2014年12月31日水曜日

ロンドン クラリッジズホテル(Claridge's Hotel)

クラリッジズホテルの建物正面の外壁

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ソア橋の謎(The Problem of Thor Bridge)」では、ある年の10月の荒涼とした朝、米国の元上院議員(American Senator)で、かつ金鉱王(Gold King)のニール・ギブスン(Neil Gibson)が、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を事件の相談に訪れる。ギブスン氏はホームズに対して、「子供の家庭教師であるグレイス・ダンバー(Grace Dunbar)に自分の妻マリア・ギブスン(Maria Gibson)を殺害した容疑がかけられている。」と説明し、「ダンバー嬢にかけられている容疑をなんとしても晴らしてほしい。」と依頼する。

ブルックストリート沿いに建つクラリッジズホテル

事件は、ギブスン氏が住むハンプシャー州(Hampshire)の屋敷ソアプレイス(Thor Place)付近にあるソア橋(Thor Bridge)の上で発生した。
ある夜遅く(11時)、ギブスン氏の妻であるマリア夫人が頭を銃で打ち抜かれて死亡しているのを、猟場の番人(gamekeeper)によって発見されたのである。その現場には凶器の銃は見当たらなかったが、ダンバー嬢の衣装戸棚の底から銃が出てきた。そして、その銃の弾倉は一発だけ空になっていた上に、マリア夫人の頭を打ち抜いた弾丸とその口径が一致したのだ。更に、マリア夫人はダンバー嬢からの手紙を手に握りしめていて、そこには「9時にソア橋の所でーG.ダンバー」と書かれていたのである。
アマゾンの熱がいつも血の中で騒いでいる位、情熱的なブラジル人のマリア夫人は、その容色に衰えをみせていて、ギブスン氏の妻への愛情は冷めてしまった。その一方で、ギブスン氏は若く魅力的なダンバー嬢に大きな関心を示していた。そのため、嫉妬深いマリア夫人はダンバー嬢を激しく憎んでいた。つまり、マリア夫人が死亡すれば、ダンバー嬢はギブスン氏の後妻として入ることができるものと考えられていた。
それらの証拠や状況等に基づき、ダンバー嬢はマリア夫人殺害の容疑で逮捕されるに至ったのである。

クラリッジズホテルの正面玄関―
正面玄関の上には、クリスマス用の装飾が為されている

ギブスン氏はホームズの元を訪ねるためにロンドン市内に滞在しており、その際、彼が宿泊していたのが、クラリッジズホテル(Claridge's Hotel)であった。
当ホテルはメイフェア地区(Mayfair)にあるブルックストリート(Brook Street)とディヴィスストリート(Davies Street)が交差する南東の角に建っている。

クラリッジズホテルを囲む柵に施されたクリスマス用装飾

クラリッジズホテルは、元々1812年にフランス人ミヴァール(Mivart)によって「ミヴァールズホテル(Mivart's Hotel)として創業された。当時、ロンドンには豪華な宿泊設備を有するホテルがまだなかったため、彼のホテル業は大成功をおさめた。
1854年、ミヴァールズホテルの隣のホテルを所有していたクラリッジ夫妻(Mr. and Mrs. Claridge)に売却され、両ホテルの経営が一つになったのである。そして、ホテルの名前も、現在の「クラリッジズホテル」として通用するようになった。
クラリッジ夫妻の死後、サヴォイホテル(Savoy Hotel)の創業者であるリチャード・ドイリー・カルト(Richard D'oyly Carte)が1894年にクラリッジズホテルを買い取り、サヴォイホテルグループに編入させた。当時、リフトをはじめとする現代的な設備を設置するニーズがあり、1895年に古い建物が取り壊されて、203の客室を擁する現在の壮大な建物が建設され、1898年に再オープンした。外観はヴィクトリア様式で、ロビーはアール・デコ様式の重厚な構えとなっている。

以降、クラリッジズホテルは、英国の王族や貴族をはじめ、世界各国のVIPや名士等に多く利用され、その中にはケリー・グラント(Cary Grant)、オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)、アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)、ブラッド・ピット(Brad Pitt)、U2やマライア・キャリー(Mariah Carey)等が含まれている。
なお、クラリッジズホテルは、現在、メイボーングループ(Maybourne Group)が所有している。

