2017年5月28日日曜日

イーストサセックス州(East Sussex) ビーチー岬(Beachy Head)

暗闇の中、捜索に出かけたアリステアとゼリーの二人は、
この断崖の下にマーガレットが倒れているのを発見する

アガサ・クリスティー作「象は忘れない(Elephants can remember)」は1972年に発表された作品であるが、1975年に刊行されたエルキュール・ポワロ最後の事件となる「カーテン(Curtain)」が第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1943年に予め執筆されていることを考えると、執筆順では、本作品が最後のポワロ譚と言える。

推理作家のアリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)は、文学者昼食会において、バートン=コックス夫人(Mrs Burton-Cox)と名乗る婦人から奇妙なことを尋ねられる。それは、オリヴァー夫人が名付け親となったシーリア・レイヴンズクロフト(Celia Ravenscroft)という娘の両親が十数年前に起こした心中事件のことだった。バートン=コックス夫人がオリヴァー夫人に発した問いは、「あの娘の母親が父親を殺したんでしょうか?それとも、父親が母親を殺したんでしょうか?」だった。自分の名付け子すら満足に思い出せないオリヴァー夫人にとって、謎めいた心中事件のことなど、何も覚えていなかったのである。

バートン=コックス夫人から尋ねられたことが非常に気になったオリヴァー夫人は、名付け子であるシーリアに連絡をとり、ひさしぶりに再会する。シーリアによると、彼女はバートン=コックス夫人の息子デズモンド(Desmond)と婚約中で、バートン=コックス夫人としては、シーリアの両親のどちらが相手を殺したのかが、シーリアとデズモンドが結婚した場合、遺伝的に好ましいのかどうかという問題に関わってくるらしい。

シーリアの説明によると、亡くなる数年前にインドで退役したアリステア・レイヴンズクロフト将軍(General Alistair Ravenscroft)は、妻のマーガレット(Margaret Ravenscroft)と一緒に、英国南西部のコンウォール州(Cornwall)にある海辺の家へと移って、静かな生活を送っていた。ある日、いつも通り、レイヴンズクロフト夫妻は飼い犬を連れて散歩に出かけたが、その後、レイヴンズクロフト将軍が保有する銃で二人とも撃たれて死亡しているのが発見された。
警察はレイヴンズクロフト夫妻の死を心中と見做したが、心中に至る動機は遂に見つからなかった。夫妻が経済的に困っていた様子はない上に、夫婦仲もよく、彼らを殺害しようと考える敵等は居なかったからである。
当時、シーリアは12歳で、スイスの学校へ行っていて、コンウォール州にある海辺の家には住んでいなかった。その頃、海辺の家に居たのは、家政婦、シーリアの元家庭教師、それにシーリアの伯母ドロシア・ジャロー(Dorothea Jarrow)だけであった。彼らにも、夫妻を殺すような動機は見当たらなかったである。

オリヴァー夫人から相談を受けたポワロは、レイヴンズクロフト夫妻と関わりがあった人達を訪ねて、心中事件の前後のことを象のように詳細に記憶している人を捜すよう、彼女にアドバイスを送る。
一方で、ポワロは独自に真相の究明に乗り出し、旧友のスペンス元警視(ex Superintendent Spence)に依頼して、当時の事件担当者だったギャロウェイ元警視(ex Superintendent Garroway)を紹介してもらい、事件の調査内容を尋ねるのであった。

ビーチー岬は、白亜系チョーク岩から成る崖である

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「象は忘れない」(2013年)の回では、物語の終盤、ポワロに頼まれて、十数年ぶりにパリから英国へと戻ったシーリアの元家庭教師ゼリー・ルーゼル(Zelie Rouxelleーアガサ・クリスティーの原作では、シーリアの家庭教師はゼリー・モーウラ(Zelie Meauhourat)とマディ・ルーセル(Maddy Rouzelle)の二人居たが、TV版では、過去の事件の他に、原作にはない現代に発生する殺人事件を追加した関係上、物語を整理するため、一人の人物に集約されている)の口から、シーリアとデズモンドの二人に対して、十数年前の心中事件の真相が語られる。
いつものように、夕方、散歩に出かけたマーガレットとドロシアの双子姉妹だったが、何故か、ドロシア一人だけが帰宅した。アリステアとゼリーの二人は、ドロシアに対して、何があったのかを問うが、ドロシアの返事が今一つはっきりしない。ドロシアは「いつものルートで散歩へ行った。」と答えるのみだった。暗闇の中、アリステアとゼリーの二人は、マーガレットの捜索へと出かけた。必死の捜索を続ける二人は、断崖絶壁の下にマーガレットが倒れているのを遂に発見する。既に虫の息になっていたマーガレットは、二人の問いに対して、「散歩の途中、ドロシアに崖の上から突き落とされた。」と告げるのであった。アリステアとゼリーの二人が断崖絶壁の上からマーガレットを捜索した際、画面右手奥に突き出した断崖の先の海中に、灯台が建っているのが見える。多分、映像的には、TV版用に加工したものだと思われるが、英国南岸にあるビーチー岬(Beachy Head)をモデルにしていると考えられる。

