2015年11月29日日曜日

ロンドン プリンシズゲートミューズ(Princes Gate Mews)

プリンシズゲートミューズ ― TV版のポワロシリーズでは、
手前にある茶色の建物がデイヴィッドソン夫妻の住宅として撮影に使用された

アガサ・クリスティー作「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」(1951年ー「負け犬他(The Under Dog and Other Stories)」に収録)では、コロッソスホールにおいて開催されていた戦勝記念の仮装舞踏会で惨劇が起きる。仮装舞踏会に来ていた6人組の一人、若きクロンショー子爵(Viscount Cronshaw)が心臓をナイフで刺されて殺されているのが発見されたのである。彼はイタリアの即興喜劇(commedia dell'arte)の道化役(Harlequin)の仮装をしていたのだが、彼の死体が発見された時、死後硬直が既にかなり進んでいた。


また、クロンショー子爵のフィアンセと噂されている女優のココ・コートニー(Miss "Coco" Courtenay)がチェルシー地区(Chelsea)にある彼女のフラットで死亡しているのを翌朝発見された。コカインの過剰摂取による薬物中毒が原因であった。ココ・コートニーも前日仮装舞踏会に出席していた6人組の一人であったが、舞踏会出席者によると、当夜、クロンショー子爵と彼女は何故か喧嘩していたと言う。そのため、彼女は舞踏会を途中退席し、6人組の一人、夫妻で出席していた舞台俳優のクリストファー・デイヴィッドソン(Mr Christopher Davidson)に頼んで、自分のフラットへ連れ帰ってもらっていたのだ。検死解剖の結果、彼女は常習的な薬物中毒者であることも判明した。
動機、アリバイや2つの事件の関連性等、全てが謎めいており、自分の手に余ると考えたスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Jaap)はエルキュール・ポワロに捜査協力を求めるのであった。

プリンシズゲートミューズの入口から見た南側の枝道

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「戦勝記念舞踏会事件」(1991年)の回では、同じ仮面舞踏会に出席していたポワロとヘイスティングス大尉は、スコットランドヤードのジャップ主任警部に協力すべく、クロンショー子爵やココ・コートニーと一緒に仮面舞踏会に出席していた俳優のクリストファー・デイヴィッドソンと夫人(Mrs Davidson)が住む自宅を訪ねて、詳しい事情をヒアリングする。TV版では、デイヴィッドソン夫妻が住む家として撮影に使用されたのが、プリンシズゲートミューズ(Princes Gate Mews)にある住宅である。

プリンシズゲートミューズの入口から見た真ん中の枝道

プリンシズゲートミューズは、王立ケンジントン&チェルシー区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内に位置しており、(1)地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)からハイドパーク(Hyde Park)の南側を西へ延びるナイツブリッジ通り(Knightsbridge)/ケンジントンロード(Kensington Road)と(2)ハロッズ(Harrods)デパートの前を通って南西へ延びるブロンプトンロード(Brompton Road)に挟まれた一帯内に所在している。

プリンシズゲートミューズの入口から見た北側の枝道

ケンジントンロードからブロンプトンロード方面へ向かって、エキシビジョンロード(Exhibition Road)が南北に走っており、この通りによって、西側に北から順番にロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)、インペリアルカレッジ(Imperial College)、科学博物館(Science Museum)と自然史博物館(Natural History Museum)が、そして、東側にインペリアルカレッジとヴィクトリア&アルバート博物館(Vistoria and Albert Museum)が分けられている。
ヴィクトリア&アルバート博物館の北側で、エキシビジョンロードの東側にあるインペリアルカレッジの南側にプリンシズゲートミューズは存在しており、両方に挟まれたところにある。

エキシビジョンロード沿い(西側)に建つインペリアルカレッジの新校舎

エキシビジョンロードからプリンシズゲートミューズへ入ると、通りは内側で三方向に分かれている。このうち、一番北側にある通りにある住宅の一つが、デイヴィッドソン夫妻の自宅として、TV版に登場する。
エキシビジョンロード自体は、観光客や学生等でいつも賑わっているが、一歩プリンシズゲートミューズ内に入ると、博物館や大学等がすぐ近くにあるとは思えない程、周りの喧騒からは隔絶されている。

