2014年10月11日土曜日

ロンドン セントパンクラス オールド教会(St. Pancras Old Church)/ セントサヴィオール教会(St. Saviour's Church)の候補地


サー・アーサー・コナン・ドイル作「花婿失踪事件(A Case of Identity)」において、メアリー・サザーランド(Mary Sutherland)は、ガス管取付業界の舞踏会(gasfitters' ball)で知り合ったホズマー・エンジェル(Hosmer Angel)と結婚するため、別々の馬車で教会に到着した。メアリーと彼女の母親は別の馬車からホズマーが出て来るのを待つが、彼は一向に姿を現さない。そこで、御者が降りて馬車の中をみてみると、ホズマーの姿は忽然と消えていて、それ以降、彼の消息がつかめなくなった。そのため、メアリーはベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズを訪ね、ホズマーの行方を捜してほしいと依頼する。


メアリー・サザーランドとホズマー・エンジェルが結婚式を行う予定だった教会は、メアリーによると、キングスクロスの近くにあるセントサヴィオール教会(St. Saviour's (Church) near King's Cross)であった。確かに、セントサヴィオール教会は実在しているが、それはキングスクロスから北北東の方向にかなり離れたクラウチエンド(Crouch End)という地区内にある。それでは、コナン・ドイルの原作にあるセントサヴィオール教会のモデルとなった教会はどこなのか?


キングスクロス駅(King's Cross Station)のすぐ西側にあるセントパンクラス駅(St. Pancras Station)を南側からみて左手のミッドランドロード(Midland Road)をやや北上したところに、セントパンクラス ガーデンズ(St. Pancras Gardens)がある。この庭園に面して、セントパンクラス オールド教会(St. Pancras Old Church)が建っている。現在の地図上、キングスクロス駅近辺には、このセントパンクラス オールド教会しか、教会は存在していない。ということは、コナン・ドイルの原作で言及されているセントサヴィオール教会は、このセントパンクラス オールド教会をモデルにしたものと思われる。
ドイルの原作によれば、予定通り、教会での結婚式が行われていれば、メアリーとホズマーはセントパンクラスホテル(St. Pancras Hotel)で結婚披露朝食会をする予定であった。セントサヴィオール教会のモデルとなったのが、セントパンクラス オールド教会であれば、セントパンクラスホテルも近かったので、簡単に移動できた筈である。


セントパンクラス オールド教会の起源は11世紀頃まで遡るようである。14世紀に入ると、近くを流れるフリート川(River Fleet)からの洪水が頻発したので、付近の住民はもう少し北にあるケンティッシュタウン(Kentish Town)地区に移住。そのため、教会はやや打ち捨てられた形になり、荒廃した。
フリート川の治水が行われ、教会付近の住民が増えてきたことに伴い、19世紀中頃、建築家アレキサンダー・ディック・ゴー(Alexander Dick Gough)により教会は再建された。19世紀後半(1888年)と20世紀前半(1925年)にも改修が行われたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)時、ドイツ軍による爆撃によりダメージを受けたため、1948年に更に補修が実施されている。
以前、当教会は「セントパンクラス教会」と呼ばれていたが、半マイル程離れたユーストンロード(Euston Road)に「セントパンクラス ニュー教会(St. Pancras New Church)」が建てられたことに伴い、明確な区別を行うため、「セントパンクラス オールド教会」へ名前が変更されたとのこと。
ちなみに、「セントパンクラス」は、ローマのディオクレティアヌス帝の命により殉教者となったフリージアの若い貴族の名前に由来している。

