2021年10月30日土曜日

カティーサーク号(Cutty Sark) - その1

ロンドン近郊のグリニッジにおいて保存展示されている
快走帆船のカティーサーク号を前方から見上げたところ

「グロリア・スコット号事件(The Gloria Scott))」は、シャーロック・ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、17番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年4月号に、また、米国でも、「ハーパーズ ウィークリー(Harper’s Weekly)」の1893年4月15日号に掲載された。そして、ホームズシリーズの第2短編集である「シャーロック・ホームズの回想(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)に収録された。


「グロリア・スコット号事件」の後半、シャーロック・ホームズの大学時代の親友であるヴィクター・トレヴァー(Victor Trevor)の父親で、ノーフォーク州(Norfolk)のドニソープ(Donnithorpe)の地主であるトレヴァー治安判事(the Justice of the Peace Trevor)が、死後、息子であるヴィクターに対して、驚くべき過去の罪を告白する手紙を残していることが判った。

カティーサーク号の上甲板

‘These are the very papers, Watson, which he handed to me, and I will read them to you, as I read them in the old study that night to him. They are endorsed outside, as you see, “Some particulars of the voyage of the bark Gloria Scott, from her leaving Falmouth on the 8th October, 1855, to her destruction in N. Lat. 15° 20’, W. Long. 25° 14’ on November 6th.’ It is in the form of a letter and runs in this way.


「ワトスン、ここにあるのが、ヴィクター・トレヴァーが僕(ホームズ)に手渡した文書だ。あの夜、古い書斎で彼のために読んだように、これから君のために読もう。見ての通り、表紙に注記が為されている。『バーク船(通例3本マストで、最初の2本は横帆、最後の1本は縦帆)グロリア・スコット号の航海における詳細。1855年10月8日にファルマスを出航して、同年11月6日に北緯15度20分、西経25度14分で沈没するまで』文書は、手紙の形式になっていて、このように書かれている。」


‘“My name, dear lad, is not Trevor. I was James Armitage in my younger days, and you can understand now the shock that it was to me a few weeks ago when your college friend addressed me in words which seemed to imply that he had surprised my secret. As Armitage it was that I entered a London banking-house, and as Armitage I was convicted of breaking my country’s laws, and was sentenced to transportation. Do not think very harshly of me, laddie. It was a debt of honour, so called, which I had to pay, and I used money which was not my own to do it, in the certainty that I could replace it before there could be any possibility of its being missed. But the most dreadful ill-luck pursed me. The money which I had reckoned upon never came to hand, and a premature examination of accounts exposed my deficit. The case might have been dealt leniently with, but the laws were more harshly administered thirty years ago than now, and on my twenty-third birthday I found myself chained as a felon with thirty-seven other convicts in the ’tween-decks of the bark Gloria Scott, bound for Australia.


「息子よ、私の名前は、トレヴァーではない。私は、若い頃、ジェイムズ・アーミティジという名前だった。数週間前、お前の大学の友人が、私の秘密をほのめかすような言葉を、私に投げかけた時、私がどんなにショックを受けたかを、お前にもこれで分かってもらえるだろう。アーミティジという名前で、私はロンドンの銀行に務め、そして、アーミティジとして、私はこの国の法律を犯し、国外追放となったのだ。息子よ、私のことを厳しく責めないでほしい。私は賭博の借金を支払わなければならなくなった。そのため、私は人様のお金に手を付けた。ただ、私は、それが見つかる前に、元の通りに穴埋めできると考えていた。しかし、非常に恐ろしい不運が、私を襲った。私が当てにしていたお金を入手できなかった上に、予定よりも早く行われた会計監査によって、私の欠損金が露見したのだ。私が犯した事件には、情状酌量の余地があったかもしれないが、30年前、法律の適用は、今よりも非常に厳格だったのだ。私は、23歳の誕生日、他の37人の受刑者と一緒に、オーストラリアへと向かうバーク船グロリア・スコット号の中甲板に、重罪人として鎖に繋がれていた。」


‘“It was the year 1855, when the Crimean war was at its height, and the old convict ships had been largely used as transports in the Black Sea. The government was compelled, therefore, to use smaller and less suitable vessels for sending out their prisoners. The Gloria Scott had been in the Chinese tea-trade, but she was an old-fashioned, heavy-bowed, broad-beamed craft, and the new clippers had cut her out. She was a five-hundred-ton boat; and besides her thirty-eight gaolbirds, she carried twenty-six of a crew, eighteen soldiers, a captain, three mates, a doctor, a chaplain, and four warders. Nearly a hundred souls were in her, all told, when we set sail from Falmouth.


