2024年11月7日木曜日

ベアトリス・ポター生誕150周年記念切手 - その1

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が2023年に発表した「シャーロック・ホームズ / 湖の怪物」(Sherlock Holmes / The Monster of the Mere → 2024年10月30日付ブログで紹介済)は、英国の湖水地方(Lake District)を舞台にしている。

湖水地方と言うと、思い出されるのが、英国の絵本作家であるヘレン・ベアトリス・ポター(Helen Beatrix Potter:1866年ー1943年)と彼女が生み出したピーターラビット(Peter Rabbit)である。


2016年7月28日に、ヘレン・ベアトリス・ポターの生誕150周年を記念した切手10種類が、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されているので、今回から4回に渡って紹介したい。


(1)ピーターラビット



 ピーターラビットは、ヘレン・ベアトリス・ポターによる児童書に登場する主役キャラクターである。

大変な悪戯っ子であるピーターラビットは、お母さんに「マグレガーおじさん(Mr. McGregor)の畑には、絶対行かないように。」といつも注意を受けているが、お母さんの言い付けを守らず、畑へ忍び込んで、マグレガーおじさんに見つかってしまうことを繰り返している。


ピーターラビットは、1893年9月4日に、ヘレン・ベアトリス・ポターが彼女の元家庭教師で友人のアニー・ムーア(Annie Moore)の息子である病床のノエル少年(Noel - 5歳)に対して送った絵手紙が原型となっている。


<ピーターラビットの登場作品>

*「ピーターラビットのおはなし(The Tale of Peter Rabbit)」(1902年)

*「ベンジャミンバニーのおはなし(The Tale of Benjamin Bunny)」(1904年)

*「はりねずみティギー(The Tale of Mrs. Tiggy-Winkle)」(1905年)

*「フロプシーのこどもたち(The Tale of Flopsy Bunnies)」(1909年)

*「ジンジャーとピクルスのおはなし(The Tale of Ginger and Pickles)」(1909年)

*「キツネのトッドのおはなし(The Tale of Mr. Tod)」(1912年)


(2)ティギー・ウィンクルおばさん(Mrs. Tiggy-Winkle)



ティギー・ウィンクルは、小さくて太った、そして、キラキラとした瞳を持つ洗濯おばさんである。

はりねずみである彼女のずきんの下には、棘があり、ピーターラビットの上着等の洗濯物を取り扱いっている。


<ティギー・ウィンクルおばさんの登場作品>

*「はりねずみティギー」(1905年)


         

2024年11月6日水曜日

ロンドン市内にあるジョスリン・バーバラ・ヘップワース彫刻作品(Sculptures by Jocelyn Barbara Hepworth in London)- その1


今回から、英国の芸術家 / 彫刻家で、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)による彫刻作品のうち、ロンドン市内にある分について、紹介したい。



1つ目は、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが1963年に制作した「翼がある形(Winged Figure)」で、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)区内に所在している。



同作品は、地下鉄セントラルライン(Central Line)が通るトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)、オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)、ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)およびマーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)を東西に結ぶオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)に面して建つデパート「ジョン・ルイス&パートナーズ(John Lewis & Partners)」の南東の角、ホールズストリート(Holles Street)に面した外壁に設置されている。



第二次世界大戦(1939年-1945年)中に被災した「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、再建を経て、1961年に再オープンを迎える。

当初、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、米国出身で、後に英国に帰化した彫刻家であるジェイコブ・エプスタイン(Jacob Epstein:1880年ー1959年)に対して、彫刻作品の制作を依頼したが、別件の作品制作で多忙であることを理由に、彼に断られてしまった。

そのため、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、1961年5月、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースを含む彫刻家7名に対して、彫刻作品のデザインを依頼。ジョスリン・バーバラ・ヘップワースを除く彫刻家6名が提出したデザイン案は、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用されなかった。

ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが1961年10月に提出したデザイン案も採用されなかったが、第2案が「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用された。これが、「翼がある形」である。



「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用されたデザイン第2案に基づいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、作品の制作に取り掛かった。

