む
左手に建つのは、紳士クラブ「アセニアムクラブ」


2016年4月24日日曜日

ロンドン テンプルプレイス2番地(2 Temple Place)

テンプルプレイス2番地の建物全景

アガサ・クリスティー作「エッジウェア卿の死(Lord Edgware Dies)」(1933年)は、エルキュール・ポワロとアルゼンチンから一時帰国したヘイスティングス大尉が、米国からロンドン/パリ公演ツアーに来ている女芸人カーロッタ・アダムズ(Carlotta Adams)の舞台を観たところから、その物語が始まる。背景や衣装等を必要としない彼女の「人物模写演技」は完璧で、一瞬で顔つきや声音等を変えて、その人自身になりきるのであった。男爵であるエッジウェア卿(Lord Edgware)と結婚している米国出身の舞台女優ジェーン・ウィルキンソン(Jane Wilkinson)の物真似に関しても見事の一言で、ポワロは深く感銘を受ける。


その夜、ポワロの元をジェーン・ウィルキンソン本人が訪れる。彼女から「離婚話に応じない夫を説得してもらいたい。」という依頼を受けたポワロがエッジウェア卿を訪問したところ、彼は「6ヶ月も前に、離婚に同意する旨を彼女宛に手紙で既に伝えた。」と答えるのであった。話のくい違いに納得がいかないポワロであったが、そのまま帰宅せざるを得なかった。

朝夕、近くに数多くある法律事務所に勤務するスタッフ等が
地下鉄テンプル駅とオフィスの間を行き来する

その後、エッジウェア卿が自宅において何者かに鋭利な刃物で刺され、他殺体となって発見される。事件当夜、犯行現場の屋敷で姿を目撃されたジェーン・ウィルキンソンが有力な容疑者となるが、その犯行時刻、彼女は離れた場所で行われていた晩餐会に出席しており、犯行現場に行く時間がないという鉄壁のアリバイがあった。非常に難解な謎に、ポワロの灰色の脳細胞が挑む。

テンプルプレイス2番地の建物入口
入口の両脇にある住所表示

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「エッジウェア卿の死」(2000年)の回では、エッジウェア卿の自宅外観として、ロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあるアディソンロード(Addison Road)沿いに建つデベナムハウス(Debenham Houseー「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」に関連して、2016年2月21日付ブログで紹介済)が使用されているが、エッジウェア卿の自宅内部として、テンプルプレイス2番地(2 Temple Place)の建物が撮影に使用されている。


テンプルプレイス2番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、テムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)にある地下鉄テンプル駅(Temple Tube Station)を囲むテンプルプレイス(Temple Place)の一番東側に建っている。


テンプルプレイス2番地の建物(地上2階+地下1階)は、初代アスター子爵ウィリアム・ウォドルフ・アスター(William waldorf Astor, 1st Viscount Astor:1848年ー1919年)の依頼を受けて、ベルギー/ブリュッセル出身の建築家ジョン・ラフバラ・ピアソン(John Loughborugh Pearson:1817年ー1897年)が建設し、1895年に完成した。
ウィリアム・ウォドルフ・アスターは、元々米国人で、弁護士、政治家、実業家、そして、新聞社主であり、また、ニューヨークにあるウォドルフ・アストリアホテル(Waldorf Astoria Hotel)を創業した人物としても有名で、1891年に家族を伴って英国に移住した。その後、1916年にアスター男爵(Baron Astor)、そして、1917年にアスター子爵(Viscount Astor)に叙せられている。
テンプルプレイス2番地の建物は、オフィスの他に、彼の家族が住むことができる住居部分も併せ持っていた。また、彼が蒐集した芸術品、楽器や稀覯本等の膨大なコレクションを展示する場でもあり、一般には「アスターハウス(Astor House)」と呼ばれた。