「1855年、クリミア戦争が最高潮だった時で、かつての囚人輸送船の大部分は、黒海における輸送船に回されていた。そのため、政府は、已む無く、囚人を輸送するために、かつての囚人輸送船よりも小型で不適当な船を使わざるを得なかったのである。グロリア・スコット号は、中国との紅茶取引に使われた船だったが、この船は、旧式で、舳先が重く、船尾が大きかったため、快走帆船に役目を既に譲っていた。この船は、排水量500トンで、私を含む38人の囚人以外に、26人の船員、18人の兵士、船長、3人の助手、医者、従軍牧師、そして、4人の看守が乗船していた。つまり、グロリア・スコット号がファルマスから出航した際、全部で100人近い人間が、この船に乗船していたことになる。」

カティーサーク号の内部に展示されている
中国から英国へと輸送された紅茶が入った荷箱

中国から英国まで紅茶を輸送する「ティークリッパー(tea clipper)」として活躍した船で、現存しているのは、19世紀後半に建造された「カティーサーク号(Cutty Sark)」と呼ばれる快走帆船で、現在、ロンドン近郊のグリニッジ(Greenwich)において保存展示されている。


2021年10月29日金曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」(The Department of Queer Complaints by John Dickson Carr)

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」の表紙
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏)


「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


日本の出版社である東京創元社から、創元推理文庫の一冊として、「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」が1970年に出版されているが、これは、1940年にカーター・ディクスン名義で出版された短編集「The Department of Queer Complaints」がベースとなっている。


「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」には、以下の短編が収録されている。


(1)「新透明人間(The New Invisible Man)」

(2)「空中の足跡(The Footprint in the Sky)」 → 原題「Clue in the Snow」

(3)「ホット・マネー(Hot Money)」 → 原題「The Hiding Place」

(4)「楽屋の死(Death in the Dressing-Room)」

(5)「銀色のカーテン(The Silver Curtain)」

(6)「暁の出来事(Error at Daybreak)」

(7)「もう一人の絞刑史(The Other Hangman)」

(8)「二つの死(New Murders for Old)」

(9)「目に見えぬ凶器(Persons or Things Unknown)」

(10)「めくら頭巾(Blind Man’s Hood)」


最初の6編は、奇妙な事前を専門に処理するため、ロンドン警視庁内に設置されたD三課の課長であるマーチ大佐が、推理眼を披露している。

「新透明人間」では、覗き趣味の紳士が、向かい側の部屋において、腕も身体もない手袋だけがピストルの引き金を引き、老人が殺害される現場を目撃したり、「空中の足跡」では、夢遊病癖がある女性と軋轢があった婦人が殺されるが、婦人の家の周囲に積もった雪の上には、当該女性の靴跡だけが残されていたため、彼女に殺人容疑がかけられたり、また、「銀色のカーテン」では、賭博で負けが込んだ男性が、ある場所に来るように指示されたが、彼がその場所に着いたところ、周囲に誰も居ない広場において、首の後ろを短剣で殺されたばかりの被害者を発見する等、不可能犯罪がメインで取り扱われている。

特に、上記の3編では、不可能状況が合理的に解決されており、お薦めである。「新透明人間」で取り扱われる事件には、非常に有名な奇術トリックが使われている。


厳密に言うと、短編集「The Department of Queer Complaints」には、「見知らぬ部屋の犯罪(The Crime in Nobody’s Room)」も収録されているが、当該作品は、東京創元社の創元推理文庫「世界短編傑作集5」に収録されているため、「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」からは割愛されている。


カー短編全集は、「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」から「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」(今後、紹介する予定)まで、6冊が出版されているが、文庫本のカバーについては、アトリエ絵夢の志村敏子氏が全て担当しており、どのカバーも非常に良い(特に「カー短編全集2」と「カー短編全集5」)ので、個人的には、購入する価値ありと思う。