クラリッズホテルを西側から東方面に望む―
ブルックストリート沿いは車の往来が激しい

アガサ・クリスティー作「忘られぬ死(Remembered Death)」では、ロンドン市内の高級レストラン「ルクセンブルク(Luxembourg)」において、毒殺事件が発生するが、クラリッジズホテルがそのモデルになっていると言われている。
当作品には、エルキュール・ポワロやミス・ジェイン・マープルは登場せず、レイス大佐が探偵役を務めている。
ちなみに、「忘られぬ死」というのは米版の原題(日本でも、こちらが使用されている)で、元々の英版の原題は「泡立つ青酸カリ(Sparkling Cyanide)」というかなり強烈なタイトルである。

2014年12月28日日曜日

ロンドン クレイグスコート(Craig's Court)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「ソア橋の謎(The Problem of Thor Bridge)」は、次のような前置きから始まる。
「チャリングクロスにあるコックス銀行の貴重品保管庫のどこかに、旅行に伴う傷みがひどいブリキの文書箱が預けられている。文書箱の蓋には、「元インド軍所属、医学博士ジョン・H・ワトスン」という私の名前が書かれている。文書箱には大量の書類が詰まっていて、それらのほとんどは、シャーロック・ホームズが様々な折りに手がけた奇妙な事件に関する数々の記録である。それらの事件のいくつかは、少なからず興味深いものだが、完全な失敗で終わっている。最終的な解決の部分が欠けている訳で、そのままの形で語っても仕方がない。解答がない問題は、研究者にとっては面白いのかもしれないが、気楽に読書をしようとする人を怒らせることになるのは間違いない。(Somewhere in the vaults of the bank of Cox and Co., at Charing Cross, there is a travel-worn and battered tin despatch-box with my name, John H. Watson, MD, Late Indian Army, painted upon the lid. It is crammed with papers nearly all of which are records of cases to illustrate the curious problems which Mr. Sherlock Holmes had at various times to examine. Some, and not the least interesting, were complete failures, and as such will hardly bear narrating, since no final explanation is forthcoming. A problem without a solution may interest the student, but can hardly fail to annoy the casual reader.)」

コックス銀行がかつて入居していたと思われる建物

トラファルガースクエア(Trafalgar Square)/チャリングクロス交差点(Charing Cross)からホワイトホール通り(Whitehallー英国首相官邸や各省庁等が集中している通り)を南下して、左手に最初に現れる道を曲がると、クレイグスコート(Craig's Court)に入る。
クレイグスコートに突き当たったところの右手にある建物に、陸軍の資金調達や銀行業を司った「コックス銀行(Cox and Co.)」がかつて入居していた。

クレイグスコートの突き当たり正面にある建物ー現在建替え中

クレイグスコートに突き当たったところの左手にある建物―
手前にパブがあるため、外で飲んでいる客が多い

ただし、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の際、コックス銀行が入居していた建物の周辺は、ロンドンの中でも、ドイツ軍による爆撃により甚大な被害を蒙っており、コックス銀行の建物自体も当時破壊されてしまったため、現在の建物はその後再建されたものである。よって、コックス銀行の貴重品保管庫に預けられていたワトスンの未発表事件記録は、ドイツ軍による爆撃で全て焼失してしまった可能性が非常に高い。

2014年12月27日土曜日

ロンドン トッテナムコートロード/グッジストリート(Tottenham Court Road/Goodge Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」では、クリスマスから二日目の朝、ジョン・ワトスンがベーカーストリート221Bを訪問すると、シャーロック・ホームズは紫色の化粧着(dressing-gown)を着て、ソファーの上でくつろいでいた。ソファーの隣に置かれた木製椅子の背もたれの角には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛けられていて、ホームズは拡大鏡とピンセットでこの帽子を調べていたようであった。ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。ホームズの説明は、以下のように続くのである。

