ブラウンズホテルの表玄関 (アルベマールストリート側) |
アガサ・クリスティー作「バートラムホテルにて(At Bertram's Hotel)」(1965年)では、ミス・ジェイン・マープルが古き良きエドワード朝時代の面影を今なお残しているバートラムホテル(Bertram's Hotel)を訪れるところから、物語の幕が上がる。
彼女は、まだ14歳の時に、伯父夫妻に連れられて、バートラムホテルに宿泊したことがあった。今回、甥のレイモンドと彼の妻ジョーンが、ミス・マープルのために、ここに2週間程滞在する費用を出してくれたのだ。昔を懐かしむミス・マープルは、半世紀ぶりにバートラムホテルを再訪することになるが、昔と全く変わっていないことに驚く。しかし、その裏で事件の影が蠢いていたのである。
宿泊客のキャノン・ペニーファザー牧師(Cannon Pennyfather)が消息不明になり、そして、ある霧深い夜、ホテルのドアマンであるマイケル・ゴーマン(Michael Gormanー宿泊客の女性冒険家レディー・ベス・セジウィックの元夫)が射殺される。レディー・ベス・セジウィック(Lady Bess Sedgwick)と彼女の娘エルヴァイラ・ブレイク(Elvira Blake)の周囲で、何か不穏な動きがあるのだが、一体それは何か?
アルベマールストリートを北側から望む― 画面右手奥にブラウンズホテルの表玄関がある |
バートラムホテルは架空のホテルで、ロンドン市内に実在していないが、ロンドンン高級地区メイフェア(Mayfair)内にあり、作者のアガサ・クリスティーがロンドン滞在の際の宿としていたブラウンズホテル(Brown's Hotel)がそのモデルだと一般に言われている。
トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から西へ延びるパル・マル通り(Pall Mall)は、セントジェイムズパレス(St. James's Palace)に至ったところで垂直に曲がり、セントジェイムズストリート(St. James's Street)と名前を変えて、北へ向かって延びる。このセントジェイムズストリートは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)からハイドパーク(Hyde Park)へ向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)と交差した後、アルベマールストリート(Albemarle Street)と名前が変わり、更に北上する。この33番地(ピカデリー通り側からみた左手)に、ブラウンズホテルは建っている。
旧ブラウンズホテルとセントジョージホテルが統合したことを示す モザイクがホテル外壁に架けられている |
ブラウンズホテルは、1837年にジェイムズ・ブラウン(James Brown)とサラ・ブラウン(Sarah Brown)によって、アルベマールストリートの一本西側にあるドーヴァーストリート(Dover Street)側で創業された。1889年にブラウンズホテルは(背中を接し、アルベマールストリート側にあった)セントジョージホテル(St. George's Hotel)を買収し、2つのホテルを1つに統合するとともに、最上階を新たに増築の上、アルベマールストリート側を表玄関として改装した。現在のブラウンズホテルが旧ブラウンズホテルとセントジョージホテルが統合したものであることを示すモザイクが、アルベマールストリート側のホテル外壁に、左右3つずつ架けられている。
アルベマールストリートを南側から望む |
ブラウンズホテルには、以下の著名人が宿泊したり、利用したりしている。
(1)ナポレオン3世(Napoleon III:1808年ー1873年)
フランス第2共和制の大統領(1848年ー1852年)/フランス第2帝政の皇帝(1852年-1870年)で、第2帝政崩壊に伴い、英国へ亡命した後、1871年に元皇后ウジェニー・ド・モンティジョ(Eugenie de Montijo)と一緒にブラウンズホテルに宿泊している。
(2)アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell:1847年ー1922年)
スコットランド生まれの科学者、発明家かつ工学者で、世界初の実用的電話の発明で知られているが、1876年にブラウンズホテルで英国初の電話実験に成功している。
(3)セオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)
米国の第25代副大統領(1901年)/第26代大統領(1901年ー1909年)で、最初の夫人アリス・ハサウェイ・リーが1884年に死去した後、2番目の夫人イーディス・カーミット・カーロウと1886年に再婚する前に、ブラウンズホテルに宿泊している。また、ここで結婚式を挙げている。
ドーヴァーストリートを南側から望む― 画面右手奥にブラウンズホテルの裏玄関がある |
上記以外にも、アガサ・クリスティーに加えて、以下の作家がブラウンズホテルを利用している。
(4)サー・アーサー・コナン・ドイル
(5)エイブラハム・”ブラム”・ストーカー(Abraham "Bram" Stoker:1847年ー1912年)ー「ドラキュラ(Dracula)」(1897年)等で有名。
(6)ロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson:1850年ー1894年)ー「宝島(Treasure Island)」(1883年)と「ジキル博士とハイド氏(Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」(1886年)等で有名。
(7)オスカー・フィンガル・オフラハティー・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)ー「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」(1890年)や「サロメ(Salome)」(1893年)等で有名。
(8)サー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年)ーピーターパン(Peter Pan)シリーズ等で有名。
(9)ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1860年ー1936年)ー「ジャングルブック(The Jungle Book)」(1894年)等で有名。1907年に英国初のノーベル文学賞を受賞。
なお、ドイル、スティーヴンソンおよびバリーはスコットランド生まれ、ストーカーとワイルドはアイルランド生まれ、そして、キップリングは英国領インド帝国のボンベイ(ムンバイ)生まれである。こうして並べると、19世紀末から20世紀初めにかけて、英国で活躍した作家は、本人自身の名前は覚えていられないとしても、今でも世界で愛されている作品を生み出した訳で、改めてこの当時の凄さが実感させられる。
ブラウンズホテルの裏玄関 (ドーヴァーストリート側) |
ブラウンズホテルは、2012年に創業175年周年を迎えている。
ブラウンズホテルの表玄関が面しているアルベマールストリートは、オックスフォードストリート(Oxford Street)からピカデリー通りへ向かって南に下るニューボンドストリート(New Bond Street)/オールドボンドストリート(Old Bond Street)の一本西側にあり、ブランドショップが軒を連ねるショッピング街に非常に近く、利便性が高い。
アルベマールストリート(ブラウンズホテルの表玄関側)とドーヴァーストリート(ブラウンズホテルの裏玄関側)は、共に南から北への一本通行で、トラファルガースクエア方面からバークレースクエア(Berkeley Square)やグローヴナースクエア(Grosvenor Square)経由、マーブルアーチ(Marble Arch)へと至る近道に該るため、ブラウンズホテル前の通りは必ずしも閑静とは言えず、ロンドン市内の通りに詳しいタクシーや一般車が割合と頻繁に通り抜けて行く。
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