ただし、2021年10月現在、東京創元社の公式サイト上、「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」は、「在庫なし」となっている。


2021年10月24日日曜日

ジョージ・マン作「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」(Sherlock Holmes : The Spirit Box by George Mann) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
ジョージ・マン作
「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」の表紙
(Images : Dreamstime / Shutterstock / funnylittlefish)


本作品「シャーロック・ホームズ / 精神の箱」(Sherlock Holmes / The Spirit Box)」は、英国リンカンシャー州(Lincolnshire)出身の作家であるジョージ・マン(George Mann:1978年ー)によって、2014年に発表された。

ジョージ・マンは、ヴィクトリア朝時代を舞台に、サー・モーリス・ニューベリー(Sir Maurice Newbury)とヴェロニカ・ホベス嬢(Miss Veronica Hobbes)が活躍する Newbury & Hobbes シリーズ(2008年ー2013年)や The Ghosts シリーズ(2010年ー2017年)等で、人気がある。


舞台は、1915年の夏のロンドン。第一次世界大戦(1914年ー1918年)が始まり、ロンドンは、ドイツ軍の飛行船ツェッペリン(Zeppelin)による爆撃の脅威に曝されていた。

ジョン・H・ワトスン(以下、ワトスン)は、ロンドンの戦火を逃れて、1ヶ月近く、田舎に疎開していた。一方で、彼は、ワトスン家で残された唯一の肉親である甥(ジョン・ワトスンの亡くなった兄の息子)のジョーゼフ・ワトスン(Joseph Watson)を、フランス戦線で亡くしていた。甥の戦死を知らせる電報を受け取った以降、1週間程、ワトスンは、何もする気力がなかった。


そんなある日、カーター(Carter)と名乗る若い男性が、ワトスンの家を訪ねて来る。シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)の使いでやって来たと言う。ワトスンは、カーターが運転する車に乗せられて、マイクロフトの指示に従い、ヴィクトリア駅(Victoria Station)へと向かった。

カーターの説明によると、ブライトン(Brighton)発で、午後2時にヴィクトリア駅に到着予定の列車に乗っているある人物を出迎える、とのこと。一等車から降りて来たのは、シャーロック・ホームズで、マイクロフトによって、引退先の南イングランドから呼び戻されたのである。


車中で、シャーロック・ホームズ(以下、ホームズ)は、ワトスンに対して、「マイクロフトから、次の3つのケースを調査するよう、指示を受けた。」と告げる。


(1)英国陸軍のジョン・カミンズ大尉(Captain John Cummins)が、ドイツへの降伏を頑強に力説した後、ロンドン動物園(London Zoo)の虎の檻の中に身を投げたケース(虎に喉を食い破られて死亡)

(2)有名な女性参政権論者のメアリー・テンプル(Mary Temple)が、ドイツ軍との戦争を断念するよう、タイムズ紙(The Times)に寄稿した翌日、地下鉄の駅構内で列車の前に転落したケース(列車に右足付け根を轢かれて死亡)

(3)国会議員のハーバート・グランジ(Herbert Grange)が、議会でドイツ側に肩入れする演説を行った後、テムズ河(River Thames)に投身したケース(テムズ河で溺死)


そして、ホームズとワトスンの二人を乗せた車は、死体安置所へと向かった。

死体安置所で、ホームズ達は、スコットランドヤードのギディオン・フォルクス警部(Inspector Gideon Foulkes)の出迎えを受ける。ホームズ達は、早速、問題の3人の死体を検分した。

3人が亡くなる前の事情について、フォルクス警部からの説明を受けたホームズは、「ジョン・カミンズ大尉は自殺、メアリー・テンプルは事故死。ただし、ハーバート・グランジ議員の場合は、殺人の疑いがある。これが、マイクロフトが自分に捜査してほしいと思っている件だ。」と告げる。フォルクス警部は、ホームズ達に対して、「ハーバート・グランジ議員は、テムズ河に投身する前に、陸軍省(War Office - 1684年から1964年までの間に存在した英国陸軍を統括する英国の行政機関)において、ロンドンに定住しているドイツ人達への聴取を行っていた。」と説明する。

これを聞いたホームズ達は、次に陸軍省へと向かった。


2021年10月21日木曜日

サム・シチリアーノ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 白蛇伝説」(The further adventures of Sherlock Holmes / The White Worm by Sam Siciliano) - その2


