2026年8月1日土曜日

エマ・ハミルトン(Emma, Lady Hamilton)- その4

ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作のエマ・ハートの肖像画(1785年頃)
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、物語の語り手であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))が、キングストンビショップ村(Kingston Bishop)の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に出かけたバリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


そのジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神(muse)とも言える存在となったエマ・ハート(Emma Hart:1765年ー1815年)は、英国の絵画モデル / 舞踏家 / 女優である。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作の自画像(Self-portrait)(1784年)
<筆者撮影>


1765年4月26日、鍛治職人(blacksmith)の父ヘンリー・ライオン(Henry Lyon)と母メアリー・キッド(Mary Kidd)の下、チェシャー州(Cheshire)のネス(Ness)に出生したエイミー・ライオン(Amy Lyon)は、エマ・ハート(Emma Hart)へと名前を変え、1779年、もしくは、1780年初めに、ロンドンへ向かう。

1781年6月 / 7月頃、エマ・ハートは、初代ウォーリック伯爵フランシス・グレヴィル(Francis Greville, 1st Earl of Warwick:1719年ー1773年)の次男であるチャールズ・フランシス・グレヴィル(Charles Francis Greville:1749年ー1809年)と親しくなり、彼の愛人となる。

1786年、エマ・ハートは、ナポリ(Naples)へと向かい、チャールズ・フランシス・グレヴィルの叔父で、英国の外交官で、ナポリ公使として駐在していたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(Sir William Douglas Hamilton:1730年ー1803年)の愛人となる。当時、チャールズ・フランシス・グレヴィルは、裕福な妻を見つけて、正式な結婚をしようと考えており、彼女を叔父のサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの愛人とさせて、叔父の再婚を阻止するとともに、自分も彼女を厄介払いしようとしたのである。

エマ・ハートにすっかり魅了されたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンは、彼女と正式に結婚することを決める。英国に一時帰国した彼女(26歳)は、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとの結婚(1791年9月6日)後、ナポリへと戻る。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
Sir William Beechey 作のホレーシ・ネルソンの肖像画(1800年)
<筆者撮影>


サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの正式な妻、即ち、ナポリ公使夫人となったレディー・エマ・ハミルトンの前に、1793年9月10日、後に英国海軍提督となる初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)が現れた。

トゥーロン攻囲戦(Siege of Toulon:1793年9月18日ー同年12月18日)でフランス共和国軍を攻撃するため、特使として援軍を求めて、ナポリへやって来たのである。

エマ・ハミルトンは、ナポリ公使夫人として、ホレーショ・ネルソンを歓迎。ホレーショ・ネルソンは、5日後の1793年9月15日にナポリを離れるが、この時点で、彼は彼女に対して恋愛感情を既に抱いていたようである。


5年後の1798年9月22日、ホレーショ・ネルソンがナポリを再訪した際、事態は大きく動き出す。

1798年8月1日から同年8月2日早朝にかけて行われたナイルの海戦(Battle of the Nile → アブキール湾の海戦(Battle of Aboukir Bay)とも呼ばれる)において。フランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた英国艦隊を率いたホレーショ・ネルソンが、再度ナポリへとやって来たのである。

その時点で、ホレーショ・ネルソンは、片腕と歯のほとんどを失っており、5年前に比べると、容貌が大きく様変わりしていた。また、彼は、ひとしきり続く咳にも悩まされていた。ホレーショ・ネルソンと再会したエマ・ハミルトンは、彼の異様な容貌を見て、失神してしまう。


エマ・ハミルトンは、ホレーショ・ネルソンをナポリ公使邸へ連れて行き、彼の看病を付き切りで行った。また、ホレーショ・ネルソンの誕生日である9月29日には、1800名のゲストを招待して、パーティーを開催、彼の40歳を祝った。

その後、エマ・ハミルトンは、ホレーショ・ネルソンの秘書兼通訳を務め、程なくして、2人は恋愛関係になった。前述の通り、エマ・ハミルトンは、1791年にサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンと結婚して、ナポリ公使夫人と言う立場にあり、また、ホレーショ・ネルソンも、1787年にフランシス・ハーバート・ウールワード(Frances Herbert Woolward:1758年ー1831年)に結婚していたため、2人とも不倫だった訳である。

