2025年1月5日日曜日

舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル(A Sherlock Carol)」ーその1

舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」のポスター(表面)-
画面手前の人物が、Mr. Ben Caplan が演じるシャーロック・ホームズで、
画面奥の人物が、Mr. Kammy Darweish が演じる
エベネーザ・スクルージ。


リージェンツパーク(Regent’s Park→2016年11月19日付ブログで紹介済)に沿って、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station→2014年4月18日 / 4月21日 / 4月26日 / 4月27日 / 5月3日 / 5月10日 / 5月11日 / 5月18日付ブログで紹介済)からセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood→2014年6月17日付ブログで紹介済)へと向かって北上するパークロード(Park Road)沿いの35番地(35 Park Road, Marylebone, London NW1 6XT)に、ルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House → 2019年8月18日付ブログで紹介済)が建っている。


ルドルフ・シュタイナーハウス内にあるマリルボーン劇場(Marylebone Theatre - 旧ルドルフ・シュタイナー劇場(Rudolf Steiner Theatre))において、2024年11月29日(金)から2025年1月5日(日)までの1ヶ月間強、舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル(A Sherlock Carol)」が上演されている。

最終日である今日、同舞台劇を観劇してきたので、御紹介したい。


同舞台劇は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)による原作に基づいたものではなく、英国の劇作家 / 演劇監督で、俳優でもあるマーク・シャナハン(Mark Shanahan)による飜案である。

「シャーロック・ホームズのキャロル」がマリルボーン劇場において上演されるのは、3年目に該る。

なお、マーク・シャナハンは、アガサ・クリスティー財団(Agatha Christie Ltd.)と一緒に、「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2022年11月7日および2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」(1926年)の戯曲化も行っている。


舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」のポスター(裏面)-
画面の人物は、Mr. Ben Caplan が演じるシャーロック・ホームズ。

「シャーロック・ホームズのキャロル」の場合、1891年5月、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)へと姿を消したシャーロック・ホームズが、1894年4月、3年ぶりにロンドンへと帰還した同年12月のクリスマスイヴから、物語が始まる。


暗くなるロンドンの街を彷徨い歩くホームズ。彼は、未だにモリアーティー教授の影に取り憑かれていた。「モリアーティー教授は、ライヘンバッハの滝壺で死んだ筈だが、実際には、どこかで、もしかすると、ロンドンに居る自分の近くで、まだ生きて居るのではないか?」と。


そんな最中、路上において、ホームズは、成長して医師となったタイニー・ティム・クラチット(Dr. Tiny Tim Cratchit)に出会う。彼は、エベネーザ・スクルージ(Ebenezer Scrooge)とジェイコブ・マーレイ(Jacob Marley)が経営する事務所「スクルージ&マーレイ(Scrooge & Marley)」に、薄給で雇われていたロバート・クラチット(Robert Cratchit - 愛称:ボブ(Bob))の息子であった。

タイニー・ティム・クラチット医師は、ホームズに対して、エベネーザ・スクルージの謎の死の捜査を依頼するのであった。


「シャーロック・ホームズのキャロル」は、(1)コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」(1892年)と(2)ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家で、主に下層階級を主人公にして、弱者の視点から社会を風刺した作品を発表したチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)作「クリスマスキャロル(A Christmas Carol)」(1843年)の内容を取り入れつつ、展開していく。


          

2025年1月4日土曜日

<第1700回> コナン・ドイル作「青いガーネット」<小説版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その4

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その5) -

ヘンリー・ベイカーからの話を聞いた後、

ジョン・ワトスンを伴い、アルファインへ赴いたシャーロック・ホームズは、

そこで主人のウィンディゲートから、

「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケットにあるブレッキンリッジの店から仕入れた」ことを聞き付ける。

そこで、ホームズとワトスンの2人は、ブレッキンリッジの店へと向かった。

画面左側から、ジョン・H・ワトスン、シャーロック・ホームズ、
ブレッキンリッジ、そして、店仕舞いをする少年が描かれている。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」は、ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、その物語が始まる。


ワトスンが部屋に入ると、紫色の化粧着を着て、ソファーの上で寛ぐシャーロック・ホームズは、ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角に掛けられている薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子を、拡大鏡とピンセットで調べている最中だった。