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆(1.0)


本作「白蛇伝説(The White Worm)」(2016年)は、前作の「グリムスウェルの呪い(The Grimswell Curse → 2021年9月12日、9月19日および9月26日付ブログで紹介済)」(2013年)と同様に、地方に残る伝説を背景にして、それに翻弄される恋人達、そして、彼らを助けようとするシャーロック・ホームズと彼の相棒を務める彼の従兄弟で、友人でもあるヘンリー・ヴェルニール医師(Dr. Henry Vernier)という図式であるが、前回既に使用したパターンの使い回しで、2回連続して見せられても、正直、興醒めである。

前回は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」(1901年ー1902年)と同じような舞台設定だったが、今回は、コナン・ドイル作品を彷彿とさせる要素が、全くない。

本作は、アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が執筆したホラー小説「白蛇の巣(The Lair of the White Worm)」(1911年)をベースにしているとのこと。ただ、事件の舞台となる英国北部の港町ウィットビー(Whitby)は、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ(Draculaー2017年12月24日付ブログと同年12月26日付ブログで紹介済)」(1897年)において、ドラキュラ伯爵(Count Dracula)が英国で最初に上陸した場所として、非常に有名であり、ブラム・ストーカーの話をベースにするのであれば、ドラキュラをストーリーに絡ませた方が、まだ良かったのではないかと思う。


(2)物語の展開について 半(0.5)


前作の「グリムスウェルの呪い」とは異なり、事件の依頼を受けてから、割合と早く、ホームズとヘンリー医師の二人は、現地のウィットビーへと赴くが、そこからは、前作と全く同様に、現地に伝わる呪い / 言い伝えに苦しめられるダイアナ・マーシュ(Diana Marsh)、それにオロオロとするばかりの恋人のアダム・セルトン(Adam Selton)、そして、彼らの周りで手をこまねいているだけのホームズとヘンリー医師という図式が延々と繰り返されるだけで、事件を推理して解決するという肝心要なところが、全くない。


(3)ホームズ / ヘンリー医師の活躍について 半(0.5)


物語全般にわたって、現地に伝わる呪い / 言い伝えに苦しむヒロインとそれにオロオロするだけの情けない恋人の二人をどうすることもできないまま、ホームズとヘンリー医師は、ただただ手をこまねいているだけで、前作の「グリムスウェルの呪い」と同様に、事件の背後に潜む真相を明らかにしようとする試みが、全く見られない。


(4)総合評価 半(0.5)


物語を読み始めて直ぐに、「以前に何処かで読んだストーリーに、非常によく似ている。」と感じたが、それが、同じ作者による前作の「グリムスウェルの呪い」なのである。物語の舞台を、単にダートムーア(Dartmoor)からウィットビー(Whitby)へと変えただけ、それ以外は、基本的に、ストーリーラインはほとんど変わらない。

前作において、全く駄目駄目だった話を、懲りもせず、物語の舞台だけを変えただけで、300ページ以上に渡って、延々とくりかえす訳で、作者の意図、そして、出版社の方針について、疑わざるを得ない。

前作の「グリムスウェルの呪い」は、物語の舞台をダートムーアに置いていたため、コナン・ドイル作「バスカヴィル家の犬」を思わせる設定で、読者に対して、あらぬ期待を抱かせたが、本作には、それがなく、話が単に長いだけで、全く面白味を感じられない。



2021年10月17日日曜日

サム・シチリアーノ作「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 白蛇伝説」(The further adventures of Sherlock Holmes / The White Worm by Sam Siciliano) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2016年に出版された
サム・シチリアーノ作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 白蛇伝説」の表紙

本作品「白蛇伝説(The White Worm)」は、米国ユタ州ソルトレークシティー出身の作家であるサム・シチリアーノ(Sam Siciliano:1947年ー)によって、2016年に発表された。

