2014年4月27日日曜日

ロンドン 地下鉄ベーカーストリート駅 ジュビリーラインのプラットフォームにあるホームズの物語(4)

(4)ライオンのたてがみ(The Lion's Mane)


初出:「リバティ」(米)1926年11月号
                                 「ストランドマガジン」(英)1926年12月号
                                                                   事件の発生:1907年7月
収録:「シャーロック・ホームズの事件簿(The Casebook of Sherlock Holmes)」

ホームズは探偵業から引退し、英国サセックス丘陵の南斜面にある別荘に居を構え、蜜蜂と書物に囲まれた静かな生活を送っていた。嵐が去った朝、ホームズは散歩に出かけ、近くで学校を運営している隣人のハロルド・スタックハースト氏に出会う。海岸に向かった二人の前に、フィッツロイ・マクファースン青年がよろめきながら歩いてきて、ばったりと倒れる。彼は「ライオンのたてがみ」という謎の言葉を残して、息を引き取る。彼の背中には、細い鞭で打たれたような赤いミミズ腫れの痕が何本も残っていた、という場面が描かれている。


本作品は、サー・アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ作品の第57作目で、56ある短編小説のうちでは、53番目に発表された。探偵業から引退したホームズの一人称で書かれている二作のうちの一つで、もう一つは「白面の兵士」(The Blanched Soldier)である。

この物語で、ホームズは、マクファースン青年が残した「ライオンのたてがみ」というダイイングメッセージを頼りに事件を追って行くのだが、これは実は「サイアネアクラゲ」と呼ばれるクラゲの通称(Lion's Mane Jellyfish)で、学名は「サイアネア・カピラータ」(Cyanea cpillata)、英国の西岸から南西部や南部の海岸で見ることができるそうである。ホームズが引退後に暮らしていたのは英国南部のサセックスなので、このクラゲの生息地である。

プラットフォームの絵は、場面描写として物語の雰囲気をとてもよく伝えている。しかしながら、個人的には、他に有名な事件が多過ぎて、この物語は正直あまり印象に残っていない。という訳で、なぜ7つの壁画の絵の一つに選ばれたのかが少々疑問である。

2014年4月26日土曜日

ロンドン 地下鉄ベーカーストリート駅 ジュビリーラインのプラットフォームにあるホームズの物語(3)

(3)赤毛組合(The Red-Headed League)


初出:「ストランドマガジン」(英)1891年8月号
事件の発生:1890年10月
収録:「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」

燃えるような赤毛の初老の男性で、質屋のジェイベズ・ウィルスン氏は非常に興味深い話を持ってベーカー街にやって来た。事件を調査するホームズとワトスンは、スコットランドヤードのジョーンズ警部と銀行の頭取であるメリーウェザー氏と一緒に、質屋の裏の銀行に向かった。銀行の地下室には、増資のために借り受けたナポレオン金貨3万枚が保管されていた。その地下室の暗闇の中で犯人の潜入を待つ場面が描かれている。


「赤毛組合」は、サー・アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ作品の第4作目で、56ある短編小説のうち、2番目に発表された。ある年の秋、ジェイベズ・ウィルスンという人物が、赤毛の人間を募集する広告が掲載された「モーニング・クロニクル」紙の切り抜き(1890年4月27日付)を持参して、ホームズとワトスンの元をたずねて来た。彼は、採用の翌日から赤毛組合で大英百科事典(Encyclopedia Britannica)を書写する仕事を始めたのだが、8週間後のある日突然、赤毛組合は解散してしまう。そこでホームズとワトスンに、赤毛組合がなぜ突然解散してしまったのか、その理由の調査依頼にやってきたのである。


本作品においては、日付の矛盾が発生していると言われている。

先ず最初に、物語の出だし部分で「去年の秋」と言っているにもかかわらず、ジェイベズ・ウィルスン氏が持ってきた新聞の日付は「1890年4月27日」になっており、その時新聞広告の切り抜きを見たワトスンが「それはちょうど2ヶ月前の広告だ。」と言っていることから、ジェイベス・ウィルソンがホームズとワトスンの元を訪ねて来たのは、1890年の6月末だということが分かる。

