2017年3月19日日曜日

ロンドン リンカーン法曹院/ニュースクエア(Lincoln's Inn / New Square)

リンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln's Inn Fileds)から見たニュースクエア

アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の秘密(The Mystery of the Spanish Crest)」は、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている一遍である。

リンカーンズ・イン・フィールズの通りから見た
リンカーン法曹院のグレートホール/ニューホール

裕福な独り者であるチャールズ・リッチ少佐(Major Charles Rich)が、クレイトン夫妻(Mr and Mrs Clayton)、スペンス夫妻(Mr and Mrs Spence)とマクラーレン中佐(Commander McLaren)という長年来の友人5人を、自宅のフラットへ食事に招く。
ところが、直前になって、招待客の一人であるクレイトン氏に、急な商用でスコットランドへ出かける必要が生じて、食事会に参加できなくなった。マクラーレン中佐と一緒にクラブで一杯飲んだ後、クレイトン氏は、駅へ向かう途中、事情を説明するために、リッチ少佐のフラットに立ち寄ったが、生憎と、リッチ少佐は外出していた。
そこで、クレイトン氏は、リッチ少佐への伝言を残すべく、リッチ少佐の執事バージェス(Burgess)に居間へ案内してもらう。バージェスは、キッチンでの準備のため、クレイトン氏を居間に残したまま、その場を後にするが、リッチ少佐への伝言をしたためた後、クレイトン氏が立ち去るところを見かけていなかった。10分程して、リッチ少佐が帰宅し、バージェスを使い走りに外出させた。

リンカーンズ・イン・フィールズ内の広場から見た
リンカーン法曹院のグレートホール/ニューホール

その後、クレイトン氏を除いた残り5人で、食事会は滞りなく終わったのであるが、翌朝、居間の掃除をしていたバージェスは、部屋の角に置いてあるスペイン櫃の蓋を開けると、櫃の内には首を刺し貫かれたクレイトン氏の死体が入っていたのである。スコットランドに居る筈のクレイトン氏が、スペイン櫃の内に居たのか?そして、彼は櫃の内で何をしていたのか?

リンカーン法曹院の
グレートホール/ニューホールと入口の門

リッチ少佐は、クレイトン氏殺害の容疑で、警察に逮捕される。リッチ少佐はクレイトン夫人に魅かれており、リッチ少佐にとって、クレイトン氏は邪魔な存在だったと、警察は推測する。そして、食事会の直前、帰宅したリッチ少佐は、居間で彼への伝言をしたためているクレイトン氏に出会い、口論の末、クレイトン氏を刺し殺して、スペイン櫃内に押し込んだ単純明快な事件だと、警察は考えたのである。

リンカーン法曹院の入口の門

クレイトン夫人と共通の友人経由、クレイトン夫人から依頼を受けたエルキュール・ポワロは首をひねった。刺し殺されたクレイトン氏の死体をスペイン櫃内に押し込んだまま、リッチ少佐は、その櫃がある居間で残りの招待客4人と一緒に食事会を行い、翌朝、執事のバージェスがクレイトン氏の死体を発見するまで、そのまま死体を放置していたことになる。リッチ少佐は、それ程までに愚かなのだろうか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出す。

リンカーン法曹院の入口の門上部

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スペイン櫃の秘密」(1991年)の回では、ヘイスティングス大尉と一緒に劇場でオペラを観劇していたポワロは、幕間に以前事件を解決してあげたことがあるレディー・キャロライン・チャタートン(Lady Caroline Chatterton)から声をかけられ、彼女の友人であるクレイトン夫人が夫のクレイトン氏に殺されるのではないかという奇妙な相談を受ける。後日、ヘイスティングス大尉を伴って、レディー・チャタートンの自宅を訪問したポワロは、彼女から更に詳しい説明を受けるのであるが、彼女の話の中で、クレイトン氏が歩いている場所として、リンカーン法曹院(Lincoln's Inn)があるニュースクエア(New Square)が撮影に使用されている。
後の場面で、リッチ少佐の食事会へ行けなくなった理由をクレイトン夫人に対して話すクレイトン氏の様子から、クレイトン氏の職業は弁護士と類推されるので、それに合わせて、この場所で撮影されたものと思われる。

リンカーン法曹院の入口ゲートを抜けると、
ニュースクエア内に入る

リンカーン法曹院/ニュースクエアは、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn)内にある。
リンカーン法曹院の正式名は「The Honourable Society of Lincoln's Inn」で、法廷弁護士の養成や認定を行う機関である。リンカーン法曹院はロンドンに4つある法曹院の1つで、他は「ミドルテンプル(Middle Temple)」、「インナーテンプル(Inner Temple)」と「グレイ法曹院(Gray's Inn)」の3つである。

撮影当時、リンカーン法曹院の
グレートホール/ニュースクエアの外壁改修工事が
行われていた

元々、司法訓練は、シティー(City)において、主に聖職者が行っていたが、イングランド王のヘンリー3世(Henry III of England:1207年ー1272年)による勅令によって、シティー内の施設を司法訓練用に使用することが認められなくなるとともに、聖職者による司法訓練が禁止された。そのため、司法関係者は、当時シティー外のウェストミンスターホール(Westminster Hall)にあった裁判所に近いホルボーン地区へと活動場所を移すこととなった。シティーからホルバーン地区への司法関係者の移転を積極邸に支援したのが、リンカーン法曹院が現在建っている辺りに屋敷を有していた第3代リンカーン伯爵ヘンリー・ド・レイシー(Henry de Lacy, 3rd Earl of Lincoln:1251年ー1311年)である。1311年、ロンドンの自宅で死去した彼は、セントポール大聖堂に埋葬されたが、1666年のロンドン大火(Great Fire of London)によって、彼の遺骨は焼失してしまった。

15世紀前半(1422年頃)に当地に法曹院が設立され、徒弟制による司法訓練が開始された。その際、当地への司法関係者の移転を奨励した第3代リンカーン伯爵ヘンリー・ド・レイシーに因んで、「リンカーン法曹院」と名付けられたと言われている。

リンカーン法曹院の幹部員である
ヘンリー・サールの名前に因んで名付けられたサールストリート

ニュースクエアはリンカーン法曹院の南側に位置しており、真ん中にある広場の三方を囲むように、建物が建っている。ニュースクエアはリンカーン法曹院を構成する3つの区画の1つであり、17世紀末に整備された。ニュースクエアは、当時当地を整備した法曹院の幹部員(Bencher)であるヘンリー・サール(Henry Serle)の名前に因んで、「サールコート(Serle Court)」と呼ばれていたが、法曹院を構成する区画の1つであるオールドスクエア(Old Square)に対して、「ニュースクエア」へと変更された。

画面の左側がリンカーンズ・イン・フィールズで、
画面の右側がサールストリート

TV版において、クレイトン氏がニュースクエア内を歩く場面は、ニュースクエアの南側から北側を向いて撮影されており、画面の奥にリンカーン法曹院の「グレイトホール/ニューホール(Great Hall / New Hall)」が見えるが、残念ながら、ニュースクエア内は、関係者のみ立ち入り可で、一般人の立ち入りが制限されている。

0 件のコメント:

コメントを投稿