2014年4月12日土曜日

ロンドン 地下鉄ベイカーストリート駅前のシャーロック・ホームズ像

全ての旅はここから始まる。
地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)のマリルボーンロード(Marylebone Road)側の出口から外に出て、左に曲がったところにシャーロック・ホームズ像は立っている。

制作者:ジョン・ダブルディ(John Doubleday)
制作期間:1998-1999年
材質:ブロンズ製
高さ:約3メートル

ホームズ像は、スイスのマイリンゲン(Meiringen - 「最後の事件(The Final Problem)」において、ホームズとジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が決闘を行ったライヘンバッハ(Reichenbach)滝の麓にある街)、日本の長野県軽井沢町追分、そして、英国エディンバラ(サー・アーサー・コナン・ドイルの生家近く)に既に3体存在しており、ロンドン・地下鉄ベーカーストリート駅前の像が4体目になる。

元々は、1927年に、推理小説「ブラウン神父(Father Brown)」の作者であるG.K.チェスタートン(G.K.Chesterton)が、ロンドンにホームズ像を設置することを提唱したが、この時はことが上手く進まなかった。
それから数十年を経た1996年に、シャーロック・ホームズ・ソサエティー・オブ・ロンドン(The Sherlock Holmes Society of London)が新たなキャンペーンを開始し、1998年には、ホームズ像を制作するための会社 The Sherlock Holmes Statue Company Limited が設立された。
ホームズ像の制作費用は、住宅金融専門会社のアビー・ナショナル(Abbey National)が負担した。当時、アビー・ナショナルはベイカーストリート215ー220番地に本社を構えており、ホームズとワトスンが部屋を借りていたベイカーストリート221B がこの本社の住所に含まれていることが、更には、同社が1999年に創立150周年を迎えるため、その記念事業の一つであったことが、ホームズ像制作費用負担の理由でした。何とも粋なはからいである。

アビー・ナショナルには、長年に渡ってホームズ専属の秘書がいて、ベイカーストリート221B のホームズ宛に届く手紙に返信を出していたとのこと。しかしながら、とても残念なことに、近年アビー・ナショナルの本社が入居していたビル、アビーハウス(Abbey House)は、上部の白い塔だけを残して建て替えが行われ、アビー・ナショナル本社は移転、現在建物はフラットに様変わりしている。そのため、ビルの角にあったホームズのショーウィンドウ(ベイカーストリートを背景に小さいホームズ像が飾られていた)もなくなってしまった。

ホームズ像に話を戻すと、スイスのマイリンゲンにあるホームズ像の制作者でもあるジョン・ダブルディは、1998年3月31日にベーカーストリート駅前に設置するホームズ像の仕事を請け負い、1999年9月23日に無事除幕式を迎えた。その際、除幕式を行う栄誉を担ったのは、ホームズ像の制作費用を負担したアビー・ナショナルの会長であった。こうして、同社の設立150周年に間に合ったのである。


ホームズ像は、おなじみの鹿撃ち帽(Deer Stalker)を被り、両肩にインヴァネスコートを羽織り、そして右手にはパイプを持っている。このお決まりの出で立ちは、当時、物語が連載されていた雑誌「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載されたシドニー・パジェット(Sidney Paget)による挿絵に大きく影響を受けている。ちなみに、ドイルは、物語の中で、ホームズの出で立ちについては、ここまで具体的な描写をしていない。このパジェットによる挿絵の影響は非常に大きく、読者にホームズのイメージを強く決定付けたと言える。

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