TV版のポワロシリーズでは、
手前の茶色の建物に住むデイヴィッドソン夫妻を
ポワロとヘイスティングス大尉が訪ねた

ちなみに、同じ「戦勝記念舞踏会事件」の回において、クロンショー子爵の叔父ユースタス・ベルテン(Eustace Beltaine)の自宅として撮影された住宅があるエニスモアガーデンズ(Ennismore Gardens)は、プリンシズゲートミューズの北東側に位置している。

2015年11月28日土曜日

オックスフォード ボドリアン図書館(Bodleian Library)

ボドリアン図書館の内庭から見上げた尖塔(その1)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人の学生(The Three Students)」において、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、ある調査の関係で、有名な大学の街の一つで数週間を過ごしていた。

ボドリアン図書館の内庭(その1)

当時、私達は図書館の近くにある家具付きの下宿に滞在していた。その図書館で、シャーロック・ホームズは、英国の古い勅許状について、とても骨の折れる調査を進めていたのである。その調査は非常に著しい成果を収めたので、このことについて、私はいずれ物語を書くことになるかもしれない。ある晩、私達の知人で、セントルカ大学寮の個別指導教員兼講師であるヒルトン・ソームズ氏が私達の下宿にやって来た。ソームズ氏は、神経質で激しやすい気性をした長身で痩せた人物だった。彼が落ち着きのない人物だと、私は普段から知っていたが、他ならぬこの時、彼は動揺を全く抑えきれない様子で、何か非常に大変なことが起きたことは一目瞭然であった。

ボドリアン図書館の内庭から見上げた尖塔(その2)

We were residing at the time in furnished lodgings close to a library where Sherlock Holmes was pursing some laborious researches in early English charters - researches which led to results so striking that they may be the subject of one of my future narratives. Here it was that one evening we received a visit from an acquaintance, Mr Hilton Soames, tutor and lecturer at the College of St Luke's. Mr Soames was a tall, spare man, of a nervous and excitable temperament. I had always known him to be restless in his manner, but on this particular occasion he was in such a state of uncontrollable agitation that it was clear something very unusual had occurred.

ボドリアン図書館の内庭(その2)

コナン・ドイルの原作上、ホームズとワトスンが滞在していた大学の街がどこなのかについては、明確になっていないが、これをオックスフォード市(Oxford)だと考えると、彼らの下宿の近くにあった図書館とは、ボドリアン図書館(Bodleian Library)だと推測される。なお、ボドリアン図書館は、先週紹介したオックスフォード大学(University of Oxford)の図書館である。

ラドクリフカメラ越しに見た
University Church of St. Mary the Virgin

ボドリアン図書館よりも前に、オックスフォードには14世紀に図書館が創設され、イングランド王国の国王ヘンリー4世(Henry Ⅳ:1367年ー1413年 在位期間:1399年ー1413年)の四男グロスター公爵ランカスターのハムフレー(Humphrey of Lancaster, Duke of Gloucester:1390年ー1447年)が15世紀前半に多くの蔵書を寄付した。16世紀後半になると、図書館が顧みられなくなったため、女王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)時代に外交官を務め、学者でもあったサー・トマス・ボードリー(Sir Thomas Bodley:1545年ー1613年)がオックスフォード大学の総長(Vice-Chancellor)に働きかけて、図書館を復興させ、1602年11月8日に再オープンした。これが、現在のボドリアン図書館である。
更に、1610年、サー・トマス・ボードリーは、ボドリアン図書館を英国の法定納本図書館に指定した。この納本制度に基づいて、英国内で流通する出版物がボドリアン図書館に納められることになり、蔵書数が一気に増加して、それに伴い、図書館のスペースも拡大された。

ラドクリフカメラの全景

その後も、ボドリアン図書館は拡大を続け、隣接して建つラドクリフカメラ(Radcliffe Camera)には、ボドリアン図書館に繋がる地下通路が建設された。
ラドクリフカメラは、元々、新図書館の建設を計画していた医師ジョン・ラドクリフ(John Radcliffe:1652年ー1714年)の遺言に基づき、英国の建築家ジェイムズ・ギブス(James Gibbs:1682年ー1754年)が
設計し、1737年から1748年にかけて建設が行われ、1749年4月にオックスフォード大学のラドクリフ科学図書館としてオープンした。建物の名前は、医師ジョン・ラドクリフの「ラドクリフ」と建物の特徴である「丸天井の部屋」を意味するラテン語の「カメラ」が組み合わされている。
ボドリアン図書館と地下通路で接続されて以降、自然科学の蔵書は別の建物へ移されて、ラドクリフカメラは同図書館の附属閲覧室となった。