ビーチー岬は景勝地/観光名所ではあるが、
世界で最も有名な自殺の名所の一つでもある

ビーチー岬は、イーストサセックス州(East Sussex)のイーストボーン(Eastbourneー英国南岸の都市)の近く(西側)にある岬で、セブンシスターズ(Seven Sistersー2017年4月9日付ブログで紹介済)の東隣に位置している。
ビーチー岬は白亜系チョーク岩から成る崖で、海に面したチョーク岩の崖としては、英国内で最も高く、150mを超えている。ビーチー岬のチョーク岩は、中生代の白亜紀後期(約1億年前~約6600万年前)に形成された、と言われている。ただし、その段階では、まだ海面下にあったが、新生代(約6600万年前~現代)に入ると、チョーク岩が隆起して、陸地になった。そして、最後の氷河期(約7万年前~約1万年前)が終わったことに伴い、海面が上昇し、英国海峡が形成され、同海峡から陸地へと押し寄せる波がチョーク岩を次第に削り取っていき、今のような断崖絶壁の海岸線をつくり上げたのである。

ビーチー岬は、13世紀後半に「Beauchef」という名で、14世紀前半に「Beaucheif」という名で呼ばれていたが、18世紀前半には「Beachy Head」という名前に定着する。この地名は「浜(beach)」を意味するのではなく、「美しい岬」を意味するフランス語の「beau chef」が英国側で訛った結果、とのこと。

ビーチー岬は航海上危険な場所であり、ビーチー岬の西側(セブンシスターズ側)に灯台を建設する工事が始まったものの、深く立ち込める霧と低く垂れ込める雲により、灯台の明かりを遮ってしまうことが判明し、そのため、ビーチー岬の下の海上に、ビーチー岬灯台が建設されたのである。

1929年、土地開発の手から守るため、イーストボーン市がビーチー岬周辺の土地を購入し、ビーチー岬の西側にあるセブンシスターズとともに、現在、ビーチー岬は景勝地/観光名所となっているが、その高所ゆえに、世界で最も有名な自殺の名所の一つという不名誉な場所でもある。

イーストボーンから西へとビーチー岬を回り込むと、
断崖絶壁の先の海中に、ビーチー岬灯台が建っているのが見えてくる

マーガレットとドロシアの双子姉妹が、夕方、いつも散歩するルートについて、TV版では明確にされていないが、彼女達二人が散歩に出かけた際、セブンシスターズを背にして、オーバークリフ荘(Overcliffeー「崖の上の家」の意)を後にしているので、断崖を西側へと向かったことになる。その途中、ドロシアはマーガレットを断崖から下へ突き落としたことになるが、TV版において、マーガレットが転落したのは、陸地から見てビーチー岬が右手にある辺りである。位置関係的には、東側からイーストボーン、ビーチー岬、セブンシスターズ、そして、シーフォード(Seafordーイーストボーンと同じく、英国南岸の都市)の順番となる。つまり、マーガレットとドロシアの二人は、セブンシスターズよりも更に西へ向かっているにもかかわらず、マーガレットがドロシアによって断崖から突き落とされたのは、ビーチー岬よりも東側で、イーストボーン寄りの場所であり、厳密に言うと、辻褄が合わないことになってしまう。

2017年5月27日土曜日

ロンドン ハウンズディッチ(Houndsditch)/ダンカンストリート13番地(13 Duncan Street)

ハウンズディッチ通り―夕方、帰宅を急ぐ人達

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。


英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

ハウンズディッチ通りの南側(その1)

こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Roadー2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardensー2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレード警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

ハウンズディッチ通りの南側(その2)

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレード警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Courtー2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かう。そこで、ジョン・ランス巡査から死体発見の経緯を聞いたホームズは、ワトスンに対して、「彼は犯人を捕まえられる絶好のチャンスをみすみすとふいにしたのさ。」と嘆くのであった。

ハウンズディッチ通りの南側(その3)

