2017年5月21日日曜日

ロンドン ボンドストリート(Bond Street)

ニューボンドストリート沿いに建つ老舗デパート「フェンウィック」―
画面中央から右へ延びる通りがニューボンドストリートで、
画面中央から左へ延びる通りがブルックストリート(Brook Street―2015年4月4日付ブログで紹介済)

アガサ・クリスティー作「象は忘れない(Elephants can remember)」は1972年に発表された作品であるが、1975年に刊行されたエルキュール・ポワロ最後の事件となる「カーテン(Curtain)」が第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1943年に予め執筆されていることを考えると、執筆順では、本作品が最後のポワロ譚と言える。

オックスフォードストリート(Oxford Street―
2016年5月28日付ブログで紹介済)側から見た
ニューボンドストリート(その1)

オックスフォードストリート側から見た
ニューボンドストリート(その2)―
画面左奥では、ロンドン東部とロンドン西部を
ロンドン市内の地下トンネルで結ぶための
クロスレール工事(Crossrail Project)が進められている

推理作家のアリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)は、文学者昼食会において、バートン=コックス夫人(Mrs Burton-Cox)と名乗る婦人から奇妙なことを尋ねられる。それは、オリヴァー夫人が名付け親となったシーリア・レイヴンズクロフト(Celia Ravenscroft)という娘の両親が十数年前に起こした心中事件のことだった。バートン=コックス夫人がオリヴァー夫人に発した問いは、「あの娘の母親が父親を殺したんでしょうか?それとも、父親が母親を殺したんでしょうか?」だった。自分の名付け子すら満足に思い出せないオリヴァー夫人にとって、謎めいた心中事件のことなど、何も覚えていなかったのである。


ニューボンドストリート側から見た
オックスフォードストリート(その1)

ニューボンドストリート側から見た
オックスフォードストリート(その2)

バートン=コックス夫人から尋ねられたことが非常に気になったオリヴァー夫人は、名付け子であるシーリアに連絡をとり、ひさしぶりに再会する。シーリアによると、彼女はバートン=コックス夫人の息子デズモンド(Desmond)と婚約中で、バートン=コックス夫人としては、シーリアの両親のどちらが相手を殺したのかが、シーリアとデズモンドが結婚した場合、遺伝的に好ましいのかどうかという問題に関わってくるらしい。

ニューボンドストリート沿いには、
高級リテールショップが軒を連ねている

シーリアの説明によると、亡くなる数年前にインドで退役したアリステア・レイヴンズクロフト将軍(General Alistair Ravenscroft)は、妻のマーガレット(Margaret Ravenscroft)と一緒に、英国南西部のコンウォール州(Cornwall)にある海辺の家へと移って、静かな生活を送っていた。ある日、いつも通り、レイヴンズクロフト夫妻は飼い犬を連れて散歩に出かけたが、その後、レイヴンズクロフト将軍が保有する銃で二人とも撃たれて死亡しているのが発見された。
警察はレイヴンズクロフト夫妻の死を心中と見做したが、心中に至る動機は遂に見つからなかった。夫妻が経済的に困っていた様子はない上に、夫婦仲もよく、彼らを殺害しようと考える敵等は居なかったからである。
当時、シーリアは12歳で、スイスの学校へ行っていて、コンウォール州にある海辺の家には住んでいなかった。その頃、海辺の家に居たのは、家政婦、シーリアの元家庭教師、それにシーリアの伯母だけであった。彼らにも、夫妻を殺すような動機は見当たらなかったである。

ニューボンドストリートとブルックストリートが交差する南東の角に
老舗デパート「フェンウィック」が建っている

老舗デパート「フェンウィック」が建つ角から
ニューボンドストリートの南方面に望む

オリヴァー夫人から相談を受けたポワロは、レイヴンズクロフト夫妻と関わりがあった人達を訪ねて、心中事件の前後のことを象のように詳細に記憶している人を捜すよう、彼女にアドバイスを送る。
一方で、ポワロは独自に真相の究明に乗り出し、旧友のスペンス元警視(ex Superintendent Spence)に依頼して、当時の事件担当者だったギャロウェイ元警視(ex Superintendent Garroway)を紹介してもらい、事件の調査内容を尋ねるのであった。