建物の上部に設計されている風見/風向計の小型軽快帆船「サンタ・マリア」

大聖堂や教会等を主に手掛けた英国の彫刻家ナサニエル・ヒッチ(Nathaniel Hitch:1845年ー1938年)が建物外壁の石細工を担当。
建物の上部にある風見/風向計(weather vane)は、英国の金属加工業者ジョン・スターキー・ガードナー(John Starkie Gardner:1844年ー1930年)が担当し、ウィリアム・ウォドルフ・アスターの出身国である米国を意識して、クリストファー・コロンバス(Christopher Columbus:1451年ー1566年)がアメリカ大陸を発見した際に乗船していた小型軽快帆船(caravel)「サンタマリア(Santa Maria)」の形で制作され、設置されている。
また、大英博物館(British Museum)やナショナルギャラリー(National Gallery)等の内装を手掛けた英国の内装家ジョン・ディブリー・クレース(John Dibblee Crace:1838年ー1919年)が内装を担当し、1892年から1895年にかけて施工している。



1897年にジョン・ラフバラ・ピアソンが死去した後、彼の息子であるフランク・ラフバラ・ピアソン(Frank Loughborough Pearson:1864年ー1947年)が後を引き継いで、ナサニエル・ヒッチを含む施工業者を使って、建物の改築等を担当した。
第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1944年7月24日、ドイツ軍による爆撃を受け、多大なる被害を蒙ったが、1949年から1951年にかけて復旧工事が行われた。
アスター家が売却した以降、テンプルプレイス2番地の建物は所有者を転々としてが、ブルドッグトラスト(Bulldog Trust)というチャリティー団体が購入され、2011年10月28日にギャラリーとしてオープンした。

ジェーン・ウィルキンソンの住居として
撮影に使用された「ハイポイント」

なお、エッジウェア卿夫人であるジェーン・ウィルキンソンが住む家として、「百万ドル債券盗難事件(A Million Dollar Robbery)」や「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」でも使用されたロンドン北部のハイゲート地区(Highgate)内にあるハイポイント(Highpointー2015年11月22日付ブログで紹介済)が撮影に使用されている。

カーロッタ・アダムズの住居として
撮影に使用された「アディスランドコート」

また、カーロッタ・アダムズの住居には、ケンジントン&チェルシー王立区のケンジントン地区内にあるアディスランドコート(Addisland Courtー2016年2月7日付ブログで紹介済)が撮影に使用されている。ここは、「イタリア貴族殺人事件(The Adventure of the Italian Noble Man)」の回で、フォスカティーニ伯爵(Count Foscatini)の住居として使われている。

2016年4月23日土曜日

ロンドン チャリングクロスホテル(Charing Cross Hotel)

ストランド通り(Strand)越しに見たチャリングクロスホテルの全景

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)がスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。
マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。

チャリングクロスホテルの入口

マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。

ヴィラーズストリート(Villiers Street)から見上げた
チャリングクロスホテルの側面

マイクロフトの求めに応じて、事件の捜査を始めたシャーロックは、マイクロフトから提供された主な外国のスパイ情報を手掛かりに、ケンジントン(Kensington)のコールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardens)に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein)が今回の事件の黒幕であることを突き止める。ディリー・テレグラフ新聞の私事広告欄に奇妙な広告を見つけたシャーロックは、偽の広告を利用して、設計図を盗み出した実行犯を誘き寄せた。なんと、実行犯は、設計図盗難事件後に急死した潜水艦局長サー・ジェイムズ・ウォルター(Sir James Walter, the head of the Submarine Department)の弟ヴァレンタイン・ウォルター大佐(Colonel Valentine Walter)であった。彼は株取引の失敗により多額の借金を負い、破産の危機に追い込まれていたのである。