彼が赤毛組合で働き始めたのが、新聞広告の後の4月末頃だと考えると、赤毛組合が解散された日は、それから8週間後ということは、おそらく6月末なのである。

ところが、物語の中では、赤毛組合の事務所のドアに貼られた解散を知らせる貼り紙についても書かれており、その日付が1890年の10月9日なのである。

ということで、日付の辻褄が合わないのである。

更に言うと、1890年の4月27日は日曜日で、当時、ロンドン市内では、日曜日は新聞が発行されておらず、またその時点で「モーニングクロニクル(Morning Chronicle)」紙(実在していた新聞)は既に廃刊となっていた、という話もある。


・ワトスンの物語の出だしの記述       去年の秋

・赤毛組合の新聞広告の日付        1890年4月27日(日)

・ウィルスンが赤毛組合で面接を受ける   1890年4月28日(月)(?)

・ウィルスンが赤毛組合で働き始める    1890年4月29日(火)(?)

     ↓

   8週間後

・赤毛組合解散              1890年6月末(?)

・ウィルスンがホームズの元を訪ねた日付  1890年6月末(ワトスンの

                     「2ヶ月前の広告」の発言から推定)

・赤毛組合のドアに貼られた解散通知の日付   1890年10月9日


ワトスンの物語の出だしの記述と、赤毛組合のドアに貼られた解散通知の日付は合致しているので、新聞広告の日付が8月の10日前後となれば、全ての日付の整合性はとれると思う。
物語の筋には影響はないものの、枝葉末節が気になって仕方がないのが、ホームズのファンなのである。

プラットフォームに飾られた絵は、終盤の一番のハイライトとなる場面で、この物語の雰囲気がとても良く出ている。


2014年4月21日月曜日

ロンドン 地下鉄ベーカーストリート駅 ジュビリーラインのプラットフォームにあるホームズの物語(2)

(2)四つの署名(The Sign of the Four)


初出:リピンコット・マンスリー・マガジン(米)1890年2月
事件の発生:1888年7月
収録:四つの署名


ホームズとワトスンの元にメアリー・モースタンから風変わりな事件(※)が持ち込まれた。バーソロミュー・ショルトーを殺害し、彼の父のショルトー少佐がインドから持ち帰った財宝を奪った犯人が乗る蒸気汽船オーロラ号の行方を、ホームズの指示でベーカーストリートイレギュラーズ(Baker Street Irregulars)が追う。ベーカー街221Bで吉報を待つワトスンとスコットランドヤードのジョーンズ警部。そこに、謎の老人がホームズへの重要な情報を持ってベーカー街221Bを訪れる、その場面が描かれている。


「四つの署名」は、サー・アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ作品の第2作で、4つある長編小説の中でも第1作の「緋色の研究」に続く2番目に該る。この場面の謎の老人は一体誰なのか?ドイルは、物語にしばしば変装したホームズを登場させ、ワトスン達を煙に巻いているのだが、この場面がホームズ作品の中で、ホームズの初変装の場面である。個人的には、物語の冒頭、ホームズとワトスンの元をメアリー・モースタンが訪れて事件の調査依頼を行う場面も実は重要で、というのも、この事件後、ワトスンはメアリーと結婚するからである。また、物語の終盤、犯人がテムズ河の造船所に隠れていることを突き止めたホームズ達が、逃げる犯人を警察船で追いかけるというテムズ河での追跡劇の場面も印象に残っている。

(※)「風変わりな事件」とは?
10年前、メアリー・モースタンの父親で、インドの連隊将校だったモースタン大尉は、ロンドンに帰国し、メアリー宛に電報を送付する。電報を受け取ったメアリーは、ロンドンに向かったが、父親は既に失踪していて、それ以来消息不明の状態であった。その後、メアリーの住所を尋ねる広告がタイムズ紙に掲載され、それに返信すると、それ以降、年に1回正体不明の人物から大きな真珠が入った箱が彼女の元に届くようになった。更に、ある朝、面会を求める手紙が配達され、メアリーはホームズの元に依頼にやって来たのである。