イーノック・J・ドレッバーの死体を持ち上げた際、床に落ちた女性の結婚指輪に気付いたホームズは、この指輪が犯人に繋がるものだと考え、朝刊全紙に広告を掲載して、
(1)金の結婚指輪がブリクストンロード近くのパブ「ホワイトハート(White Hart)」とホーランドグローヴ通り(Holland Grove)の間の道路で見つかったこと
(2)落とし主は、今晩8時から9時までの間に、ベーカーストリート221Bのワトスン博士を訪ねること
と告げるのであった。
そして、ホームズの予想通り、午後8時を過ぎた頃、彼らの部屋を訪ねて来た人が居た。

ハウンズディッチ通りから通称「ガーキンビル」を望む

「どうぞお入り下さい。」と、私(ワトスン)は叫んだ。
私の呼びかけに応じて、私達が想像していたような粗暴な男ではなく、非常に年老いて、皺だらけの女性がよろよろと部屋に入って来た。彼女は、急に明るい部屋に入ったためか、目が眩んだようで、会釈をした後、霞んだ目ををしばたかせながら、私達を見て立っていた。その一方で、そわそわしたように、震える指先でポケットの中を手探りしていた。私がホームズをちらりと見ると、彼は不満げな表情を浮かべていたので、私は平然とした態度を保つのが精一杯だった。
皺だらけの老婆は夕刊を取り出すと、私達が出した広告の部分を指差した。「これを見て、やって来ました。」と、もう一度会釈しながら、彼女は言った。「ブリクストンロードで見つかった金の結婚指輪。これは、私の娘のサリーのものです。娘は結婚してから、まだ1年しか経っていません。娘の夫はユニオン汽船の給仕です。もし彼が家に帰って来て、娘が結婚指輪を失くしたことに気付けば、彼が何を言い出すか、想像もできません。娘の夫は、機嫌がいい時でも、非常に短気な男ですが、酒を飲むと、もっとひどくなります。昨夜、娘はサーカスを観に行きました。一緒に...」
「これが娘さんの指輪かね?」と、私は尋ねた。
「そうです。ありがとうございます。」と、老婆は叫んだ。「サリーも、さぞ喜ぶでしょう。それは、娘の指輪です。」
「あなたの住所はどこですか?」と、私は鉛筆を取り上げながら尋ねた。
「ハウンズディッチのダンカンストリート13番地です。ここからはかなり遠いですよ。」

「ガーキンビル」の全景

"Come in," I cried.
At my summons, instead of the man of violence whom we expected, a very old and wrinkled woman hobbled into the apartment. She appeared to be dazzled by the sudden blaze of light, and after dropping a curtsey, she stood blinking at us with her bleared eyes and fumbling in her pocket with nervous, shaky fingers. I glanced at my companion, and his face had assumed such a disconsolate expression that it was all I could do to keep my countenance.
The old crone drew out an evening paper, and pointed at our advertisement. "It's this as has brought me, good gentlemen," she said, dropping another curtsey; "a gold wedding ring in the Brixton Road. It belongs to my girl Sally, as was married only this time twelvemonth, which her husband is steward aboard a Union boat, and what he'd say if he come 'ome and found her without her ring is more than I can think, he being short enough at the best o' times, but more especially when he has the drink. If it please you, she went to the circus last night along with …"
"Is that her ring?" I asked.
"The Lord be thanked!" cried the old woman; "Sally will be a glad woman this night. That's the ring."
"And what may your address be?" I inquired, taking up a pencil.
"13 Duncan Street, Houndsditch. A weary way from here."

ハウンズディッチ通りから「ヘロンタワー」を望む

イーノック・J・ドレッバーの殺害現場で見つかった金の結婚指輪を引き取りにやって来た老婆がワトスンに尋ねられて答えた住所である「ハウンズディッチ(Houndsditch)」とは、「Hounds(猟犬)」と「ditch(溝/どぶ/排水溝)」が組み合わされた非常に変わった名前であるが、現在の住所表記上、地区名としては存在していないが、通り名としては存在している。
鉄道駅であるリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Stationー2016年2月27日付ブログで紹介済)の横を南北に走るビショップスゲート通り(Bishopsgate)から地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Stationー2016年3月5日付ブログで紹介済)セントボトルフストリート(St. Botolph Street) へと向かって南東へ延びる一歩通行の道アウトウィッチストリート(Outwich Street)が途中で名前を変えて、ハウンズディッチ通り(Houndsditch)となる。

「ヘロンタワー」を見上げたところ(その1)

