シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ホワイトチャペルの恐怖
(The further adventures of Sherlock Holmes / The Whitechapel Horrors)
(The further adventures of Sherlock Holmes / The Whitechapel Horrors)
著者 Edward B.Hanna 1992年
出版 Titan Books 2010年
ロンドンの高級ホテルであるクラリッジ(The Claridges)の総支配人に就任したロナルド・F・ジョーンズは最初の仕事としてオフィスの金庫の中身を調べた。そこで発見された分厚い原稿の束。それには、『ジョン・H・ワトスン博士』の名と「自分の死後50年を経過するまでこれを公表してはならない」という1929年7月30日付けのメモが付されていた。原稿にくっきりと浮かび上がる二つの人名、「シャーロック・ホームズ」と「切り裂きジャック」。そう、これは、19世紀末の歴史の闇に消えた伝説の猟奇殺人者「切り裂きジャック」を追うホームズを記録したワトスンの未発表原稿だったのである。
時に1888年9月1日(土曜日)。物語は「ジキル博士とハイド氏」の舞台を観に行った後、ホームズとワトスンが、シンプソンズにおいて遅い夕食をとるところから始まる。ベーカーストリートの下宿に戻った二人を、スコットランド・ヤード犯罪捜査部のアバーライン警部とシッケ部長刑事が待ち受けていた。前日の8月31日(金曜日)、ホワイトチャペル地区において「切り裂きジャック」が最初の凶行に及んだのである。
1888年8月31日から同年11月9日にかけて、残忍な方法で、5人の娼婦を殺害する「切り裂きジャック」。警視総監のチャールズ・ウォレンの辞任、下院議員のランドルフ・チャーチル卿の謎めいた言動。スキャンダラスなプリンス・エディ(ヴィクトリア女王の孫)。王太子アルバート・エドワード(愛称はバーティー。プリンス・エディの父親、のちのエドワード7世)とホームズとの厳しいやりとり。捜査が進むにつれて、ホームズの苦悩は深まり、ワトスンを伴わない単独行動が増えていく。これは真相に辿り着けない苦悩というよりも、知ってはいけない真実を知ってしまった苦悩と言える。同時期ホームズは「バスカヴィル家の犬」事件(1888年9月)を抱えていたが、「切り裂きジャック」事件があったため、当初はワトスンだけをバスカヴィル家があるデヴォン州のダートムアに派遣し、自分はロンドンに留まるというように、二つの物語を非常にうまく結びつける説明がなされていて興味深い。そして、ジェイムズ・モリアーティー教授と一緒にライヘンバッハの滝に落下した「最後の事件」(1891年4月)からホームズが生還する「空き家の冒険」(1894年4月)という3年の大空白時代を経て、1895年1月28日(月曜日)、ホームズの口から、大英帝国の命運を左右しかねない一大スキャンダルが語られる。
推理作家であれば、またホームズファンであれば誰でも一度は実現させたい「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」という一大テーマへ挑戦しており、非常にワクワクしながら、約450ページという分厚い道のりを越えてきた。ここまで話を盛り上げてきたにもかかわらず、実は何も解決されないまま、つまり真相は全く解明されないまま、物語は終わってしまうのである。最後までホームズはワトスンに対して、重い口を閉ざしたままなのだ。更に、途中の数カ所に、故意か過失かは不明なるも、ワトスンの原稿に欠落が生じているのである。
「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」というすばらしい題材で、読者の期待を高めるだけ高めておいて、梯子をはずし奈落の底に突き落とされたようで、呆れしか残らないというのが正直な感想である。綿密な時代考証の上、構築した物語であることは評価できるものの、読者が納得するか否かは別にして、作家としての姿勢を見せてほしかった。このような結末では、何のためにこの一大テーマに挑戦したのか、理解に苦しむところである。
唯一なるほどと思ったのは、サー・アーサー・コナン・ドイルによれば、1891年4月から1894年の4月までの3年間の空白時に、ホームズは世界中を旅したことになっている(ホームズ本人がワトスンに対してそのように語っている)が、本作品では、英国王室の一大スキャンダルを防ぐべく、その間ある場所にある人物を監禁することに、やむを得ないながらも手をかしていたこと、また、物語の終わりの方で、自分を「切り裂きジャック事件」に引き込んだ兄のマイクロフト・ホームズに対して、シャーロック・ホームズが恨み節を吐いている、この点については、ドイルによる説明よりも一枚上手と言える。
1892年1月14日のプリンス・エディの死去とともに、切り裂きジャックは歴史の闇の中に姿を消し去る。ホームズの口から、プリンス・エディを初めとして、怪しげな言動をするプリンス・エディの側近や下院議員等、主要な登場人物は切り裂きジャックではなかったと否定されてしまう。それでは、切り裂きジャックは誰だったのか?もはや読者には推理する術は全くないのだ。これだけホームズが重い口を開かない訳なので、推測するに、政府内部というよりも英国王室内に切り裂きジャックはその姿を隠しているように思えるのだが、これも私の勝手な想像に過ぎない。本当に作者はどういう意図でこの一大テーマに挑んだのであろうか?フェア、アンフェアという問題を大きく通り越して、ただただ脱力感というか、納得できない気持ちだけが大きく残る作品である。
読後の私的評価(満点=5.0)
1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆☆(5.0)
