2021年3月16日火曜日

ロンドン チェスタースクエア24番地(24 Chester Square, Belgravia, London SW1W 9HS) - その2

メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーは、
1846年から亡くなる1851年までの間、
ロンドン市内のチェスタースクエア24番地に住んでいた。

メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年)は、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)での怪奇談議を切っ掛けに着想を得たフランケンシュタインの怪物の話を1817年5月に脱稿し、翌年の1818年1月に匿名で出版した。このゴシック小説の正式なタイトルが、「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus.)」である。当作品の出版により、後に、彼女は SF の先駆者と見做されるようになる。

1818年3月には、夫である英国のロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年)の序文を付けて、再度、匿名で同作品を出版した。

現在、一般に流布している版は、1831年に出版された第3版(改訂版)がベースとなっている。


チェスタースクエア24番地の2階(1st Floor)と3階(2nd Floor)の間にある外壁に、
メアリー・シェリーがここに住んでいたことを示すブループラークが掲げられている。


彼女は、1815年に長女を生後間もなくして亡くした後、1818年9月に次女のクレアラ(1817年ー1818年)を赤痢で、そして、1819年6月に長男のウィリアム(1816年ー1819年)をマラリアで、それぞれを幼少期に亡くし、1822年7月には夫のパーシー・ビッシュ・シェリーを突然の暴風雨による帆船沈没事故で亡くすという波瀾の人生を送っている。


メアリー・シェリーがフランケンシュタインの怪物を生み出す切っ掛けを与えてくれた
英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 


また、フランケンシュタインの怪物を生み出す切っ掛けを与えてくれた英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年)も、1824年4月、ギリシア独立戦争に参戦中、熱病に罹患して、同地で死去している。


チェスタースクエア24番地の建物の前にある
チェスタースクエアガーデンズ


メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーが当時住んでいた家が、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベルグレーヴィア地区(Belgravia)内にある。具体的な住所は、チェスタースクエア24番地(24 Chester Square)で、地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station → 2017年7月2日付ブログで紹介済)の西側、そして、地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)の北側に位置している。両駅の周辺は、人混みで賑わっているが、チェスタースクエア24番地は、両駅から離れている上に、主要な幹線道路から少し奥に入ったところにあるため、日中でも非常に閑静な場所である。また、建物は庭園(Chester Square Gardens)にも面しているので、住環境としては申し分ない。


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