1960年に、彼女は、通りを挟んで、コンウォール州(Cornwall)セントアイヴス(St. Ives)に所在する自宅のトレウィンスタジオ(Trewyn Sudios)の向かい側にある元映画 / ダンスホールのパレ・ド・ダンス(Palais de Danse)を購入して、スタジオ面積を広げていた。スタジオの追加購入により、彼女は、大型の彫刻作品を制作できるようになったのである。

「翼がある形」は、パレ・ド・ダンスにおいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが最初に制作する彫刻作品となった。なお、1962年に彼女が木材やアルミニウムで作成したプロトタイプは、現在、ヨークシャー州(Yorkshire)ウェイクフィールド(Wakefield)にあるヘップワース博物館(Hepworth Museum)に所蔵されている。



ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが制作したブロンズ製の「翼がある形」(高さ:約6m)は、1963年4月21日(日)、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートの南東の角、ホールズストリートに面した外壁に設置された。

2013年に設置後50周年を迎えた同作品は、改修を受け、2016年1月に Grade II listing に指定された。



2024年11月5日火曜日

ロンドン ウェストキャリッジドライブ(West Carriage Drive)

手前にみえるのが、ハイドパーク内を南北に縦断しているウェストキャレッジドライブ。

英国イーストサセックス州(East Sussex)ルイス(Lewes)出身の作家であるジェイムズ・マシュー・ヘンリー・ラブグローヴ(James Matthew Henry Lovegrove:1965年ー)が2020年に発表した「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」(Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons → 2024年xx日付ブログで紹介済)」は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」の続編となっており、1894年の秋から、物語が始まる。


英国の Titan Publishing Group Ltd から、Titan Books シリーズとして、
2021年に刊行されている
 ジェイムズ・ラヴグローヴ
作「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」の
ペーパーバック版表紙

(Design by Julia Lloyd


1889年の秋(10月)、デヴォン州(Devon)南部に広がる荒野ダートムーア(Dartmoor)内に所在するメリピットハウス(Merripit House)に住む昆虫学者であるジャック・ステイプルトン(Jack Stapleton)が、ダートムーアに伝わる魔犬伝説を使い、バスカヴィル家の当主であるサー・チャールズ・バスカヴィル(Sir Charles Baskerville)を心臓麻痺へと追い込み、後を継いだサー・ヘンリー・バスカヴィル(Sir Henry Baskerville)の命も奪おうとした「バスカヴィル家の犬」事件が解決してから、既に5年が経過していた。

また、「空き家の冒険(The Empty House → 2022年5月27日 / 7月1日 / 7月10日 / 7月17日 / 7月24日 / 7月29日 / 8月3日 / 8月6日付ブログで紹介済)」を経て、シャーロック・ホームズが1894年4月にロンドンへと帰還してから、半年が経っていた。

更に、ホームズの相棒であるジョン・H・ワトスンは、妻のメアリー(Mary)を亡くして、独り身となっていた。


ヴィクトリアゲート(Victoria Gate)近くにあるハイドパーク内の案内板 -
案内板の左上にみえる赤い丸が現在位置を示している。


ワトスンは、午前中の診療を終えると、午後、ケンジントン地区(Kensington → 2023年12月12日 / 12月17日付ブログで紹介済)の自宅を出て、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月4日付ブログで紹介済)経由、ホームズが住むベイカーストリート221B(221B Baker Street)へと出かける。

サーペンタイン湖(The Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)を過ぎて、ワトスンがウェストキャリッジドライブ(West Carriage Drive)を歩いていると、突然、大きな黒い犬が彼に向かって駆けて来るのが見えた。「バスカヴィル家の犬」事件の魔犬のことが頭に過ぎったワトスンは、思わず、恐怖する。

結果的に、何事もなかったものの、ワトスンは、犬の飼い主である中年の男性との間で、揉め事になったが、自分達の周りに人集りができたため、ワトスンは、早々にその場を立ち去るのであった。