2014年10月5日日曜日

ロンドン レドンホールストリート(Leadenhall Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「花婿失踪事件(A Case of Identity)」において、メアリー・サザーランド(Mary Sutherland)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼女は、ガス管取付業界の舞踏会(gasfitters' ball)でホズマー・エンジェル(Hosmer Angel)という男性と出会い、間もなく婚約する。彼女の義理の父親が留守にしている時に、彼らは結婚することになり、別々の馬車で教会に到着し、メアリーと彼女の母親は別の馬車からホズマーが出てくるのを待つが、彼はその馬車から一向に出てこない。御者が降りて馬車の中を見てみると、そこにホズマーの姿はなく、彼は忽然と消えてしまったのである。メアリーはホームズに、ホズマーの消息を捜してほしいと依頼する。
メアリーによると、行方不明になったホズマーはレドンホールストリートにある事務所で出納係として働いていて(Hosmer - Mr. Angel - was a cashier in an office in Leadenhall Street.)、寝起きもその事務所でしている(He slept on the premises.)と言う。ホームズが驚いたことに、メアリーは、ホズマーが働いている事務所の住所を、レドンホールストリート以外、全く知らなかったのである。

レドンホールストリート沿いに建つロイズ保険の本社ビル「ロイズビル」

ロンドンの金融街シティー・オブ・ロンドン(City of Londonー別名:1マイル四方(Square Mile))内にあるレドンホールストリートに面して、現在、ロイズ保険(Lloyd's of London)の本社ビル「ロイズビル(Lloyd's Buildingー別名: Inside-Out Building)」が建っている。ロイズ保険は、17世紀創業のコーヒーハウスから始まった世界最大の保険会社である。
1688年、創業者のエドワード・ロイド(Edward Lloyd:1648年ー1713年)が始めたコーヒーハウスは、次第に銀行家、保険業者、商人や荷主等が集まる場となった。そして、港の船荷情報を載せた日刊「ロイズリスト(Lloyd's List)」を発行したことが、今日のロイズ保険の前身となっている。

パリのポンピドウーセンター(Pompidou Centre)を手がけたリチャード・ロジャーズ(Richard Rogers:1933年ー)が現在の本社ビルの設計を担当し、スチールとガラスに覆われたハイテクなビルが出来上がった。1978年に建設工事が始まり、1986年に竣工。アンテナを含めた高さは 95.1m で、アンテナを除くと 88m になる。
竣工当初は、その斬新奇抜なデザインゆえに、周囲の古風なビル街とは全く合わず、非常に目立っていたが、周囲のビル群が次第に建て替えられ、近代的なビルが増えてくるにつれて、現在はそれ程大きな違和感はなくなっている。

レドンホールストリートは英国の郵便番号「EC3」内にあり、現在、ロイズ保険が所在していることもあって、この近辺には他の保険会社も数多くひしめきあっている。ロイズ保険の本社ビルの撮影に行った日の午後も、ビルの玄関を多くの保険会社スタッフがひっきりなしに出入りしていた。

スチールとガラスに覆われたハイテクな「ロイズビル」

また、ロイズ保険の本社ビルに隣接して、レドンホール・マーケット(Leadenhall Market)がある。通り全体を屋根が覆うアーケード型の市場街で、当初、屋根が鉛板で葺いてあったため、この名前で呼ばれている。
歴史はローマ時代まで遡り、ロンドン大火(1666年)で焼失した後、何度も建替が行われ、現在残っているのは1881年に建てられたものである。元々、肉、魚やワイン等の小売店が立ち並ぶ市場であったが、周辺をオフィスビルに取り囲まれているので、それらのオフィスビルで働くビジネスマン達をあてこんだパブ、カフェやサンドイッチショップ等の方が逆に増えてきているのが現状である。

「ロイズビル」に隣接するレドンホールマーケット

短編第3作目の「花婿失踪事件」には、一つ面白い話がある。
当作品は「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年9月号に発表されているが、前月の8月号に掲載された短編第2作目の「赤毛組合(The Red-Headed League)」の冒頭、ジョン・ワトスンとの会話の中で、ホームズがメアリー・サザーランドの名前を出して、「花婿失踪事件」に言及する場面が既にある。実は、ドイルの研究者が彼の原稿や書簡等を調査した結果、「赤毛組合」よりも「花婿失踪事件」の方が先に執筆されたことが判明している。
それでは、何故、「花婿失踪事件」と「赤毛組合」の発表順が前後したのか?
それは、ドイルの著作権代理人である A. P. ワットが「ストランドマガジン」の編集部宛に上記の2作を同時に送付したため、編集部側が2作の順番を間違えて掲載したのが原因ではないかと一般に考えられている。よって、「ストランドマガジン」上、「花婿失踪事件」よりも「赤毛組合」の方が先に掲載されることになり、「赤毛組合」の冒頭で、あたかも「花婿失踪事件」が既に発表済のような表現になっているのである。