シティー・オブ・ロンドン(City of London)の周囲を取り巻くロンドンウォール(London Wall)と呼ばれる外壁に沿って、溝が掘られた。これは、(1)シティー内へのアクセスルートを管理するためと、もう一つは(2)シティーを防衛するためである。13世紀初め頃に掘られた溝の幅は、最大25m位まで及んでいた、とのこと。ところが、近隣の住民が汚物やゴミ等をこの溝の中に捨て始めたため、衛生面での懸念もあって、非常に大きな問題となったようである。実際、汚物やゴミ等の他に、犬の死骸も溝に捨てられたので、それに因んで、この辺りの呼び名として、「ハウンズディッチ」が定着したものと思われる。近年、通り沿いの工事現場から犬の頭蓋骨が地中から複数発掘された、とのこと。

「ヘロンタワー」を見上げたところ(その2)

20世紀に入ると、ハウンズディッチ通りは衣類や小物等を販売するマーケットで有名になり、「ハウンズディッチ卸売り店/問屋(Houndsditch Warehouse)」というデパートが営業し、「ユダヤ人居住区のセルフリッジズ(Selfridges of the Jewish Quartier)」と呼ばれた。

ハウンズディッチ通りの北側―
セントボトルフストリートへと至る手前(その1)

今後の Brexit の状況次第によっては判らないもの、現状、シティー内に流入する企業が非常に多く、シティー内のオフィス需要が供給を上回っているため、シティーの外へ向かって、不動産開発が急速に進んでいる。ハウンズディッチ通り一帯もその例外ではなく、通り沿いには新しいオフィスビルが建ち並んでいる。近くには、通称「ガーキンビル(The Gherkin)」(ビルの正式名は、「30 St. Mary Axe」)や「ヘロンタワー(Heron Tower)」と呼ばれる高層ビルが建設されている。

ハウンズディッチ通りの北側―
セントボトルフストリートへと至る手前(その2)

ちなみに、ハウンズディッチ通りの近くには、ダンカンストリート(Duncan Street)は存在しておらず。現在の住所表記上、イズリントン地区(Islington)内にある地下鉄エンジェル駅(Angel Tube Station)の北側に存在している。

2017年5月21日日曜日

ロンドン ボンドストリート(Bond Street)

ニューボンドストリート沿いに建つ老舗デパート「フェンウィック」―
画面中央から右へ延びる通りがニューボンドストリートで、
画面中央から左へ延びる通りがブルックストリート(Brook Street―2015年4月4日付ブログで紹介済)

アガサ・クリスティー作「象は忘れない(Elephants can remember)」は1972年に発表された作品であるが、1975年に刊行されたエルキュール・ポワロ最後の事件となる「カーテン(Curtain)」が第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1943年に予め執筆されていることを考えると、執筆順では、本作品が最後のポワロ譚と言える。

オックスフォードストリート(Oxford Street―
2016年5月28日付ブログで紹介済)側から見た
ニューボンドストリート(その1)

オックスフォードストリート側から見た
ニューボンドストリート(その2)―
画面左奥では、ロンドン東部とロンドン西部を
ロンドン市内の地下トンネルで結ぶための
クロスレール工事(Crossrail Project)が進められている

推理作家のアリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)は、文学者昼食会において、バートン=コックス夫人(Mrs Burton-Cox)と名乗る婦人から奇妙なことを尋ねられる。それは、オリヴァー夫人が名付け親となったシーリア・レイヴンズクロフト(Celia Ravenscroft)という娘の両親が十数年前に起こした心中事件のことだった。バートン=コックス夫人がオリヴァー夫人に発した問いは、「あの娘の母親が父親を殺したんでしょうか?それとも、父親が母親を殺したんでしょうか?」だった。自分の名付け子すら満足に思い出せないオリヴァー夫人にとって、謎めいた心中事件のことなど、何も覚えていなかったのである。


ニューボンドストリート側から見た
オックスフォードストリート(その1)

ニューボンドストリート側から見た
オックスフォードストリート(その2)

バートン=コックス夫人から尋ねられたことが非常に気になったオリヴァー夫人は、名付け子であるシーリアに連絡をとり、ひさしぶりに再会する。シーリアによると、彼女はバートン=コックス夫人の息子デズモンド(Desmond)と婚約中で、バートン=コックス夫人としては、シーリアの両親のどちらが相手を殺したのかが、シーリアとデズモンドが結婚した場合、遺伝的に好ましいのかどうかという問題に関わってくるらしい。