ラドクリフカメラ越しに見たコドリントン図書館
(Codrington Library)

ボドリアン図書館は更に拡大を続け、1940年には通りの反対側に、英国の建築家サー・ジャイルズ・ギルバート・スコット(Sir Giles Gilbert Scott:1880年ー1960年)設計の新ボドリアン図書館( New Bodleian Library)が完成して、英国内では大英図書館(British Library)に続く第二の蔵書規模を誇る図書館となっている。一方で、多額の寄付を受けて、所蔵資料のデジタル化も進められている。

2015年11月22日日曜日

ロンドン ハイポイント(Highpoint)

ノースヒル通り(North Hill)沿いに並ぶ木立の間から見えるハイポイント

アガサ・クリスティー作「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」(1951年ー「負け犬他(The Under Dog and Other Stories)」に収録)では、コロッソスホールにおいて開催されていた戦勝記念の仮装舞踏会で惨劇が起きる。仮装舞踏会に来ていた6人組の一人、若きクロンショー子爵(Viscount Cronshaw)が心臓をナイフで刺されて殺されているのが発見されたのである。彼はイタリアの即興喜劇(commedia dell'arte)の道化役(Harlequin)の仮装をしていたのだが、彼の死体が発見された時、死後硬直が既にかなり進んでいた。


また、クロンショー子爵のフィアンセと噂されている女優のココ・コートニー(Miss "Coco" Courtenay)がチェルシー地区(Chelsea)にある彼女のフラットで死亡しているのを翌朝発見された。コカインの過剰摂取による薬物中毒が原因であった。ココ・コートニーも前日仮装舞踏会に出席していた6人組の一人であったが、舞踏会出席者によると、当夜、クロンショー子爵と彼女は何故か喧嘩していたと言う。そのため、彼女は舞踏会を途中退席し、6人組の一人、夫妻で出席していた舞台俳優のクリストファー・デイヴィッドソン(Mr Christopher Davidson)に頼んで、自分のフラットへ連れ帰ってもらっていたのだ。検死解剖の結果、彼女は常習的な薬物中毒者であることも判明した。

ノースヒル通りの反対側からハイポイントを望む

動機、アリバイや2つの事件の関連性等、全てが謎めいており、自分の手に余ると考えたスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Jaap)はエルキュール・ポワロに捜査協力を求めるのであった。

ハイポイントの入口(その1)

戦勝記念舞踏会から戻った後、コカインの過剰摂取による薬物中毒で死亡しているのが発見されたココ・コートニーが住んでいたフラットについて、原作では、チェルシー地区内にある設定になっているが、英国のTV会社ITV1が放映していたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「戦勝記念舞踏会事件」(1991年)の回では、ロンドン北部のハイゲート地区(Highgate)内にあるハイポイント(Highpoint)が撮影に使用されている。具体的な住所は「North Hill, Highgate, London N6 4BA」である。

ハイポイントの入口(その2)

ハイポイントは「ハイポイントⅠ(Highpoint I)」と「ハイポイントⅡ(Highpoint II)」の2つに分かれている。
まず、ハイポイントⅠが、実業家であるジーグムント・ゲステットナー(Sigmund Gestetner:1897年ー1956年)のために、1935年に建設された。建物外観設計はグルジア出身の建築家バーソルド・ルベトキン(Berthold Lubetkin:1901年ー1990年)が、また、建物構造設計はデンマーク系英国人の技師オヴェ・アラップ(Ove Arup:1895年ー1988年)が担当。当初、ハイポイントⅠは、ゲステットナーが経営する企業に勤務するスタッフの住居用として建てられたが、実際には、その目的に使用されることは一度もなかった。
スイス出身で、フランスで主に活躍した建築家であるル・コルビュジェ(Le Corbusier:1887年ー1965年)が完成直後の1935年にハイポイントⅠを視察して、「第一級の作品(an achievement of the first rank)」と賞賛したと伝えられている。

ポワロシリーズの撮影に使用されたフラットの方は、
現在、外観の改装中

ハイポイントⅡは、ハイポイントⅠに隣接する場所に1938年に建設された。
そして、ハイポイントⅠとハイポイントⅡは、現在、グレードⅠ(Grade I)の指定を受けている。