チャリングクロスホテルは、チャリングクロス駅に隣接して建っている

室内は静まり返っていた。その沈黙をマイクロフト・ホームズが破った。
「罪を償うつもりはないか?そうすれば、君の良心の痛みも和らぐぞ。そして、場合によると、君の処罰に対しても、何らかの考慮があるかもしれない。」
「どんな償いをすればよいのですか?」
「オーバーシュタインは設計図を持ってどこに居るんだ?」
「判りません。」
「奴は君に居場所を教えなかったのか?」
「パリのホテル・ド・ルーヴルに手紙を書けば、最終的には手元に届くと彼は言っていました。」
「それでは、まだ君ができる償いがある。」と、シャーロック・ホームズは言った。
「できることがあれば、何でもします。私は彼奴に対して特別な恩義は何もない。彼奴は私に破滅と転落を与えただけだ。」
「ここに紙とペンがある。この机に座って、僕が言う通りに手紙を書くんだ。そして、奴に言われた住所に封筒を送るんだ。それでいい。手紙の文面は...
拝啓ー我々の取引に関して、既にお気付きのことと存じますが、ある重要な詳細部分が一つ欠けております。架けたピースを埋める複写図を私は持っています。しかし、これで私は更なるトラブルに陥ってしまいました。よって、更に500ポンドの前金を支払ってもらう必要があります。郵便は信頼できないし、金貨と紙幣以外は受け付けていません。私は外国に居る貴殿のところへ行きたいのですが、私が今この国を離れると、人目を引きます。そこで、土曜日の正午にチャリングクロスホテルの喫煙室において、貴殿にお会いしたいと思います。英国紙幣か、あるいは、金貨以外は受け付けないことを念の為もう一度申し上げます。」
「これでうまく行くだろう。これで奴を誘き寄せられなければ、そちらの方が驚きだ。」

入口手前からチャリングクロスホテルを見上げたところ

There was silence in the room. It was broken by Mycroft Holmes.
'Can you not make reparation? It would ease your conscience, and possibly your punishment.'
'What reparation can I make?'
'Where is Oberstein with the papers?'
'I do not know.'
'Did he give you no address?'
'He said that letters to the Hotel du Louvre, Paris, would eventually reach him.'
'Then reparation is still within your power,' said Sherlock Holmes.
'I will do anything I can. I owe this fellow no particular goodwill. He has been my ruin and my downfall.'
'Here are paper and pen. Sit at this desk and write to my dictation. Direct the envelope to the address given. That is right. Now the letter:
DEAR SIR - With regard to our transaction, you will no doubt have observed by now hat one essential detail is missing. I have a tracing which will make it complete. This has involved me in extra trouble, however, and I must ask you for a further advance of five hundred pounds. I will not trust it to the post, nor will I take anything but gold or notes. I would come to you abroad, but it would excite remark if I left the country at present. Therefore I shall expect to meet you in the smoking room of the Charing Cross Hotel at noon on Saturday. Remember that only English notes, or gold, will be taken.'
'That will do very well. I shall be very much surprised if it does not fetch our man!'

チャリングクロス駅/チャリングクロスホテルの正面に
設置されている「エレアノールの十字架」

ホームズ達が実行犯であるヴァレンタイン・ウォルター大佐を使って、事件の黒幕ヒューゴ・オーバーシュタインを誘き出そうとしたチャリングクロスホテル(Charing Cross Hotel)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、チャリングクロス駅(Charing Cross Station)に隣接して建っている。
チャリングクロス駅は、サー・ジョン・ホークショー(Sir John Hawkshaw:1811年ー1891年)による設計に基づき、サウスイースタン鉄道(South Eastern Railway)が建設して、1864年1月11日に開業した。駅の開業から約1年4ヶ月後の1865年5月15日に、エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)が設計したチャリングクロスホテルが開業し、現在も見られるフレンチ・ルネサンス様式の華麗な駅正面が完成したのである。
チャリングクロスホテルの開業に合わせて、清教徒革命(Puritan Revolution:1641年ー1649年)時の1647年に破壊された「ホワイトホール王宮の十字架(Whitehall Cross)」をモデルにして、「エレアノールの十字架(Eleanor Cross)」(これについても、エドワード・ミドルトン・バリーが設計)が駅/ホテル正面に設置された。