ニューボンドストリート沿いには、
高級リテールショップが軒を連ねている

シーリアの説明によると、亡くなる数年前にインドで退役したアリステア・レイヴンズクロフト将軍(General Alistair Ravenscroft)は、妻のマーガレット(Margaret Ravenscroft)と一緒に、英国南西部のコンウォール州(Cornwall)にある海辺の家へと移って、静かな生活を送っていた。ある日、いつも通り、レイヴンズクロフト夫妻は飼い犬を連れて散歩に出かけたが、その後、レイヴンズクロフト将軍が保有する銃で二人とも撃たれて死亡しているのが発見された。
警察はレイヴンズクロフト夫妻の死を心中と見做したが、心中に至る動機は遂に見つからなかった。夫妻が経済的に困っていた様子はない上に、夫婦仲もよく、彼らを殺害しようと考える敵等は居なかったからである。
当時、シーリアは12歳で、スイスの学校へ行っていて、コンウォール州にある海辺の家には住んでいなかった。その頃、海辺の家に居たのは、家政婦、シーリアの元家庭教師、それにシーリアの伯母だけであった。彼らにも、夫妻を殺すような動機は見当たらなかったである。

ニューボンドストリートとブルックストリートが交差する南東の角に
老舗デパート「フェンウィック」が建っている

老舗デパート「フェンウィック」が建つ角から
ニューボンドストリートの南方面に望む

オリヴァー夫人から相談を受けたポワロは、レイヴンズクロフト夫妻と関わりがあった人達を訪ねて、心中事件の前後のことを象のように詳細に記憶している人を捜すよう、彼女にアドバイスを送る。
一方で、ポワロは独自に真相の究明に乗り出し、旧友のスペンス元警視(ex Superintendent Spence)に依頼して、当時の事件担当者だったギャロウェイ元警視(ex Superintendent Garroway)を紹介してもらい、事件の調査内容を尋ねるのであった。

デパート「フェンウィック」―
ニューボンドストリートとブルックストリートが交差する角の入口ディスプレイ

デパート「フェンウィック」―
ブルックストリート側に面したウィンドウ/外壁ディスプレイ 

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「象は忘れない」(2013年)の回では、英国の南岸にある断崖絶壁の上で心中死体となって発見されたレイヴンズクロフト夫妻のうち、妻のマーガレット・レイヴンズクロフトが亡くなる前にカツラを4つ所有していたという話をオリヴァー夫人は聞きつける。替えのカツラを含めても、通常2つあれば充分と考えたオリヴァー夫人は、友人のマーガレットにカツラを誂えたユージーヌ&ローズンテル美容室(Eugene and Rosentelle Ladies Hairdresser)を訪れる。同美容室は、以前ボンドストリート(Bond Street)沿いで営業していたが、既にテムズ河(River Thames)南岸にあるトゥーティング・ベック(Tooting Bec)へ移転していた。厳しい言い方をすると、ロンドンの流行の最先端から、今は取り残されているのと同様だった。マーガレットのカツラのことを根掘り葉掘り尋ねるオリヴァー夫人に対して、愛想のない対応をするローズンテル夫人(Mrs Rosentelle)であったが、オリヴァー夫人が流行の最先端であるメイフェア地区(Mayfair)に住んでいることが判ると、途端に協力的になった。

画面を左右に横切るのが、ニューボンドストリート―
画面奥へ延びるのは、コンデュイットストリート
(Conduit Street―2015年7月18日付ブログで紹介済)

TV画面には映らないが、トゥーティング・ベックへ移転する前に、ユージーヌ&ローズンテル美容室が営業していたボンドストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級地区メイフェア内に所在している。
ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から、地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)の前を通って、地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)へと西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)と地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から、地下鉄ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)の前を通って、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street)に、ボンドストリートは南北に結んでいる。
現在、南側のセクションを「オールドボンドストリート(Old Bond Street)」、そして、北側のセクションを「ニューボンドストリート(New Bond Street)」と呼び、区分けしている。

ニューボンドストリートとオールドボンドストリート(Old Bond Street)を繫ぐ歩道には、
第二次世界大戦時に両国を指揮した英首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)と
米大統領フランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Roosevelt)のブロンズ像が設置されている

