バークリースクエアの中心は、 バークリースクエアガーデンズ(Berkeley Square Gardens)と呼ばれる 大きな公園になっている―公園の真ん中から、南側を望む。 画面左下には、現在、英国の彫刻家ヘンリー・ムーア (Henry Moore:1898年―1986年)の作品が設置されている。 |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」において、匿名の依頼人のために、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)がベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。1902年9月3日午後4時半のことである。
デマリー大佐によると、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢ヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)がオーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Gruner:現在、英国キングストン(Kingston)近くのヴァーノンロッジ(Vernon Lodge)に居住)に夢中になり、彼と結婚しようとしていた。実際、グルーナー男爵はハンサムであるが、非常に残虐な男である。本人曰く、彼が当時結婚していた妻は事故で死亡したと言って、プラハでの裁判では罪を免れたが、本当は彼が自分の妻を自ら殺害したものと一般には考えられていた。
ド・メルヴィル将軍をはじめ、ヴァイオレット・ド・メルヴィルの周りの者は彼女にグルーナー男爵との結婚を思いとどまるよう言い含めたものの、彼女の態度は非常に頑なで、どんな説得にも耳を貸そうとはしなかった。
「ド・メルヴィル嬢とグルーナー男爵の結婚をなんとか阻止してほしい。」というデマリー大佐の依頼を受けたホームズは早速行動を開始する。ホームズは、まずキングストンに住むグルーナー男爵を訪問し、直接交渉に及ぶが、残念ながら、これは失敗に終わってしまう。
次に、ホームズは、グルーナー男爵によって人生を台無しにされたキティー・ウィンター(Kitty Winter)を伴い、ロンドンのバークリースクエア(Berkeley Square)に住むド・メルヴィル嬢を訪ねて説得を試みる。
ホームズがジョン・ワトスンに対して、次のように語っている。
「ド・メルヴィル将軍からは、会見の段取りは全て整っているという電話連絡があったし、あの火のようなミスW(キティー・ウィンターのこと)も予定通り姿を現した。それで、午後5時半に馬車が年老いた軍人が住むバークリースクエア104番地の前に我々を降ろしてくれたという訳だ。そこは、教会も足元には及ばないと思わせる位に非常に古びたロンドンのお城の一つだったよ。」
The General phoned that all was ready, and the fiery Miss W turned up according to schedule, so that at half-past five a cab deposited us outside 104 Berkeley Square, where the old soldier resides - one of these awful grey London castles which would make a church seem frivolous …
バークリースクエアガーデンズの真ん中から北側を望む。 |
The General phoned that all was ready, and the fiery Miss W turned up according to schedule, so that at half-past five a cab deposited us outside 104 Berkeley Square, where the old soldier resides - one of these awful grey London castles which would make a church seem frivolous …
バークリースクエアの南西の角にある交差点 |
ド・メルヴィル嬢が住んでいたバークリースクエアは、ロンドン中心部のウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストエンド(West End)内にある広場である。
このスクエアは、18世紀中頃、英国の建築家ウィリアム・ケント(William Kent:1685年ー1748年)により設計された。バークリースクエアの名前は、1733年まで近くに建っていたバークリーハウス(Berkeley House)をロンドン滞在時の邸宅として使用していたグロスター州(Gloucestershire)の貴族バークリー家の名に由来している。
バークリースクエアは元々は住宅街であったが、現在住宅として使用されている建物は非常に少なく、会員制クラブ、レストラン、アンティークショップ、銀行や外車販売会社等が入っているケースが多い。そのため、当スクエアを囲む住宅スペースが不動産市場に出ることは非常に稀であり、不動産価格を大きく押し上げる要因となっている。
バークリースクエア48番地には、英国の元首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill:1874年ー1965年)が幼少期に住んでいたそうである。
また、バークリースクエア50番地には、現在、「マッグス兄弟のアンティーク本屋(Maggs Brothers Antiquarian Booksellers)」が入居しているが、当建物内では非常に恐ろしい怪奇現象が発生するらしい。当建物の屋根裏部屋から身を投げて自殺した若い女性の幽霊がその屋根裏部屋に現れると一般に言われている。英国の外務大臣や首相を務めた政治家ジョージ・カニング(George Canning:1770年ー1827年)がこの建物で生涯を過ごしたが、それ以前から誰も居ない屋根裏部屋で変な物音がしたりしていたとのこと。その後、幽霊を確かめに屋根裏部屋で一夜を過ごした人々が何らかの恐怖で死亡したり、精神に異常をきたしたりする事件が発生しているが、現在の会社が1930年代に入居した以降は、今のところ、そういった怪奇現象は起きていないそうである。
なお、ホームズとキティー・ウィンターが訪ねたド・メルヴィル嬢の住まいであるバークリースクエア104番地は架空の住所であり、同スクエアには3桁の番地は存在していない。
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