2025年8月31日日曜日

ロンドン ロザーハイズ地区(Rotherhithe)- その1

ロザーハイズ地区からテムズ河の上流を見たところ -
画面中央奥に「シャード(Shard)」を望むことができる。
<筆者撮影>


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「瀕死の探偵(The Dying Detective → 2025年5月5日 / 5月21日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、43番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1913年12月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1913年11月22日号に掲載された。

同作品は、1917年に発行されたホームズシリーズの第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)」に収録されている。


ロザーハイズ地区からテムズ河の対岸(北岸)を見たところ
<筆者撮影>

ロザーハイズ地区からテムズ河の下流を見たところ
<筆者撮影>


ジョン・H・ワトスンが結婚し、シャーロック・ホームズとの共同生活を解消してから、2年が経過していた。


11月の霧がかかって薄暗い午後、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主であるハドスン夫人(Mrs. Hudson)が、ワトスンの家を訪れる。

ハドスン夫人曰く、ホームズが何か訳の分からない病に罹患して、「ここ3日間でどんどん衰弱して、瀕死の状態なのだ(’He’s dying, Dr Watson.’)。」と言う。更に、今朝、ハドスン夫人が「ホームズさんの許可があろうとなかろうと、今直ぐ、医者を呼びに行く。」と告げると、ホームズは、「それじゃ、ワトスンを呼んでくれ。」と答えたのだった。


ハドスン夫人からの話を聞いたワトスンは、急いでコートと帽子を身に着けると、ハドスン夫人と一緒に、馬車でベイカーストリート221B へと向かった。

ベイカーストリート221B へと向かう馬車の中で、ワトスンは、ハドスン夫人に詳しい事情を尋ねる。

ハドスン夫人によると、ホームズは、ある事件のため、テムズ河(River Thames)南岸のロザーハイズ(Rotherhithe)へ出かけ、そこで病気を移されて、帰って来たらしい。そして、ホームズは、水曜日の午後から寝たきりで、この3日間、食事も飲み物もとっていないのだった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1913年12月号に掲載された挿絵(その1) -
ジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズとの共同生活を解消してから、
2年が経過していた。
ベイカーストリート221B の家主であるハドスン夫人が、
ワトスンの家を訪ねて来る。ホームズが謎の病に罹り、
瀕死の状態に陥っている、とのこと。
ハドスン夫人の依頼を受けて、ワトスンは、
直ぐにホームズの元へと向かい、
熱帯病に詳しい医師を連れて来ようと提案するものの、
何故か、ホームズは一切聞き入れず、
後で自分が指定する人物を読んで来るようにと言い張ったのである。
画面右側から、シャーロック・ホームズ、
そして、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:ウォルター・スタンリー・パジェット
(Walter Stanley Paget:1862年 - 1935年)

なお、ウォルター・スタンリー・パジェットは、
シャーロック・ホームズシリーズのうち、

第1短編集の「シャーロック・ホームズの冒険

(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)、

第2短編集の「シャーロック・ホームズの回想

(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)、

第3短編集の「シャーロック・ホームズの帰還

(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)および

長編第3作目の「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」

「ストランドマガジン」1901年8月号から1902年4月号にかけて連載された後、

単行本化)の挿絵を担当したシドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)の弟である。


午後4時頃、ベイカーストリート221B に着いたワトスンは、ホームズの様子を見て、愕然とする。

ベッドに横たわるホームズの顔は、痩せ衰えており、熱で目はぎらぎらとして、頬も紅潮していた。更に、ベッドカバーの上に置かれた細い手は、ひっきりなしに痙攣していたのである。


ワトスンがベッドに近寄ろうとすると、ホームズは、「下がれ!直ぐに下がれ!(Stand back! Stand right back!)」と言って、恐ろしい形相で制止する。

ホームズによると、自分が罹患した病気は、船乗りから感染したスマトラ島(Sumatra)のクーリー病(coolie disease)で、接触感染する、とのことだった。


ロザーハイズストリート(Rotherhithe Street)沿いに設置された休憩所 -
画面左側の手摺り越しに、テムズ河を眺めることができる。
<筆者撮影>

休憩所からロザーハイズストリート(左右に延びる通り)と
レイルウェイアベニュー(Railway Avenue - 画面奥へ延びる通り)を見たところ。

<筆者撮影>


ハドスン夫人によるワトスンへの説明では、ホームズは、ある事件の捜査のために、テムズ河(River Thames)南岸へ出かけ、そこで病気を移されて、帰って来たとのことだが、その場所であるロザーハイズ地区(Rotherhithe)とは、ロンドンの特別区の一つであるサザーク区(London Borough of Southwark)内にある地区である。


テムズ河沿いに延びる遊歩道
<筆者撮影>

テムズ河沿いに現れた砂地から
遊歩道沿いに建つフラット群を見上げたところ。

<筆者撮影>


ロザーハイズ地区は、テムズ河(River Thames)の南岸にあり、テムズ河へ半島のように突き出している場所にある関係上、北側、東側と西側の三方はテムズ河に囲まれている。

ロザーハイズ地区の南西部分は、同じサザーク区のバーモンジー地区(Bermonsey)に、そして、南東部分は、ロンドンの特別区であるグリニッジ王立区(Royal Borough of Greenwich)/ ルイシャム区(London Borough of Lewisham)のデップフォード地区(Deptford)に接している。

そして、テムズ河を間に挟んで、ロンドンの特別区の一つであるロンドン・タワーハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)のワッピング地区(Wapping)に面している。


テムズ河北岸のヴィクトリアエンバンクメント通り
(Victoria Embankment → 2018年12月9日付ブログで紹介済)沿いに設置されている
英国の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネル
(1806年ー1859年)のブロンズ像
<筆者撮影>


イザムバード・キングダム・ブルネルは、
パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)を初めとする
グレイトウェスタン鉄道の施設や車輌等を設計したことで有名である。
<筆者撮影>


ロザーハイズ地区の場合、以前(ホームズとワトスンが活躍をするヴィクトリア朝時代よりも前)は波止場が主体であったが、18世紀中頃に英国の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel:1806年ー1959年)がトンネル(Thames Tunnell)を完成させたことにより、テムズ河の北岸(ワッピング地区)と南岸(ロザーハイズ地区)が接続。


ロザーハイズストリート135番地の建物
<筆者撮影>

ロザーハイズストリート135番地の建物外壁に掛けられているプレート
<筆者撮影>

テムズ河沿いに建つ嘗ては倉庫だった建物は、
現在はフラットに改装されて、多くの住民が住んでいる。
<筆者撮影>


また、地下鉄ジュビリーライン(Jubliee Line)が東方面に延長した結果、バーモンジー駅(Bermonsey Tube Station)とカナダウォーター駅(Canada Water Tube Station)が開設したことに伴い、テムズ河沿いに数多く建っていた倉庫群が住居へと改装され、住民が増加。現在、再開発が進んでいる地域と言える。 


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