ホームズによると、クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において発生した喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを、彼の元に届けて来た、とのこと。

喧嘩の現場に残されていた帽子には、「H. B.」のイニシャルが、そして、ガチョウの左脚には、「ヘンリー・ベイカー夫人へ(For Mrs. Henry Baker)」と書かれた札が付いており、それらが今判る情報の全てだった。

帽子については、ホームズがピータースンから預かり、ガチョウに関しては、そのままの状態で長く保管しておくことができないため、ホームズはピータースンに持ち帰らせていた。


丁度そこへ、退役軍人のピータースンが慌てて駆け込んで来る。

料理するために、彼の妻がガチョウの腹を裂いたところ、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット(blue carbuncle)」が出てきたのだ。


喧嘩の現場に問題のガチョウを落とした後、居なくなったヘンリー・ベイカー(Mr. Henry Baker)が、今回の事件の鍵を握っていると考えたホームズは、ロンドン中の新聞(Globe / Star / Pall Mall / St. James’s Gazette / Evening News / Standard / Echo 等)に、ガチョウと帽子の持ち主を探す広告を載せたところ、ヘンリー・ベイカー本人が、ホームズの元に名乗り出て来た。


ヘンリー・ベイカーによると、大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)」の主人ウィンディゲート(Windigate)がガチョウクラブを始め、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れる仕組みだと言う。

ホームズが話をした限りでは、ヘンリー・ベイカーが、ホテルコスモポリタンでの宝石盗難事件と無関係であることは、確実だった。


ジョン・ワトスンを連れて、アルファインに赴いたホームズは、そこで主人のウィンディゲートから、「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)にあるブレッキンリッジ(Breckinridge)の店から仕入れた」ことを聞き付ける。

そこで、2人はブレッキンリッジの店へと向かった。


ハイホルボーン通り(High Holborn)側から見た
エンデルストリート(Endell Street → 2015年12月26日付ブログで紹介済)


私達はホルボーンを横切り、エンデルストリートを下り、スラム街をジグザグに抜けて、コヴェントガーデンマーケットへと向かった。最も大きな店の一軒がブレッキンリッジという看板を掲げており、そこでは、きちんと整えた頬髭を生やして、鋭い顔つきをした馬面の経営者が店仕舞いをする少年を手伝っていた。

「こんばんは。今夜は冷え込むね。」と、ホームズは声をかけた。

経営者は頷いて、いぶかるような視線をホームズに向けた。

「ガチョウは全部売れ切れたようだね。」と、ホームズは空の大理石の台を指差して続けた。


エンデルストリートの北側は、
ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)に属している。

エンデルストリートの南側は、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)に属している。


We passed across Holborn, down Endell Street, and so through a zigzag of slums to Covent Garden Market. One of the largest stalls bore the name of Breckinridge upon it, and the proprietor, a horse-looking man, with a sharp face and trim-side-whiskers, was helping a boy to put up the shutters.

'Good-evening. It's a cold night,' said Holmes.

The salesman nodded and shot a questioning glance at my companion.

'Sold out of geese, I see,' continued Holmes, pointing at the bare slabs of marble.


サウザンプトンストリート(Southampton Street)沿いの建物壁面に架けられている
「コヴェントガーデンマーケット」の看板


ブレッキンリッジは、捻くれ者で、ガチョウの仕入れ先をなかなか教えてくれなかったが、賭け事にする手法で、ホームズは、彼から必要な情報を得ることができた。

なんと、その店には、もう一人、ガチョウの販売先を聞きに来ていた。その男は、ホテルコスモポリタンの客室係(upper-attendant at the hotel)のジェイムズ・ライダー(James Ryder)であった。


コヴェントガーデンマーケット内のクリスマス用装飾


事件の解決は、目前だった。


2025年1月3日金曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<小説版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その4) -

