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デヴォン州の沖合いに浮かぶ兵隊島―
兵隊島は人間(男性?)の顔の形になっていて、明かりが灯る屋敷の窓が目に該っている |
(2)「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」(1939年)
本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては第26作目に該る。アガサ・クリスティーの作品の中でも、代表作に挙げられているのが、本作品である。
1930年代後半の8月のこと、英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島(Soldier Island)に、年齢も職業も異なる8人の男女が招かれる。彼らを島で迎えた召使と料理人の夫婦は、エリック・ノーマン・オーウェン氏(Mr. Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーウェン夫人(Mrs. Una Nancy Owen)に自分達は雇われていると招待客に告げる。しかし、彼らの招待客で、この島の所有者であるオーウェン夫妻は、いつまで待っても、姿を現さないままだった。
招待客が自分達の招待主や招待状の話をし始めると、皆の説明が全く噛み合なかった。その結果、招待状が虚偽のものであることが、彼らには判ってきた。招待客の不安がつのる中、晩餐会が始まるが、その最中、招待客8人と召使夫婦が過去に犯した罪を告発する謎の声が室内に響き渡る。謎の声による告発を聞いた以下の10人は戦慄する。
(1)ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne)
秘書や家庭教師を職業とする若い女性で、家庭教師をしていた子供に無理な距離を泳がせることを許可し、その結果、その子供を溺死させたと告発された。
(2)フィリップ・ロンバード(Philip Lombard)
元陸軍中尉で、東アフリカにおいて先住民族から食料を奪った後、彼ら21人を見捨てて死なせたと告発された。
(3)エドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong)
医師で、酔って酩酊したまま手術を行い、患者を死なせたと告発された。
(4)ウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore)
元警部で、偽証により無実の人間に銀行強盗の罪を負わせて、死に追いやったと告発された。
(5)ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave)
高名な元判事で、陪審員を誘導して、無実の被告を有罪として、死刑に処したと告発された。
(6)エミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent)
信仰心の厚い老婦人で、使用人の娘に厳しく接して、その結果、彼女を自殺させたと告発された。
(7)ジョン・ゴードン・マッカーサー(John Gordon MacArthur)
退役した老将軍で、妻の愛人だった部下を故意に死地へ追いやったと告発された。
(8)アンソニー・ジェイムズ・マーストン(Anthony James Marston)
遊び好きの上、生意気な青年で、自動車事故により二人の子供を死なせたと告発された。
(9)トマス・ロジャーズ(Thomas Rogers)
(10)エセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)
仕えていた老女が発作を起こした際、彼らは必要な薬を投与しないで、老女を死なせたと告発された。
彼らを告発する謎の声は蓄音機からのもので、トマス・ロジャーズによると、オーウェン夫妻から、最初の日、晩餐会の際に録音したメッセージを流すよう、手紙で指示を受けていたと言う。謎の声による告発を聞いて彼の妻エセル・ロジャーズが気を失ってしまうという混乱の直後、毒物が入った飲み物を飲んだアンソニー・ジェイムズ・マーストンが急死するのであった。
その翌朝、エセル・ロジャーズがいつまで経っても起きて来ず、死亡しているのが発見される。残された8人は、アンソニー・ジェイムズ・マーストンとエセル・ロジャーズの死に方が屋敷内に飾ってある童謡「10人の子供の兵隊」の内容に酷似していること、また、食堂のテーブルの上に置いてあった兵隊人形が10個から8個へと減っていることに気付く。それに加えて、迎えの船が兵隊島へやって来ないことが判り、残された8人は兵隊島に閉じ込められた状態になってしまう。
童謡「10人の子供の兵隊」の調べにのって、一人また一人と、残された8人が正体不明の何者かに殺害されていく。それに伴って、食堂のテーブルの上にある兵隊人形の数も減っていくのである。彼らを兵隊島へ招待したオーウェン夫妻とは一体何者なのか?オーウェン夫妻の名前を略すと、どちらも「U. N. Owen」、つまり、「UNKOWN(招正体不明の者)」となる。オーウェン夫妻が正体不明の殺人犯で、残された人の中に居るのか?それとも、屋敷内のどこか、あるいは、兵隊島のどこかに隠れ潜んでいるのだろうか?恐怖が満ちる中、また一人、残された人と兵隊人形が減っていくのであった。
アガサ・クリスティーの没後40周年を記念して発行された切手には、沖合いに浮かぶ兵隊島を陸地から見たシーンが描かれている。
夜間のシーンで、兵隊島内に建つ屋敷の窓には、明かりが灯っている。よく見ると、兵隊島が人間(男性?)の顔の形になっている上に、明かりが灯る屋敷の窓が目に該っている。
兵隊島の前の海に浮かぶ黄色い物には、オーウェン夫妻の名前を略した「U. N. Owen」が逆さまに表示されている。
更に、画面の左下には、童謡「10人の子供の兵隊」の内容が、これも同様に逆さまに記載されている。この童謡は、マザーグースの一つとして分類されるが、大元の「Ten Little Nigger Boys」は、英国の作詞家フランク・グリーン(Frank Green)が1869年に翻案した作品のため、「Frank Green 1869」と表示されている。
アガサ・クリスティーが1939年に「そして誰もいなくなった」を発表した時点での英語の原題は「Ten Little Niggers(10人の小さな黒んぼ)」で、作品中、これは非常に重要なファクターを占める童謡を暗示している。
ただし、「Nigger」という単語がアフリカ系アメリカ人に対する差別用語だったため、米国版のタイトルは「Ten Little Indians(10人の子供のインディアン)」に改題された。それに伴い、
*島の名前: 黒人島(Nigger Island)→インディアン島(Indian Island)
*童謡名: 10人の小さな黒んぼ(Ten Little Niggers)→10人の子供のインディアン(Ten Little Indians)
*人形名: 黒人人形→インディアン人形
へと変更された。
近年、「インディアン」も差別用語と考えられているため、英米で発行されている「そして誰もいなくなった」のタイトルには、「And Then There Were None」が使用されている。「And Then There Were None」は、童謡の歌詞の最後の一文から採られている。その結果、
*島の名前: インディアン島(Indian Island)→兵隊島(Soldier Island)
*童謡名: 10人の子供のインディアン→10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)
*人形名: インディアン人形→兵隊人形
へという変遷を辿っているのである。