2017年4月2日日曜日

ロンドン リンカーンズ・イン・フィールズ29番地(29 Lincoln's Inn Fields)

リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物の正面全景

アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の秘密(The Mystery of the Spanish Crest)」は、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている一遍である。


裕福な独り者であるチャールズ・リッチ少佐(Major Charles Rich)が、クレイトン夫妻(Mr and Mrs Clayton)、スペンス夫妻(Mr and Mrs Spence)とマクラーレン中佐(Commander McLaren)という長年来の友人5人を、自宅のフラットへ食事に招く。ところが、直前になって、招待客の一人であるクレイトン氏に、急な商用でスコットランドへ出かける必要が生じて、食事会に参加できなくなった。マクラーレン中佐と一緒にクラブで一杯飲んだ後、クレイトン氏は、駅へ向かう途中、事情を説明するために、リッチ少佐のフラットに立ち寄ったが、生憎と、リッチ少佐は外出していた。そこで、クレイトン氏は、リッチ少佐への伝言を残すべく、リッチ少佐の執事バージェス(Burgess)に居間へ案内してもらう。バージェスは、キッチンでの準備のため、クレイトン氏を居間に残したまま、その場を後にするが、リッチ少佐への伝言をしたためた後、クレイトン氏が立ち去るところを見かけていなかった。10分程して、リッチ少佐が帰宅し、バージェスを使い走りに外出させた。

リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物を
リンカーンズ・イン・フィールズの西側から見たところ

その後、クレイトン氏を除いた残り5人で、食事会は滞りなく終わったのであるが、翌朝、居間の掃除をしていたバージェスは、部屋の角に置いてあるスペイン櫃の蓋を開けると、櫃の内には首を刺し貫かれたクレイトン氏の死体が入っていたのである。スコットランドに居る筈のクレイトン氏が、スペイン櫃の内に居たのか?そして、彼は櫃の内で何をしていたのか?

リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の入口

リッチ少佐は、クレイトン氏殺害の容疑で、警察に逮捕される。リッチ少佐はクレイトン夫人に魅かれており、リッチ少佐にとって、クレイトン氏は邪魔な存在だったと、警察は推測する。そして、食事会の直前、帰宅したリッチ少佐は、居間で彼への伝言をしたためているクレイトン氏に出会い、口論の末、クレイトン氏を刺し殺して、スペイン櫃内に押し込んだ単純明快な事件だと、警察は考えたのである。

リンカーンズ・イン・フィールズの北東角から
リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物を見上げたところ

クレイトン夫人と共通の友人経由、クレイトン夫人から依頼を受けたエルキュール・ポワロは首をひねった。刺し殺されたクレイトン氏の死体をスペイン櫃内に押し込んだまま、リッチ少佐は、その櫃がある居間で残りの招待客4人と一緒に食事会を行い、翌朝、執事のバージェスがクレイトン氏の死体を発見するまで、そのまま死体を放置していたことになる。リッチ少佐は、それ程までに愚かなのだろうか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出す。

リンカーンズ・イン・フィールズの北東角から
リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の入口を見たところ

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スペイン櫃の秘密」(1991年)の回では、食事会が行われた翌朝、クレイトン氏の刺殺体が居間にあるスペイン櫃から発見されたリッチ少佐のフラットとして、リンカーンズ・イン・フィールズ29番地(29 Lincoln's Inn Fields)の建物が撮影に使用されている。

リンカーンズ・イン・フィールズ内の風景
リンカーンズ・イン・フィールズの北東角に設置されている
北ウェールズ出身の彫刻家バリー・フラナガン
(Barry Flanagan:1941年ー2009年)作「Camdonian」

リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物は、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn)内にあり、リンカーンズ・イン・フィールズの北側に建っている。


リンカーンズ・イン・フィールズの北東角から北へ延びる
ニューマンズロウ(Newmans Row)側にある
リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物外壁に、
設計者(左側)と建設業者(右側)が刻まれている

リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物は、建築家F・H・グリーナウェイ(F. H, Greenaway)とJ・E・ニューベリー(J. E. Newberry)によって設計され、1924年に竣工した。TV版のポワロシリーズは、基本的に、その時代設定を第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦(1939年ー1945年)の間に置いているので、この建物がリッチ少佐のフラットとして撮影に使用されたのは、建物が竣工した年がTV版のポワロシリーズの時代設定に合致していたことが、その理由の一つとして挙げられると思う。

ニューマンズロウの北側から
リンカーンズ・イン・フィールズを眺めたところ
ニューマンズロウに面した
リンカーンズ・イン・フィールズ29番地の建物外壁

急な商用のため、クレイトン氏がスコットランドへ出かける前に、カーチス大佐(Colonel Curtissーアガサ・クリスティーの原作では、マクラーレン中佐)と一杯飲んだ軍人クラブの外観として撮影されたイングランド王立外科医師会(Royal College of Surgeons of England)が入居する建物は、リンカーンズ イン フィールズを間に挟んだ反対側に建っている。なお、リンカーンズ イン フィールズ29番地の建物はロンドン・カムデン区に属しているが、リンカーンズ イン フィールズの南側にあるイングランド王立外科医師会が入居する建物はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)区に属している。

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