2015年6月27日土曜日

ロンドン パークレーン427番地(427 Park Lane)

マーブルアーチ側からパークレーンを望む

シャーロック・ホームズが、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスにあるライヘンバッハの滝壺にその姿を消してから、既に3年が経過していた。サー・アーサー・コナン・ドイル作「空き家の冒険(The Empty House)」は、そこから始まるのである。
1894年の春、メイヌース伯爵(Earl of Maynooth)の次男である青年貴族ロナルド・アデア(Ronald Adair)がパークレーン427番地(427 Park Lane)の自宅で殺害された事件のニュースで、ロンドンは大騒ぎだった。


ロナルド・アデア閣下は、当時オーストラリア植民地の一つで知事をしていたメイヌース伯爵の次男であった。アデア閣下の母親は、白内障の手術を受けるために、オーストラリアから英国に帰国していて、息子のロナルドと娘のヒルダと一緒に、パークレーン427番地に住んでいた。アデア閣下は上流階級の集まりにも入っていたが、判っているところでは、敵はなく、また、特に悪癖もなかった。彼はカーステアーズのエディス・ウッドレー嬢と婚約したが、数ヶ月前に双方の合意の下、この婚約は解消された。ただし、婚約の解消によって、双方に感情的なしこりが残った形跡はなかった。彼は穏やかな気質で、かつ、落ち着いた性格だったので、上記を除くと、彼の生活は狭くて、かつ、因習的な人間関係の中にとどまっていた。1894年3月30日の午後10時から午後11時20分の間に、この悠々自適な青年貴族は、非常に奇妙で予期しない形で死を迎えたのであった。

パークレーンからハイドパークの
サウスキャリエッジドライブ(South Carriage Drive)への入口
ハイドパークコーナー寄りの
アキリーズウェイ(Achilles Way)内に設置されているオブジェ

The Honourable Ronald Adair was the second son of the Earl of Maynooth, at that time Governor of one of the Australian Colonies. Adair's mother had returned from Australia to undergo an operation for cataract, and she, her son Ronald, and her daughter Hilda were living together at 427 Park Lane. The youth moved in the best society, had, so far as was known, no enemies, and no particular vices. He had been engaged to Miss Edith Woodley, of Carstairs, but the engagement had been broken off by mutual consent some months before, and there was no sign that it had left any very profound feeling behind it. For the rest the man's life moved in a narrow and conventional circle, for his habits were quiet and his nature unemotional. Yet it was upon this easy-going young aristocrat that death came in more strange and unexpected form between the hours of ten and eleven-twenty on the night of March 30, 1894.

パークレーンの西側には、ハイドパークが広がる
ハイドパークの東側は、高級地区メイフェア—
パークレーンは、車の往来が非常に多い

パークレーン(Park Lane)はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあり、北側のマーブルアーチ(Marble Arch)と南側のハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)を結ぶ約 1.2 Km の重要な幹線道路である。現在、真ん中に緑地帯が設けられており、左右4車線の道路がハイドパーク(Hyde Park)の東側を南北に延びている

ドーチェスターホテル
ロンドン ヒルトンホテル パークレーン
メトロポリタンホテル ロンドン

パークレーンの西側はハイドパークで、東側は高級地区メイフェア(Mayfair)で、道路沿いには、(1)ロンドン マリオットホテル パークレーン (London Marriott Hotel Park Lane)、(2)グローヴナーハウスホテル(Grosvenor House Hotel)、(3)ドーチェスターホテル(The Dorchester)、(4)ロンドン ヒルトンホテル パークレーン(London Hilton on Park Lane)、(5)メトロポリタンホテル ロンドン(Metropolitan Hotel London)やインターコンチネンタル ロンドンパークレーン(InterContinental London Park Lane)等の高級ホテルとスポーツカーのショールーム等が並んでいる。
ハイドパークが望めることから、18世紀以降、パークレーンの東側は上流階級の住居として非常に人気があった。ウェストミンスター伯爵(Duke of Westminster)の住居だったグローヴナーハウス(Grosvenor House)の跡地にグローヴナーホテルが、また、ホルフォード家(Holford family)の住居だったドーチェスターハウス(Dorchester House)の跡地にはドーチェスターホテルが建っている。

マーブルアーチ寄りの緑地帯には、
戦争に従軍した動物への慰霊碑が建てられている
近くには、赤いチューリップが咲き誇っている
動物への慰霊碑に、チューリップの赤色がうまくマッチしている
夕陽を背にした動物への慰霊碑

1960年度代にパークレーンを左右3車線に拡大した際に、区画整理が行われ、通り沿いにあった住居の大部分が撤収されたため、左右4車線となった現在、パークレーンの東側はほぼホテル街となっていて、住居のまま残っている場所は数える程しか残っていない。また、車の往来が非常に多く、ロンドンの中でも最も騒音が非常に激しい通りの一つである。

青年貴族ロナルド・アデアが住んでいた
パークレーン427番地と思われる建物(その1)
青年貴族ロナルド・アデアが住んでいた
パークレーン427番地と思われる建物(その2)

パークレーンの番地数は、ハイドパークコーナーからマーブルアーチへ向かって増えていくが、100番台前半で終わるため、青年貴族ロナルド・アデアが住んでいたパークレーン427番地は、現在の住所表記上は存在しておらず、架空の住所である。

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