2014年10月4日土曜日

ロンドン セントジェイムズホール(St. James's Hall)

夕闇に浮かぶル・メリディアン・ピカデリー・ホテル

サー・アーサー・コナンドイルの「赤毛組合(The Red-Headed League)」の中で、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に相談に訪れた質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)が帰った後、シャーロック・ホームズはジョン・ワトスンをセントジェイムズホール(St. James's Hall)に誘う。

昼間のル・メリディアン・ピカデリー・ホテルの建物正面

その日の午後、セントジェイムズホールで、スペイン出身の作曲家兼ヴァイオリン奏者であるパブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez:1844年ー1908年)の演奏会があると言うのだ。ホームズ曰く、「今日のプログラムは、ドイツの曲が多い。イタリアやフランスの曲よりも、ドイツの曲の方が、僕の趣味に合うんだ。ドイツの曲は内省的で、僕は今、内に向かいたい気分なんだ。(I observe that there is a good deal of German music on the programme, which is rather more to my taste than Italian or French. It is introspective, and I want to introspect.)」とのこと。
ホームズとワトスンは、ジェイベス・ウィルスンの質屋の様子を見に行った後、昼食をとってから、セントジェイムズホールへ向かった。

ピカデリーサーカス方面から見た
ル・メリディアン・ピカデリー・ホテルの正面玄関

残念ながら、セントジェイムズホールは現存しておらず、ホテルに様変わりしている。ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)からハイドパーク(Hyde Park)に向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)の北側に建っている、ル・メリディアン・ピカデリー・ホテル(Le Meridien Piccadilly Hotel)がそれである。現在の住所表記では、「21 Piccadilly, Mayfair, London W1J 0BH」である。

夕日に映えるセントジェイムズ教会

また、ピカデリー通りを挟んで、ホテルの右斜め前に、セントジェイムズ教会(St. James's Church)がある。この教会は、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)やフリートストリート沿いのセントブライド教会(St. Bride Church)等を設計したクリストファー・レン卿(Chirstopher Wren:1632年ー1723年)が完成させたものである。ロンドン大火(1666年)の際は、被害を免れたものの、第二次世界対戦(1939年−1945年)の最中、1940年にドイツ軍による激しい爆撃を受けたため、その後修復されている。

2014年9月28日日曜日

ロンドン キングエドワードストリート17番地(17 King Edward Street)

キングエドワードストリート17番地を含む建物

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤毛組合(The Red-Headed League)」において、突然の赤毛組合解散に驚いた質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)は、赤毛組合が入居していた建物の家主(ー同じ建物の1階に住む会計士)のところへ行き、赤毛組合に何が起きたのかを尋ねた。ところが、家主はウィルスンに対して、「赤毛組合については何も知らないし、赤毛組合を管理していたダンカン・ロス(Duncan Ross)という名前も初めて聞く名前だ。」と告げる。その上、家主は「(赤毛組合が入居していた)問題の4号室を借りていたのは、事務弁護士(solicitor)のウィリアム・モリス(William Morris)で、新しいオフィスが出来るまでの一時的な賃借だ。」と付け加えた。家主からウィリアム・モリスの移転先(17 King Edward Street near St. Paul's)を聞いたウィルスンが早速そこを訪ねてみると、そこは膝当ての製造工場で、ウィリアム・モリスのオフィスはどこにもなかったのである。

セントポール大聖堂方面からみたキングエドワードストリート

ドイルの原作で、ウィリアム・モリスの移転先と言われている「キングエドワードストリート17番地」は、実在の住所で、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathdral)の北側にある南北に延びる通りである。