ハイドパーク内にあるサーペンタイン湖


ベイカーストリート221Bを訪れたワトスンを、ホームズが快く出迎えた。ホームズによると、「事件の相談者が来ている。」とのことだった。

事件の相談者は、米国人の黒人の青年で、ベンジャミン・グリア伍長(Corporal Benjamin Grier)と名乗った。彼は、「カナダ生まれの友人のことで、至急、相談したい。」と言う。そして、驚くことに、ベンジャミン・グリア伍長は、カナダ生まれの友人として、「サー・ヘンリー・バスカヴィル」の名前を出したのである。


ヴィクトリアゲートの柱


ウェストキャリッジドライブは、ハイドパークとケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)を東西に分ける通りである。


ヴィクトリアゲートの上にある像


ウェストキャリッジドライブの北側は、ハイドパーク / ケンジントンガーデンズの北側を東西に延びるベイズウォーターロード(Bayswater Road)に面するヴィクトリアゲート(Victoria Gate)から始まり、ハイドパークとケンジントンガーデンズを東西に分けるように、南下する。南下するウェストキャリッジドライブは、サーペンタイン湖の上を横切った後、サーペンタインギャラリー(Serpentine Gallery)の前を通過して、その南側は、ハイドパーク / ケンジントンガーデンズの南側を東西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)に突き当たって、終わっている。


ハイドパーク内では、乗馬の練習が行われている


ウェストキャリッジドライブが東西に分けるハイドパーク / ケンジントンガーデンズ内では、乗馬の練習風景を頻繁に見受けられる。


2024年11月4日月曜日

ロンドン セントアンズテラス24番地(24 St. Ann’s Terrace)


英国の芸術家 / 彫刻家であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)が住んでいた家が、ロンドンの中心部に所在するシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある。


地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)からロンドン北西部に所在する高級住宅地区であるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)へと向かい、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)を右手にしつつ、ベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)、パークロード(Park Road)、そして、ウェリントンロード(Wellington Road)を北上する。

進行方向左手に見えるローズクリケット場(Lord’s Cricket Ground)を過ぎ、地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John’s Wood Tube Station)を目前にしたところで、ウェリントンロードからアカシアロード(Acacia Road)へと右折する。



アカシアロードを北上すると、進行方向右手からキングスミルテラス(Kingsmill Terrace)、そして、セントアンズテラス(St. Ann’s Terrace)が、アカシアロードに交差する。

アカシアロードからセントアンズテラスへと左折して、セントアンズテラスを進むと、進行方向左手に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが住んでいたセントアンズテラス24番地(24 St. Ann’s Terrace, London NW8 6PJ)の建物がある。



土木技師(civil engineer)である父ハーバート・ヘップワース(Herbert Hepworth)と母ガートルード・ヘップワース(Gertrude Hepworth)の長子(長女)として、1903年1月10日、ヨークシャー州(Yorkshire)のウェイクフィールド(Wakefield)に出生したジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1921年からロンドンの王立美術カレッジ(Royal College of Art (RCA))で学び、1924年に学位を取得。

王立美術カレッジの学位取得後、彼女は、留学奨学金を得て、1924年にイタリアのフィレンツェ(Florence)へ向かった。



留学先のフィレンツェにおいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、ローマ賞(Prix-de-Rome)の次点になったが、優勝は、英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)が手にした。

2人は、シエナ(Sienna)とローマ(Rome)を一緒に旅行した後、フィレンツェに戻り、1925年5月13日に結婚する。

結婚後、彼女は、同地において、彫刻家であるジョヴァンニ・アルディーニ(Giovanni Ardini)に師事して、大理石彫刻を学んだ。



ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとジョン・ラッテンベリー・スキーピングの2人は、1926年に英国へ戻り、ロンドンのフラットに住居を構えると、そこで共同個展を開催。

そして、1929年には、2人の間に、長男のポール(Paul)が生まれた。



セントアンズテラス24番地の建物外壁には、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースがここに住んでいたことを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)管理のブループラークが掛けられている。