トッテナムコートロード沿いに並ぶクリスマスマーケットの店

トッテナムコートロードとトッテナムストリート
(Tottenham Street)が交差する角にある広場に立つクリスマスツリー

「まず最初に、この帽子がどのような経緯でここにやって来たのかを説明しよう。この帽子は、クリスマスの朝、丸々と太ったガチョウと一緒にここに持ち込まれたんだ。今頃、ガチョウはピータースンの竃(かまど)の前で火に炙られているに違いない。事実関係はこんな風だ。君も知っている通り、ピータースンは非常に実直な男だ。クリスマスの朝4時頃、彼はちょっとした宴席から帰るところで、トッテナムコードロードを家に向かって歩いていた。彼の前方には、ガス灯の明かりの中、白いガチョウを肩にかけた背の高い男が千鳥足で歩いているのが見えた。ピータースンが(トッテナムコートロードと)グッジストリートの角に来た時、背の高い男と街のゴロツキ達の間で喧嘩が始まったんだ。ゴロツキ達の一人が背の高い男の帽子を叩き落としたので、男が自分の身を守ろうと、ステッキを持ち上げて、頭上で振り回したところ、はずみで後ろにあった商店のショーウィンドのガラスを割ってしまった。男をゴロツキ達から守ろうと、ピータースンはその場に駆け付けた。ところが、男はショーウィンドのガラスを割ってしまったことに動揺していた上に、警察官のような制服を着た人間が自分の方に向かって来るのを見て、ガチョウを落とし、慌てて逃げ出したんだ。そして、男はトッテナムコートロードの裏に横たわる迷路のような小さな通りの中に消えてしまった。ゴロツキ達もまたピータースンの登場に驚いて逃去った。その結果、ピータースンは一人喧嘩の現場に取り残され、そして、勝利の戦利品として、つぶれた帽子と申し分のないクリスマスのガチョウだけが彼の手の中に残ったんだ。(And, first, as to how it came here. It arrived upon Christmas morning, in company with a good fat goose, which is, I have no doubt, roasting at this moment in front of Peterson's fire. The facts are these : about four o'clock on Christmas morning, Peterson, who, as you know, is a very honest fellow, was returning from some small jollification and was making his way homeward down to Tottenham Court Road. In front of him he saw, in the gaslight, a tallish man, walking with a slight stagger and carrying a white goose slung over his shoulder. As he reached the corner of Goodge Street, a row broke out between this stranger and a little knot of roughs. One of the latter knocked off the man's hat, on which he raised his stick to defend himself, and, swinging it over his head, smashed the shop window behind him. Peterson had rushed forward to protect the stranger from his assailants, but the man, shocked at having broken the window and seeing an official-looking person in uniform rushing towards him, dropped his goose, took to his heels and vanished amid the labyrinth of small streets which lie at the back of Tottenham Court Road. The roughs had also fled at the appearance of Peterson, so that he was left in possession f the field of battle, and also of the spoils of victory in the shape of this battered hat and a most unimpeachable Christmas goose.)」

グッジストリートの西側から東方面を見たところ
奥に見えるのが、トッテナムコートロード

グッジストリート沿いにあるパブ「The Fitzrovia」

ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになったグッジストリート(Goodge Street)は、大英博物館(British Museum)やロンドン大学(University of London)等が点在するブルームズベリー(Bloomsbury)地区内にある。グッジストリートは、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)を間にして、大英博物館やロンドン大学とは反対側(=西側)に位置している。また、グッジストリートの近くには、通りの名を冠した地下鉄グッジストリート駅(Goodge Street)がトッテナムコートロード沿いにある。

トッテナムコートロード沿いにある地下鉄グッジストリート駅

グッジストリートから始まり、トッテナムコートロードに並行して北へのびるホワイトフィールドストリート(Whitefield Street)を少し北上すると、そこにはポロック玩具博物館(Pollock's Toy Museum & Shop)という小さな私設博物館がある。ここでは、厚紙でつくられた人形劇の劇場、テディー・ベアや人形の家等のコレクションが数多く展示されている。また、通りに面した部分は、昔懐かしい玩具を販売するショップとなっている。

ホワイトフィールドストリートとスカラストリート(Scala Street)が交差する
角に建つポロック玩具博物館(入口は画面右手奥)

ポロック玩具博物館の建物壁面

なお、原題の「Carbuncle」とは、頂点が丸くカットされた「ガーネット」のことを指している。ガーネットの色としては、白色、赤色、黄色、緑色や紫色等が存在するが、「青色」は存在していないため、本物語で出てきた宝石が果たして「ガーネット」であったのかどうかは疑問である。