本作品は、(1)1994年に発表された「オペラ座の天使(The Angel of the Opera → 2015年1月24日付ブログで紹介済)」、(2)2012年に発表された「陰謀の糸を紡ぐ者(The Web Weaver → 2016年11月13日付ブログで紹介済)」および(3)2013年に発表された「グリムスウェルの呪い(The Grimswell Curse → 2021年9月12日、9月19日および9月26日付ブログで紹介済)」の続編に該り、シャーロック・ホームズの相棒を務めるのは、彼の従兄弟で、友人でもあるヘンリー・ヴェルニール医師(Dr. Henry Vernier)で、本来の事件記録者であるジョン・H・ワトスンは、前3作と同様に、本作品には登場しない。


暦の上では、既に4月に入っていたが、時候的には、まだ春とは言えない状況だった。そんな4月のある月曜日の晩(午後6時過ぎ)、ヘンリー・ヴェルニール医師は、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に、従兄弟のシャーロック・ホームズを訪ねた。二人が話をしていると、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)が、若い男性を案内してくる。


彼は、アダム・セルトン(Adam Selton)という先月21歳になったばかりの青年で、英国北部ヨークシャー州(Yorkshire)の港町ウィットビー(Whitby)から、彼の恋人のことで、わざわざ相談にやって来たのだった。

彼の恋人の名前は、ダイアナ・マーシュ(Diana Marsh)で、ウィットビー近くのダイアナズグローヴ(Diana’s Grove)と呼ばれている土地に住んでいると言う。彼女は一人娘で、彼女の両親は共に3年前にインフルエンザが原因で死去し、また、彼女の祖父は昨年死去したため、現在、彼女は、最近夫と死別した叔母に該るレディーヴェール(Lady Verr)と一緒に住んでいる、とのことだった。

一方で、アダム・セルトンの父親は、彼がダイアナ・マーシュを妻として迎えることを良しとしていなかった。


アダム・セルトンは、上着のポケットから、差出人不明の人物から受け取った手紙を取り出して、ホームズに渡した。その手紙は、アダム・セルトンに対して、ダイアナ・マーシュと距離を置くよう、警告していた。

マーシュ家が長年住んでいる土地ダイアナズグローヴには、白い大蛇の呪いがかかっていると言う。200~300年前、マーシュ家の先祖が、人間に害を為していた大蛇達を退治して、当地に住むようになった。そのため、それ以降、マーシュ家は、大蛇に呪われているのだと、その手紙は警告する。

ホームズは、従兄弟のヘンリーと依頼人のアダム・セルトンの二人に対して、古語の「Worm(虫)」は、「Serpent(蛇)」や「Dragon(龍)」を意味するのだと補足する。

その手紙は、更に、マーシュ家を呪う大蛇は、女性の姿をしている場合もあると付け加えていた。

この匿名の手紙は、アダム・セルトンの恋人であるダイアナ・マーシュのことを、マーシュ家を呪う大蛇だとあてこすっているのだろうか?


地元民の間では、夜間、ダイアナズグローヴの森の中に、緑色に光るものや白い幽霊のようなものを見かける者が出ていた。

緑色に光るものとは、マーシュ家に呪いをかけている白い大蛇の目なのか?また、森の中に現れる白い幽霊のようなものとは、一体、何なのか?

アダム・セルトンの依頼を受けて、ホームズとヘンリー医師の二人は、彼と一緒に、ヨークシャー州へと向かい、現地で調査を始めるのであった。


2021年10月16日土曜日

ジェイムズ・ラブグローヴ作「シャーロック・ホームズ / 戦いの神々」(Sherlock Holmes / Gods of War by James Lovegrove) - その3

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2014年に出版された
ジェイムズ・ラブグローヴ作「シャーロック・ホームズ / 戦いの神々」の表紙
(Images : Dreamstime / Getty / funnylittlefish)

読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆(3.0)


シャーロック・ホームズが諮問探偵業から引退した後の事件で、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)による正典では、「ライオンのたてがみ(Lion’s Mane)」(1907年に発生)「最後の挨拶(His Last Bow)」(1914年に発生)の間に該る。事件が発生した時期として、戦争の影が欧州全体を覆いつつあった1913年9月が設定され、事件の根底は、「最後の挨拶」にも通じるが、犯行の動機としては、本作品の方が恐ろしいかもしれない。


(2)物語の展開について ☆☆☆(3.0)