キングエドワードストリートからセントポール大聖堂を望む

キングエドワードストリート17番地を含む建物には、現在、国立郵便博物館(National Post Museum)が入っている。当博物館は、25万枚を超える切手コレクションで有名で、1840年5月6日から利用が始まった世界最初の切手「ペニー・ブラック(Penny Blackー黒地にヴィクトリア女王の横顔だけが印刷された切手で、希少価値が非常に高く、切手収集家垂涎の的になっている。)」も所蔵されている。その他には、郵便配達員の制服や実際に使用されていた郵便車等も展示されている。

英国の近代郵便制度を確立したロウランド・ヒルの像

また、博物館の前には、英国の近代郵便制度を確立したロウランド・ヒル(Rowland Hill:1795年ー1879年)の銅像が建っていて、いつもキングエドワードストリートを見守っている。
銅像の台座には、
ROWLAND HILL 
HE FOUNDED UNIFORM PENNY POSTAGE
1840
と刻まれている。
1839年9月16日からロウランド・ヒルが開始した郵便制度は、1854年までに世界30ヶ国によって取り入れられ、明治維新後間もない日本も、1873年に英国式郵便制度を導入している。

2014年9月27日土曜日

エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮(Hercule Poirot and the Greenshore Folly)

 グリーンショア屋敷と阿房宮

(作者)  Agatha Christie       2014年
出版社) HaperCollinsPublishers Ltd. 2014年

1954年11月、アガサ・クリスティーは、自分の生まれ故郷デヴォン(Devon)州のチャーストン フェラーズ(Churston Ferrers)にあるセントメアリー聖母教会(St. Mary the Virgin Church)に寄付をするため、ある中編を執筆して、その印税収入を充てようとした。そこで、彼女は自分の住まいがあるグリーンウェイ(Greenway)を小説の舞台にした。なお、この中編は、雑誌掲載には難しい長さであったため、残念ながら、未発表のままに終わっている。それが本作「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮(Hercule Poirot and the Greenshore Folly)」で、60年の歳月を経て、今年初めて出版されたのである。殺人事件が発生する小説の舞台に実在の場所である「グリーンウェイ」をそのまま使用できないので、「グリーンショア」と変更したものと思われる。
上記の中編の代わりに、アガサ・クリスティーは、ミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)を主人公とした短編「グリーンショウ氏の阿房宮(Greenshaw's Folly)」を教会に寄付している。

籐椅子に座るアガサ・クリスティー

ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスで電話が鳴る。ポワロの秘書ミス・レモン(Miss Lemon)が受話器をとると、相手は人気推理作家で昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州のラプトン(Lapton)からで、オリヴァー夫人はポワロにすぐこちらに来てほしいと頼み込む。そこで、ポワロは早速ロンドン発の列車でデヴォン州に向かう。

ラプトン駅からオリヴァー夫人が滞在しているグリーンショア屋敷(Greenshore House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は外国人ハイカー達に人気の場所で、後の場面では、彼女達はグリーンショア屋敷の地所を勝手に横切ろうとして、屋敷の主であるサー・ジョージ・スタッブス(Sir George Stubbs)から厳重な注意を受けている。屋敷に到着したポワロにオリヴァー夫人は、次のように説明する。屋敷で催される慈善パーティーのために、(殺人)犯人探しゲーム(Murder Hunt)の段取りをしているところだが、このゲーム自体に何かおかしな点があるものの、それが何なのか、よく判らない、と。オリヴァー夫人は、そんな不安を口にする。彼女は、それをポワロに明らかにしてほしいと頼む。