デパート「フェンウィック」―
ニューボンドストリートとブルックストリートが交差する角の入口ディスプレイ

デパート「フェンウィック」―
ブルックストリート側に面したウィンドウ/外壁ディスプレイ 

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「象は忘れない」(2013年)の回では、英国の南岸にある断崖絶壁の上で心中死体となって発見されたレイヴンズクロフト夫妻のうち、妻のマーガレット・レイヴンズクロフトが亡くなる前にカツラを4つ所有していたという話をオリヴァー夫人は聞きつける。替えのカツラを含めても、通常2つあれば充分と考えたオリヴァー夫人は、友人のマーガレットにカツラを誂えたユージーヌ&ローズンテル美容室(Eugene and Rosentelle Ladies Hairdresser)を訪れる。同美容室は、以前ボンドストリート(Bond Street)沿いで営業していたが、既にテムズ河(River Thames)南岸にあるトゥーティング・ベック(Tooting Bec)へ移転していた。厳しい言い方をすると、ロンドンの流行の最先端から、今は取り残されているのと同様だった。マーガレットのカツラのことを根掘り葉掘り尋ねるオリヴァー夫人に対して、愛想のない対応をするローズンテル夫人(Mrs Rosentelle)であったが、オリヴァー夫人が流行の最先端であるメイフェア地区(Mayfair)に住んでいることが判ると、途端に協力的になった。

画面を左右に横切るのが、ニューボンドストリート―
画面奥へ延びるのは、コンデュイットストリート
(Conduit Street―2015年7月18日付ブログで紹介済)

TV画面には映らないが、トゥーティング・ベックへ移転する前に、ユージーヌ&ローズンテル美容室が営業していたボンドストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級地区メイフェア内に所在している。
ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から、地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)の前を通って、地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)へと西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)と地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から、地下鉄ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)の前を通って、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street)に、ボンドストリートは南北に結んでいる。
現在、南側のセクションを「オールドボンドストリート(Old Bond Street)」、そして、北側のセクションを「ニューボンドストリート(New Bond Street)」と呼び、区分けしている。

ニューボンドストリートとオールドボンドストリート(Old Bond Street)を繫ぐ歩道には、
第二次世界大戦時に両国を指揮した英首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)と
米大統領フランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Roosevelt)のブロンズ像が設置されている

現在のボンドストリートがある一帯には、第2代アルベマール公爵クリストファー・マンク(Christopher Monck, 2nd Duke of Albemarle:1653年ー1688年)が所有するクラレンドンハウス(Clarendon House)と呼ばれる邸宅があった。この邸宅を初代准男爵トマス・ボンド(Thomas Bond, 1st Baronet:1620年ー1685年)が第2代アルベマール公爵クリストファー・マンクから邸宅を購入して、これを取り壊し、一帯を開発した。初代准男爵トマス・ボンドは、英国王チャー1世(Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)の妃であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France:1609年ー1669年)の財務関係の監査役(Comptrollerー現在の 'Controller')でもあった。
初代准男爵トマス・ボンドの死後、1686年に、この通りは彼に因んで、「ボンドストリート」と呼ばれるようになった。

オールドボンドストリート沿いに建つ
ロイヤルアーケード(Royal Arcade―2016年1月16日付ブログで紹介済)

ロイヤルアーケードの反対側は、
アルベマールストリート(Albemarle Street)に通じている

1720年代にボンドストリート沿いに大部分の建物が建設され、18世紀末までに当ストリート沿いは上流階級の社交場となった。また、当ストリート沿いの店舗は、上階の部屋を上流階級用の住居として貸し出すようになった。



19世紀に入ると、ボンドストリートは上流階級の社交場としての役割を失ったものの、現在、ティファニー(Tiffany's)を初めとする高級リテールショップが通り沿いに軒を連ねており、欧州でも有数のショッピング街としての評判を得ている。その他に、通り沿いには、老舗デパート「フェンウィック(Fenwick)」やオークション会社の「サザビーズ(Sotheby's)」等も並んでいる。

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