2015年7月5日日曜日

ロンドン キャンプデンストリート47/48番地(47 & 48 Campden Street)

キャンプデンストリート47/48番地の建物

最初の夫アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年-1962年)の浮気が原因で、1928年に彼と離婚したアガサ・クリスティーは、1930年に中東旅行の際に知り合った考古学者のサー・マックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Sir Max Edgar Lucien Mallowan:1904年ー1978年)と再婚する。その後、同年に二人は地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の近くにあるキャンプデンストリート47/48番地の家を購入した。

 
キャンプデンストリート47/48番地の
右隣の住居の窓辺に置かれた植栽

キャンプデンストリートについては、北側の地下鉄ノッティングヒルゲート駅の前を通るノッティングヒルゲート通り(Notthing Hill Gate)に、東側はケンジントンチャーチストリート(Kensington Church Street)やケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)に、南側は地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)の前を通るケンジントンハイストリート(Kensington High Street)に、そして、西側はキャンプデンヒルロード(Campden Hill Road)やホーランドパーク(Holland Park)に囲まれた一帯の内にあり、閑静な高級住宅街の一つである。

キャンプデンストリート47/48番地の向かい側から
キャンプデンヒルロード方面を望む
キャンプデンストリート47/48番地の向かい側に建つ住居

アガサ・クリスティーが再婚したマックス・マローワンは、当時、ブルームズベリー地区(Bloomsbury)にある大英博物館(British Museum)において、考古学の研究を行っていたため、通勤の利便性を考慮して、彼らはキャンプデンストリートの物件を購入したものと思われる。何故ならば、地下鉄ノッティングヒルゲート駅から大英博物館の最寄駅であるトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)まで、セントラルライン(Central Line)一本で行くことができる上、両駅の間には5駅しかないため、非常に便利だったからである。

ケンジントンチャーチストリート側から見た
キャンプデンストリート

ただし、アガサ・クリスティー自身はキャンプデンストリート47/48番地の建物には100%満足していなかったようで、キャンプデンストリートの2本南にある通りシェフィールドテラスの58番地(58 Sheffield Terrace)により良い物件を見つけたため、1934年にこれを購入し、キャンプデンストリートの物件を売却してしまった。物件を売却する際、買い手が失礼な態度をとったことが、アガサ・クリスティーの秘書で友人のカーロ・フィッシャーをひどく立腹させてしまい、彼女が売却価格をつり上げたため、非常に条件の良い価格で売却された、とのこと。

キャンプデンストリートとケンジントンチャーチストリートの角に建つパブ
キャンプデンストリート側からケンジントンチャーチストリートを望む—
ケンジントンチャーチストリートの近くには、店舗が並んでいる

キャンプデンストリートは、今も、日中でもほとんど人通りがない閑静な住宅街のままである。シェフィールドテラスに比べると、
(1)道幅がやや狭いこと
(2)そのため、向かいの家との間隔があまりないこと
(3)シェフィールドテラス58番地の場合、歩道と建物の間に前庭があるが、キャンプデンストリート47/48番地の場合は、他の住居も全く同じように、歩道沿いに建物が建っていて、前庭がないこと
等から、プライベートをあまり確保できないと、アガサ・クリスティーは考えたのかもしれない。

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