2025年3月8日土曜日

ロンドン キングスロード(King’s Road)- その1

キングスロードの東側の起点に該る
スローンスクエアの南西の角には、
デパート「ピータージョーンズ(Peter Jones)」が建っている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)によるエルキュール・ポワロシリーズの短編で、1960年に刊行された短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of Christmas Pudding)」に収録されている「二十四羽の黒つぐみ(Four-and-Twenty Blackbirds)」(1940年)は、ある夜、エルキュール・ポワロが、チェルシー地区(Chelsea)内のキングスロード(King’s Road)沿いにあるレストラン「ギャラント エンデヴァー(Gallant Endeavour)」において、友人のヘンリー・ボニントン(Henry Bonnington)と食事をしている場面から始まる。



ヘンリー・ボニントンは、レストランの隅に座る髭の老人を指差すと、「あの老人は、10年近くの間、毎週、同じ曜日(火曜日と木曜日)の夜に現れ、同じ席で同じ食事をとるんだ。それなのに、彼の名前、住所や職業を、誰一人知らないんだ。」と、ポワロに語る。

ポワロ達が座るテーブルへ食事を運んで来たウェイトレスのモリー(Molly)が、ポワロ達が髭の老人を見ていることに気付くと、彼らに対して、「あの老人は、先週、いつもとは違う曜日(月曜日)にもやって来て、更に、今までに注文したことがない食事を注文したんです。」と話すのを聞いて、ポワロは非常に興味を惹かれるのであった。


ングスロードの東側の起点に該る
スローンスクエアの南側に設置されている噴水

画面左奥へと延びている通りが、キングスロードである。

ポワロと彼の友人であるヘンリー・ボニントンの2人が食事をしたレストラン「ギャラント エンデヴァー」があるキングスロード(King’s Road)は、ロンドンの中心部の一つであるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内に所在する通りである。


バスがキングスロードからスローンスクエアへと丁度出てきたところ。

スローンスクエア側から見たキングスロード

キングスロードの東側は、地下鉄のサークルライン(Circle Line)/ ディストリクトライン(District Line)が停まる地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)があるスローンスクエア(Sloane Square)を起点としている。

スローンスクエアから始まるキングスロード は、テムズ河(River Thames)に沿うように、チェルシー地区内を南西方面へと延びる。



チェルシー地区とは異なるロンドン特別区の一つであるハマースミス&フラム区(London Borough of Hammersmith and Fulham)内にあるフラム地区(Fulham)まで到達したキングスロードは、その北側に並行して走るフラムロード(Fulham Road)から南北に延びるウォーターフォードロード(Waterford Road)と交差した地点で、ニューキングスロード (New King’s Road)へと名前を変える。


キングスロードから東へ少し入ったところにある
ブロンズ像「二人の生徒(Two Pupils)」(その1)

キングスロードから東へ少し入ったところにある
ブロンズ像「二人の生徒(Two Pupils)」(その2)

キングスロードから東へ少し入ったところにある
ブロンズ像「二人の生徒(Two Pupils)」(その3)

キングスロード から名前を変えたニューキングスロード は、フラムロードから南北に延びるフラムハイストリート(Fulham High Street)に突き当たったところで終わる。これは、テムズ河を渡るパットニー橋(Putney Bridge)の袂に該る。 


2025年3月6日木曜日

アガサ・クリスティー作「二十四羽の黒つぐみ」(Four-and-Twenty Blackbirds Agatha Christie)- その2

英国の Harper Collins Publishers 社から現在出版されていた
アガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズ
「クリスマスプディングの冒険」のペーパーバック版表紙


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)によるエルキュール・ポワロシリーズの短編で、1960年に刊行された短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of Christmas Pudding)」に収録されている「二十四羽の黒つぐみ(Four-and-Twenty Blackbirds)」(1940年)は、ある夜、エルキュール・ポワロが、チェルシー地区(Chelsea)内のキングスロード(King’s Road)沿いにあるレストラン「ギャラント エンデヴァー(Gallant Endeavour)」において、友人のヘンリー・ボニントン(Henry Bonnington)と食事をしている場面から始まる。