約290ページある物語の内、宝飾品盗難事件に冒頭の50ページ近くが費やされている。本作品のメインとなる事件に、イーストボーン(Eastbourne)に巡業で来ていたサーカス団に属する「コブラ人間(Reptilio the Human Cobra)」を関与させるためではあるが、話の前振りとして、本当に必要だったかどうかは、若干疑問。メインとなる事件自体が特殊な訳ではなく、その動機が非常に特殊なため、物語の全体像がなかなか見えてこないので、話の取っ掛かりとしては、それだけで完結する前振りの事件は必要だったのかもしれない。事件自体に派手さはなく、話が淡々として進むので、やや物足りない感じがする。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆半(2.5)


事件の様相が、従来の個人対個人の関係から国家対国家(+国家を取り巻くもの)という関係に変わってきており、最早、ホームズに限らず、個人の諮問探偵では、完全には対処しきれない情勢である。「最後の挨拶」の際は、英国政府からの正式な依頼を受けての捜査であったが、今回はそうでなく、巻き込まれ型の事件捜査となっており、ホームズとしては、いろいろな意味で不利であり、活躍しずらかった感が強い。


(4)総合評価 ☆☆☆(3.0)


上記にも述べた通り、戦争の影が欧州全体を覆い包む中、事件の動機が国家(+国家を取り巻くもの)レベルとなっており、個人の諮問探偵での対処が非常に困難な事件が、本作品の中核を成している。その結果、ホームズとしても、充分な活躍ができず、読者としても、今一つ物足りない感が強い。テーマとしては、面白いのかもしれないが、ホームズ物とするには、難しい気がする。話は淡々として手堅いが、残念ながら、躍動感というか、ワクワク感には欠けている。



2021年10月10日日曜日

コナン・ドイル作「グロリア・スコット号事件」<小説版>(The Gloria Scott by Conan Doyle ) - その3

「ストランドマガジン」の1893年4月号 に掲載された
コナン・ドイル作「グロリア・スコット号事件」の挿絵(その5)
<シドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)によるイラスト> -
オーストラリアへ流刑される途中、グロリア・スコット号内で、
ジェイムズ・アーミティジ(後のトレヴァー氏)が、
ジャック・プレンダーガストから自己紹介を受ける場面が描かれている。

英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年4月号に、また、米国では、「ハーパーズ ウィークリー(Harper’s Weekly)」の1893年4月15日号に掲載された短編「グロリア・スコット号事件(The Gloria Scott)」(シャーロック・ホームズシリーズの56ある短編小説のうち、17番目に発表)において、作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)は、(1)事件が発生した年月と(2)ホームズがジョン・H・ワトスンに対して、事件のことを話した年月について、明確には記述していない。


(1)事件が発生した年月

事件自体は、ホームズが大学に在籍していた際に起きているが、識者の間では、1872年から1876年までの諸説が存在している。

英国国教会の牧師、考古学者、民俗学者で、聖書学者でもあったセイバイン・ベアリング=グールド(Sabine Baring-Gould:1834年ー1924年)の孫で、有名なシャーロキアンのウィリアム・ステュアート・ベアリング=グールド(William Stuart Baring-Gould:1913年ー1967年)が1955年に発表した「詳注版 シャーロック・ホームズ全集(The Chronological Holmes)」では、聖典60編(長編4作+短編56作)の事件が発生年月順に並べられている。その中で、ホームズがノーフォーク州(Norfolk)にあるトレヴァー氏(Mr. Trevor)の屋敷に滞在したのは、「1874年7月12日(日)ー同年8月4日(火)」の間で、一旦、ロンドンへと戻ったホームズが、友人のヴィクター・トレヴァー(Victor Trevor)からの電報を受け取って、ノーフォーク州に駆け付けたのは、「1874年9月22日(火)」と言う説を唱えている。日本等で出版されているホームズ関連のハンドブックや読本は、概ね、グールド氏の説に倣っている。


(2)ホームズがワトスンに対して、事件のことを話した年月

コナン・ドイル自身は、原作において、「ある冬の夜(one winter’s night)」と言及しているだけであるが、これについて、ウィリアム・ステュアート・ベアリング=グールドは、「1887年から1888年にかけての冬」という説を唱えている。

また、ホームズがワトスンに事件のことを話すことになった理由に関しても、コナン・ドイル自身は、原作において、全く言及していないが、ウィリアム・ステュアート・ベアリング=グールドは、「ホームズが、最初の妻を亡くして落ち込んでいるワトスンを慰めるため」と推測している。