ポワロシリーズでは、こちらのフラットが撮影に使用されている

ちなみに、同じポワロシリーズの「百万ドル債券盗難事件(The Million Dollar Bond Robbery)」(1991年)の回では、ニューヨークへ百万ドルの自由公債を運搬する任に就いたが、何者かに自由公債を盗まれてしまったロンドン&スコティッシュ銀行(London and Scottish Bank)のフィリップ・リッジウェイ(Philip Ridgeway)の婚約者であるエズミー・ダルリーシュ(Esmee Dalgeish)が住むフラットとしても、ハイポイントは使用されている。

2015年11月21日土曜日

オックスフォード オックスフォード大学(University of Oxford)

オックスフォード・ブルックス大学(Oxford Brookes University)正面入口

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人の学生(The Three Students)」は、次のようにして始まる。


オックスフォード・ブルックス大学内にある
キャンティーンの天井装飾

1895年、私がここでは言及する必要がないいくつかの事件の関係で、シャーロック・ホームズと私は有名な大学の街の一つで数週間を過ごすことになった。私がこれから述べようとしている小さいが、考えさせられる事件が起きたのは、正にそんな時だった。読者が大学寮や犯人を性格に特定できるような詳細をここに述べることは思慮に欠ける上に、礼に失することは明白である。私としては、この事件をここに述べるのは非常に心苦しいので、この事件は記録されないまま、消え去ってしまう方が良いのかもしれない。しかしながら、この事件は私の友人が持つ非凡な特性を例証するのに役立つため、しかるべき配慮をすれば、この事件自体をここに書き記すことができるかもしれない。事件が起きた場所が特定できたり、あるいは、事件の関係者へと辿り着けるような手掛かりとなる言葉を避けて、私はこの事件をここに述べるべく、努力してみるつもりだ。

オックスフォード・ブルックス大学内のキャンパス(その1

オックスフォード・ブルックス大学内のキャンパス(その2)

It was in the year 1895 that a combination of events, into which I need not enter, caused Mr Sherlock Holmes and myself to spend some weeks in one of our great university towns, and it was during this time that the small but instructive adventure which I am about to relate befell us. It will be obvious that any details which would help the reader to exactly identify the college or the criminal would be injudicious and offensive. So painful a scandal may well be allowed to die out. with due discretion the incident itself may, however, be described, since it serves to illustrate some of those qualities for which my friend was remarkable. I will endeavour in my statement to avoid such terms as would serve to limit the events to any particular place, or give a clue as to the people concerned.


オックスフォード・ブルックス大学から
オックスフォード市内へ向かう道路


コナン・ドイルの原作上、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンが数週間滞在した大学の街がどこなのかについては、明確になっていない。この大学がオックスフォード大学なのか、それとも、ケンブリッジ大学なのか、説が別れているが、個人的な意見で言うと、雰囲気的には、オックスフォード大学ではないかと推測される。

トリニティーカレッジ(Trinity College)の構内(その1)

トリニティーカレッジの構内(その2)

トリニティーカレッジの構内(その3)

オックスフォード大学(University of Oxford)は、英国のオックスフォード市(Oxford)に所在する総合大学である。
1167年、イングランド王国の国王ヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)により、英国の学生がパリ大学で学ぶことが禁じられたことを契機として、学生がオックスフォードに集まり、パリから移住してきた学生と一緒に、大学の礎が築かれたと言われており、現存する大学の中では世界で3番目に古く、英語圏では最古の大学となっている。

パークスロード(Parks Road)から見た
ベリオールカレッジ(Balliol College)

ブロードストリート(Broad Street)沿いに建つ
シェルドリアン劇場(Sheldonian Theatre)

オックスフォード大学は英国伝統のカレッジ(=大学寮)制を特徴とする大学で、中央機関として、学部、図書館や科学施設に加えて、クライストチャーチ(Christ Church)、モードリンカレッジ(Magdalen College)やマンスフィールドカレッジ(Mansfield College)等をはじめとする39のカレッジと7つのホール(=寮)で構成されている。