2014年4月20日日曜日

シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ホワイトチャペルの恐怖 (The Whitechapel Horrors)

シャーロック・ホームズの更なる冒険 / ホワイトチャペルの恐怖
(The further adventures of Sherlock Holmes / The Whitechapel Horrors)
  著者 Edward B.Hanna 1992年
  出版 Titan Books          2010年

ロンドンの高級ホテルであるクラリッジ(The Claridges)の総支配人に就任したロナルド・F・ジョーンズは最初の仕事としてオフィスの金庫の中身を調べた。そこで発見された分厚い原稿の束。それには、『ジョン・H・ワトスン博士』の名と「自分の死後50年を経過するまでこれを公表してはならない」という1929年7月30日付けのメモが付されていた。原稿にくっきりと浮かび上がる二つの人名、「シャーロック・ホームズ」と「切り裂きジャック」。そう、これは、19世紀末の歴史の闇に消えた伝説の猟奇殺人者「切り裂きジャック」を追うホームズを記録したワトスンの未発表原稿だったのである。

時に1888年9月1日(土曜日)。物語は「ジキル博士とハイド氏」の舞台を観に行った後、ホームズとワトスンが、シンプソンズにおいて遅い夕食をとるところから始まる。ベーカーストリートの下宿に戻った二人を、スコットランド・ヤード犯罪捜査部のアバーライン警部とシッケ部長刑事が待ち受けていた。前日の8月31日(金曜日)、ホワイトチャペル地区において「切り裂きジャック」が最初の凶行に及んだのである。

1888年8月31日から同年11月9日にかけて、残忍な方法で、5人の娼婦を殺害する「切り裂きジャック」。警視総監のチャールズ・ウォレンの辞任、下院議員のランドルフ・チャーチル卿の謎めいた言動。スキャンダラスなプリンス・エディ(ヴィクトリア女王の孫)。王太子アルバート・エドワード(愛称はバーティー。プリンス・エディの父親、のちのエドワード7世)とホームズとの厳しいやりとり。捜査が進むにつれて、ホームズの苦悩は深まり、ワトスンを伴わない単独行動が増えていく。これは真相に辿り着けない苦悩というよりも、知ってはいけない真実を知ってしまった苦悩と言える。同時期ホームズは「バスカヴィル家の犬」事件(1888年9月)を抱えていたが、「切り裂きジャック」事件があったため、当初はワトスンだけをバスカヴィル家があるデヴォン州のダートムアに派遣し、自分はロンドンに留まるというように、二つの物語を非常にうまく結びつける説明がなされていて興味深い。そして、ジェイムズ・モリアーティー教授と一緒にライヘンバッハの滝に落下した「最後の事件」(1891年4月)からホームズが生還する「空き家の冒険」(1894年4月)という3年の大空白時代を経て、1895年1月28日(月曜日)、ホームズの口から、大英帝国の命運を左右しかねない一大スキャンダルが語られる。

推理作家であれば、またホームズファンであれば誰でも一度は実現させたい「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」という一大テーマへ挑戦しており、非常にワクワクしながら、約450ページという分厚い道のりを越えてきた。ここまで話を盛り上げてきたにもかかわらず、実は何も解決されないまま、つまり真相は全く解明されないまま、物語は終わってしまうのである。最後までホームズはワトスンに対して、重い口を閉ざしたままなのだ。更に、途中の数カ所に、故意か過失かは不明なるも、ワトスンの原稿に欠落が生じているのである。

「シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック」というすばらしい題材で、読者の期待を高めるだけ高めておいて、梯子をはずし奈落の底に突き落とされたようで、呆れしか残らないというのが正直な感想である。綿密な時代考証の上、構築した物語であることは評価できるものの、読者が納得するか否かは別にして、作家としての姿勢を見せてほしかった。このような結末では、何のためにこの一大テーマに挑戦したのか、理解に苦しむところである。

唯一なるほどと思ったのは、サー・アーサー・コナン・ドイルによれば、1891年4月から1894年の4月までの3年間の空白時に、ホームズは世界中を旅したことになっている(ホームズ本人がワトスンに対してそのように語っている)が、本作品では、英国王室の一大スキャンダルを防ぐべく、その間ある場所にある人物を監禁することに、やむを得ないながらも手をかしていたこと、また、物語の終わりの方で、自分を「切り裂きジャック事件」に引き込んだ兄のマイクロフト・ホームズに対して、シャーロック・ホームズが恨み節を吐いている、この点については、ドイルによる説明よりも一枚上手と言える。

1892年1月14日のプリンス・エディの死去とともに、切り裂きジャックは歴史の闇の中に姿を消し去る。ホームズの口から、プリンス・エディを初めとして、怪しげな言動をするプリンス・エディの側近や下院議員等、主要な登場人物は切り裂きジャックではなかったと否定されてしまう。それでは、切り裂きジャックは誰だったのか?もはや読者には推理する術は全くないのだ。これだけホームズが重い口を開かない訳なので、推測するに、政府内部というよりも英国王室内に切り裂きジャックはその姿を隠しているように思えるのだが、これも私の勝手な想像に過ぎない。本当に作者はどういう意図でこの一大テーマに挑んだのであろうか?フェア、アンフェアという問題を大きく通り越して、ただただ脱力感というか、納得できない気持ちだけが大きく残る作品である。


読後の私的評価(満点=5.0)

1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆☆(5.0)
19世紀末、ロンドンのイーストエンドを恐怖に陥れ、現在も未だに正体の分からない切り裂きジャックを物語のテーマにしており、ホームズファンであれば、ぜひ実現して欲しい闘いである。

2)物語の展開について ☆☆(2.0)
実在の人物も登場させながら、切り裂きジャックの犯行は続いていく。如何なる結末が最後に待っているのかと非常にワクワクして読んだが、あまりにも腰砕けな、というか、はっきりしない結末であり、約450ページという長丁場が逆に興ざめ感を強めている。

3)ホームズ/ワトスンの活躍について ☆(1.0)
「バスカヴィル家の犬」と本件をうまくオーバーラップさせ、切り裂きジャック事件があったため、ホームズはワトスンだけをダートムーアに派遣したとか、「最後の事件」と「空き家の冒険」の間の3年間の空白期間、ホームズがある密命を帯びて、ある場所に居たという説明がなされる等、ホームズの活躍に一定の評価は下せるものの、何も解決されていない結末しか公には提示されず、それではホームズがどれだけ真相に苦悩したとしても、読者からは何の共感や同情をも得られないのでは?

4)総合 ☆(1.0)
今までにも、いろいろな推理作家が挑戦してきた「ホームズ対切り裂きジャック」事件であり、ホームズファンならずとも、それなりに納得できるような結末を明確にしてほしいところである。テーマ的にワクワクするような内容で約450ページ、読者の期待を高めておいて、最後には何も分からないという奈落の底に突き落とすような筋立てであり、正直評価し難いところである。

2014年4月18日金曜日

ロンドン 地下鉄ベーカーストリート駅 ジュビリーラインのプラットフォームにあるホームズの物語(1)

ロンドンの地下鉄ベーカーストリート駅には、サークルライン、ハマースミス・アンド・シティーライン、メトロポリタンライン、ジュビリーライン、そして、ベーカールーラインの5つの路線が乗り入れており、ロンドン市内の主要な駅の一つとなっている。なお、ベーカーストリート駅は1863年開業で、乗り入れている5つの線のうちのメトロポリタンラインは世界で最も古い地下鉄である。ジュビリーラインのプラットフォームには、ホームズの物語が壁画として飾られている。ロンドン市内に向かう南行き(Southbound)のプラットフォームには、ホームの北側から南側に向かって全部で7枚ある。これから北から南へ順番に紹介する。

