アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、は、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)の物語冒頭に出てくる旅客船ルシタニア号(RMS Lusitania)は、実在の船で、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船だった。
第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発すると、ルシタニア号や他の大型旅客船がドイツ海軍の標的になるのではないかと言う懸念が高まった。
そのため、ルシタニア号は、第一次世界大戦勃発後の最初の航路において、船の正体を隠して、視覚的に発見されにくくするために、全体をくすんだ灰色で塗装された。
一方で、英国海軍本部は、当初の計画通り、ルシタニア号を武装商巡洋艦への転用を検討したが、英国を含む連合国側がドイツ帝国(Imperial Germany)と他の同盟国に対して海上封鎖を実施した結果、航路への脅威がほぼ完全になくなり、ルシタニア号や他の大型旅客船は、もう安全であると考えられた。
第一次世界大戦勃発の翌年の1915年5月7日、ルシタニア号は、運命の日を迎える。
同船は、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていた。
同船は、同年5月1日に、ニューヨークを予定時刻よりも2時間遅れで出港。これは、直近で軍事用に徴用された船舶に乗船予定だった乗客41名と船員達を、出港直前で受け入れたためだった。
その結果、ルシタニア号には、1,257名の乗客と702名の船員が乗船していた。
英国を含む連合国側がドイツ帝国と他の同盟国に対して海上封鎖を行ったことを受けて、この約3ヶ月前に、ドイツ帝国は、英国の船舶に対する潜水艦による無制限の攻撃を発表していた。
1915年5月7日の午後2時過ぎ、ルシタニア号は、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から、無警告で魚雷攻撃を受けた。
この時、潜水艦 Uボートは、ヴァルター・シュヴィーガー中尉(Kapitänleutnant Walther Schwieger)が指揮していたが、残りの燃料が少ない上に、魚雷も3発しか残っていない状況だった。更に、当初、海上は、視界も悪く、ヴァルター・シュヴィーガー中尉は、ドイツ帝国本国への帰還を考えていた。
同日の午後1時前に、潜水艦 Uボートが浮上した際、司会は大幅に良くなっており、Uボートに近づいて来る船舶(ルシタニア号)を発見して、同船に向けて、無警告で魚雷を発射。ただし、この時点において、ヴァルター・シュヴィーガー中尉は、魚雷攻撃を行った船舶がどこの国のどの船なのかについては、判っていなかった。ただ、大型の旅客船と言う認識しかなかったのである。
ヴァルター・シュヴィーガー中尉が指揮する Uボートが放った魚雷の1つが、午後2時10分に、ルシタニア号に命中した後、船内で2回目の爆発が発生して、僅か18分後の午後2時28分に、同船は沈没した。
その結果、1,198名が死亡。
上記の犠牲者の中に、128名の米国人が含まれていたため、米国の世論は、反ドイツ帝国へと大きく傾いた。
第一次世界大戦中、米国は孤立主義政策を保持していたが、ルシタニア号事件は、第一次世界大戦の参戦の直接的な原因とはならなかったものの、同政策を一転して、2年後の第一次世界大戦の参戦へと繋がる契機となったのである。

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