ホームズとワトスンが滞在していた雰囲気がある街並み

オックスフォード大学は、世界中の、特に、英国の政治指導者を多数輩出しており、デイヴィッド・ウィリアム・ドナルド・キャメロン現首相<第75代/保守党>(David William Donald Cameron 1966年ー 首相在任:2010年ー)、アンソニー(トニー)・チャールズ・リントン・ブレア元首相<第73代/労働党>(Anthony Charles Lynton Blair:1953年ー 首相在任:1997年ー2007年)やマーガレット・ヒルダ・サッチャー元首相<第71代/保守党>(Margaret Hilda Thatcher:1925年ー2013年 首相在任:1979年ー1990年)等、26人の英国首相がオックスフォード大学の出身である。

ニューカレッジレーン(New College Lane)にある
「ため息の橋(The Bridge of Sighs)」

また、皇太子徳仁親王、皇太子妃雅子様や秋篠宮文仁親王等、日本の皇族の留学先としても、オックスフォード大学は知られている。そのため、オックスフォード大学は日本の多くの大学と連携して、留学生の受け入れを行っている。

2015年11月15日日曜日

ロンドン エニスモアガーデンズ(Ennismore Gardens)

エニスモアガーデンズに面して建つ住居

アガサ・クリスティー作「戦勝記念舞踏会事件(The Affair at the Victory Ball)」(1951年ー「負け犬他(The Under Dog and Other Stories)」に収録)では、コロッソスホールにおいて開催されていた戦勝記念の仮装舞踏会で惨劇が起きる。仮装舞踏会に来ていた6人組の一人、若きクロンショー子爵(Viscount Cronshaw)が心臓をナイフで刺されて殺されているのが発見されたのである。彼はイタリアの即興喜劇(commedia dell'arte)の道化役(Harlequin)の仮装をしていたのだが、彼の死体が発見された時、死後硬直が既にかなり進んでいた。


また、クロンショー子爵のフィアンセと噂されている女優のココ・コートニー(Miss "Coco" Courtenay)がチェルシー地区(Chelsea)にある彼女のフラットで死亡しているのを翌朝発見された。コカインの過剰摂取による薬物中毒が原因であった。ココ・コートニーも前日仮装舞踏会に出席していた6人組の一人であったが、舞踏会出席者によると、当夜、クロンショー子爵と彼女は何故か喧嘩していたと言う。そのため、彼女は舞踏会を途中退席し、6人組の一人、夫妻で出席していた舞台俳優のクリストファー・デイヴィッドソン(Mr Christopher Davidson)に頼んで、自分のフラットへ連れ帰ってもらっていたのだ。検死解剖の結果、彼女は常習的な薬物中毒者であることも判明した。
動機、アリバイや2つの事件の関連性等、全てが謎めいており、自分の手に余ると考えたスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Jaap)はエルキュール・ポワロに捜査協力を求めるのであった。

エニスモアガーデンズを北側から見たところ

英国のTV会社ITV1が放映していたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「戦勝記念舞踏会事件」(1991年)の回では、戦勝記念の仮面舞踏会に出席するため、道化役に扮したクロンショー子爵が叔父のユースタス・ベルテン(Eustace Beltaine)の自宅へ迎えにやって来る。その際、叔父からお金の無心を受けたクロンショー子爵は、これをキッパリと断る。ユースタス・ベルテンの自宅として、エニスモアガーデンズ(Ennismore Gardens)にある住宅が撮影に使用されている。


エニスモアガーデンズは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のブロンプトン地区(Brompton)内に位置しており、(1)地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)からハイドパーク(Hyde Park)の南側を西へ延びるナイツブリッジ通り(Kightsbridge)/ケンジントンロード(Kensington Road)と(2)同駅からハロッズ(Harrods)デパートの前を通って南西へ延びるブロンプトンロード(Brompton Road)に挟まれた一帯内に所在している。


エニスモアガーデンズの北側には、以前、「キングストンハウス(Kingston House)」と呼ばれる邸宅が建っていた。これは、18世紀中頃、第2代キングストン・アポン・フル公爵イヴリン・ピエールポント(Evelyn Pierrepont, 2nd Duke of Kingston-upon-Hull:1711年ー1773年)が妻のエリザベス・チャドレー(Elizabeth Chudleigh:1720年ー1788年)のために建てた邸宅であったが、エリザベスの死後、いろいろな所有者を転々としたが、1937年に取り壊されてしまった。跡地には、現在、「キングストンハウスノース(Kingston House North)」と「キングストンハウスサウス(Kingston House South)」と呼ばれる2棟のフラットが、エニスモアガーデンズに面するように建っている。

