地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)からロンドン北西部に所在する高級住宅地区であるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)へと向かい、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)を右手にしつつ、ベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)、パークロード(Park Road)、そして、ウェリントンロード(Wellington Road)を北上する。
進行方向左手に見えるローズクリケット場(Lord’s Cricket Ground)を過ぎ、地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John’s Wood Tube Station)を目前にしたところで、ウェリントンロードからアカシアロード(Acacia Road)へと右折する。
アカシアロードを北上すると、進行方向右手からキングスミルテラス(Kingsmill Terrace)、そして、セントアンズテラス(St. Ann’s Terrace)が、アカシアロードに交差する。
アカシアロードからセントアンズテラスへと左折して、セントアンズテラスを進むと、進行方向左手に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが住んでいたセントアンズテラス24番地(24 St. Ann’s Terrace, London NW8 6PJ)の建物がある。
土木技師(civil engineer)である父ハーバート・ヘップワース(Herbert Hepworth)と母ガートルード・ヘップワース(Gertrude Hepworth)の長子(長女)として、1903年1月10日、ヨークシャー州(Yorkshire)のウェイクフィールド(Wakefield)に出生したジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1921年からロンドンの王立美術カレッジ(Royal College of Art (RCA))で学び、1924年に学位を取得。
王立美術カレッジの学位取得後、彼女は、留学奨学金を得て、1924年にイタリアのフィレンツェ(Florence)へ向かった。
留学先のフィレンツェにおいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、ローマ賞(Prix-de-Rome)の次点になったが、優勝は、英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)が手にした。
2人は、シエナ(Sienna)とローマ(Rome)を一緒に旅行した後、フィレンツェに戻り、1925年5月13日に結婚する。
結婚後、彼女は、同地において、彫刻家であるジョヴァンニ・アルディーニ(Giovanni Ardini)に師事して、大理石彫刻を学んだ。
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとジョン・ラッテンベリー・スキーピングの2人は、1926年に英国へ戻り、ロンドンのフラットに住居を構えると、そこで共同個展を開催。
そして、1929年には、2人の間に、長男のポール(Paul)が生まれた。
セントアンズテラス24番地の建物外壁には、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースがここに住んでいたことを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)管理のブループラークが架けられている。
当該ブループラークには、「彫刻家のジョスリン・バーバラ・ヘップワース(1903年ー1975年)とジョン・ラッテンベリー・スキーピング(1901年ー1980年)が、1927年にここに住み、制作も行った。(Barbara Hepworth (1903 - 1975) John Skeaping (1901 - 1980) Sculptors lived and worked here in 1927)」と表示されている。
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