2人の不倫関係は、何故か、周囲から寛大に見られており、エマ・ハミルトンの夫であるサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンも、そうであった。サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとしては、ホレーショ・ネルソンを英国にとって必要不可欠な人物であると見做して、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係を黙認する一方、ホレーショ・ネルソンとの友情関係も維持していた、とのこと。

ただ、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係は、ナポリから本国である英国へと伝わり、新聞報道を経て、公となってしまった。


2026年7月31日金曜日

ロンドン パラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road)- その1

1915年3月に
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
リッチモンドグリーンから移り住んだパラダイスロード34番地の建物(その1)
<筆者撮影>


1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年 / 英国の小説家 / 評論家)レナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年 / 英国の作家 / 出版業者 / 公務員の2人は、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の西端に所在しているクリフォーズイン(Clifford’s Inn → 2026年7月9日 / 7月10日付ブログで紹介済)と言うフラットへ移り住んだ。


1912年8月10日に結婚した
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフは、レナード・シドニー・ウルフと結婚する前に、彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」を概ね完成させていたが、結婚後の1912年12月から1913年3月にかけて、大幅な改稿作業を行った。

同作品は、彼女の異父兄であるジェラルド・ダックワース(Gerald Duckworth:1870年-1937年)が興した出版社(Gerald Duckworth and Company Ltd. - 1898年設立)から1915年3月26日に刊行されることになるが、上記の大幅な改稿が、肉体的にも、精神的にも、彼女を極度の消耗状態へと追い込んだ。

その結果、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


上記の通り、重度の精神疾患に苦しむヴァージニア・ウルフのことを心配したレナード・シドニー・ウルフは、1914年の秋、彼女を連れて、ロンドン市内を離れ、緑豊かなリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるリッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)へと引っ越した。


リッチモンドグリーンの緑地帯を
南西側から北東方面へと進むところ
<筆者撮影>


テムズ河(River Thames)の上流にあるリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がリッチモンドグリーンへ引っ越した1914年の秋頃、彼女の精神状態は落ち着いていたが、引越後の1915年2月には、精神疾患が再発、彼女の容体は悪くなってしまう。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。
画面中央から左側にある大きな緑地帯が「リッチモンドグリーン」で、
画面右下の赤い矢印部分に、パラダイスロード34番地のホガースハウスが所在している。


そこで、1915年3月、彼らは、リッチモンドグリーン近くのパラダイスロード34番地(34 Paradise Road)の家へ再度引っ越して、その家を「ホガースハウス(Hogarth House)」と名付けた。

彼女の異父兄ジェラルド・ダックワースが興した出版社から、彼女の最初の長編小説「船出」が刊行されたのは、丁度その頃(1915年3月26日)である。



1915年3月に
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
リッチモンドグリーンから移り住んだパラダイスロード34番地の建物(その2)
<筆者撮影>


リッチモンドグリーンからパラダイスロード34番地の「ホガースハウス」へ引っ越したものの、ヴァージニア・ウルフの精神疾患は、1917年まで続いた。

レナード・シドニー・ウルフは、彼女が興味を持てそうな趣味や活動をなんとか見つけて、執筆による精神的ストレスから彼女を解放しようと努めた。

幸いにして、2人が興味を持っていた印刷技術に注目したレナード・シドニー・ウルフは、1917年7月、「ホガースプレス(Hogarth Press)」と言う出版社を、「ホガースハウス」の居間に設立したのである。 


2026年7月30日木曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その40A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」ペーパーバック版の表紙 -
物語の舞台となるナス屋敷の敷地内に建ち、
後に重要な役割を果たす阿房宮が描かれていると思われる。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(93)ナス屋敷(Nasse House)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の左斜め後ろに居るアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings → 2025年10月12日付ブログで紹介済)の背後の壁に、ナス屋敷を描いた絵が掛けられている。


(94)ボート小屋(boathouse)



ジグソーパズル中央に立つポワロから右真横へ移動した位置に居る執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左側に建つ柱の壁に、ボート小屋を描いた絵が掛けられている。


(95)5種類の凶器(five murder weapons)



ジグソーパズルの右上の角に見える回廊の床の上に、5種類の凶器が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1956年に発表した「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」である。

「死者のあやまち」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第48作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第27作目に該っている。


2014年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」の
ハードカバー版のカバー画
(By Mr. Tom Adams)-
物語の舞台となるグリーンショア屋敷、重要な役割を果たす阿房宮、
レディー・ハティー・スタッブス(Lady Hattie Stubbs)、
事件の舞台となるボート小屋等が描かれている。
また、左下には、フォリアット夫人(Mrs. Folliat)、もしくは、
作者のアガサ・クリスティー本人が描かれている。


