2025年3月2日日曜日

ロンドン エンバシー劇場(Embassy Theatre)- その1


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)による戯曲「ブラックコーヒー(Black Coffee → 2025年2月27日 / 2月28日付ブログで紹介済)」が初演されたエンバシー劇場(Embassy Theatre)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のスイスコテージ地区(Swiss Cottage)内に所在している。



具体的には、ジュビリーライン(Jubilee Line)が停まる地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Station)から地上に出ると、そこは、ゴルダースグリーン地区(Golders Green)方面へと向かうフィンチリーロード(Finchley Road)、ハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)方面へと向かうフィッツジョンズアベニュー(Fitzjohn’s Avemue)およびリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)方面へと向かうアベニューロード(Avenue Road)から成る環状交差点(roundabout)となっている。

上記の3つの通りが交差する箇所から北に進むと、イートンアベニュー(Eton Avenue)が北東へと延びているが、イートンアベニュー64番地(64 Eton Avenue)に、エンバシー劇場が建っている。



「ブラックコーヒー」の場合、エルキュール・ポワロが探偵役を務め、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)とスコットランドヤードのジャップ警部(Inspector Japp)も登場する。


アガサ・クリスティー作品の戯曲化としては、「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」(1926年)を原作とした「アリバイ(Alibi)」(1928年)が最初であるが、アガサ・クリスティー自身が執筆した戯曲としては、「ブラックコーヒー」が初作品である。



「ブラックコーヒー」は、エンバシー劇場において、1930年12月8日から同年12月20日にかけて上演された後、翌年の1931年4月9日から同年5月1日までの間、ロンドン市内のセントマーティンズ劇場(St. Martin’s Theatre → 2014年8月10日 / 2015年10月4日付ブログで紹介済)において再演された。


アガサ・クリスティーによる戯曲「ねずみとり(Mousetrap)」のロングラン公演が
行われているセントマーティンズ劇場 -
画面上は、63周年(2015年時点)であるが、
2025年2月27日時点では、73周年を既に達成済で、
同年11月25日には、74周年を迎える。


エンバシー劇場は、1956年に売却され、同劇場は改装された後、現在、Royal Central School of Speech and Drama が使用している。 


           

2025年3月1日土曜日

ロンドン ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の伯母で、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)の顧問弁護士であるエドマンド・セデン(Edmund Sedden)がパートナーの一人を務めるセドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所の住所として、「ブルームズベリースクエア104番地(104 Bloomsbury Square)」と記載されている。



セドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所が所在するブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square → 2025年2月24日 / 2月26日付ブログで紹介済)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London  Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある広場で、その北側を大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の正門前を通るグレイトラッセルストリート(Great Russell Street)に、そして、その南側をブルームズベリーウェイ(Bloomsbury Way)に挟まれている。



ブルームズベリースクエアの中央には、ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)と呼ばれる庭園が整備されている。

ブルームズベリースクエアガーデンズは、一般向けに開放されており、2003年に改修された。



また、ブルームズベリースクエアガーデンズは、歴史的な公園 / 庭園(Historic Parks and Gardens)の一つとして、「グレード II(Grade II)」に指定されている。



グレイトラッセルストリートに面したブルームズベリースクエアの北側には、英国の政治家であるチャールズ・ジェイムズ・フォックス(Charles James Fox:1749年ー1806年)のブロンズ像が建っている。



1749年1月24日、ホイッグ党(Whig)の政治家である初代ホーランド男爵ヘンリー・フォックス(Henry Fox, 1st Baron Holland:1705年ー1774年)の次男として出生したチャールズ・ジェイムズ・フォックスは、オックスフォード大学(University of Oxford)ハートフォードカレッジ(Hertford College)を卒業した後、1768年にホイッグ党の庶民院議員に初当選して、政界入りを果たす。

ホイッグ党の改革派閥である第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトスン=ウェントワース(Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham:1730年ー1782年)の派閥に属して、頭角を現わす。



そして、チャールズ・ジェイムズ・フォックスは、以下の内閣において、外務大臣を務める。


(1)第2次ロッキンガム侯爵内閣

*首相:第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトスン=ウェントワース

*外務大臣在任期間:1782年3月27日ー1782年7月5日


(2)第2次ポートランド公爵内閣

*首相:第3代ポートランド公爵ウィリアム・ヘンリー・キャヴェンディッシュ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク(William Henry Cavendish Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland:1738年ー1809年)

*外務大臣在任期間:1783年4月14日ー1783年12月19日


(3)グレンヴィル男爵内閣

*首相:初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル(William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville:1759年ー1834年)

*外務大臣在任期間:1806年2月7日ー1806年9月13日


チャールズ・ジェイムズ・フォックスは、自由主義的な政治家で、米国独立、フランス革命、議会改革や奴隷貿易廃止を支持したが、1806年9月13日、西ロンドンのチジックハウス(Chiswick House)において死去、57歳だった。彼の遺体は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に葬られた。


2014年7月2日から同年9月15日まで、「ブックス・アバウト・タウン(Books about Town)」というイべントがナショナルリテラシートラスト(The National Literacy Trust)によって開催され、


(1)ブルームズベリー(Bloomsbury)

(2)シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)

(3)ロンドン橋(London Bridge)近辺のテムズ河南岸(Riverside)

(4)グリニッジ(Greenwich)


の4つの地区に、本の形をしたベンチ(BookBench)が、全部で50個展示された。ロンドン市民、特に子供達に本を読む楽しみをもっと知ってもらう目的のためである。


なお、ブルームズベリースクエアには、以下の2つのブックベンチが設置された。


(1)アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチ(→ 2014年7月13日付ブログで紹介済)


アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチの表側

アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチの裏側

(2)ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチ(→ 2018年1月28日付ブログで紹介済)


ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの表側

ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの裏側