2014年12月21日日曜日

ロンドン ハーフムーンストリート369番地(369 Half Moon Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」において、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)経由、匿名の依頼人からの頼みを受けたシャーロック・ホームズは、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢ヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)とオーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Grunerーハンサムであるが、非常に残虐な男)の結婚をなんとか阻止しようと試みる。ホームズは、英国のキングストン(Kingston)に住むグルーナー男爵との直接交渉やロンドンのバークリースクエア(Berkeley Square)に住むド・メルヴィル嬢への説得を行うが、残念ながら、どちらも失敗に終わってしまう。そして、ド・メルヴィル嬢との会見の二日後、昼の12時頃、リージェントストリート(Regent Streetーピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北方面にのびる大通り)沿いにあるカフェ・ロイヤル(Cafe Royal)の前の路上で、ホームズはグルーナー男爵が放った手下達の襲撃を受けて、瀕死の大怪我を負ってしまうのである。

ハーフムーンストリートの中間辺りから
北側のカーゾンストリートを見た写真

ホームズの大怪我から一週間が経過した日の夕刊に、「ド・メルヴィル嬢と結婚する前に、アメリカ合衆国で重要な取引を片付ける必要があるため、グルーナー男爵は金曜日にリヴァプールを出航するキューナード汽船のルリタニア号に乗船する予定(It was simply that among the passengers on the Cunard boat Ruritania, starting from Liverpool on Friday, was the Baron Adelbert Gruner, who had some important financial business to settle in the States before his impending wedding to Miss Violet de Merville, only daughter of, etc., ec.)との記事が掲載された。グルーナー男爵が英国から逃げ出すつもりと考えたホームズは、ジョン・ワトスンに助けを求める。ワトスンに丸一日がかりで中国の陶器に関する詰め込み勉強をさせた後、翌日の夕方、デマリー大佐が匿名の依頼人から借り受けた明朝の本物の薄手磁器(the real eggshell pottery of the Ming dynasty)を、ホームズがワトスンに手渡す。ワトスンはホームズに尋ねる。

「僕はこれをどうしたらいいいんだい?」
すると、ホームズは「ハーフムーンストリート369番地 ヒル・バートン博士」と印刷された名刺を私に渡した。
「ワトスン、今夜、君はこの人物になるんだ。そして、君にはグルーナー男爵邸へ行ってもらいたい。…」
('What am I to do with it ?' Holmes handed me a card upon which was printed : 'Dr Hill Barton, 369 Half Moon Street'. 'That is your name for the evening, Watson. You will call upon Baron Gruner. ...)

ホームズとしては、貴重で珍しい美術工芸品には目がないグルーナー男爵を英国内にできる限り長くとどめて、時間稼ぎをするとともに、ド・メルヴィル嬢との結婚を阻止できるための証拠を手に入れる段取りをしようとしていたのだ。

ハーフムーンストリートの中間辺りから
南側のピカデリー通りを望む

ハーフムーンストリート(Half Moon Street)は、ピカデリーサーカスとハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)を結ぶピカデリー通り(Piccadilly)の中間辺りから北にのびる通りで、北側はカーゾンストリート(Curzon Street)に接している。
とても素敵なこの通りの名前は、ここにあった居酒屋の名に由来しているとのこと。

ピカデリー通りからカーゾンストリート方面にハーフムーンストリートを北上した中間点辺りに、二つのホテルがある。左手のホテルは「ヒルトン・ロンドン・グリーンパーク(Hilton London Green Park)」で、右手のホテルは「フレミングス・メイフェア(Flemings Mayfair:ミス・ジェイン・マープルが探偵役を務めるアガサ・クリスティー作「バートラムホテルにて(At Bertram's Hotel)」のモデルとなった候補地の一つ)」である。