トッテナムコートロードとグッジストリートの角で起きた喧嘩の現場に残された

ガチョウと帽子の持ち主であるヘンリー・ベイカーが、

今回の事件の鍵を握っていると考えたシャーロック・ホームズは、

ロンドン中の新聞に、ガチョウと帽子の持ち主を探す広告を載せると、

指定の日時に、ヘンリー・ベイカー本人が、ホームズの元に名乗り出て来た。

画面左側から、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスン、
そして、ヘンリー・ベイカーが描かれている。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」は、ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、その物語が始まる。


ワトスンが部屋に入ると、紫色の化粧着を着て、ソファーの上で寛ぐシャーロック・ホームズは、ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角に掛けられている薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子を、拡大鏡とピンセットで調べている最中だった。

ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。そして、ホームズは、ワトスンに対して、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において、ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになった経緯を語り始める。


トッテナムコートロードとグッジストリートの角で起きた喧嘩の現場に残されていた帽子には、「H. B.」のイニシャルが、そして、ガチョウの左脚には、「ヘンリー・ベイカー夫人へ(For Mrs. Henry Baker)」と書かれた札が付いており、それらが今判る情報の全てだった。

帽子については、ホームズがピータースンから預かり、ガチョウに関しては、そのままの状態で長く保管しておくことができないため、ホームズはピータースンに持ち帰らせていた。


丁度そこへ、退役軍人のピータースンが慌てて駆け込んで来る。彼は、「料理するために、妻がガチョウの腹を裂いたところその餌袋の中から、青い宝石が出てきた。」と報告した。

ピータースンから宝石を見せられたホームズは、新聞に毎日掲載されている事件のことを説明する。この宝石は、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、千ポンドの懸賞金がかけられている「青いガーネット(blue carbuncle)」だったのだ。


喧嘩の現場に問題のガチョウを落とした後、居なくなったヘンリー・ベイカー(Mr. Henry Baker)が、今回の事件の鍵を握っていると考えたホームズは、ロンドン中の新聞(Globe / Star / Pall Mall / St. James’s Gazette / Evening News / Standard / Echo 等)に、ガチョウと帽子の持ち主を探す広告を載せる。

そして、指定の日時(当日の午後6時半)に、ヘンリー・ベイカー本人が、ホームズの元に名乗り出て来たのである。


「ところで、あのガチョウをどこで手に入れたのかを私に教えていただけないですか?私はちょっとした鳥の愛好家でして、あれよりよく育ったガチョウを見たことがほとんどなかったので...」

「もちろん、かまいませんよ。」と、ベイカー氏は立ち上がって、新しく受け取ったガチョウを脇の下に抱えて言った。「大英博物館の近くにあるアルファインへ、仲間達とよく飲みに行くんです。私達は昼間大英博物館で過ごしています。アルファインのウィンディゲートという気のいい主人が今年ガチョウクラブを始めました。それは、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れるという仕組みです。私はきちんとお金を積み立てて、後はあなたも御存知の通りです。本当に有り難うございました。ベレー帽は、私の年齢にも、私の真面目な性格にも会わなかったようです。」今日に大げさな態度で、ベイカー氏は私達に向かい、真面目くさって御辞儀をすると、大股で歩き去ったのである。


'By the way, would it bore you to tell me where you got the other one from? I am somewhat of a fowl fancier, and I have seldom seen a better grown goose.'

'Certainly, sir,' said Baker, who had risen and tucked his newly gained property under his arm. 'There are a few of us who frequent the Alpha Inn, near the Museum - we are to be found in the Museum itself during the day, you understand. This year our god host, Windigate by name, instituted a goose club, by which on consideration of some few pence every week, we were each to receive a bird at Christmas. My pence were duly paid, and the rest is familiar to you. I am much indebted to you, sir, for a Scotch bonnet is fitted neither to my years for my gravity.' With comical pomposity of manner he bowed solemnly to both of us and strode off upon his way.