当該ブループラークには、「彫刻家のジョスリン・バーバラ・ヘップワース(1903年ー1975年)とジョン・ラッテンベリー・スキーピング(1901年ー1980年)が、1927年にここに住み、制作も行った。(Barbara Hepworth (1903 - 1975) John Skeaping (1901 - 1980) Sculptors lived and worked here in 1927)」と表示されている。


                                

2024年11月3日日曜日

ジェイムズ・ラブグローヴ作「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」(Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons by James Lovegrove) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd から、Titan Books シリーズとして、
2021年に刊行されている
 ジェイムズ・ラヴグローヴ
作「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」の
ペーパーバック版表紙

(Design by Julia Lloyd


本作品「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」(Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons)」は、英国イーストサセックス州(East Sussex)ルイス(Lewes)出身の作家であるジェイムズ・マシュー・ヘンリー・ラブグローヴ(James Matthew Henry Lovegrove:1965年ー)によって、2020年に発表された。

なお、同作品は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」の続編となっている。


1990年から作家活動を始めたジェイムズ・ラブグローヴは、元々、SF小説をメインにしていたが、2013年から、ホームズ作品についても、以下の通り、継続的に発表している。


(1)「シャーロック・ホームズ / 悪魔の塊(Sherlock Holmes / The Stuff of Nightmares → 2022年6月11日 / 6月18日 / 6月24日付ブログで紹介済)」(2013年)

(2)「シャーロック・ホームズ / 戦いの神々(Sherlock Holmes / Gods of War → 2021年10月2日 / 10月8日 / 10月16日付ブログで紹介済)」(2014年)

(3)「Sherlock Holmes / The Thinking Engine」(2015年)

(4)「Sherlock Holmes / The Labyrinth of Death」(2017年)

(5)「Sherlock Holmes / The Devil’s Dust」(2018年)

(6)「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊(Sherlock Holmes and the Christmas Demon → 2024年11月1日付ブログで紹介済)」(2019年)

(7)「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣(Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons)」(2020年)

(8)「Sherlock Holmes and the Three Winter Terrors」(2021年)


また、別シリーズとして、以下の作品も発表。


(9)「Sherlock Holmes and the Shadwell Shadows」(2016年)

(10)「Sherlock Holmes and the Miskatonic Monstrosities」(2017年)

(11)「Sherlock Holmes and the Sussex Sea-Devils」(2018年)

(12)「Sherlock Holmes and the Highgate Horrors」(2023年)


「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」の場合、1894年の秋から、物語が始まる。


1889年の秋(10月)、デヴォン州(Devon)南部に広がる荒野ダートムーア(Dartmoor)内に所在するメリピットハウス(Merripit House)に住む昆虫学者であるジャック・ステイプルトン(Jack Stapleton)が、ダートムーアに伝わる魔犬伝説を使い、バスカヴィル家の当主であるサー・チャールズ・バスカヴィル(Sir Charles Baskerville)を心臓麻痺へと追い込み、後を継いだサー・ヘンリー・バスカヴィル(Sir Henry Baskerville)の命も奪おうとした「バスカヴィル家の犬」事件が解決してから、既に5年が経過していた。

また、「空き家の冒険(The Empty House → 2022年5月27日 / 7月1日 / 7月10日 / 7月17日 / 7月24日 / 7月29日 / 8月3日 / 8月6日付ブログで紹介済)」を経て、シャーロック・ホームズが1894年4月にロンドンへと帰還してから、半年が経っていた。

更に、ホームズの相棒であるジョン・H・ワトスンは、妻のメアリー(Mary)を亡くして、独り身となっていた。


ヴィクトリアゲート(Victoria Gate)近くにあるハイドパーク内の案内板 -
案内板の左上にみえる赤い丸が現在位置を示している。


ワトスンは、午前中の診療を終えると、午後、ケンジントン地区(Kensington → 2023年12月12日 / 12月17日付ブログで紹介済)の自宅を出て、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月4日付ブログで紹介済)経由、ホームズが住むベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)へと出かけた。