現在のボンドストリートがある一帯には、第2代アルベマール公爵クリストファー・マンク(Christopher Monck, 2nd Duke of Albemarle:1653年ー1688年)が所有するクラレンドンハウス(Clarendon House)と呼ばれる邸宅があった。この邸宅を初代准男爵トマス・ボンド(Thomas Bond, 1st Baronet:1620年ー1685年)が第2代アルベマール公爵クリストファー・マンクから邸宅を購入して、これを取り壊し、一帯を開発した。初代准男爵トマス・ボンドは、英国王チャー1世(Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)の妃であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France:1609年ー1669年)の財務関係の監査役(Comptrollerー現在の 'Controller')でもあった。
初代准男爵トマス・ボンドの死後、1686年に、この通りは彼に因んで、「ボンドストリート」と呼ばれるようになった。

オールドボンドストリート沿いに建つ
ロイヤルアーケード(Royal Arcade―2016年1月16日付ブログで紹介済)

ロイヤルアーケードの反対側は、
アルベマールストリート(Albemarle Street)に通じている

1720年代にボンドストリート沿いに大部分の建物が建設され、18世紀末までに当ストリート沿いは上流階級の社交場となった。また、当ストリート沿いの店舗は、上階の部屋を上流階級用の住居として貸し出すようになった。



19世紀に入ると、ボンドストリートは上流階級の社交場としての役割を失ったものの、現在、ティファニー(Tiffany's)を初めとする高級リテールショップが通り沿いに軒を連ねており、欧州でも有数のショッピング街としての評判を得ている。その他に、通り沿いには、老舗デパート「フェンウィック(Fenwick)」やオークション会社の「サザビーズ(Sotheby's)」等も並んでいる。

2017年5月20日土曜日

ロンドン ブリクストンロード(Brixton Road)

ブリクストンロード(画面を左右に横切る通り)とバサルロードが交差した地点―
ジョン・ランス巡査は、ハリー・マーチャー巡査と立ち話をした後、
バサルロードから出て来て、ブリクストンロードの巡回を続けて、事件に遭遇する

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。


英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

ブリクストンロードとバサルロードが交差した地点の北側(その1)

こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Road)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardensー2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレード警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

ブリクストンロードとバサルロードが交差した地点の北側(その2)

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレード警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Courtー2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かうのであった。

ブリクストンロードとバサルロードが交差した
北東の角に建つセミデタッチの住宅

ランス巡査は馬の毛でできたソファーに腰を下ろすと、何一つ話に漏れがないように決心したように眉を顰めた。
「最初からお話します。」と、彼は言った。「私の巡回時間は夜10時から朝6時までです。夜11時にパブ『ホワイトハート』で喧嘩騒ぎがありましたが、それを除けば、非常に静かな夜でした。午前1時に雨が降り始めた時、私はホーランドグローヴ通りを担当するハリー・マーチャーと出会ったので、ヘンリエッタストリートの角に一緒に立って、ちょっと話をしました。多分、2分かそこらだったと思います。その後、私はブリクストンロードを巡回して、異常がないかどうか確認しようと思いました。ブリクストンロードは非常に汚く、淋しい所でした。私が通りを歩いていても、辻馬車が一、二台私の横を通り過ぎただけで、人っ子一人居ませんでした。ここだけの話ですが、ホットジンが飲めればどれだけよいかと思いながら、私はゆっくりと巡回しました。すると、突然、あの家の窓からキラキラした光が、私の目にとまりました。ローリストンガーデンズ内の二軒の家が空き家であることを、私は知っていました。二軒のうち、一軒に居た最後の住人が腸チフスで死んだにもかかわらず、家主が下水道を整備しようとしないからです。それで、窓に明かりが見えた時、私はびっくりして、何か良からぬことが起きているのではないかと考えました。そして、私が扉の前へ行った時...」
「君は立ち止まって、庭の入口まで引き返した。」と、ホームズがランス巡査の話を遮った。「君はどうしてそうしたんだ?」
ランス巡査はびっくりして跳び上がると、非常に驚いた顔でホームズをじっと見つめるのであった。

ブリクストンロードとバサルロードが交差した地点の南側(その1)

Rance sat down on the horsehair sofa, and knitted his brows as though determined not to omit anything in his narrative.
"I'll tell it ye from the beginning." he said. "My time is from ten at night to six in the morning. At eleven there was fight at the 'White Hart'; but bar that all was quiet enough on the beat. At one o'clock it began to rain, and I met Harry Murcher - him who has the Holland Grove beat - and we stood together at the corner of Henrietta Street a-talkin'. Presently - maybe about two or a little after - I thought I would take a look round and see that all was right down the Brixton Road. It was precious dirty and lonely. Not a soul did I meet all the way down, though a cab or two went past me. I was a strolling' down, thinking' between ourselves how uncommon handy a four of gin hot would be, when suddenly the glint of a light caught my eyes in the window of that same house. Now, I knew that them two houses in Lauriston Gardens was empty on account of him that owns them who won't have the drains seen to, though the very last tenant what lived in one of them died o' typhoid fever. I was knocked all in a heap therefore at seeing a light in the window, and I suspected as something was wrong. When I got to the door -"
"You stopped, and then walked back to the garden gate," my companion interrupted. "What did you do that for?"
Rance gave a violent jump, and stared at Sherlock Holmes with the utmost amazement upon his features.

