ギルップールストリートからコックレーンの入口を見たところ |
創元推理文庫版カーター・ディクスン(Carter Dickson)作「黒死荘の殺人(The Plague Court Murder)」(南條竹則 / 高沢治訳)によると、『ハリディ(ディーン・ハリディ(Dean Halliday)ー黒死荘の現当主)は先頭に立ち、ギルップールストリートを歩き始めた。ギルップールを外れたなと思う頃には、我々は、両側を煉瓦塀に挟まれた、じめじめした狭い小路を歩いていた。』という記述が見受けられる。
ニューゲートストリート(Newgate Street→2018年5月19日付ブログで紹介済)の角で、タクシーを降りたディーン・ハリディ、本編の語り手であるケン・ブレーク(Ken Blake)とスコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部(Chief Inspector Humphery Masters)の3人は、黒死荘へ向かうべく、ギルップールストリート(Giltspur Street→2018年6月9日 / 6月16日 / 6月23日付ブログで紹介済)を北上しているのである。
ギルップールストリートと コックレーンが交差した北西の角に設置されている ロンドン大火の記念碑 |
現在の地図上、ギルップールストリートの右手(=東側)にはセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew’s Hospital→2014年6月14日付ブログで紹介済)があり、ギルップールストリートから右折できる通りは存在していない。
ギルップールストリートの左手(=西側)には、南側からコックレーン(Cock Lane)、そして、ホウジアレーン(Hosier Lane)という二つの狭い小路が延びており、別途出てくる「高い煉瓦塀のトンネル」という表現に、両方とも適している。カーター・ディクスンの原作では、「ギルップールを外れたなと思う頃には、」という記述があるだけで、ハリディ達がコックレーンとホウジアレーンのどちらへ入ったのかについては、残念ながら、確定的な証拠はないのである。
The Golden Boy of Pye Coner(その1) |
中世の頃、コックレーンは Cokkes Lane と呼ばれ、売春宿が建ち並んでいた。
The Golden Boy of Pye Coner(その2) |
ギルップールストリートとコックレーンが交差する北西の角は、パイコーナー(Pye Corner)と呼ばれている。1666年9月2日(日)に発生したロンドン大火(Great Fire of London)が、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)を含むシティー・オブ・ロンドン(City of London)一帯を焼き払い、4日目の同年9月5日(水)になって、火の勢いは漸く弱まり、完全に鎮火したのは、9月6日(木)だった。そして、ロンドン大火の最後の火が完全に鎮火したのが、このパイコーナーであった。現在でも、パイコーナーには、金色の少年の姿をした記念碑がビルの外壁に設置され、「This Boy is in Memory Put up for the late FIRE of LONDON Occasion’d by the Sin of Gluttony 1666. (この少年の像は、大食という大罪によって引き起こされた先のロンドン大火を記念して設置された。)」という言葉が添えられている。
The Golden Boy of Pye Coner(その3) |
「大食(Gluttony)」は、キリスト教における「七つの大罪(Seven Deadly Sins)」のうちの一つである。ロンドン大火は、プディングレーン(Pudding Lane)で出火して、パイコーナーで鎮火しており、「プディング」も「パイ」も食べ物に関連しているため、「大食」という大罪に結び付けられたものと、一説には言われている。
なお、「The Golden Boy of Pye Corner」と呼ばれるロンドン大火の記念碑は、元々、ここで営業していたパブ「The Fortune of War」の入口に設置されていたが、1910年にパブが取り壊されたため、現在は、その後に建てられたオフィスビルの 1st Floor(日本の2階)に該る外壁に設置されているのである。
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