アガサ・クリスティー作「バートラムホテルにて」のモデルとなった
候補地の一つの「フレミングス メイフェア ホテル」

最初の夫アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年)の浮気が原因で、1928年に彼と離婚したアガサ・クリスティーは、中東旅行の際に知り合った考古学者サー・マックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Sir Max Edgar Lucien Mallowan:1904年ー1978年)と1930年に再婚する。その後、1934年に二人は地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の近くにあるシェフィールドテラス58番地(58 Sheffield Terrace)の家を購入した。このシェフィールドテラス58番地を賃貸して、彼らはデヴォン(Devon)州のグリーンウェイハウス(Greenway House)に住んでいたが、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、グリーンウェイハウスが英国海軍省に接収され、アメリカ軍の宿舎として使用されることになったため、彼らはデヴォン州からロンドンへ出て来ることになった。
シェフィールドテラス58番地の借家人が退去するまでの間、彼らはハーフムーンストリートにフラットを見つけて、一時住んでいたのである。その期間はたったの1週間で、その理由はそのフラットの状態があまりにもひどかったためだとのこと。当時、ハーフムーンストリート沿いは、貴族、外科医、内科医や弁護士等が住む高級住宅街の一つであったが、やむを得ず、彼らはリッツ(The Ritz)ホテルの近くにあるパークプレイス(Park Place)へと移ってしまった。

なお、ホームズが準備してワトスンに渡したヒル・バートン博士の名刺に記載されていたハーフムーンストリート369番地は架空の住所であり、同ストリートは3桁の番地が存在できる程には長くない。

2014年12月20日土曜日

ロンドン ロンドン博物館 / シャーロック・ホームズ展(Museum of London / Sherlock Holmes Exhibition)


ロンドンの金融街であるシティー・オブ・ロンドン(City of London)内には、ロンドン博物館(Museum of London)があり、旧石器時代から現代に至るロンドンに生きた人々に関連する展示品や資料等が並んでいる。
このロンドン博物館で、10月17日から来年4月12日まで、シャーロック・ホームズ展が開催されている。英語でのタイトルは「Sherlock Holmes : The Man Who Never Lived And Will Never Die」となっていて、「シャーロック・ホームズ:架空の人物で、永遠に生き続ける人間」とでも訳すのだろうか?



最寄駅は、地下鉄のセントラルラインが停まるセントポール駅(St. Paul's Tube Station)、サークルライン、メトロポリタンラインやハマースミス・アンド・シティーラインが停まるバービカン駅(Barbican Tube Station)やモーゲート駅(Moorgate Tube Station)の3つで、それぞれから徒歩10分弱のところに位置している。
セントポール駅とバービカン駅からはオルダースゲートストリート(Aldersgate Street)を通って、また、ムーアゲート駅からはロンドンウォール通り(London Wall)を通り、ロンドン博物館まで至る。博物館の入口は日本の2階にあるため、博物館の一部を周回する道路の壁には、「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes:1905年2月)」におさめられている「踊る人形(The Dancing Men)」において重要なテーマとなる小さな踊る人形の列が我々を出迎えてくれる。エスカレーターや階段等で2階へ上がると、博物館の入口へと至る回廊には、サー・アーサー・コナン・ドイル作「踊る人形」のテキストとシドニー・パジェット(Sidney Paget)のイラストが更に待ち受けている。




ロンドン博物館の入口を抜けると、入口の右手には、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」、「赤毛組合(The Red-Headed League)」、「五つのオレンジの種(The Five Orange Pips)」、「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」、「最後の事件(The Final Problem)」と「空き家の冒険(The Empty House)」をテーマにした電話ボックスが6つ(黄色、赤色、緑色、黒色、オレンジ色と紫色)展示されている。



シャーロック・ホームズ展自体は、階段を2階分降りた地下1階にある。ホームズ展の入口は本棚に模した壁で、その一部を開けて内に入ることになる。
内部では、
*コナン・ドイルがホームズ物語を執筆する切っ掛けとなった米国の作家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1849年)の「モルグ街の殺人(The Murders in the Rue Morgue:1841年)」の原稿
*「緋色の研究(A Study in Scarlet)」の初版本
*「空き家の冒険」の原稿
*「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載されたシドニー・パジェットのイラスト
*シドニー・パジェットが描いたコナン・ドイルの肖像画
*BBCのTVドラマ「シャーロック(Sherlock)」でベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)が実際に着ていたコートやドレッシングガウン
等が展示されている。
「空き家の冒険」の原稿を実際にみてみると、小さいながらも非常に整然としたコナン・ドイルの直筆文字が並んでいて、意外な感じがする。