ホームズが話をした限りでは、ヘンリー・ベイカーが、ホテルコスモポリタンでの宝石盗難事件と無関係であることは、確実だった。

そこで、ホームズは、ワトスンを誘い、ヘンリー・ベイカーが問題のガチョウを入手したアルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)へと向かうのであった。


ホームズとワトスンが訪れたブルームズベリー地区にあるアルファインと言うパブは架空の酒場で、
残念ながら、実在していない。
ただし、グレートラッセルストリート(Great Russell Street)を挟んで、
大英博物館(British Museum)の正面入口近くにある
「ミュージアム・タバーン(Museum Tavern)」と言うパブが、
アルファインのモデルだったのではないかと、一般に言われている。


その夜は身を刺す程の寒さだったので、私達はアルスター外套を羽織り、首巻きをした。外に出ると、雲一つない空に星々が冷たく輝き、通行人が吐く息が拳銃が発する煙のようだった。私達が歩き出すと、カツカツと大きな足音がした。私達は医者が集まっている地区であるウィンポールストリートとハーレーストリートを、更にウィグモアストリートを抜けて、オックスフォードストリートに至った。15分程すると、私達はブルームズベリー地区のアルファインに着いた。そこは、ホルボーンへと下るある通りの角にある小さなパブ(酒場)だった。ホームズはパブの扉を押し開けて、赤ら顔で白いエプロンをつけた主人にビールを二杯注文したのである。



It was a bitter night, so we drew on our ulsters and wrapped cravats bout our throats. Outside, the stars were shining coldly in a cloudless sky, and the breath of the passers-by blew out into smoke like so many pistil shots. Our footfalls rang out crisply and loudly as we swung through the doctors' quarter, Wimpole Street and Harley Street, and so through Wigmore Street into Oxford Street. In a quarter of an hour we were in Bloomsbury at the Alpha Inn, which is a small public-house at the corner of one of the streets which runs down into Holborn. Holmes pushed open the door of the private bar and ordered two glasses of beer from the ruddy-faced, white-aproned landlord.


2025年1月2日木曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<小説版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その2

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その3) -

ある年の12月27日の朝、ベイカーストリート221B において、
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが話をしていた際、
退役軍人のピータースンが慌てて駆け込んで来る。
彼が持ち帰ったガチョウの腹を、料理のために、彼の妻が裂いたところ、
その餌袋の中から、青い宝石が出て来たと、ピータースンは告げた。
画面左側から、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスン、
そして、退役軍人のピータースンが描かれている。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」の場合、ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。


ワトスンが部屋に入ると、紫色の化粧着を着たシャーロック・ホームズは、ソファーの上で寛いでいた。ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛けられていて、ホームズは拡大鏡とピンセットでこの帽子を調べていたのである。

ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。そして、ホームズは、ワトスンに対して、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において、ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになった経緯を語り始めた。


喧嘩の現場に残されていた帽子には、「H. B.」のイニシャルが、そして、ガチョウの左脚には、「ヘンリー・ベイカー夫人へ(For Mrs. Henry Baker)」と書かれた札が付いていた。

帽子については、ホームズがピータースンから預かり、ガチョウに関しては、そのままの状態で長く保管しておくことができないため、ホームズはピータースンに返して、持って帰らせたのである。

帽子を調べたホームズは、ワトスンに対して、「帽子の持ち主は、知能が高く、今は落ちぶれているが、3年前は裕福な生活を送っていた。」と語る。


丁度そこへ、退役軍人のピータースンが慌てて駆け込んで来た。

ピータースンによると、彼の妻が、料理するために、彼が持ち帰ったガチョウの腹を裂いたところその餌袋の中から、青い宝石が出てきた、とのこと。

ピータースンから宝石を見せられたホームズは、新聞に毎日掲載されている事件のことを説明する。

この宝石は、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、千ポンドの懸賞金がかけられている「青いガーネット(blue carbuncle)」だったのだ。


モーカー伯爵夫人は、「青いガーネット」を宝石箱に入れて保管していたが、部屋の暖房が故障したため、修理を頼んだ。

モーカー伯爵夫人の求めに応じて、ホテルの客室係(upper-attendant at the hotel)のジェイムズ・ライダー(James Ryder)と修理工(plumber)のジョン・ホーナー(John Horner)が、彼女の部屋を訪れる。

客室係のジェイムズ・ライダーが用事で呼ばれている間に、修理工のジョン・ホーナーが仕事を終えて帰った。

その後、宝石箱を調べたところ、中は空で、「青いガーネット」は、影も形もなかったのである。

修理工のジョン・ホーナーが、宝石盗難の容疑者として逮捕されたが、彼は宝石の盗難を頑強に否定していた。


          