ハイドパーク内にあるサーペンタイン湖


サーペンタイン湖(The Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)を過ぎて、ワトスンがウェストキャレッジドライブ(West Carriage Drive)を歩いていると、突然、大きな黒い犬が彼に向かって駆けて来るのが見えた。「バスカヴィル家の犬」事件の魔犬のことが頭に過ぎったワトスンは、思わず、恐怖する。

結果的に、何事もなかったものの、ワトスンは、犬の飼い主である中年の男性との間で、揉め事になった。自分達の周りに人集りができたため、ワトスンは、早々にその場を立ち去った。


手前にみえるのが、ハイドパーク内を南北に縦断しているウェストキャレッジドライブ。


ベイカーストリート221Bを訪れたワトスンを、ホームズが快く出迎えた。ホームズによると、「事件の相談者が来ている。」とのことだった。

事件の相談者は、米国人の黒人の青年で、ベンジャミン・グリア伍長(Corporal Benjamin Grier)と名乗った。彼は、「カナダ生まれの友人のことで、至急、相談したい。」と言う。そして、驚くことに、ベンジャミン・グリア伍長は、カナダ生まれの友人として、「サー・ヘンリー・バスカヴィル」の名前を出したのである。


2024年11月2日土曜日

ジョスリン・バーバラ・ヘップワース(Jocelyn Barbara Hepworth)- その3

Barbara Hepworth at work on the plaster
for Oval Form (Trezion),
Palais de Danse, St. Ives (1963)
Photography by Val Wilmer
Bowness, Hepworth Estate

第二次世界大戦(1939年-1945年)後の1949年2月8日、ジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年)と夫の英国の彫刻家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスン(Benjamin Lauder Nicholson:1894年ー1982年)は、コンウォール州(Cornwall)のセントアイヴス(St. Ives)において、ペンウィズ芸術協会(Penwith Society of Arts)を共同創設し、19名の芸術家が創設メンバーとして参加。

1950年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースの彫刻作品が、第25回ヴェネツィアビエンナーレ(XXV Venice Biennale)の英国パヴィリオン(British Pavilion)において展示される。


1951年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、夫のベンジャミン・ローダー・ニコルスンと離婚。

この頃、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、彫刻作品として、石や木だけではなく、ブロンズや粘土を使い始めた。彼女は、大きなブロンズ彫刻作品を、セントアイヴスに所在する自宅のトレウィンスタジオ(Trewyn Sudios)の庭園内に設置した。なお、この庭園は、彼女と彼女の友人で、南アフリカ生まれの英国人作曲家のアイヴィー・プリオー・レニエ(Ivy Priaulx Rainier:1903年ー1986年)が一緒に設計している。


ジョスリン・バーバラ・ヘップワースと英国の彫刻家で、前夫であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)の間に1929年に生まれた長男のポール(Paul)は、英国空軍に入隊後、タイ王国に駐在していたが、1953年2月13日、飛行機事故により、死亡。

ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、長男ポール追悼のため、彫刻作品「聖母子(Madonna and Child)」を制作して、セントアイヴス教区教会(parish church of St. Ives)に寄贈した。

長男ポールの死により精神的に追い込まれていたジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1954年8月、彼女の親友で、芸術家のパトロンでもあるマーガレット・エミリア・ガーディナー(Margaret Emilia Gardiner:1904年ー2005年)と一緒に、ギリシアへと旅立ち、アテネ(Athens)、デルフィ(Delphi)やエーゲ海の諸島を巡る。


1960年に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、通りを挟んで、自宅のトレウィンスタジオの向かい側にある元映画 / ダンスホールのパレ・ド・ダンス(Palais de Danse)を購入して、スタジオ面積を広げた。スタジオの追加購入により、彼女は、大型の彫刻作品を制作できるようになった。


晩年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、リトグラフを用いた作品も制作した。

彼女が1971年に発表した「エーゲ海作品集(The Aegean Suite)」は、1954年8月、マーガレット・エミリア・ガーディナーと一緒に、ギリシアを旅した経験に基づいている。


ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1975年5月20日、自宅のトレウィンスタジオにおける失火により亡くなった。享年72歳だった。


        

2024年11月1日金曜日

ジェイムズ・ラブグローヴ作「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊」(Sherlock Holmes and the Christmas Demon by James Lovegrove) - その1

英国の Titan Publishing Group Ltd から、Titan Books シリーズとして、
2020年に刊行されている
 ジェイムズ・ラヴグローヴ
作「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊」の
ペーパーバック版表紙

(Design by Julia Lloyd


本作品「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊(Sherlock Holmes and the Christmas Demon)」は、英国イーストサセックス州(East Sussex)ルイス(Lewes)出身の作家であるジェイムズ・マシュー・ヘンリー・ラブグローヴ(James Matthew Henry Lovegrove:1965年ー)によって、2019年に発表された。


1990年から作家活動を始めたジェイムズ・ラブグローヴは、元々、SF小説をメインにしていたが、2013年から、ホームズ作品についても、以下の通り、継続的に発表している。


(1)「シャーロック・ホームズ / 悪魔の塊(Sherlock Holmes / The Stuff of Nightmares → 2022年6月11日 / 6月18日 / 6月24日付ブログで紹介済)」(2013年)

(2)「シャーロック・ホームズ / 戦いの神々(Sherlock Holmes / Gods of War → 2021年10月2日 / 10月8日 / 10月16日付ブログで紹介済)」(2014年)

(3)「Sherlock Holmes / The Thinking Engine」(2015年)

(4)「Sherlock Holmes / The Labyrinth of Death」(2017年)

(5)「Sherlock Holmes / The Devil’s Dust」(2018年)

(6)「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊(Sherlock Holmes and the Christmas Demon)」(2019年)

(7)「Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons」(2020年)

(8)「Sherlock Holmes and the Three Winter Terrors」(2021年)


また、別シリーズとして、以下の作品も発表。


(9)「Sherlock Holmes and the Shadwell Shadows」(2016年)

(10)「Sherlock Holmes and the Miskatonic Monstrosities」(2017年)

(11)「Sherlock Holmes and the Sussex Sea-Devils」(2018年)

(12)「Sherlock Holmes and the Highgate Horrors」(2023年)


「シャーロック・ホームズとクリスマスの悪霊」の場合、1890年12月19日、オックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)沿いの Burgh and Harmondswyke デパートから、物語が始まる。

そのデパートの売り場には、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)の3人と多くの警官達が張り込んでいた。

売り場の奥からデパートの出口の方へと向かうサンタクロースの格好をした男を見かけたホームズの指示に従い、ワトスンは、その男に対して、ラグビータックルを仕掛ける。ただ、昔、銃で撃たれて痛む方の肩でタックルしたため、ワトスンは、その男を完全に倒すことができなかった。そこで、ホームズが、得意のバリツ(Baritsu)を使って、その男を取り押さえる。

ホームズが取り押さえた男は、ペントンヴィル刑務所(Pentonville)を出所したばかりのバーニー・オブライアン(Barney O’Brien)で、シームス・フリン(Seamus Flynn)と言う偽名を名乗って、デパート内でサンタクロースを演じる職に就いていたのである。ホームズは、彼の共犯として、デパートの宝石売り場のアシスタントであるクラリス(Clarice)と言う女性も、レストレイド警部に逮捕させる。

共犯者のクラリスが、宝石売り場から宝石(真珠)を盗んだ後、それらをバーニーにこっそりと渡す。そして、バーニーは、頭に冠っているヤドリギの王冠に付いている小果実に真珠を紛れ込ませて、デパートから抜け出そうとしていたのである。


宝石泥棒を見事に捕まえたホームズとワトスンは、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)へと戻る途中、ソーホー地区(Soho)の珈琲店で休息していた。

その時、1人の女性が、ホームズ達に近付いて来る。彼女は、イヴ・アラソープ(Eve Allerthorpe)と自己紹介した。