シャーロック・ホームズ展の入口
シャーロック・ホームズ展の出口

今回のシャーロック・ホームズ展は、ロンドン博物館の性格上、ホームズが活躍した19世紀末の大英帝国の首都ロンドンを主役に据えている。そのため、ホームズ展の前半と後半はホームズが主役となってるが、中間部分は当時のロンドンの風景がメインとなっている。よって、地下鉄のベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の近くにあるシャーロック・ホームズ博物館(The Sherlock Holmes Museum)と同じと思って出かけると、見学の途中で若干肩すかしな感じがするかもしれない。
なお、シャーロック・ホームズ展の内部は写真撮影禁止のため、写真をお見せできないのが残念である。

2014年12月14日日曜日

ロンドン クリスティーズ(Christie's)

キングストリート(King Street)沿いにある
クリスティーズ入口脇にある銘板

サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」において、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)経由、匿名の依頼人からの頼みを受けたシャーロック・ホームズは、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢ヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)とオーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Grunerーハンサムであるが、非常に残虐な男)の結婚をなんとか阻止しようと試みる。ホームズは、英国のキングストン(Kingston)に住むグルーナー男爵との直接交渉やロンドンのバークリースクエア(Berkeley Square)に住むド・メルヴィル嬢への説得を行うが、残念ながら、どちらも失敗に終わってしまう。そして、ド・メルヴィル嬢との会見の二日後、昼の12時頃、リージェントストリート(Regent Streetーピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北方面にのびる大通り)沿いにあるカフェ・ロイヤル(Cafe Royal)の前の路上で、ホームズはグルーナー男爵が放った手下達の襲撃を受けて、瀕死の大怪我を負ってしまうのである。
ホームズの大怪我から1週間が経過した日の夕刊に、グルーナー男爵の渡米予定を伝える記事が掲載された。グルーナー男爵が英国から逃げ出すつもりと考えたホームズは、ジョン・ワトスンに助けを求める。ワトスンに丸一日がかりで中国の陶器に関する詰め込み勉強をさせた後、翌日の夕方、ホームズはワトスンにあるものを手渡すのであった。

キングストリートとバリーストリート(Bury Street)の角にある
クリスティーズの建物

「それじゃ、暖炉の上からその小箱を取ってくれないか。」
彼(=ホームズ)は蓋を開けて、綺麗な東洋の絹で非常に注意深く包まれた小さな品物を小箱から取り出した。彼が絹の包みを解くと、その中から実に美しい濃青色をした精巧な小皿がその姿を現した。
「ワトスン、この小皿は慎重に取り扱ってほしい。何故ならば、これは明朝時代の本物の薄手の磁器なんだ。クリスティーズが取り扱った中でも、これに勝るものはない位の逸品だ。完全な一組が揃っていれば、王国一つの値打ちに匹敵するよ。実際のところ、北京の王宮の外に完全な一揃いが存在しているとは思えないけどね。この小皿を一目見たら、どんな美術品鑑定家でも泣いて喜ぶに違いない。」
('Then hand me that little box from the mantelpiece.'
He opened the lid and took out a small object most carefully wrapped in some fine Eastern silk. This he unfolded, and disclosed a delicate little saucer of the most beautiful deep-blue color.
'It needs careful handling, Watson. This is the real eggshell pottery of the Ming dynasty. No finer piece passed through Christie's. A complete set of this would be worth a king's ransom - in fact, it is doubtful if there is a complete set outside the Imperial palace of Peking. The sight of this would drive a real connoisseur wild'.)

建物外壁に掲げられているクリスティーズの旗

クリスティーズ(Christie's)は、サザビーズ(Sotheby's)と並び、世界中で有名なオークションハウス(=競売会社)で、1766年12月5日、美術商のジェイムズ・クリスティー(James Christie:1730年ー1803年)によってロンドンに設立された。クリスティーズは設立後すぐに第一級のオークションハウスとしての名声を確立し、フランス革命(French Revolution:1789年)後、ロンドンが国際的な美術品取引の新しい中心地となったことに伴い、大きく成長したのである。その後、クリスティーズは1958年に最初の海外事務所をローマに構え、最初の海外競売場をジュネーブに開設して、宝石のオークションを行っている。

クリスティーズのメインとなるロンドン競売場は、ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)、キングストリート(King Street)沿いにあり、1823年に開設されている。また、1975年には、サウスケンジントン区(South Kensington)に2番目の競売場が開設され、現在世界中でも最も活発競売場の一つとなっている。