グリーンショア屋敷では、次の人達が慈善パーティーの準備をしていた。
(1)屋敷の主サー・ジョージ・スタッブス
(2)彼の年若い妻レデイー・スタッブス ハティー(Lady Stubbs, Hattie Stubbs)
(3)サー・ジョージ・スタッブスの秘書ミス・ブレウィス(Miss. Brewis)
(4)サー・ジョージ・スタッブスに雇われて阿房宮の修理を行っている、建築家マイケル・ウェイマン(Michael Weyman)
(5)近所のコテージに住むアレックとペギーのレッグ若夫婦(Alec Legge + Peggy Legge)
(6)慈善パーティー全体のとりまとめ役マスタートン夫人(Mrs. Masterton)
(7)彼女の手助けをしているウォーボロー大尉(Captain Warborough)
(8)ハティーの庇護者フォリアット夫人(Mrs. Folliat)- グリーンショア屋敷の前の持ち主でもある。フォリアット家は1598年から何代にもわたってこの地所を所有していたが、第二次世界大戦前に、彼女の夫が亡くなってしまった。また、彼女の長男は海軍で出征した後、乗っていた艦が沈められ、彼女の次男は陸軍に入隊したが、イタリアで戦死したようである。財政上の窮地に陥ったフォリアット夫人はサー・ジョージ・スタッブスに屋敷を売却し、その代わりに、園丁が住んでいたコテージを貸し与えられて住んでいる。

オリヴァー夫人によると、犯人探しゲームのアイデアを出したのはマスタートン夫人だが、何か腑に落ちないところがあると言う。ある誰かが何らかの意図をもって、他の人達の背後で彼らを操りながら、何かを計画しているような気がしてならない、と...。

犯人探しゲームの被害者は、原子科学者の先妻のユーゴスラビア人女性で、ボート小屋で殺される筋書きになっていた。当初、ペギー・レッグが被害者役を務める筈だったが、慈善パーティーで占い師の役を担当することになり、この村に住む少女マーリン・タッカー(Marlene Tucker)が被害者役を代わった。パーティー当日、ポワロとオリヴァー夫人がボート小屋へ様子を見に行くと、マーリンはスカーフで本当に絞殺されていたのであった!

マーリン・タッカーが殺害されるボート小屋

一方、慈善パーティー会場に、(9)ハティーの従兄弟と称するポール・ロペス(Paul Lopez)が姿を現す。西インド諸島から到着したばかりで、ダートマス(Dartmouth)にヨットを係留し、ダート河(River Dart)をボートで上がって、屋敷にやって来たのである。そして、ハティー・スタッブスに久しぶりに会いたいと言う。ところが、従兄弟を忌み嫌うハティー・スタッブスは、ポール・ロペスの到着前に姿を消してしまい、その後、その行方が杳として知れない。

その後、また一人犠牲者が出る。この村に住むマーデル老人(Old Merdel)で、ある晩、乗っていた船から舟着き場に飛び移ろうとして、ダート河に落ちて溺死したのである。彼は、絞殺された少女の祖父だったことが判明する。警察当局は老人の死を事故死として処理しようとするが、ポワロは、以前マーデル老人に会った際、彼が発した思わせ振りな言葉が非常に気になった。「フォリアット家が、グリーンショア屋敷からは離れることはない。('Always be Folliats at Greenshore.')」と...

果たして、マーデル老人の溺死は事故死なのか?彼女の孫であるマーリン・タッカーを殺害したのは誰なのか?そして、その理由は?更に、ハティー・スタッブスは何処に行ってしまったのか?

行方不明となったハティー・スタッブス

アガサ・クリスティーは、この中編を長編にして、2年後に出版している。それが「死者のあやまち(Dead Man's Folly)」(1956年)である。中編と長編を比較すると、物語のメイン舞台となるのが、グリーンショア屋敷とナス屋敷(Nasse House)で名前が異なることや登場人物の名前の一部が変更されていること等を除くと、基本的なプロットは同じだ。
中編の場合、全体で約120ページの分量で、最初の殺人事件(=マーリン・タッカーの絞殺)が発生するのが、約80ページを過ぎた辺り。そこから、ポワロの本格的な捜査と推理が残りの約40ページで語られる。正直、この中編を読むと、物語の残り約1/3の部分が一気に進んでいく感じが強過ぎるように思える。残り40ページで、読者が事件と殺人犯を解明するのに十分なデータが開示されているとは言えない。それにもかかわらず、ポワロの推理だけがどんどん進んでいき、読者がやや置いてきぼりにされてしまう印象を否めない。物語の内容的には、中編でまとめきるには難しく、長編向きである。そういった意味では、アガサ・クリスティーが後に長編に変更したのは正解だったと思う。