チャリングクロスホテルの入口に
「Amba Hotel Charing Cross」という表示が掲げられている

チャリングクロスホテルは、現在、「Amba Hotel Charing Cross」という名前で営業している。

2016年4月17日日曜日

ロンドン ヴォードヴィル劇場(Vaudeville Theatre)

ヴォードヴィル劇場の正面全景

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、彼女の死後であるが、戯曲となって、1981年12月9日にヴォードヴィル劇場(Vaudeville Theatre)で上演されている。

ストランド通りの反対側からヴォードヴィル劇場を望む―
劇場前の通りは、バスやタクシー等の往来が激しい

アガサ・クリスティーがエルキュール・ポワロ物を戯曲にした際の倣いに従って、戯曲版「ひらいたトランプ」の場合も、ポワロは登場しないで、原作にも登場するバトル警視(Superintendent Battle)が探偵役を務めている。アガサ・クリスティーとしては、ポワロをうまく演じられる適役の俳優が居ないと感じていたため、ポワロ物を戯曲版にする場合には、ポワロの代わりに、代役を登場させていたようである。

ヴォードヴィル劇場の入口

ヴォードヴィル劇場は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、ストランド通り(Strand)沿いに建っている。サー・アーサー・コナン・ドイルによる戯曲版「まだらの紐(The Speckled Band)」が上演されたアデルフィ劇場(Adelphi Theatre)のすぐ近くである。

ITV1 で放映された「Agatha Christie's Poirot」において、
名探偵エルキュール・ポワロを演じた俳優ダヴィッド・スーシェ(David Suchet)が
オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)作「真面目が肝心(The Importance of  being earnest)」に
主演していた

「ヴォードヴィル(Vaudeville)」とは、「寄席、演芸、歌、踊り、曲芸や寸劇等」を意味する。
初代のヴォードヴィル劇場は、英国の建築家であるチャールズ・ジョン・フィップス(Charles John Phipps:1835年ー1897年)似よって設計され、1870年4月16日にオープンした。

ヴォードヴィル劇場の横の
ラムリーコート(Lumley Court)

ヴォードヴィル劇場の裏通りに該る
メイデンレーン(Maiden Lane)から見たラムリーコート

有名なシェイクスピア劇俳優のサー・ヘンリー・アーヴィング(Sir Henry Irving:1838年ー1905年)は、1871年にライシアム座の幹部俳優となり、後にライシアム劇場(Lyceum Theatre)の監督となるが、前年の1870年にヴォードヴィル劇場に出演し、1年近く公演を行うという成功をおさめている。

ヴォードヴィル劇場のステージドア(楽屋出入口)

ヴォードヴィル劇場の裏面外壁

1887年に同劇場の監督になった俳優のトース・ソーン(Thomas Thorne:1841年ー1918年)は、1889年に建築家のチャールズ・ジョン・フィップスに劇場の拡張を依頼し、収容人数が1千人を超える劇場として、1891年1月13日に再オープンさせた。

同建物には、フランスの哲学者、作家、文学者で、歴史家でもあった
ヴォルテール(Voltaire:1694年ー1778年)が
1727年から1728年にかけて住んでいた

時代を経て、1925年11月7日に同劇場は一旦閉鎖し、内装の大改装が実施された。設計は英国の建築家であるロバート・アトキンス(Robert Atkins)が担当し、収容人数を700人程に減らした上で、1926年2月23日に公演を再開している。

その後、1972年に同劇場の建物はグレードⅡ(Grade II listed)の保存指定を受け、現在に至っている。

2016年4月16日土曜日

ロンドン マクロードズミューズ/オーステンミューズ(McLeod's Mews / Osten Mews)―コールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardens)の候補地

コールフィールドガーデンズの最有力候補地であるマクロードズミューズ/オーステンミューズ

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って、緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。
マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。


マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。
地下鉄オルドゲート駅での調査を終えた後、ワトスンと一緒にウールウィッチへ向かう途中、シャーロックはロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)に立ち寄って、マイクロフト宛に電報を打ち、「英国に居る外国のスパイや国際的なエージェントの完全な一覧表を、彼らの住所付きで、ベーカーストリートへ届けてくれ。」と依頼した。

マクロードズミューズ/オーステンミューズ手前の
エンペラーズゲート(その1)

シャーロックが地下鉄オルドゲート駅やウールウィッチでの調査を終えて、ワトスンと一緒にベーカーストリート221Bに戻ると、依頼通り、マイクロフトからの手紙が待っていた。彼の手紙によると、こんな大それた事件を手掛ける人物は、以下の3人しか居ない、と言う。
(1)ウェストミンスターのグレイトジョージストリート13番地に住むアドルフ・メイヤー(Adolph Meyer - 13 Great George Street, Westminster)
(2)ノッティングヒルのキャンプデンマンションズに住むルイス・ラ・ロティエール(Louis La Rothiere - Campden Mansions, Notting Hill)
(3)ケンジントンのコールフィールドガーデンズ13番地に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein - 13 Caulfield Gardens, Kensington)
シャーロックはロンドンの地図を熱心に眺めた後、ワトスンに「1、2時間で戻って来る。」と言い残すと、偵察に出かけて行った。午後9時過ぎにシャーロックからの手紙が届けられ、ワトスンにケンジントンのグロスターロード(Gloucester Road)にあるゴルジーニのレストラン(Goldini's Restaurant)へ今直ぐ来るよう、指示があった。薄暗い霧の中、シャーロックから指示された住所へ向かって、ワトスンは馬車を走らせたのである。ワトスンが到着すると、シャーロックは偵察の結果を話し始めた。

エンペラーズゲート(その2)

シャーロックは、地下鉄グロスターロード駅(Gloucester Road Tube Station)から調査を始め、コールフィールドガーデンズ(Caulfield Gardens)の裏階段の窓が線路に面していることから、ヒューゴ・オーバーシュタインが今回の事件の黒幕と結論づけたのである。そして、彼はワトスンを誘うと、コールフィールドガーデンズ13番地へと向かった。

エンペラーズゲート(その3)

「コールフィールドガーデンズまで半マイル程あるが、急ぐ必要はない。歩いて行こう。」と、彼(ホームズ)は言った。
「頼むから、道具類を落とさないでくれよ。怪しい男ということで、君が逮捕されたら、極めて不幸な事態になりかねないからな。」
コールフィールドガーデンズは、ロンドンのウェストエンドにおいて、ヴィクトリア朝中期に流行した平らな面をし、支柱毎に分けられた家並みの一つであった。隣りの家では、子供達の集まりが行われているようだった。というのも、子供達のはしゃぎ声とピアノの騒々しい音が夜間響いていたのである。霧はまだ深く垂れ込めており、上手い具合に私達の姿を隠してくれた。ホームズは手提げランプに火を灯すと、大きな扉を照らした。
「この扉から入るのは無理だな。」と、彼は言った。「この扉には、鍵がかかっている上に、閂がかけられている。半地下から侵入した方がいい。職務熱心な警官の邪魔が入った時でも、逃げるのに使えそうなアーチ道(=屋根付き通路)が向こうにある。ワトスン、手を貸してくれ。僕も君と同じようにする。」

エンペラーズゲート(その4)

'It is nearly half a mile, but there is no hurry. Let us walk,' said he.
'Don't drop the instruments, I beg. Your arrest as a suspicious character would be a most unfortunate complication,'
Caulfield Gardens was one of those lines of flat-faced, pillared, and portioned houses which are so prominent a product of the middle Victorian epoch in the West End of London. Next door there appeared to be a children's party, for the merry buzz of young voices and the clatter of a piano resounded through the night. The fog still hung about and screened us with its friendly shade. Holmes had lit his lantern and flashed it upon the massive door.
'This is a serious proposition,' said he. 'It is certainly bolted as well as locked. We would do better in the area. There is an excellent archway down yonder in case a too zealous policeman should intrude. Give me a hand, Watson, and I'll do the same for you.'