(1)まだらの紐(The Speckled Band)



初出:「ストランドマガジン」(英)1892年2月号
事件の発生:1883年4月
収録:「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」


依頼人であるヘレン・ストーナーに一刻の猶予も許さない命の危険が迫っていると確信したホームズは、ワトスンと一緒にヘレンの部屋で寝ずの番をすべく、彼女が医師である義父のグリムズビー・ロイロット博士とともに住んでいる邸宅の庭に潜入する。その二人の前を、ロイロット博士が庭で放し飼いにしているヒヒが横切って行く、という場面が描れている。


「まだらの紐」は、サー・アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ作品の第10作目で、56ある短編小説のうち、8番目に発表された。数あるホームズの物語の中で、一番最初に読んだ作品である。確か、小学校低学年時に、学校の図書室でイラスト付きの本を借りて読んだと記憶している。毒蛇が通風孔を通って、隣りの部屋で寝ていた人間に咬み付いて殺すという殺害方法が鮮明に記憶に残っていて、ホームズというと「まだらの紐」が真先に思い浮かぶ位、今だに印象が強い。

犯人であるロイロット博士は、ミルクを餌に毒蛇を手なずけて、口笛で蛇を操り、隣室のベッドで寝ていたジュリア・ストーナー(ヘレン・ストーナーの姉)を殺害したというのが、ホームズによって明らかにされた真相である。後年、読者による様々な考察が行われ、(1)ミルクを餌とする蛇は実際にはいない(2)蛇は耳が聞こえないので、ロイロット博士が口笛で蛇を操ろうとしても不可能である(3)蛇が通風孔に取り付けられた(鳴らない)呼び鈴の紐を伝って上り下りすることは実際にはできない(4)ロイロット博士は毒蛇を自分の部屋の金庫内に隠して飼っていたが、密閉された金庫の中では、蛇が窒息死してしまう等の指摘が為されてはいるが、だからと言って、初めて本作品を読んだ時の驚きが減じられることは、個人的には全くない。科学的な根拠も重要ではあるものの、ドイルの着想の妙が、そういった点を含めて全てを凌駕していると思うのである。

ちなみに、コナン・ドイル自身も、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1927年3月号において、自選の短編ベスト12の中で、本作品を第1位に推している。

プラットフォームの壁画について、個人的な希望を言えば、ヘレン・ストーナーと密かに入れ替わったホームズが、通風孔から垂れ下がっている呼び鈴の紐を伝ってヘレンの部屋に潜入しようとしてきた毒蛇に、杖を打ち付ける場面もぜひ見てみたい。

2014年4月13日日曜日

シャーロック・ホームズの更なる冒険 / タイタニック号の悲劇 (The Titanic Tragedy)


シャーロック・ホームズの更なる冒険 / タイタニック号の悲劇
(The further adventures of Sherlock Holmes / The Titanic Tragedy)
著者 William Seil 1996年
   出版 Titan Books 2012年 

彼、ジョン・ワトスンは、ロンドンのピカデリーサーカスの部屋で孤独な生活を送っていた。医師から実質的に引退して、歴史小説の執筆に残りの人生を捧げていた。一方、シャーロック・ホームズは、1903年に引退し、英国南部のイーストボーン近くの丘陵地帯サウスダウンズで蜜蜂を飼いながら(養蜂)、悠々自適の生活を送っていた。そんなある春の夜、ワトスンはホームズからの手紙を受け取る。

ホームズとワトスンは、英国政府の密命を帯びて、新型潜水艦の設計図を持って太平洋を渡る政府の密使に付き添うところから、物語が始まる。二人が乗船したのは、1912年4月10日に英国南部のサウザンプトン港から処女航海に旅立った’不沈客船’タイタニック号。ャーロック・ホームズは、1903年に引退し、英国南部のイーストボーン近くの丘陵地帯サウスダウンズで蜜蜂を飼いながら(養蜂)、悠々自適の生活を送っていた。そんなある春の夜、ワトスンはホームズからの手紙を受け取る。