1954年11月、アガサ・クリスティーは、自分の生まれ故郷デヴォン州のチャーストン フェラーズ(Churston Ferrers)にあるセントメアリー聖母教会(St. Mary the Virgin Church)に寄付するため、ある中編を執筆して、その印税収入を充てようとした。そこで、彼女は自分の住まいがあるグリーンウェイ(Greenway)を小説の舞台にした。それが、「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮(Hercule Poirot and the Greenshore Folly → 2014年9月27日付ブログで紹介済)」である。殺人事件が発生する小説の舞台に実在の場所である「グリーンウェイ」をそのまま使用できないので、「グリーンショア」と変更したものと思われる。なお、この中編は、雑誌掲載には難しい長さであったため、残念ながら、未発表のままに終わっている。
上記の中編の代わりに、アガサ・クリスティーは、ミス・ジェーン・マープルを主人公とした短編「グリーンショウ氏の阿房宮(Greenshaw's Folly)」を教会に寄付している。

2014年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」の
ハードカバー版本体の見開き画

(By Mr. Tom Adams)


アガサ・クリスティーは、中編「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」を長編にして、2年後の1956年に出版している。それが「死者のあやまち」である。

中編と長編を比較すると、物語のメイン舞台となるのが、グリーンショア屋敷とナス屋敷で名前が異なることや登場人物の名前の一部が変更されていること等を除くと、基本的なプロットは同じである。


2023年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイが、ナス屋敷として描かれている。


「Folly」を辞書で調べると、「あやまち」や「阿房宮」等、複数の意味がある。長編を読んだ方だと判ってもらえると思うが、物語の中で「阿房宮」はとても重要な役割を担っているし、また、「死者のあやまち」というのも、なかなか意味深な内容で、二重の意味をもつ「Folly」を使うクリスティーのタイトルの付け方も素晴らしい。


2026年7月29日水曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その4

リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を
南北に延びるオールドパレスレーン(Old Palace Lane)沿いに建つ
パブ「ザ・ホワイト・スワン(The White Swan)」
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


リッチモンドに嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


ナショナルポートレイトギャラリーで所蔵 / 展示されている
ジェイムズ1世の肖像画
(By Daniel Mytens
 / Oil on canvas / 1621年)
<筆者撮影>


テューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)が、1603年3月24日、リッチモンド宮殿において亡くなった後、ステュアート朝(House of Stuart)の初代国王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年-1625年)が即位。

ジェイムズ1世自身は、リッチモンド宮殿よりも、ロンドン市内のホワイトホール宮殿(Whitehall Palace)を好んだ。


リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を
南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居(その1)
<筆者撮影>

リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を
南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居(その2)
<筆者撮影>


ジェイムズ1世の長男であるヘンリー王子(Prince Henry - 正式名:ヘンリー・フレデリック / ウェールズ公(Henry Frederick, Prince of Wales:1594年ー1612年))が、自分が亡くなる直前の1612年、フランスの技師 / 建築家であるサロモン・ド・コース(Salomon de Caus:1576年ー1626年)とイタリアの画家 / 彫刻家 / 庭園設計家 / 建築家であるコスタンティーニ・デ・セルヴィ(Costantini de’Servi:1554年ー1622年)に対して、リッチモンド宮殿の庭園における水景物の設計を依頼。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
チャールズ1世の肖像画の葉書
(Daniel Mytens
 / 1631年 / Oil on canvas
2159 mm x 1346 mm) 


ジェイムズ1世の次男で、ステュアート朝の第2代国王であるチャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)は、即位前からリッチモンド宮殿を所有して、美術品の収集に注力。


テムズ河(River Thames)沿いに設置されている
Old Deer Park の沿革を示す説明板
<筆者撮影>


また、エリザベス1世と同じように、チャールズ1世も、鹿狩りを好み、1637年に鹿狩りのための狩猟区を新設。これが、エリザベス1世が「新しいリッチモンドパーク(Newe Parke of Richmonde → 現在の Old Deer Park)」と呼んでいた場所で、チャールズ1世は、「リッチモンドパーク(Richmond Park)」へ改名した。