レストランのウェイトレスであるモリー(Molly)は、客の食べ物の好き嫌いを覚えていることが御自慢だった。

「人の好みは、いつも同じなのか?偶には、食べるものを変えたくはないのか?」と尋ねるポワロに対して、モリーは、「殿方は、お変えになりません。御婦人方は、いろいろなものがお好きですが、殿方は、いつも同じものをお召し上がりになります。」と答える。


モリーの答えを受けたヘンリー・ボニントンは、レストランの隅に座る髭の老人を指差すと、「あの老人は、10年近くの間、毎週、同じ曜日(火曜日と木曜日)の夜に現れ、同じ席で同じ食事をとるんだ。それなのに、彼の名前、住所や職業を、誰一人知らないんだ。」と、ポワロに語る。

ポワロ達が座るテーブルへ食事を運んで来たモリーが、ポワロ達が髭の老人を見ていることに気付くと、彼らに対して、「あの老人は、先週、いつもとは違う曜日(月曜日)にもやって来て、更に、今までに注文したことがない食事を注文したんです。」と話すのを聞いて、ポワロは非常に興味を惹かれる。


髭の老人を「古時計さん(Old Father Time)」と呼んでいるモリーによると、


*髭の老人が、初めての来店以来、キドニープディング(suet pudding)、黒イチゴ(blackberries)やポタージュスープ(thick soup)を注文したことは全くない。


*にもかかわらず、先週の月曜日の晩には、トマトのポタージュスープ(thick tomato soup)、ビーフステーキ(beefsteak)、キドニープディング(kidney pudding)、更に、黒イチゴのタルト(blackberry tart)を注文。


とのことだった。


3週間後、地下鉄でヘンリー・ボニントンと再会したポワロは、ヘンリー・ボニントンから「例の髭の老人が、1週間、レストランに姿を見せていない。」と告げられる。


更に興味を覚えたポワロは、チュルシー地区内で最近亡くなった人のリストの中から、髭の老人に該当する人物として、ヘンリー・ガスコイン(Henry Gascoigne)を見つけ出すと、彼の検視医であるマックアンドリュー医師(Dr. MacAndrew)の元を訪ねる。


ポワロが調査した結果、


*ヘンリー・ガスコインは、一人暮らしで、11月3日(木曜日)の夜、自宅(フラット)の階段から転落死。

*胃の内容物から、彼が亡くなったのは、食後2-3時間後。当日、午後7時過ぎにレストラン「ギャラント エンデヴァー」で食事をしていたので、彼の死亡時刻は午後10時頃と推定。

*ヘンリー・ガスコインには、キングストンヒル(Kingston Hill)に住む双子の兄であるアンソニー・ガスコイン(Anthony Gascoigne)が居たが、長い闘病生活の末、弟ヘンリーと同じ日の午後に死亡。

*双子の兄弟であるアンソニー・ガスコイン / ヘンリー・ガスコインにとって、生存している唯一の親族は、ウィンブルドン(Wimbledon)に住む甥であるジョージ・ロリマー(George Lorrimer)。

*階段から転落死したヘンリー・ガスコインのポケットには、ジョージ・ロリマーが出した手紙が入っており、手紙の日付は11月3日で、郵便局の消印は11月3日の午後4時半となっていた。


等が判明。


レストラン「ギャラント エンデヴァー」を再度訪れたポワロは、当日の夜、ヘンリー・ガスコインが食べたものが、


*マリガトニースープ(mulligatawny soup - 肉の濃厚な出し汁に鶏肉、野菜やクリーム等を入れたインドのカレースープ)

*羊肉(mutton)

*黒イチゴとリンゴ入りのパイ(blackberry and apple pie)

*チーズ(cheese)