最初の殺人事件が発生するまでの約80ページにおいて、ポワロがラプトン駅に到着した時を含め、非常に重要なシーンが何度か非常にさりげなく提示される。物語の主要な登場人物が紹介される前でもあり、読者がまだ警戒心を抱いていない時である。この辺りのクリスティーの手腕は、中編と言えども、見事である。

「Folly」を辞書で調べると、「あやまち」や「阿房宮」等、複数の意味がある。長編を読んだ方だと判ってもらえると思うが、物語の中で「阿房宮」はとても重要な役割を担っているし、また、「死者のあやまち」というのも、なかなか意味深な内容で、二重の意味をもつ「Folly」を使うアガサ・クリスティーのタイトルの付け方も素晴らしい。

2014年9月21日日曜日

ロンドン フリートストリート(Fleet Street)


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から始まるストランド通り(Strand)は、途中、道路の中州のような場所に建つセントクレメント ディーンズ教会(St. Clement Danes Church)、そして、ウェストミンスター(Westminster)とシティー・オブ・ロンドン(City of Londonー別名:1マイル四方(Square Mile))を分けていた関所跡であるテンプルバー(Temple Bar)を過ぎると、フリートストリート(Fleet Street)と名前を変え、更にラドゲートヒル(Ludgate Hill)と変わり、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)の正面に至る。

画面奥に見えるのが、フリートストリート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤毛組合(The Red-Headed League)」において、燃えるような赤毛の初老の男性で、質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)が通っていた赤毛組合は、このフリートストリート沿いに事務所を構えていた。ドイルの原作では、赤毛組合の住所は「7 Pope's Court, Fleet Street」となっているが、これは架空の住所である。ただし、フリートストリートから北に延びるポピンズコート(Poppins Court)という細い通りがあり、ドイルはこの通りを参照したのかもしれない。

赤毛組合の事務所があった住所のモデルとなったと思われるポピンズコート

フリートストリートは、別名「インクの街」と呼ばれており、1500年に最初の新聞社が設立されて以降、数多くの新聞社や出版社がこの界隈に集中して本社を構えた。ところが、この界隈の家賃が非常に高騰したことや、巨大な輪転機のために広大なスペースが必要であったこと等を理由に、新聞社の多くはドックランズ(Docklandsーロンドン塔の東)やサウスバンク(Southbankーテムズ河の南岸)に移転したため、当時の面影はかなり薄れてしまった。ただ、テンプル(Temple)に近い関係上、法律関係の書店は今でもフリートストリート沿いに多く残っている。
また、フリートストリート沿いには、セントポール大聖堂、グリニッジ天文台(Royal Greenwich Observatory)や旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)等を設計したクリストファー・レン卿(Sir Christopher Wren:1632年ー1723年)が完成させたセントブライド教会(St. Bride Church)が建っており、今も通りを見守っている。

今もフリートストリートを見守るセントブライド教会

ヴィクトリア朝の小説家アンソニー・トロロープ(Anthony Trollope:1815年ー1882年)は郵政審議官として勤めており、1851年、郵便サービス向上調査のため、チャネル諸島に出張する。英仏海峡に浮かぶチャネル諸島はフランス本土に近く、彼は出張中に「フランス人は郵便ポストを使用している」ことを知る。そこで、彼は英国での試験運用を願い出て、同年、ジャージー島に郵便ポストの第一号が設置される。そして、ロンドン市内では、1855年、このフリートストリートに郵便ポストが初めて登場したのである。
ただ、当時の郵便ポストは、形は六角形で、ダークグリーン色をしており、「目立たない」や「汚い色」等、評判が芳しくなかったため、バスや電話ボックスと同じように、英国人が愛する赤色に変更されたそうである。

2014年9月20日土曜日

ロンドン チャリングクロス駅(Charing Cross Station)