チジックハウス(Chiswick House → 2016年7月23日付ブログで紹介済)で
所蔵 / 展示されているアンソニー・ヴァン・ダイク
(Anthony van Dyck / バロック期のフランドルの画家:1599年ー1641年
→ 2025年9月27日 / 10月4日 / 10月8日 / 10月13日付ブログで紹介済)

「英国王チャールズ1世と家族の肖像画」(1632年)―
正式な名前は、「チャールズ1世、ヘンリエッタ・マリアと
二人の子供(チャールズ王子とメアリー王女)」
(Charles I and Henrietta Maria with their two eldest children,
Prince Charles and Princess Mary)。
<筆者撮影>


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の葉書
(Sir 
Anthony van Dyck / 1640年頃 / Oil on panel
560 mm x 460 mm) 


チャールズ1世は、1626年頃、王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France:1609年-1669年)に対して、リッチモンド宮殿と荘園を与えたので、リッチモンド宮殿が、英国王室子息の住まいとなった。


2026年7月28日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その39B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「ヒッコリーロードの殺人」の
ペーパーバック版の表紙 -
今回の事件の舞台となるヒッコリーロード26番地にある学生寮の建物が、
ネズミの形に切り取られている。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1955年に発表した「ヒッコリーロードの殺人(Hickory Dickory Dock)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第47作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第26作目に該っている。


ミス・フェリシティー・レモンは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロの左斜め下に居る。

<筆者撮影>


「ヒッコリーロードの殺人」の場合、有能な秘書フェリシティー・レモン(Miss Felicity Lemon → 2025年10月15日付ブログで紹介済)がタイプした手紙に、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)が誤字を3つも見つけるところから、その物語が始まる。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ポワロがミス・レモンに尋ねると、彼女のタイプミスの原因が、彼女の姉で、今はヒッコリーロード26番地(26 Hickory Road)にある学生寮で寮母をしている未亡人のハバード夫人(Mrs. Hubbard)から彼女が相談を受けていたたためであることが判明する。


ミス・レモンによると、姉のハバード夫人が寮母を務めている学生寮では、非常に奇妙なことが連続して発生していたのである。

夜会靴、ブレスレット、聴診器、電球、古いフランネルのズボン、チョコレートが入った箱、硼酸の粉末、浴用塩、料理の本やダイヤモンドの指輪(後に、食事中のスープ皿の中から見つかった)等、全く関連性がないものが次々と紛失していた。更に、それに加えて、ズタズタに切り裂かれた絹のスカーフ、切り刻まれたリュックサック、そして、緑のインクで台無しになった学校のノート等が見つかり、盗難行為だけではなく、野蛮かつ不可解な行為も横行していたのだ。


ここのところ、興味を引く事件がなくて退屈気味だったポワロは、これ以上、ミス・レモンのタイプミスが続くことを避けるべく、彼女への手助けを申し出る。

ポワロは、まずハバード夫人に自分の事務所に来てもらい、更に詳しい事情を尋ねるとともに、学生寮に現在住んでいる学生達の情報についても、彼女からヒアリングする。

ポワロの灰色の脳細胞が、一見平和そうに見える学生寮の内で何か良からぬ企みが秘かに進行していると彼に告げる。そこで、ポワロはハバード夫人と再度話をして、学生寮に住む面々に犯罪捜査にかかる講演を行うという名目で、ヒッコリーロード26番地を訪ねることに決めた。


何ら脈絡がないと思えた盗難事件であったが、学生寮内での恐ろしい連続殺人事件へと発展するのであった。


(90)リュックサックの底に隠されて密輸された宝石等(valuables smuggled in rucksacks)



ポワロの秘書フェリシティー・レモンの姉であるハバード夫人が寮母を務めているヒッコリーロード26番地(26 Hickory Road)にある学生寮に住むある人物が、リュックサックの底にある細工を施す。リュックサックの底は、割合簡単に剥がせるようにできていて、しかも厚みがあった。波状の板紙の間に、細長く巻いた宝石や麻薬の粉末を隠せる構造になっていた。その人物は、細工を施したリュックサックをそのことを知らない学生達に渡して、海外から英国へ宝石や麻薬の粉末を密輸していたのである。


(91)ダイヤモンドの指輪が入ったスープ皿(bowl of soup with a ring in it)



ミス・レモンによると、姉のハバード夫人が寮母を務めている学生寮では、非常に奇妙なことが連続して発生していた。

その一環として、考古学(archaeology)を専攻する学生のパトリシア・レイン(Patricia Lane)が紛失したダイヤモンドの指輪が、後に、食事中のスープ皿の中から見つかったのである。