ホームズとワトスンは、英国政府の密命を帯びて、新型潜水艦の設計図を持って太平洋を渡る政府の密使に付き添うところから、物語が始まる。二人が乗船したのは、1912年4月10日に英国南部のサウザンプトン港から処女航海に旅立った’不沈客船’タイタニック号。

新型潜水艦の設計図の盗難およびそれをめぐる殺人事件に加えて、多くの実在の人物(エドワード・スミス船長、ワイルド航海士長をはじめとする航海士達、ホワイトスターライン社の社長ブルース・イズメイ、タイタニック号設計担当者である造船家トマス・アンドリューズや’思考機械’ ヴァン・ドゥーゼン教授を生み出した推理作家ジャック・フットレル等)や架空の人物(かのモリアーティー教授の弟ジェイムズ・モリアーティ大佐等)が登場。はたして、新型潜水艦の設計図を英国政府の密使から盗んだのは、誰なのか?ホームズとワトスンがジャック・フットレルと初めて出会った際に、ワトスンを通して、ホームズがジャック・フットレルの「13号独房の問題」を高く評価していることが語られ、非常に興味深い。

運命の1912年4月14日(この日、タイタニック号は氷山との接触により沈没)に向けて、タイタニック号の隅から隅まで動き回って、ホームズとワトスンの捜索は続く。タイタニック号と言うと「豪華客船」の代名詞通り、一等船客専用の大階段、ダイニングルームやプロムナードデッキ等が注目されるが、物語では、ホームズとワトスンはジャック・フットレルが居る3等船客用エリア等もきちんと訪ねている。読者にとってあまりにも有名な悲劇が予期される中、それをタイムリミットとして、非常にうまく話が盛り上げられている。そのため、約260ページの間、中だるみもなく、楽しく読むことができた。これから他に紹介するホームズのパスティーシュ物の中でも、個人的には一番面白かったと言えるし、一番のおすすめである。もしも論ではあるが、ジャック・フットレルがタイタニック号に乗船していなければ、ホームズのライバルの一人と目されるヴァン・ドゥーゼン教授の物語が更に楽しめたかと思うと、非常に残念である。

タイタニック号の悲劇にホームズとワトスン、そしてジャック・フットレル等を登場させるという発想は一見簡単に思いつきそうな気もするが、運命の日に向けての緊迫感を盛り上げつつ、ストーリーをまとめるのは意外と難しかったのではないかと思う。

以前、科学博物館(Science Museum)で
行われていた「タイタニック号展」の入場券


読後の私的評価(満点=5.0)

1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆☆(5.0)
1912年4月14日未明、北大西洋で沈没したタイタニック号を舞台にしており、実在の人物と架空の人物とが非常にうまく組み合わされている。

2)物語の展開について ☆☆☆☆☆(5.0)
氷山との接触により沈没という運命の1912年4月14日に向けて、章毎にタイムリミットが少しずつ減っていく筋立てであり、タイタニック号の結末を知る読者の緊張感を徐々に盛り上げている。一方、ホームズとワトスンは新型潜水艦の設計図を盗んだ犯人を、(彼らは全く知らないその)タイムリミットまでに見つけ出す必要があり、二重の意味で話を非常にうまく盛り上げていると言える。文章自体もとても読みやすかった。

3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆☆☆(4.0)
タイタニック号の沈没については、神ではないホームズとワトスンにはどうしようもできないところ、彼らはタイタニック号の隅から隅まで動き回って、実在の人物や架空の人物と会い、話をうまく回転させている。ただし、推理小説としてのトリックや謎解き要素は少なく、スパイ小説あるいは冒険小説の要素が強い。