「ストランドマガジン」の1893年4月号 に掲載された
コナン・ドイル作「グロリア・スコット号事件」の挿絵(その6)
<シドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)によるイラスト> -
沈没したグロリア・スコット号から脱出した水夫のハドスンを
ジェイムズ・アーミティジ(後のトレヴァー氏)達が救助する場面が描かれている。


(3)事件の原因となったグロリア・スコット号内で囚人の反乱が起きた年月

これについては、トレヴァー氏は息子のヴィクターに宛てた告白文の中で、「クリミア戦争が一番激しかった1855年(It was the year 1855, when the Crimean war was at its height)」と明記されている。


一方で、トレヴァー氏(本当の名前は、ジェイムズ・アーミティジ(James Armitage))が、賭け事での負けが込んで、勤め先の銀行のお金を横領して、逮捕されたのが、「今から30年前(the laws were more harshly administered thirty years ago than now, and on my twenty-third birthday I found myself chained as a felon with thirty-seven other convicts in the ’tween-decks of the bark Gloria Scott, bound for Australia.)」とも言及している。

また、ホームズがノーフォーク州にあるトレヴァー氏の屋敷に滞在していた際に、トレヴァー氏の元を訪れた水夫のハドスン(Hudson)が、トレヴァー氏に対して、「30年ぶり(it’s thirty ear and more since I saw you last.)」とも言っている。


単純に考えると、事件が発生したのは、1855年から30年後の1885年となるが、1881年3月の時点で、ホームズとワトスンは既に知り合って、「緋色の研究(A Study in Scarlt)」事件を解決しているので、整合性が合わないことになる。

そのため、ウィリアム・ステュアート・ベアリング=グールドは、1855年当時、オーストラリアへの流刑が既に廃止されているという指摘等を紹介した上で、「1845年」という説を唱えている。


英国の囚人は、当初、米国大陸へと送られていたが、米国の独立(1776年)に伴い、1788年からオーストラリア大陸へと送られるようになった。

資料によると、オーストラリア大陸への流刑が終了したのが、

・ニューサウスウェールズ(New South Wales):1851年

・タスマニア島(Tasmania):1853年

・西オーストラリア(West Australia):1868年

となっているので、ウィリアム・ステュアート・ベアリング=グールドの説は、必ずしも、完全ではないと言える。


グロリア・スコット号内で起きた囚人の反乱にかかる記述について、英国版と米国版では、以下のような違いがある。

具体的に言うと、グロリア・スコット号内で囚人の反乱を主導したジャック・プレンダーガスト(Jack Prendergast)の相棒であるウィルスン偽牧師(Wilson, the sham chaplain)が、船長室で船長を殺害した場面である。


<英国版>

He lay with his head on the chart of the Atlantic which was pinned upon the table.

(船長は、テーブルにピンで留められた大西洋の地図の上に、頭をうずめて、倒れていた。)


「ストランドマガジン」の1893年4月号 に掲載された
コナン・ドイル作「グロリア・スコット号事件」の挿絵(その7)
<シドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)によるイラスト> -
グロリア・スコット号内で囚人の反乱が発生し、
ジャック・アーミティジの相棒であるウィルスン偽牧師が、船長室で船長を殺害した場面が描かれている。


<米国版>

He lay with his brains smeared over the chart of the Atlantic which was pinned upon the table.

(船長は、テーブルにピンで留められた大西洋の地図の上に、脳味噌をぶちまけて、倒れていた。)


「ハーパーズ ウィークリー」の1893年4月15日号 に掲載された
コナン・ドイル作「グロリア・スコット号事件」の挿絵 -
グロリア・スコット号内で囚人の反乱が発生し、
ジャック・アーミティジの相棒であるウィルスン偽牧師が、
船長室で船長を殺害した場面が描かれている。
挿絵では、船長が床の上に倒れており、
原作の文章とは合致していないと言える。


識者の間では、英国版と米国版のどちらが、作者のコナン・ドイルによるオリジナルなのか、未だに論争中である。


ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)を主人公のシャーロック・ホームズ役に据えて、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が TV ドラマ「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)を制作しているものの、残念ながら、「グロリア・スコット号事件」に関しては、映像化されていない。