2014年7月23日水曜日

ロンドン エルサムパレス(Eltham Palace)

エルサムパレス遠景

英国のTV会社ITV1が制作し、英国内でも人気があるエルキュール・ポワロシリーズ「ナイルに死す(Death on the Nile)」は、嵐の夜、ジャックリーン・ド・ベルフォール(通称ジャッキー)と婚約者のサイモン・ドイル(失業中)の二人のシーンから始まる。ジャッキーは、学生時代の古い友人で裕福なリネット・リッジウェイに電話をかけ、サイモンを屋敷の管理人にしてほしいと彼女に頼み込む。リネットが住む屋敷の外観として、エルサムパレス(Eltham Palace)が使用されている。


エルサムパレスは、ロンドン中心部から南東のグリニッジ地区(Greenwich)にあり、車で行くと、1時間程の所要時間である。

周囲を囲む堀の外から見たエルサムパレス

エルサムパレスの起源は、14世紀初頭まで遡る。1066年のヘイスティングスの戦い(Battle of Hastings)後、英国にノルマン王朝を開いたウィリアム1世(Willam Ⅰ)の義兄弟から数人の手を経て、1295年にダラム司教(Bishop of Durham)のアンソニー・ベック(Anthony Bek)がエルサムの地を取得した。そして1305年、アンソニー・ベックが後の英国王エドワード2世(Edward Ⅱ)にその土地を譲渡したのが始まりで、それ以降、16世紀まで王宮として使用された。後の英国王ヘンリー8世(Henry Ⅷ)が少年期をここで過しており、彼が9歳の時(1499年)、法律家で思想家のトマス・モア(Thomas Moreー政治と社会を風刺した「ユートピア(Utopia)」の著述で有名)を介して、後に終生の友人となるオランダ人の人文主義者、カトリック司祭、神学者かつ哲学者のデジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus)に、エルサムパレスのグレートホールで引き合わされる。


17世紀に入ると、英国王チャールズ1世(Charles Ⅰ)の主席宮廷画家となったヴァン・ダイク(Anthony van Dyck)の休息所として貸し出されることがあったものの、英国王室メンバーがエルサムパレスに滞在することはなくなった。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の葉書
(Sir 
Anthony van Dyck / 1640年頃 / Oil on panel
560 mm x 460 mm) 

清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)時に、彼の雇い主であるチャールズ1世は処刑されたという皮肉な結末を迎えている。そして、清教徒革命の際、国王派と対立していた議会派による攻撃対象となり、1648年、グレートホール以外は全壊し、瓦礫と化した。

エルサムパレス内部の明かりが
迫りつつある夕闇に美しく映える

1660年の王政復古(Restoration of the Monarchy)後、英国王となったチャールズ2世(Charles Ⅱ)から資本家のジョン・ショー(John Shaw)に、エルサムパレス一帯は1663年にただ同然で貸し出された。これは、清教徒革命中、フランスに亡命していたチャールズ2世に資金援助を行っていたショーへの謝礼の意味があり、更に、ショーはナイトの称号も得ている。ショーは建築家のヒュー・メイ(Hugh May)に依頼し、敷地内にエルサムロッジ(Eltham Lodgeー現在のロイヤルブラックヒースゴルフクラブハウス(Royal Blackheath Glof Club House))を建設させたが、清教徒革命時に瓦礫と化した王宮そのものが修復されることはなかった。


1933年、繊維業を基に成長した当時のブルジョア層であるスティーヴン・コートールド(Stephen Courtauld)とその妻ヴァージニア・コートールド(Virginia Courtauld)が、英国王室が所有するエルサム一帯の賃借権を買い上げ、最新の技術とデザインを駆使して、今までにない洗練された家にすべく、改装作業を進めた。

右に見える建物が、当初より残っているグレートホール

スティーヴンとヴァージニアのコートールド夫妻が推し進めた改装作業により、エルサムパレスの外観はオーソドックスな印象をとどめているものの、内装は全てアールデコ様式に統一されている。生憎と、エルサムパレス内は写真撮影が禁止されているため、そのすばらしさをここでお見せ出来ないのが残念である。アガサ・クリスティーが「ナイルに死す」を発表したのが1937年であり、アールデコ様式が流行の最先端だった1930年代と奇しくも時代が一致している。そういった意味では、ITV1のポワロシリーズにおいて、リネットが住む屋敷として、エルサムパレスが使用されたのも、時代考証の上でのことだろう。



このようにして、自分達の終の住居としてエルサムパレスを改装したコートールド夫妻ではあったが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)が始まり、ドイツによるロンドン爆撃の脅威が迫ったため、彼らは賃借権を英国王室に返還して、エルサムパレスを退去することとなった。


それから半世紀を経て、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)がエルサムパレスの管理維持を担うことになり、200万ポンドを費やして大改装が行われた。そして、1999年に一般公開され、現在に至っている。


また、ロンドンのストランド通り(Strand)に面したサマセットハウス(Somerset House)内には、英国屈指の印象派コレクションで有名なコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)があるが、この美術館は、スティーヴンの兄であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld)が寄贈したコレクションと莫大な寄付金をベースにして、1932年に開館されたものである。


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