東京創元社から出版されている創元推理文庫 カーター・ディクスン作「ユダの窓」の表紙– カバーイラスト:ヤマモト マサアキ 氏 カバーデザイン:折原 若緒 氏 カバーフォーマット:本山 木犀 氏 |
「ユダの窓(The Judas window)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別のペンネームであるカーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で1938年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第7作目に該る。当作品は、米国ではモロウ社(Morrow)から、そして、英国ではハイネマン社(Heinemann)から出版された。
亡き母の財産を相続した裕福な若者であるジェイムズ・キャプロン・アンズウェル(James Caplon Answell)は、ある年のクリスマスパーティーにおいて、従兄弟のレジナルド・アンズウェル大尉(Captain Reginald Answell)からメアリー・ヒューム(Mary Hume)を紹介された。直ぐにお互いに惹かれあった二人は、年明けには婚約に至る。1月4日、サセックス州(Sussex)からロンドンのフラットに戻ったジェイムズ・キャプロン・アンズウェルのところに、メアリーの父親で、キャピタルカウンティーズ銀行の元取締役であるエイヴォリー・ヒューム(Avory Hume)から電話があり、同日の夕方、自宅へ招待された。
指定されたその日の午後6時過ぎに、ロンドン市内のヒューム家を訪れたジェイムズ・キャプロン・アンズウェルは、エイヴォリー・ヒュームが待つ書斎へと案内される。エイヴォリー・ヒュームの執事ダイアーと一緒に、玄関からホールの大階段の横を通って書斎へと向かうジェイムズ・キャプロン・アンズウェルは、2階の手すり越しに彼を見下ろしている秘書のアメリア・ジョーダンを見かける。
ジェイムズ・キャプロン・アンズウェルが案内された書斎は、屋敷の裏手に該る部屋だった。ダイアーに招き入れられた書斎は、天井の高い事務室風の部屋で、部屋の真ん中にはモダンな事務机が鎮座し、その上ではモダンな卓上スタンドが明るい光を投げかけていた。部屋の右側の壁には、サイドボードが設えており、左側の壁に二つ並んだ窓には、スティール製のシャッターが付けられていた。そして、入って正面の壁には、飾り気のない白大理石のマントルピースがあり、その真上には、部屋で唯一の装飾となるアーチェリーの矢が3本、三角形に組み合わされて飾られていた。エイヴォリー・ヒュームの説明によると、アーチェリーが趣味の彼が入会している「ケント州森の狩人クラブ」の年次大会において、最初に金的(=的の真ん中)を射た際の賞品とのことだった。
エイヴォリー・ヒュームがサイドボードの上に置かれたデカンターの栓を開け、二人分のウィスキーソーダを作った。ジェイムズ・キャプロン・アンズウェルは、エイヴォリー・ヒュームから手渡されたウィスキーソーダを飲んだ途端、忽ち意識を失ってしまった。薄れゆく意識の中で、「ウィスキーソーダに何か入っていた。」ということが、彼の頭の中をよぎった。
暫くして、胃のむかつきを抑えながら、何とか堪えて目を開けたジェイムズ・キャプロン・アンズウェルが懐中時計を見ると、時計の針は午後6時半を指していた。彼が、窓とデスクの間に左わきを下にして横たわっているエイヴォリー・ヒュームを仰向けにすると、その胸にはアーチェリーの矢が深々と突き刺さっていたのである。そのアーチェリーの矢は、マントルピースの真上に飾られていた3本のうちの1本で、壁の矢は2本に減っていた。エイヴォリー・ヒュームの胸から突き出た矢には、3枚の羽根が付いていたが、中央の矢羽根は半分にちぎれていた。
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