で、いつもの習慣とは違う食事をまたしていたことが聞き付けた。


また、ヘンリー・ガスコインの歯が、年齢の割りには非常に白かったことから、階段から転落した彼が、当日の夜、黒イチゴとリンゴ入りのパイを食べたとは、どうしても考えられなかったのである。


2025年3月5日水曜日

アガサ・クリスティー作「二十四羽の黒つぐみ」(Four-and-Twenty Blackbirds Agatha Christie)- その1

英国の Harper Collins Publishers 社から以前出版されていた
アガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズ
「クリスマスプディングの冒険」のペーパーバック版表紙


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1953年に発表したミス・マープルシリーズの長編第6作目「ポケットにライ麦を(A Pocket Full of Rye)」は、マザーグース(Mother Goose)の童謡の歌詞通りに、殺人事件が発生する「見立て殺人」をテーマにした作品である。


ビル・ブラッグ氏Mr. Bill Braggが描く
ミス・マープルシリーズの長編第6作目である

「ポケットにライ麦を」の一場面で、

投資信託会社の社長であるレックス・フォーテスキュー(Rex Fortescue)が、

オフィスにおいて、朝の紅茶を飲んだ後、急逝する前のシーンが描かれている。

床に伸びた影は、彼の個人秘書である

アイリーン・グローヴナー(Miss Irene Grosvenor)だと思われる。

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「ポケットにライ麦を」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

紅茶が入ったポットの形に切り取られているものが使用されている。


この童謡は「6ペンスの唄を歌おう(Sing a Song of Sixpence → 2024年9月7日付ブログで紹介済)」で、物語において、ミス・ジェイン・マープルがスコットランドヤードのニール警部(Inspector Neele)に対して歌って聞かせている。

なお、歌詞は以下の通り。


< 英語原詞 >


Sing a song of sixpence,

A pocket full of rye,
Four and twenty blackbirds,
Baked in a pie.


When the pie was opened,
The birds began to sing,
Was not that a dainty dish,
To set before the king ?

The king was in his counting-house,
Counting out his money,
The queen was in the parlour,
Eating bread and honey.

The maid was in the garden,
Hanging out the clothes,
There came a little blackbird,
And snapped off her nose.

< 日本語訳(宇野利泰訳) >

六ペンスの歌をうたおう

ポケットに ライ麦を

詰めて歌うは 街の唄

くろつぐみを二十四 パイに焼き

切って差出しゃ 鳴きいだす

お城料理の すばらしさ


王様お倉で 宝をかぞえ

女王は広間で パンに蜂蜜

若い腰元 庭へ出て

乾しに並べた お召もの

そこへ小鳥が 飛んできて

可愛いお鼻を 突っついた


ジズソーパズル内の右側の窓の外の縁には、
ミス・ジェイン・マープルが節をつけて歌い出したマザーグースの童謡の中に出てくる
黒鶫(クロツグミ)がとまっている。-
ジグソーパズル「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」の一部


黒鶫<クロツグミ>(blackbird)は、スズメ目ツグミ科の鳥で、雄の場合、体が黒く、目の周りが黄色で、嘴も黄色い。ヨーロッパにおいて、黒鶫は「春の訪れを告げる鳥」として親しまれており、スウェーデンでは、国鳥に指定されている。


童謡「6ペンスの唄を歌おう」内に出てくる「二十四羽の黒つぐみ(Four and twenty blackbirds)」を題名とするエルキュール・ポワロシリーズの作品が存在する。


それは、短編「二十四羽の黒つぐみ(Four-and-Twenty Blackbirds)」で、1960年に刊行された短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of Christmas Pudding)」に収録されている。


短編「二十四羽の黒つぐみ」は、米国において、「コーリアズマガジン(Collier’s Magazine)」1940年11月9日号に発表された後、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」1941年3月号に、「ポワロと常連のお客(Poirot and the Regular Customer)」と言う題名で掲載されている。


物語は、ある夜、エルキュール・ポワロが、チェルシー地区(Chelsea)内のキングスロード(King’s Road)沿いにあるレストラン「ギャラント エンデヴァー(Gallant Endeavour)」において、友人のヘンリー・ボニントン(Henry Bonnington)と食事をしている場面から始まる。 