エニスモアガーデンズに面して建つフラット「キングストンハウスサウス」

エニスモアガーデンズを含む一帯は、1840年代から開発が始まり、パブ(「エニスモアアームズ(Ennismore Arms)」ー現存せず)、教会や住居等が建設された。当初は、貴族や政治家が数多く住む場所だったが、キングストンハウスが取り壊された1930年代以降、住民の顔ぶれが芸術家や俳優等に変わる。第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ドイツ軍による爆撃により、付近はかなりの被害を蒙ったが、その後、復興して、現在に至っている。

エニスモアガーデンズを南側から見たところ

エニスモアガーデンズの西側には、
・ロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)
・インペリアルカレッジ(Imperial College)
・ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)
・自然史博物館(National History Museum)
・科学博物館(Science Museum)
等があり、学芸や観光の観点からは、非常に便利な場所である。

そういった利便性もあり、現在、エニスモアガーデンズ内の不動産価格はかなり上昇しており、日本円換算で平均6~7億円という驚きの金額である。

2015年11月14日土曜日

ロンドン ゴドルフィンストリート16番地(16 Godolpfin Street)

アビンドンストリート側からグレイトカレッジストリートを望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「第二のしみ(The Secon Stain)」では、秋のある火曜日の朝、英国首相であるベリンガー卿(Lord Bellinger)と欧州問題担当大臣(Secretary for European Affairs)のトレローニー・ホープ(Trelawney Hope)が、ある極秘の用件で、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪ねて来る。
彼らの説明によると、ある非常に重要な手紙が入った封筒が盗まれたと言う。問題の封筒は、欧州問題担当大臣の自宅寝室の鏡台に置いてある鍵のかかった書類箱内に保管されていたのだが、今朝、それが無くなっていたのである。首相曰く、この手紙を無事に取り戻せるかどうかによって、欧州全体の平和が大きく左右される、とのことだった。
首相と欧州問題担当大臣の二人が帰ると、ホームズはジョン・ワトスンに対して、「こんな大それたことができるのは、僕が知る限りでは、三人だけで、エドアルド・ルーカス(Eduardo Lucas)がその一人だ。」と話す。ワトスンが「新聞記事によると、エドアルド・ルーカスは昨夜自宅で殺害されたようだ。」と告げると、ホームズは非常に驚くのであった。


ウェストミンスター殺人事件
昨夜、ゴドルフィンストリート16番地において、不可解な事件が発生した。現場は、国会議事堂のヴィクトリアタワーすぐ近く、テムズ河とウェストミンスター大寺院の間にあり、古めかしく、そして、辺りから隔絶された18世紀の家々が建ち並ぶ通りの一つである。この小さいながらも洗練された邸宅に、エドアルド・ルーカス氏はここ数年住んでいた。彼は魅力的な性格をしており、その上、我が国における最も優れたアマチュアのテノール歌手の一人であるという正にその通りの評判によって、彼は社交界では非常に有名であった。ルーカス氏は独身の34歳で、彼の世帯構成は、老家政婦のプリングル夫人と従者のミットンの二人だけだった。家政婦は家の最上階で早めに就寝する習慣であった。また、従者はその晩ハマースミスの友人のところへ出かけて不在だった。よって、午後10時以降、ルーカス氏は家に一人で居たのである。その間に何が起きたのかについては、まだ判っていないが、午後11時45分にバレット巡査がゴドルフィンストリートを巡回した際、16番地の戸口が少し開いているのに気がついた。そこで、彼は扉をノックしたが、何の返事もなかった。正面の部屋に灯りが点いているのが判ったので、彼は廊下を進み、もう一度ノックしたものの、応答がなかった。それかれ、彼はドアを押し開いて、その部屋へ入った。その部屋の内は、手に負えない程乱れた状態で、家具は全て片側に寄せられ、部屋の中央には倒れた椅子が一脚あった。椅子の近くには、その椅子の一本の足をまだ握ったままの状態で、その家の不幸な住民であるルーカス氏が横たわっていたのである。彼は心臓を刺されて、即死だったものと思われる。彼の殺害に使用されたナイフは、湾曲したインドの短剣で、ある壁に飾ってあった東洋の武器の戦利品の一つであった。強盗が犯行の目的ではなかったようだ。何故ならば、その部屋にあった貴重品を持ち去ろうとした様子がなかったからである。エドアルド・ルーカス氏は非常に有名で、人気があったので、彼の乱暴で謎に満ちた死は、各方面の友人達に悲痛な関心と強烈な同情を引き起こすだろう。

