英国の HarperCollinsPublishers 社から2014年に出版された ソフィー・ハナ作「モノグラム殺人事件」の カバーを外した本体の表紙(ハードカバー版) Jacket Design : HarperCollinsPublishers |
ブロックシャムホテル(Bloxham Hotel)側の説明によると、前日の水曜日(1929年2月6日)に、被害者の3人は、3人一緒ではなく、バラバラでホテルに到着した、とのこと。
記録では、ハリエット・シッペル夫人(Mrs. Harriet Sippel - 121号室に宿泊)とアイダ・グランズベリー嬢(Miss Ida Gransbury - 317号室に宿泊)の2人は、カルヴァーヴァレー(Culver Valley)のグレートホーリング(Great Holling)という村に住んでいたようである。もう一人の被害者であるリチャード・ネグス氏(Mr. Richard Negus - 238号室に宿泊)は、デヴォン州(Devon)のビーワースィー(Beaworthy)に住んでいたようだが、3週間前に、彼が3人分の予約をまとめて行なった上、全員の部屋代を前以て支払っていた。
更に、新たな事実が判明する。
事件当日(1929年2月7日(木))の午後7時15分に、被害者の3人は、アイダ・グランズベリー嬢が宿泊した317号室において、一緒に食事をしたのであった。その際に給仕したラファル・ボバック(Rafal Bobak)によると、食事はアフタヌーンティーのため、飲み物としては、紅茶が出され、シェリー酒は給仕していない、とのことだった。
そうこうする間に、リチャード・ネグス氏と一緒に暮らしていた兄のヘンリー・ネグス氏(Henry Negus)が、デヴォン州からロンドンに到着した。ヘンリー・ネグス氏と面談した名探偵エルキュール・ポワロとスコットランドヤードの若手警部であるエドワード・キャッチプール(Edward Catchpool)は、彼から衝撃の事実を知らされる。ヘンリー・ネグス氏は、ハリエット・シッペル夫人のことは知らないが、アイダ・グランズベリー嬢のことは、面識はないものの、知っていると言う。彼の弟リチャード・ネグス氏は、1913年にデヴォン州に移って来るまでは、グレートホーリング村に住み、法律関係の仕事をしていた。そのうえ、リチャード・ネグス氏は、当時、アイダ・グランズベリー嬢と婚約していたのである。
つまり、被害者の3人が、グレートホーリング村に今も住んでいるか、あるいは、以前住んでいたことになる訳で、事件に関する重要な手掛かりは、グレートホーリング村にあるようだ。残念ながら、兄のヘンリー・ネグス氏も、何故、弟のリチャード・ネグス氏がアイダ・グランズベリー嬢との婚約を解消し、グレートホーリング村を出て、デヴォン州の自分の元へと移って来たのかについては、知らなかった。
ヘンリー・ネグス氏の説明を聞いたキャッチプール警部は、捜査のため、早速、グレートホーリング村へと向かう決心を固める。ところが、ポワロは、珈琲館(Pleasant’s Coffee House)へ半狂乱で駆け込んで来た後、夜の街へと姿を消してしまったジェニー(Jenny)のことが気になるのか、キャッチプール警部と一緒にグレートホーリング村へは行かないで、ロンドンに残ると告げるのであった。
キャッチプール警部が向かうグレートホーリング村では、一体、何が待ち受けているのだろうか?16年前に、アイダ・グランズベリー嬢との婚約を解消して、リチャード・ネグス氏は、グレートホーリング村からデヴォン州へと移り住んでいるが、その際、何があったのだろうか?そして、それは事件と密接に関連しているのか?更に、被害者の3人の口の中に入れられたカフスボタンに刻まれたモノグラム(イニシャルの図案)の「PIJ」とは、一体、何を意味するのか?また、謎の言葉を残して、夜の街へと姿を消したジェニーなる女性は、一体、何者で、この事件とどのように繋がっているのだろうか?
ポワロとキャッチプール警部の前には、解明すべき謎が、数多くあった。そして、第4の殺人事件が発生する。果たして、ポワロが誇る灰色の脳細胞は、これらの謎全てを明らかにできるのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