(92)ルシェルンのライオンの形をした大理石の文鎮(Lion of Lucerne paperweight)



ある日の夕方、警察に居たナイジェル・チャップマン(Nigel Chapman - 石器時代(Bronze Age)と中世(medieval)の歴史 / イタリア語を専攻するロンドン大学(University of London)の学生)のところに、パトリシア・レインから電話がかかってくる。

電話を受けたナイジェル・チャップマンが、シャープ警部(Inspector Sharpe)と一緒に、ヒッコリーロード26番地の学生寮に戻ってみると、パトリシア・レインが自室で殺害されていた。ごく簡単な凶器で、大理石の文鎮が毛糸の靴下の中に入っていた。それで、彼女は、背後から頭部を殴りつけられたのである。毛糸の靴下は、ナイジェル・チャップマンのもので、大理石の文鎮は、ルシェルンのライオンの形をしていた。


2026年7月27日月曜日

ロンドン リッチモンド劇場(Richmond Theatre)- その2

リトルグリーン越しに
リッチモンド劇場を臨む。
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1963年に発表した「複数の時計(The Clocks)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第54作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第29作目に該っている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「複数の時計」の
ペーパーバック版の表紙


英国の TV 会社 ITV1 で放映されたエルキュール・ポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の第12シリーズ / 第65話「複数の時計」(放映日:2011年12月26日)において、物語の舞台が、原作上のサセックス州(Sussexウディーン(Crowdean)からケント州(Kent)ドーヴァー(Dover)へと変更されている。


リトルグリーン通り(Little Green)の対岸から
リッチモンド劇場を見上げたところ
<筆者撮影>


そして、物語の冒頭、物語の冒頭、友人のアリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)作の芝居「善きサマリア人(The good Samaritan)」を観劇していたエルキュール・ポワロは、その幕間、年若き友人のコリン・レイス大尉(Lieutenant Colin Race)から声をかけられる。

アガサ・クリスティーの原作では、警察の公安部(Special Branch)に勤務するコリン・ラム(Colin Lamb)と言う設定になっているが、TV 版では、MI6 の秘密情報部員(intelligence officer)であるコリン・レイス大尉と言う設定に、名前と共に変更されている。

コリン・レイス大尉は、ドーヴァーのウィルブラームクレッセント19番地(19 Wilbraham Crescent)の居間で死体となって見つかった身元不明の男性について、ポワロに助言を請うために、劇場までわざわざやって来たのである。

この場面は、リッチモンド劇場(Richmond Theatre)で撮影されている。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。
画面中央から左側にある大きな緑地帯が「リッチモンドグリーン」で、
その北側にある小さな緑地帯が「リトルグリーン(Little Green)」。


リッチモンド劇場は、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)のリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)内に所在し、リッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)と呼ばれる大きな緑地帯の北側にあるリトルグリーン(Little Green)に面して建っている。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書
(Associated with John Taylor
 / 1610年頃 / Oil on panel
552 mm x 438 mm)


リッチモンド劇場は、劇場の建設やデザインを専門とする英国の建築家であるフランク・マッチャム(Frank Matcham:1854年ー1920年)によって建設され、1899年9月18日、リッチモンド劇場&オペラハウス(Richmond Theatre and Opera House)として、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)作「お気に召すまま(As You Like It)」(1599年)で開演を迎えた。


リッチモンド劇場の入口右側の外壁に、
同劇場を建設したフランク・マッチャムのプラークが、
Frank Matcham Society によって掛けられている。
<筆者撮影>


リッチモンド劇場の建物は、1972年に「グレード II(Grade II)」の指定を受けている。


リッチモンド劇場の入口左側には、
身障者用の入口がが設けられている。

<筆者撮影>


1990年に英国の舞台美術デザイナー(set and costume designer)であるカール・トムズ(Carl Toms:1927年ー1999年)がリッチモンド劇場の大改修を引き受け、客席の増設を含む拡張工事が行われ、1991年に竣工、現在の収容人数は約900名となっている。


リッチモンド劇場の左隣りの建物には、
リッチモンド図書館(Richmond Lending Library)が入っている。
<筆者撮影>


リッチモンド劇場の場合、ポワロシリーズの他にも、その外装や内装が映画や TV ドラマ等の撮影に多く使用されている。