画面手前がグレイトカレッジストリート、
画面中央右手がアビンドンストリートガーデンズ、画面中央左手がザ・カレッジガーデン、
画面奥が国会議事堂のヴィクトリアタワー

Murder in Westminster
A crime of mysterious character was committed last night at 16 Godolphin Street, one of the old-fashioned and secluded rows of eighteenth-century houses which lie between the river an the Abbey, almost in the shadow of the great tower of the House of Parliament. This small but select mansion has been inhabited for some years by Mr Eduardo Lucas, well known in society circles both on account of his charming personality and because he has the well-deserved reputation of being one of the best amateur tenors in the country. Mr Lucas is an unmarried man, thirty-four years of age, and his establishment consists of Mrs Pringle, an elderly housekeeper, and of Mitton, his valet. The former retires early and sleeps at the top of the house. The valet was out for the evening, visiting a friend at Hammersmith. From ten o'clock onwards Mr Lucas had the house to himself. what occurred during that time has not yet transpired, but at a quarter to twelve Police-constable Barrett, passing along Godolphin Street, observed that the door of Number 16 was ajar. He knocked, but received no answer. Perceiving a light in the front room, he advanced into the passage and again knocked, but without reply. He then pushed open the door and entered. The room was in a state of wild disorder, the furniture being all swept to one side, and one chair lying on its back in the centre. Beside this chair, and still grasping one of its legs, lay the unfortunate tenant of the house. He had been stabbed to the heart and must have died instantly. The knife with which the crime had been committed was a curved Indian dagger, plucked down from a trophy of Oriental arms which adorned one of the walls. Robbery doe not appear to have been the motive of the crime, for there had been no attempt to remove the valuable contents of the room. Mr Eduardo Lucas was so well known and popular that his violent and mysterious fate will arouse painful interest and intense sympathy in a widespread circle of friends.

リトルカレッジストリートから見たグレイトカレッジストリート

ホームズが、欧州問題担当大臣の自宅から問題の手紙を盗んだ容疑者の一人と見做したエドアルド・ルーカスが住んでいたゴドルフィンストリート16番地(16 Godolphin Street)は、現在の住所表記上、ロンドン中心部には存在しておらず、残念ながら、架空の住所である。

リトルカレッジストリートの角から
グレイトカレッジストリートの奥を望む

パーラメントスクエア(Parliament Square)から国会議事堂(House of Parliament)に沿って南へ下るアビンドンストリート(Abingdon Street)を進み、左手にヴィクトリアタワーガーデンズ(Victoria Tower Gardens)、右手にアビンドンストリートガーデンズ(Abingdon Street Gardens)が見えて来たところで右折すると、グレイトカレッジストリート(Great College Street)という細い通りへ入る。
このグレイトカレッジストリートであるが、
・国会議事堂のヴィクトリアタワー(Victoria Tower)のすぐ近くであること
・ウェストミンスター大寺院(Westminster Abbey)の裏手に該り、コナン・ドイルの原作で言及されているように、「テムズ河(River Thames)とウェストミンスター大寺院の間」にあると言えること
・通りの北側は、(1)アビンドンストリートガーデンズ、そして、(2)ザ・カレッジガーデン(The College Garden)を囲む壁、更に、(3)ウェストミンスター学校(Westminster Schoolーパブリックスクール)と続くが、通りの南側は古めかしい建物が建ち並び、国会議事堂、ウェストミンスター大寺院や首相官邸を初めとする英国政府関係各機関等が入居する建物が近くにあるとは思えない程、閑静であり、辺りから隔絶されていること
等を考慮すると、ゴドルフィンストリートの候補地としての要件をほぼ充足していると言える。

グレイトカレッジストリートの奥

ウェストミンスター学校の正式名は「The Royal College of St. Peter in Westminster」で、その設立は14世紀後半まで遡る。この学校の名に因んで、この通りは「グレイトガレッジストリート」と呼ばれるようになったと思われる。
ちなみに、グレイトカレッジストリートの中央辺りに南北へ延びる短い通りが存在しているが、この通りは「リトルカレッジストリート(Little College Street)」と呼ばれている。