サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」の序盤で、ジョン・ワトスンは次のように述べている。
「私(ワトスン)は、当時(=1902年9月)、クイーン アン ストリートに部屋を借りて暮らしていた。(I was living in my own rooms in Queen Anne Street at the time …)」
ウェルベックストリートからクイーン アン ストリートを望む |
クイーン アン ストリート(Queen Anne Street)は、西側はウェルベックストリート(Welbeck Street:「最後の事件(The Final Problem)」において、シャーロック・ホームズがジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)配下の者が乗った二頭立ての馬車に襲撃された通り)から始まり、東側はチャンドスストリート(Chandos Street)に接して終わっている。
クイーン アン ストリートは、英国のステュアート朝(House of Stuart)最後の君主であるアン女王(Queen Anne:1665年ー1714年)に因んで名付けられている。アン女王は、1702年3月に(最後の)イングランド王国・スコットランド王国君主およびアイルランド女王(Queen of England, Scotland and Ireland)として即位し、1707年5月にスコットランドがイングランドに併合されたことに伴い、(最初の)グレートブリテン王国君主およびアイルランド女王(Queen of Great Britain and Ireland)として1714年8月まで君臨した。
現在、クイーン アン ストリートの両側は高級住宅街となっている。 |
クイーン アン ストリートは、開業医や歯科医が多いハーリーストリート(Harley Street)の近くにあり、ロンドンで医者が医院を持つ場合の最高地の一つである。ただし、現在は、どちらかと言うと、高級住宅街となっている。
「高名な依頼人」事件において、ワトスンは自分が住んでいたクイーン アン ストリートの具体的な番地名を開示していないため、建物を特定することをできないのが残念である。
ロンドンの劇場街コヴェントガーデン(Covent Garden)に生まれ、若くして成功と名声を手を入れた画家ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年)は、1812年にそれまで住んでいたハーリーストリート64番地からクイーン アン ストリート23番地に引っ越して、亡くなる1851年までその建物を所有したそうである。なお、彼が亡くなったのは、クイーン アン ストリート23番地ではなく、1846年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の副会長を辞した後に居を構えたチェルシー(Chelsea)地区のテムズ河(River Thames)沿いの家であった。
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