ストランド通りに面しているチャリングクロス駅の正面

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」の終盤、シャーロック・ホームズは、ジョン・ワトスンとボヘミア国王(King of Bohemia)と一緒に、セントジョンズウッド(St. John's Wood)のサーペンタインアヴェニュー(Serpentine Avenue)にあるアイリーン・アドラー(Irene Adler)の自宅ブライオニーロッジ(Briony Lodge)を再訪する。そうすると、戸口で彼らは年配の女性から「私の女主人(=アイリーン・アドラー)は、あなた様がここにお越しになるだろうと私におっしゃっておりました。彼女は、今朝、旦那様と一緒に、チャリングクロス駅5時15分発の列車でヨーロッパ大陸に向けて御出発されました。(My mistress told me that you were likely to call. She left this morning with her husband by the five-fifteen train from Charing Cross for the Continent.)」と告げられるのである。

チャリングクロス駅は、ロンドン中心部にある鉄道ターミナルの一つである。ロンドン内の他の駅(=終着駅)とは異なり、チャリングクロス駅は、ウォータールー駅(Waterloo Station)やロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)の2つのターミナル駅とも接続されている。駅の名前は、すぐ近くのトラファルガースクエア(Trafalgar Square)にあるチャリングクロス交差点に由来している。なお、古英語で「チャリング(Charing)」は、「川が曲がった部分」を意味するとのこと。

駅の正面はストランド通り(Strand)に、また、駅の裏面はテムズ河(River Thames)に架かるハンガーフォード橋(Hungerford Bridge)に面している。当駅をターミナルとしているサウスイースタンメインライン(South Eastern Main Line)の列車は、ハンガーフォード橋経由、テムズ河南岸に渡っていくのである。

ハンガーフォード橋に面しているチャリングクロス駅の裏面

チャリングクロス駅は、サー・ジョン・ホークショー(Sir John Hawkshaw:1811年ー1891年)による設計に基づき、サウスイースタン鉄道(South Eastern Railway)がハンガーフォードマーケット(Hungerford Market)の地に建設して、1864年1月11日に開業。

駅の開業から約1年4ヶ月後の1865年5月15日に、エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)が設計したチャリングクロスホテル(Charing Cross Hotel)が開業。現在もみられるフレンチ・ルネッサンス様式の華麗な駅正面が完成したのである。コナン・ドイル作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervillesー事件発生年月:1888年9月)」において、ヘンリー・バスカヴィル卿(Sir Henry Baskervilles)は、このチャリングクロスホテルではなく、駅横のノーサンバーランドストリート(Northumberland Street)にあるノーサンバーランドホテル(Northumberland Hotelー現在のシャーロック・ホームズパブ)に滞在している。

チャリングクロスホテルの開業に合わせて、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)時の1647年に破壊された「ホワイトホール宮殿の十字架(Whitehall Cross)」をモデルにして、「エレアノールの十字架(Eleanor Crossーこれも、エドワード・ミドルトン・バリーが設計)」のレプリカが駅正面に設置された。

英国では、ロンドンからの距離については、「ホワイトホール宮殿の十字架」があった場所を起点にして、公式に測定されることになっており、現在のそれは、チャリングクロス交差点内にあるチャールズ1世の像であり、チャリングクロス駅正面の設置された「エレアノールの十字架」に変わった訳ではない。

チャリングクロス交差点内に立つチャールズ1世の像

1900年には、駅プラットフォーム上の区域は、テリー・ファレル(Terry Farrell:1938年ー)が設計したポストモダン様式のオフィスと店舗の複合施設エンバンクメントプレイス(Embankment Place)によって覆われ、現在に至っている。この複合施設には、現在、監査法人大手のプライスウォーターハウスクーパーズ(PricewaterhouseCoopers)が入居している。

テリー・ファレルが設計したエンバンクメントプレイス

チャリングクロス駅関係で追加すると、コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」において、ワトスンは、グランドホテルとチャリングクロス駅の中間で、夕刊紙の売り子が持つ新聞見出しを見て、暫し呆然と立ち尽くす。そこには、黄色の地に黒色の文字で、次のように書かれていた。

「シャーロック・ホームズ氏が暴漢の襲撃に遭う!(Murderous Attack upon Sherlock Holmes)」と...