その後も、クリスティーズは成長を続け、ニューヨーク、ロサンゼルス、ヒューストン、パリ、ジュネーブ、アムステルダム、ウィーン、ベルリン、ローマ、ミラノ、マドリードやモスクワといった欧米の主要都市以外に、メキシコ、アルゼンチン、イスラエル、UAE(アラブ首長国連邦)、日本、韓国、中国、香港、シンガポールやタイ等、世界中に競売場を有するに至っているのである。

2014年12月13日土曜日

ロンドン ロンドン博物館 / シャーロック・ベア(Museum of London / Sherlock Bear)

ロンドン博物館内に展示されているシャーロック・ベア
(ベネディクト・カンバーバッチがデザイン)

ロンドンでは、英国のマイケル・ボンド(Michael Bond:1926年ー)作の児童文学「くまのパディントン(A Bear Called Paddington:1958年)」を実写映画化した「パディントン(Paddington)」が11月末から公開中である。
くまのパディントン(正確に言うと、まだこの段階ではパディントンと呼ばれてはいないが...)は、ルーシーおばさんによって「暗黒の地ペルー」から送られ、ロンドンに到着した。そして、パディントン駅(Paddington Station)でスーツケースの上に座っている彼をブラウン夫妻が発見。彼のコートには、「このくまの世話を宜しくお願いします。」と書かれたタグが付されていた。彼を可哀想に思ったブラウン夫妻は、彼と出会った駅名を採って、彼を「パディントン」と呼ぶことにしたのである。

パディントン駅内に設置されている
オリジナルのくまのパディントン像

以前、アーサー・コナン・ドイルやアガサ・クリスティー等の原作をテーマにしたベンチがロンドン市内に展示された話を紹介したが、今回は実写映画の公開に合わせて、著名人が各々デザインしたくまのパディントン像(全部で約50体)がロンドン市内の各地に設置されている。
ロンドンの金融街シティー(City)内に位置するロンドン博物館(Museum of London)に、BBCのTVドラマ「シャーロック(Sherlock)」で一躍大人気になった俳優のベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)がデザインしたくまのパディントン像が展示されている。

シャーロック・ベアのアップ写真

元々、オリジナルのくまのパディントンは、本の挿絵画家ペギー・フォートナム(Peggy Fortnum:1919年ー)によって描かれたのが最初である。
最近のイラストでは、赤い帽子に青いコートを着たくまのパディントンが主流を占めているが、一般に販売されている人形では、青い帽子に赤いコートという逆パターンも見受けられる。

シャーロック・ベアは、ホームズシリーズでおなじみの鹿撃ち帽を
頭の上に掲げている

ベネディクト・カンバーバッチがデザインしたくまのパディントン像は「シャーロック・ベア(Sherlock Bear)」と名付けられており、右手でシャーロック・ホームズシリーズでおなじみの鹿撃ち帽(ディアストーカー)を頭の上に掲げて、左手にはスーツケースを提げている。そして、ダッフルコートの胸元からは、原作通り、「Please look after this bear, thank you.」と書かれたタグが下がっている。できれば、ダッフルコートではなく、オリジナルのホームズみたいにインヴァネスコートを両肩に羽織らせてほしかったところである。さすがに、オリジナルのホームズと同じようにパイプを持たせることは、かなり難しいかとは思うが...くまのパディントンの顔は、実写映画に合わせてかなりリアルになっているので、昔の絵本のイラストに慣れ親しんだ人にとっては、若干違和感があるかもしれない。

シャーロック・ベアのダッフルコートの胸元からも、
「このくまの世話を宜しくお願いします。(Please look after this bear. Thank you.)」
と書かれたダグが下がっている

ベネディクト・カンバーバッチ以外にも、ロンドン市長(Mayor of London)のボリス・ジョンソン(Boris Johnson:1964年ー)、ロイヤル・バレエ団(Royal Ballet)元プリンシパルのダーシー・バッセル(Darcey Bussell:1969年ー)やファッションモデルのケイト・モス(Kate Moss:1974年ー)等がデザインしたくまのパディントン像が、西はパディントン駅から東はシティー周辺までのロンドン市内の各地で、実写映画の公開を宣伝している。