エンペラーズゲートからマクロードズニューズへ入ったところ

ホームズが今回の事件の黒幕だと疑うヒューゴ・オーバーシュタインが住むコールフィールドガーデンズは、残念ながら、ロンドンの住所表記上、存在しておらず、架空の住所である。当時、出版業界にジェイムズ・コールフィールド(James Caulfield:1764年ー1826年)がおり、彼の子供も出版社を経営していたようなので、コナン・ドイルは、彼らから場所の名前を採ったのかもしれない。

マクロードズミューズを北へ進む―
左側は地下鉄サークルラインが通る線路

それでは、コールフィールドガーデンズに該当する場所は、ロンドン内に存在するのか?コールフィールドガーデンズの条件は以下の通り。
(1)ケンジントン地区内にあること
(2)ホームズが地下鉄グロスターロード駅から調査を始めて、コールフィールドガーデンズに辿り着いているため、同駅の近辺に存在していると思われること
(3)ホームズがワトスンに対して、「コールフィールドガーデンズ13番地の裏階段が地下鉄の線路に面している。」と説明していること
(4)また、ホームズが「コールフィールドガーデンズの辺りで、大きな鉄道と交差している関係で、地下鉄が頻繁に数分間停車している。」と言ったこと
(5)更に、ホームズがワトスンと一緒にコールフィールドガーデンズへ向かう際、「地下鉄グロスターロード駅から半マイル程ある。」と話していること

マクロードズミューズを更に北へ進んだところ

上記の条件を総合して考えると、マクロードズミューズ(McLeod's Mews)/オーステンミューズ(Osten Mews)がその候補地として最適かと思われる。

デパートのハロッズ(Harrods)、ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)や自然史博物館(Natural History Museum)等の前を通って西方面へ延びるクロムウェルロード(Cromwell Road)があり、地下鉄グロスターロード駅の前を通るグロスターロードが南北に横切る。クロムウェルロードを横切ったグロスターロードの北側部分の一本西側にグレンヴィルプレイス(Grenville Place)がある。ここからエンペラーズゲート(Emperor's Gate)を通って、更に西へ進むと、そこにマクロードズミューズ/オーステンミューズが位置している。

マクロードズミューズの奥にあるオーステンミューズ内に建つ住居

両通りとも、ケンジントン&チェルシー王立区(Royak Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあるので、(1)の条件を満たす。また、地下鉄グロスターロード駅から徒歩圏内なので、(2)と(5)の条件も充足する。マクロードズミューズ/オーステンミューズの横を地下鉄の線路が通っているので、(3)の条件も満たされる。更に、地下鉄グロスターロード駅を出た地下鉄は、マクロードズミューズ/オーステンミューズの手前で二手に分かれ、マクロードズミューズ/オーステンミューズ方面にはサークルライン(Circle Line)が、西方面にはディストリクトライン(District Line)/ピカデリーライン(Piccadilly Line)が進むので、「大きな鉄道と交差していること」と「その地点で、地下鉄が頻繁に数分間停車していること」の通りではないものの、(4)の条件も概ね充足していると言える。

オーステンミューズを画面右奥に進むと、
エンペラーズゲートへ出ることが可能

マクロードズミューズ/オーステンミューズの他にも、地下鉄の線路が地上に出ている箇所はあるが、地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)の近くになってしまい、地下鉄グロスターロード駅から北側へかなり離れてしますので、(2)と(5)の条件を満たさなくなってしまう。また、その辺りだと、サークルラインだけの運行となるので、(4)の条件も充足されなくなる。

よって、マクロードズミューズ/オーステンミューズがコールフィールドガーデンズの候補地として最有力だと言える。