時に1888年9月1日(土曜日)。物語は「ジキル博士とハイド氏」の舞台を観に行った後、ホームズとワトスンが、シンプソンズにおいて遅い夕食をとるところから始まる。ベーカーストリートの下宿に戻った二人を、スコットランド・ヤード犯罪捜査部のアバーライン警部とシッケ部長刑事が待ち受けていた。前日の8月31日(金曜日)、ホワイトチャペル地区において「切り裂きジャック」が最初の凶行に及んだのである。
1888年8月31日から同年11月9日にかけて、残忍な方法で、5人の娼婦を殺害する「切り裂きジャック」。警視総監のチャールズ・ウォレンの辞任、下院議員のランドルフ・チャーチル卿の謎めいた言動。スキャンダラスなプリンス・エディ(ヴィクトリア女王の孫)。王太子アルバート・エドワード(愛称はバーティー。プリンス・エディの父親、のちのエドワード7世)とホームズとの厳しいやりとり。捜査が進むにつれて、ホームズの苦悩は深まり、ワトスンを伴わない単独行動が増えていく。これは真相に辿り着けない苦悩というよりも、知ってはいけない真実を知ってしまった苦悩と言える。同時期ホームズは「バスカヴィル家の犬」事件(1888年9月)を抱えていたが、「切り裂きジャック」事件があったため、当初はワトスンだけをバスカヴィル家があるデヴォン州のダートムアに派遣し、自分はロンドンに留まるというように、二つの物語を非常にうまく結びつける説明がなされていて興味深い。そして、ジェイムズ・モリアーティー教授と一緒にライヘンバッハの滝に落下した「最後の事件」(1891年4月)からホームズが生還する「空き家の冒険」(1894年4月)という3年の大空白時代を経て、1895年1月28日(月曜日)、ホームズの口から、大英帝国の命運を左右しかねない一大スキャンダルが語られる。
推理作家であれば、またホームズファンであれば誰でも一度は実現させたい「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」という一大テーマへ挑戦しており、非常にワクワクしながら、約450ページという分厚い道のりを越えてきた。ここまで話を盛り上げてきたにもかかわらず、実は何も解決されないまま、つまり真相は全く解明されないまま、物語は終わってしまうのである。最後までホームズはワトスンに対して、重い口を閉ざしたままなのだ。更に、途中の数カ所に、故意か過失かは不明なるも、ワトスンの原稿に欠落が生じているのである。
「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」というすばらしい題材で、読者の期待を高めるだけ高めておいて、梯子をはずし奈落の底に突き落とされたようで、呆れしか残らないというのが正直な感想である。綿密な時代考証の上、構築した物語であることは評価できるものの、読者が納得するか否かは別にして、作家としての姿勢を見せてほしかった。このような結末では、何のためにこの一大テーマに挑戦したのか、理解に苦しむところである。
唯一なるほどと思ったのは、サー・アーサー・コナン・ドイルによれば、1891年4月から1894年の4月までの3年間の空白時に、ホームズは世界中を旅したことになっている(ホームズ本人がワトスンに対してそのように語っている)が、本作品では、英国王室の一大スキャンダルを防ぐべく、その間ある場所にある人物を監禁することに、やむを得ないながらも手をかしていたこと、また、物語の終わりの方で、自分を「切り裂きジャック事件」に引き込んだ兄のマイクロフト・ホームズに対して、シャーロック・ホームズが恨み節を吐いている、この点については、ドイルによる説明よりも一枚上手と言える。
1892年1月14日のプリンス・エディの死去とともに、切り裂きジャックは歴史の闇の中に姿を消し去る。ホームズの口から、プリンス・エディを初めとして、怪しげな言動をするプリンス・エディの側近や下院議員等、主要な登場人物は切り裂きジャックではなかったと否定されてしまう。それでは、切り裂きジャックは誰だったのか?もはや読者には推理する術は全くないのだ。これだけホームズが重い口を開かない訳なので、推測するに、政府内部というよりも英国王室内に切り裂きジャックはその姿を隠しているように思えるのだが、これも私の勝手な想像に過ぎない。本当に作者はどういう意図でこの一大テーマに挑んだのであろうか?フェア、アンフェアという問題を大きく通り越して、ただただ脱力感というか、納得できない気持ちだけが大きく残る作品である。
読後の私的評価(満点=5.0)
1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆☆(5.0)
19世紀末、ロンドンのイーストエンドを恐怖に陥れ、現在も未だに正体の分からない切り裂きジャックを物語のテーマにしており、ホームズファンであれば、ぜひ実現して欲しい闘いである。
2)物語の展開について ☆☆(2.0)
2)物語の展開について ☆☆(2.0)
実在の人物も登場させながら、切り裂きジャックの犯行は続いていく。如何なる結末が最後に待っているのかと非常にワクワクして読んだが、あまりにも腰砕けな、というか、はっきりしない結末であり、約450ページという長丁場が逆に興ざめ感を強めている。
3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆(1.0)
3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆(1.0)
「バスカヴィル家の犬」と本件をうまくオーバーラップさせ、切り裂きジャック事件があったため、ホームズはワトスンだけをダートムーアに派遣したとか、「最後の事件」と「空き家の冒険」の間の3年間の空白期間、ホームズがある密命を帯びて、ある場所に居たという説明がなされる等、ホームズの活躍に一定の評価は下せるものの、何も解決されていない結末しか公には提示されず、それではホームズがどれだけ真相に苦悩したとしても、読者からは何の共感や同情をも得られないのでは?
4)総合 ☆(1.0)
4)総合 ☆(1.0)
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