ブリクストンロードとバサルロードが交差した地点の南側(その2)

ジョン・ランス巡査が、ホーランドグローヴ通り(Holland Groveー2017年5月6日付ブログで紹介済)を担当するハリー・マーチャー巡査と出会って、ヘンリエッタストリート(Henrietta Streetー架空の通りで、現在の住所表記上、バサルロード(Vassall Roadー2017年5月14日付ブログで紹介済)がこれに該当すると思われる)の角で立ち話をした後、巡回を続けたブリクストンロード(Brixton Road)は、テムズ河(River Thames)南岸のロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)内のキャンバーウェル地区(Camberwell)やブリクストン地区(Brixton)を通過している。
ブリクストンロードの始まりは、ローマ時代まで遡り、ロンドン市内から英国南岸の保養地であるブライトン(Brighton)に至る道の一部を成している。

ブリクストンロードとバサルロードが交差した地点の南側(その3)

ケニントンパーク(Kennington Park)から地下鉄ブリクストン駅(Brixton Tube Station)へ向かって南下するブリクストンロードの左手に、この道に垂直に交わるバサルロードがある。これを左折して、しばらく直進した左手に、ホーランドグローヴ通りが南北に延びている。
ハリー・マーチャー巡査が巡回を担当していたのが、ホーランドグローヴ通りなので、ジョン・ランス巡査が彼と出会って立ち話をしたのは、ホーランドグローヴ通りとバサルロードが交差した角であると推測される。つまり、ハリー・マーチャー巡査はホーランドグローヴ通りを南下し、そして、ジョン・ランス巡査はバサルロードを東方面からやって来て、その角で二人は出会ったのではないだろうか?立ち話後、ジョン・ランス巡査はバサルロードを更に西へ進むと、ブリクストンロードへと出るので、彼がホームズとワトスンの二人に話した内容と一致する。

ブリクストンロードは一直線に延びる長い大通りで、ケニントンパークからバサルロードと交差する地点までの距離と比べると、バサルロードと交差する地点から地下鉄ブリクストン駅までの距離の方が圧倒的に長い。おそらく、バサルロードから出て来たジョン・ランス巡査は、地下鉄ブリクストン駅方面へと向かって、つまり、左へと曲がって、ブリクストンロードを南下し、事件に遭遇したものと思われる。

2017年5月14日日曜日

ロンドン バサルロード(Vassall Road)―ヘンリエッタストリート(Henrietta Street)の候補地

コナン・ドイルの原作「緋色の研究」において、
巡回中、ジョン・ランス巡査がハリー・マーチャー巡査と出会って立ち話をしたのは、
ヘンリエッタストリート(架空の通り)になっているが、現在の住所表記上、
ホーランドグローヴ通り(画面手前の通り)とバサルロード(画面奥の通り)が交差する角が
それに該るものと思われる

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。


英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

バサルロード沿いに建つ教会
St. John the Divine, Kennington の尖塔

こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Road)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardensー2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレード警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

ジョン・ランス巡査は、バサルロードを
画面左奥からやって来たものと思われる

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレード警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Courtー2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かうのであった。

