テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)内に展示されている ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーによる「自画像」(1799年) |
一般的には、「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」として知られているジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年)は、英国のロマン主義の画家である。
J・M・W・ターナーは、1775年4月23日、ロンドンの劇場街コヴェントガーデン(Covent Garden)に近いメイデンレーン21番地(21 Maiden Lane)に出生。メイデンレーン21番地は、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内に所在している。
彼の父親ウィリアム・ターナー(William Turner:1745年ー1829年)は、同じ場所で床屋を営んでおり、母親メアリー・マーシャル(Mary Marshall)は肉屋の出であった。彼は、曽祖父、祖父と父の名前を全て足して、ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーと名付けられた。
彼の妹メアリー・アン(Mary Ann)は、3年後の1778年に生まれたが、1783年に幼くして亡くなってしまったため、1785年に母親が精神疾患を発症した。父親は仕事で忙しく、彼の世話を十分にすることができなかった。そこで、彼は母方の叔父であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・マーシャル(Joseph Mallord William Marshall)に引き取られ、その後も親戚の住まいを転々とする。母親のメアリーは、1799年に精神病院に入院し、1800年に転院、そして、1804年にその病院で亡くなっている。
温かな家庭とは縁遠い生活を送ることになったJ・M・W・ターナーは、その寂しさを紛らわせるためか、絵に興味を持ち、本格的に絵描きになることを考え始めた。
J・M・W・ターナーは、数人の建築家の下に弟子入りして、スケッチの仕事に携わった後、13歳の時に、風景画家のトマス・マートン(Thomas Malton)の下で修行して、絵画の基礎を学んだ。
14歳にして、既に実地経験を豊富に積んだJ・M・W・ターナーは、1789年にロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属の美術学校(Antique School)への入学を許されたのである。
ロイヤルアカデミー付属の美術学校を卒業したJ・M・W・ターナーは、絵の題材を求めて、マーゲイト(Margate)、ブリストル(Bristol)やワイト島(Isle of Wight)等、英国各地を旅した。ワイト島でのスケッチをベースにし、彼が描いて1796年に発表した初めての油彩画「海の漁師達(Fishermen at Sea)」は、画壇や批評家から好意的に受け入れられ、翌年の1797年に発表した2作品も非常に好評で、22歳にして、彼は早くも名声を手に入れたのである。
そして、1799年に24歳の若さで、彼はロイヤルアカデミーの準会員(associate member)となり、1802年に27歳で正会員(full member)となった。
同年、彼は、フランスやスイスを皮切りに、ヨーロッパ大陸を旅して、ルーヴル美術館(Louvre Museum)でも学んでいる。
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