2025年1月1日水曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<小説版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その1

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、
2022年に発行されたシャーロック・ホームズをテーマにしたトランプのうち、
4 ♦️「太った白いガチョウ(Dead Goose)」


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。

また、同作品は、同年に発行された第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その1) -

ある年の12月27日の朝、ジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズの元を訪れるところ、
彼は紫色の化粧着を着て、ソファーの上で寛いでいた。
そして、ソファーの隣りに置かれた椅子の上には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛かっていた。
左側の人物が、シャーロック・ホームズで、
右側の人物が、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)

ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪問すると、紫色の化粧着を着たシャーロック・ホームズは、ソファーの上で寛いでいたところだった。



ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛けられていて、ホームズは拡大鏡とピンセットでこの帽子を調べていたようであった。ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。

そして、ホームズは、ワトスンに対して、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において、ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになった経緯を語り始めた。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年1月号に掲載された挿絵(その2) -
クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースンが、
トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)とグッジストリート
の角で
発生した喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを、
ベイカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元に届けて来た。
画面右側の人物が、退役軍人のピータースン。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(1860年 - 1908年)


「まず最初に、この帽子がどのような経緯でここにやって来たのかを説明しよう。この帽子は、クリスマスの朝、丸々と太ったガチョウと一緒にここに持ち込まれたんだ。今頃、ガチョウはピータースンの竃(かまど)の前で火に炙られているに違いない。事実関係はこんな風だ。君も知っている通り、ピータースンは非常に実直な男だ。クリスマスの朝4時頃、彼はちょっとした宴席から帰るところで、トッテナムコードロードを家に向かって歩いていた。彼の前方には、ガス灯の明かりの中、白いガチョウを肩にかけた背の高い男が千鳥足で歩いているのが見えた。ピータースンが(トッテナムコートロードと)グッジストリートの角に来た時、背の高い男と街のゴロツキ達の間で喧嘩が始まったんだ。ゴロツキ達の一人が背の高い男の帽子を叩き落としたので、男が自分の身を守ろうと、ステッキを持ち上げて、頭上で振り回したところ、はずみで後ろにあった商店のショーウィンドのガラスを割ってしまった。男をゴロツキ達から守ろうと、ピータースンはその場に駆け付けた。ところが、男はショーウィンドのガラスを割ってしまったことに動揺していた上に、警察官のような制服を着た人間が自分の方に向かって来るのを見て、ガチョウを落とし、慌てて逃げ出したんだ。そして、男はトッテナムコートロードの裏に横たわる迷路のような小さな通りの中に消えてしまった。ゴロツキ達もまたピータースンの登場に驚いて逃去った。その結果、ピータースンは一人喧嘩の現場に取り残され、そして、勝利の戦利品として、つぶれた帽子と申し分のないクリスマスのガチョウだけが彼の手の中に残ったんだ。」


グッジストリートの西側から東方面を見たところ
奥に見えるのが、トッテナムコートロード -
クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースンが、
喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを見つけたのは、
画面の奥辺りである。


‘And, first, as to how it came here. It arrived upon Christmas morning, in company with a good fat goose, which is, I have no doubt, roasting at this moment in front of Peterson's fire. The facts are these : about four o'clock on Christmas morning, Peterson, who, as you know, is a very honest fellow, was returning from some small jollification and was making his way homeward down to Tottenham Court Road. In front of him he saw, in the gaslight, a tallish man, walking with a slight stagger and carrying a white goose slung over his shoulder. As he reached the corner of Goodge Street, a row broke out between this stranger and a little knot of roughs. One of the latter knocked off the man's hat, on which he raised his stick to defend himself, and, swinging it over his head, smashed the shop window behind him. Peterson had rushed forward to protect the stranger from his assailants, but the man, shocked at having broken the window and seeing an official-looking person in uniform rushing towards him, dropped his goose, took to his heels and vanished amid the labyrinth of small streets which lie at the back of Tottenham Court Road. The roughs had also fled at the appearance of Peterson, so that he was left in possession f the field of battle, and also of the spoils of victory in the shape of this battered hat and a most unimpeachable Christmas goose.’