4)総合 ☆☆☆☆半(4.5)
約300ページ弱の話ではあるが、途中の中だるみは全くなく、最初から最後まで気に読ませる展開で、とても楽しく読むことができた。本を読んだ時期が、ちょうタイタニック号が沈没してから100周年に該る2012年4月で、テレビではタタニック号関連のドキュメンタリーが何回か放送されたり、本屋でも関連本が多数出版されていた。そういったドキュメンタリーを事前に観たり、関連本を読んだりしいたため、予備知識があったこともあり、内容がとても面白く感じた。

2014年4月12日土曜日

ロンドン 地下鉄ベイカーストリート駅前のシャーロック・ホームズ像

全ての旅はここから始まる。
地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)のマリルボーンロード(Marylebone Road)側の出口から外に出て、左に曲がったところにシャーロック・ホームズ像は立っている。

制作者:ジョン・ダブルディ(John Doubleday)
制作期間:1998-1999年
材質:ブロンズ製
高さ:約3メートル

ホームズ像は、スイスのマイリンゲン(Meiringen - 「最後の事件(The Final Problem)」において、ホームズとジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が決闘を行ったライヘンバッハ(Reichenbach)滝の麓にある街)、日本の長野県軽井沢町追分、そして、英国エディンバラ(サー・アーサー・コナン・ドイルの生家近く)に既に3体存在しており、ロンドン・地下鉄ベーカーストリート駅前の像が4体目になる。

元々は、1927年に、推理小説「ブラウン神父(Father Brown)」の作者であるG.K.チェスタートン(G.K.Chesterton)が、ロンドンにホームズ像を設置することを提唱したが、この時はことが上手く進まなかった。
それから数十年を経た1996年に、シャーロック・ホームズ・ソサエティー・オブ・ロンドン(The Sherlock Holmes Society of London)が新たなキャンペーンを開始し、1998年には、ホームズ像を制作するための会社 The Sherlock Holmes Statue Company Limited が設立された。
ホームズ像の制作費用は、住宅金融専門会社のアビー・ナショナル(Abbey National)が負担した。当時、アビー・ナショナルはベイカーストリート215ー220番地に本社を構えており、ホームズとワトスンが部屋を借りていたベイカーストリート221B がこの本社の住所に含まれていることが、更には、同社が1999年に創立150周年を迎えるため、その記念事業の一つであったことが、ホームズ像制作費用負担の理由でした。何とも粋なはからいである。

アビー・ナショナルには、長年に渡ってホームズ専属の秘書がいて、ベイカーストリート221B のホームズ宛に届く手紙に返信を出していたとのこと。しかしながら、とても残念なことに、近年アビー・ナショナルの本社が入居していたビル、アビーハウス(Abbey House)は、上部の白い塔だけを残して建て替えが行われ、アビー・ナショナル本社は移転、現在建物はフラットに様変わりしている。そのため、ビルの角にあったホームズのショーウィンドウ(ベイカーストリートを背景に小さいホームズ像が飾られていた)もなくなってしまった。

ホームズ像に話を戻すと、スイスのマイリンゲンにあるホームズ像の制作者でもあるジョン・ダブルディは、1998年3月31日にベーカーストリート駅前に設置するホームズ像の仕事を請け負い、1999年9月23日に無事除幕式を迎えた。その際、除幕式を行う栄誉を担ったのは、ホームズ像の制作費用を負担したアビー・ナショナルの会長であった。こうして、同社の設立150周年に間に合ったのである。


ホームズ像は、おなじみの鹿撃ち帽(Deer Stalker)を被り、両肩にインヴァネスコートを羽織り、そして右手にはパイプを持っている。このお決まりの出で立ちは、当時、物語が連載されていた雑誌「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載されたシドニー・パジェット(Sidney Paget)による挿絵に大きく影響を受けている。ちなみに、ドイルは、物語の中で、ホームズの出で立ちについては、ここまで具体的な描写をしていない。このパジェットによる挿絵の影響は非常に大きく、読者にホームズのイメージを強く決定付けたと言える。