ナショナルギャラリー(National Gallery)と ポートレートギャラリー(Portrait Gallery)の裏手(北側)に 設置されているサー・ヘンリー・アーヴィングのブロンズ像ー 同像の前の通りは、彼の名前に因んで アーヴィングストリート(Irving Street)と呼ばれている |
ライシアム劇場の始まりは、1756年まで遡る。当初は、コンサートホールとして建設され、その当時、劇場のライセンスを得る事ができなかったため、サーカス等も興行されたそうである。1830年に焼失したが、1834年に「ロイヤル・ライシアム・アンド・イングリッシュ・オペラハウス(Royal Lyceum and English Opera House)」と改称して再開された。1871年から、当劇場において、それまで主に地方を巡演していた俳優サー・ヘンリー・アーヴィング(Sir Henry Irving:1838年ー1905年)がレオポレド・ルイス作のメロドラマ「鐘」に出演して、爆発的な人気を獲得、これがかなりのロングランになったそうなので、シャーロック・ホームズやジョン・ワトスンが活躍していた頃は、当劇場では「鐘」の上演が続いていたのではないかと思われる。
ライシアム劇場における サー・ヘンリー・アーヴィングの功績を讃えて、 同劇場の外壁には、彼の名前が刻まれている |
ホームズ作品において、ライシアム劇場が重要な役割を果たすのは、「四つの署名(The Sign of the Four)」である。メアリー・モースタンがホームズやワトスンの元を訪ねて、風変わりな事件の調査依頼をした際、彼女は「未知の友(Your unknown friend)」から受け取った謎の手紙をホームズ達に見せる。その手紙には、以下の内容が書かれていた。
Be at the third pillar from the left outside the Lyceum Theatre tonight at seven o'clock. if you are distrustful bring two friends …
「今夜7時に、ライシアム劇場の場外の左から3本目の柱のところまでお越し下さい。もし御心配であれば、お友達を二人お連れ下さい。」
原作者であるサー・アーサー・コナン・ドイルが、ホームズとワトスンの2人を同行させるために、「二人」を意図的に入れたと思われ、ストーリー的にはやや出来過ぎの感が強いが、メアリー・モースタンからの依頼を受けたホームズとワトスンは、彼女と一緒にライシアム劇場へ出かけ、彼女の「未知の友」に出会うことによって、事件の核心部分に迫るのである。
なお、現在、ライシアム劇場ではミュージカル「ライオンキング」がロングランを続けており、連日、子供連れの観光客等で賑わっている。
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