2014年9月21日日曜日

ロンドン フリートストリート(Fleet Street)


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から始まるストランド通り(Strand)は、途中、道路の中州のような場所に建つセントクレメント ディーンズ教会(St. Clement Danes Church)、そして、ウェストミンスター(Westminster)とシティー・オブ・ロンドン(City of Londonー別名:1マイル四方(Square Mile))を分けていた関所跡であるテンプルバー(Temple Bar)を過ぎると、フリートストリート(Fleet Street)と名前を変え、更にラドゲートヒル(Ludgate Hill)と変わり、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)の正面に至る。

画面奥に見えるのが、フリートストリート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤毛組合(The Red-Headed League)」において、燃えるような赤毛の初老の男性で、質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)が通っていた赤毛組合は、このフリートストリート沿いに事務所を構えていた。ドイルの原作では、赤毛組合の住所は「7 Pope's Court, Fleet Street」となっているが、これは架空の住所である。ただし、フリートストリートから北に延びるポピンズコート(Poppins Court)という細い通りがあり、ドイルはこの通りを参照したのかもしれない。

赤毛組合の事務所があった住所のモデルとなったと思われるポピンズコート

フリートストリートは、別名「インクの街」と呼ばれており、1500年に最初の新聞社が設立されて以降、数多くの新聞社や出版社がこの界隈に集中して本社を構えた。ところが、この界隈の家賃が非常に高騰したことや、巨大な輪転機のために広大なスペースが必要であったこと等を理由に、新聞社の多くはドックランズ(Docklandsーロンドン塔の東)やサウスバンク(Southbankーテムズ河の南岸)に移転したため、当時の面影はかなり薄れてしまった。ただ、テンプル(Temple)に近い関係上、法律関係の書店は今でもフリートストリート沿いに多く残っている。
また、フリートストリート沿いには、セントポール大聖堂、グリニッジ天文台(Royal Greenwich Observatory)や旧王立海軍学校(Old Royal Naval College)等を設計したクリストファー・レン卿(Sir Christopher Wren:1632年ー1723年)が完成させたセントブライド教会(St. Bride Church)が建っており、今も通りを見守っている。

今もフリートストリートを見守るセントブライド教会

ヴィクトリア朝の小説家アンソニー・トロロープ(Anthony Trollope:1815年ー1882年)は郵政審議官として勤めており、1851年、郵便サービス向上調査のため、チャネル諸島に出張する。英仏海峡に浮かぶチャネル諸島はフランス本土に近く、彼は出張中に「フランス人は郵便ポストを使用している」ことを知る。そこで、彼は英国での試験運用を願い出て、同年、ジャージー島に郵便ポストの第一号が設置される。そして、ロンドン市内では、1855年、このフリートストリートに郵便ポストが初めて登場したのである。
ただ、当時の郵便ポストは、形は六角形で、ダークグリーン色をしており、「目立たない」や「汚い色」等、評判が芳しくなかったため、バスや電話ボックスと同じように、英国人が愛する赤色に変更されたそうである。

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