ハリー・マーチャー巡査との立ち話の後、
ジョン・ランス巡査は、巡回を続けるため、
バサルロードを画面右手奥へ向かったものと考えられる

ランス巡査は馬の毛でできたソファーに腰を下ろすと、何一つ話に漏れがないように決心したように眉を顰めた。
「最初からお話します。」と、彼は言った。「私の巡回時間は夜10時から朝6時までです。夜11時にパブ『ホワイトハート』で喧嘩騒ぎがありましたが、それを除けば、非常に静かな夜でした。午前1時に雨が降り始めた時、私はホーランドグローヴ通りを担当するハリー・マーチャーと出会ったので、ヘンリエッタストリートの角に一緒に立って、ちょっと話をしました。多分、2分かそこらだったと思います。その後、私はブリクストンロードを巡回して、異常がないかどうか確認しようと思いました。ブリクストンロードは非常に汚く、淋しい所でした。私が通りを歩いていても、辻馬車が一、二台私の横を通り過ぎただけで、人っ子一人居ませんでした。ここだけの話ですが、ホットジンが飲めればどれだけよいかと思いながら、私はゆっくりと巡回しました。すると、突然、あの家の窓からキラキラした光が、私の目にとまりました。ローリストンガーデンズ内の二軒の家が空き家であることを、私は知っていました。二軒のうち、一軒に居た最後の住人が腸チフスで死んだにもかかわらず、家主が下水道を整備しようとしないからです。それで、窓に明かりが見えた時、私はびっくりして、何か良からぬことが起きているのではないかと考えました。そして、私が扉の前へ行った時...」
「君は立ち止まって、庭の入口まで引き返した。」と、ホームズがランス巡査の話を遮った。「君はどうしてそうしたんだ?」
ランス巡査はびっくりして跳び上がると、非常に驚いた顔でホームズをじっと見つめるのであった。

バサルロードをブリクストンロードへ向かう途中(その1)―
ホーランドグローヴ通りとバサルロードが交差する角は
画面奥にある

Rance sat down on the horsehair sofa, and knitted his brows as though determined not to omit anything in his narrative.
"I'll tell it ye from the beginning." he said. "My time is from ten at night to six in the morning. At eleven there was fight at the 'White Hart'; but bar that all was quiet enough on the beat. At one o'clock it began to rain, and I met Harry Murcher - him who has the Holland Grove beat - and we stood together at the corner of Henrietta Street a-talkin'. Presently - maybe about two or a little after - I thought I would take a look round and see that all was right down the Brixton Road. It was precious dirty and lonely. Not a soul did I meet all the way down, though a cab or two went past me. I was a strolling' down, thinking' between ourselves how uncommon handy a four of gin hot would be, when suddenly the glint of a light caught my eyes in the window of that same house. Now, I knew that them two houses in Lauriston Gardens was empty on account of him that owns them who won't have the drains seen to, though the very last tenant what lived in one of them died o' typhoid fever. I was knocked all in a heap therefore at seeing a light in the window, and I suspected as something was wrong. When I got to the door -"
"You stopped, and then walked back to the garden gate," my companion interrupted. "What did you do that for?"
Rance gave a violent jump, and stared at Sherlock Holmes with the utmost amazement upon his features.

バサルロードをブリクストンロードへ向かう途中(その2)―
ブリクストンロードは画面手前にある

ジョン・ランス巡査の同僚であるハリー・マーチャー巡査が巡回を担当していたホーランドグローヴ通り(Holland Groveー2017年5月6日付ブログで紹介済)は、テムズ河(River Thames)南岸のロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)のキャンバーウェル地区(Camberwell)内にある。
巡回中、ジョン・ランス巡査がハリー・マーチャー巡査と出会って立ち話をしたヘンリエッタストリート(Henrietta Street)は、ホーランドグローヴ通り近辺にはなく、残念ながら、架空の通りである。立ち話をした後、ハリー・マーチャー巡査と別れたジョン・ランス巡査がブリクストンロード(Brixton Road)の巡回を続けたことを考えると、コナン・ドイルの原作に出てくる「ヘンリエッタストリート」は、現在の住所表記上、「バサルロード(Vassall Road)」が、それに該るものと思われる。

バサルロードとブリクストンロードが交差する南東の角

ケニントンパーク(Kennington Park)から地下鉄ブリクストン駅(Brixton Tube Station)へ向かって南下するブリクストンロードの左手に、この道に垂直に交わるバサルロード(Vassall Road)がある。これを左折して、しばらく直進した左手に、ホーランドグローヴ通りが南北に延びている。
ハリー・マーチャー巡査が巡回を担当していたのが、ホーランドグローヴ通りなので、ジョン・ランス巡査が彼と出会って立ち話をしたのは、ホーランドグローヴ通りとバサルロードが交差した角であると推測される。つまり、ハリー・マーチャー巡査はホーランドグローヴ通りを南下し、そして、ジョン・ランス巡査はバサルロードを東方面からやって来て、その角で二人は出会ったのではないだろうか?立ち話後、ジョン・ランス巡査はバサルロードを更に西へ進むと、ブリクストンロードへと出るので、彼がホームズとワトスンの二人に話した内容と一致する。

画面を左右に横切るのがブリクストンロードで、
ジョン・ランス巡査はブリクストンロードの巡回を続けて、
事件に遭遇する

ちなみに、ヘンリエッタストリートは、テムズ河南岸にはないが、テムズ河北岸には実在している。