2014年12月7日日曜日

ロンドン セントジェイムズスクエア/ロンドン図書館(St. James's Square/London Library)

セントジェイムズスクエア内にある美しい植栽

サー・アーサー・コナン・ドイル作「高名な依頼人(The Illustrious Client)」において、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)経由、匿名の依頼人からの頼みを受けたシャーロック・ホームズは、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢ヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)とオーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Grunerーハンサムであるが、非常に残虐な男)の結婚をなんとか阻止しようと試みる。ホームズは、英国のキングストン(Kingston)に住むグルーナー男爵との直接交渉やロンドンのバークリースクエア(Berkeley Square)に住むド・メルヴィル嬢への説得を行うが、残念ながら、どちらも失敗に終わってしまう。そして、ド・メルヴィル嬢との会見の二日後、昼の12時頃、リージェントストリート(Regent Streetーピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北方面にのびる大通り)沿いにあるカフェ・ロイヤル(Cafe Royal)の前の路上で、ホームズはグルーナー男爵が放った手下達の襲撃を受けて、瀕死の大怪我を負ってしまうのである。

セントジェイムズスクエア内にある閑静なプライベートガーデン

ホームズの大怪我から1週間が経過した日の夕刊に、グルーナー男爵の渡米予定を伝える記事が掲載された。グルーナー男爵が英国から逃げ出すつもりと読んだホームズは、ジョン・ワトスンに助けを求める。

ロンドン図書館前からセントジェイムズスクエアを望む

「さあ、ワトスン、君には一仕事してもらいたい。」
「何でも言ってくれ、ホームズ。」
「では、これから丸一日がかりで中国の陶器について知識を詰め込んでもらいたい。」
彼は何の説明をしてくれなかったし、私も彼に説明を求めなかった。長年の経験から、彼の指示への絶対服従が一番だと私は学んでいた。しかし、彼の部屋を出て、ベーカーストリートを南に下りながら、一体どうやってこんな奇妙な指示に従えばよいのだろうかという思いが私の頭で反芻していた。仕方がないので、私はセントジェイムズスクエアのロンドン図書館へ馬車をとばして行き、そこで副司書をしている友人のロマックスに事情を説明し、結構な大きさの一巻を腕に抱えるようにして、(クイーン アン ストリートにある私の)家に帰った。
('Now, Watson, I want you to do something for me.'
'I am here to be used, Holmes.'
'Well, then, spend the next twenty-four hours in an intensive study of Chinese pottery.'
He gave me no explanations and I asked for none. By long experience I had learned the wisdom of obedience. But when I had left his room I walked down Baker Street, revolving in my head how on earth I was to carry out so strange an order. Finally I drove to the London Library in St. James's Square, put the matter to my friend Lomax, the sub-librarian, and departed to my rooms with a goodly volume under my arm.)

プライベートガーデンの中心部に立つ
ウィリアム3世のブロンズ像

セントジェイムズスクエアは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にある広場で、北側のピカデリー通り(Piccadilly)と南側のパル・マル通り(Pall Mall)に挟まれている。
1720年代には、7人の公爵(Duke)と7人の伯爵(Earl)が既にこの一帯に住んでおり、この段階で、スクエアの東、北および西の部分は邸宅に囲まれていた。
当スクエアの周囲には、ジョージ朝様式やネオ・ジョージ朝様式の建物が建設され、スクエアの中心にはプライベートガーデンがつくられた。プライベートガーデンの中心部には、ステュアート朝のウィリアム3世(William III:1650年ー1702年 在位期間:1689年ー1702年)のブロンズ像が1808年に設置された。
19世紀中頃になると、当スクエア内には、銀行、保険会社、英国政府機関、図書館やクラブ等が入居するようになったが、引き続き富裕層が住む高級住宅街であり続けたのである。

画面中央に見える建物がセントジェイムズスクエア14番地(ロンドン図書館)
ロンドン図書館の入口

ワトスンが訪ねたロンドン図書館(London Library)は実在の場所で、セントジェイムズスクエアの14番地に所在している。ロンドン図書館は1845年にここに入居したが、建物は1896年から1898年にかけて再建されている。
なお、「高名な依頼人」事件が発生したのは1902年9月なので、ワトスンがロンドン図書館を訪問したのは、再建後ということになる。