2025年3月3日月曜日

ロンドン エンバシー劇場(Embassy Theatre)- その2

画面左手奥に、エンバシー劇場が建っている。
昼間、画面手前の広場には、各国の屋台が出店しており、
多くの人達が昼食を買っている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)による戯曲「ブラックコーヒー(Black Coffee → 2025年2月27日 / 2月28日付ブログで紹介済)」が1930年12月8日から同年12月20日にかけて初演されたエンバシー劇場(Embassy Theatre)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のスイスコテージ地区(Swiss Cottage)内にあるイートンアベニュー64番地(64 Eton Avenue)に建っている。



エンバシー劇場は、英国の舞台 / 映画女優である Sybil Arundale(1879年ー1965年)と Herbert Jay により、1928年9月にオープン。


エンバシー劇場は、現在、Royal Central School of Speech and Drama として使用されている。

その後、エンバシー劇場の舞台監督は、


<1930年ー1932年>

Alec L. Rea / A. R. Whatmore(英国の俳優 / 脚本家 / 演劇プロデューサー:1889年ー1960年)

<1932年ー1939年>

Ronald George Hinings Adams(英国の舞台 / 映画俳優で、劇場監督:1896年ー1979年)


を経る。


Ronald George Hinings Adams が舞台監督を務めていた際、150を超える作品が生み出され、30を超える作品がウェストエンド(West End)の劇場でも上演された。

また、1932年に、劇場内に演劇学校(Embassy school of acting)も開設された。


エンバシー劇場の右側の建物は、
Royal Central School of Speech and Drama の増築部分に該る。


エンバシー劇場は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中に被害を蒙ったが、1945年に再オープン。

英国の俳優 / 舞台監督である Anthony John Hawtrey(1909年ー1954年)が、1945年から1954年にかけて、舞台監督を務めた。


広場を挟んで、エンバシー劇場の反対側には、
ハムステッド劇場(Hampstead Theatre)が建っている。


1953年に、エンバシー劇場は、英国の実業家である Sidney Lewis Bernstein(1899年ー1993年)に売却され、英国の作家 / 脚本家である Cyril Wolf Mankowitz(1924年ー1998年)が劇場を運営した。

なお、Sidney Lewis Bernstein は、「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)を制作した英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)を1954年に設立している。


ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)がシャーロック・ホームズとして主演した
英国のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の
DVD コンプリートボックス1巻目の表紙


エンバシー劇場は、1956年に売却され、同劇場は改装された後、現在、Royal Central School of Speech and Drama が使用している。


2025年3月2日日曜日

ロンドン エンバシー劇場(Embassy Theatre)- その1


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)による戯曲「ブラックコーヒー(Black Coffee → 2025年2月27日 / 2月28日付ブログで紹介済)」が初演されたエンバシー劇場(Embassy Theatre)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のスイスコテージ地区(Swiss Cottage)内に所在している。



具体的には、ジュビリーライン(Jubilee Line)が停まる地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Station)から地上に出ると、そこは、ゴルダースグリーン地区(Golders Green)方面へと向かうフィンチリーロード(Finchley Road)、ハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)方面へと向かうフィッツジョンズアベニュー(Fitzjohn’s Avemue)およびリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)方面へと向かうアベニューロード(Avenue Road)から成る環状交差点(roundabout)となっている。

上記の3つの通りが交差する箇所から北に進むと、イートンアベニュー(Eton Avenue)が北東へと延びているが、イートンアベニュー64番地(64 Eton Avenue)に、エンバシー劇場が建っている。



「ブラックコーヒー」の場合、エルキュール・ポワロが探偵役を務め、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)とスコットランドヤードのジャップ警部(Inspector Japp)も登場する。


アガサ・クリスティー作品の戯曲化としては、「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」(1926年)を原作とした「アリバイ(Alibi)」(1928年)が最初であるが、アガサ・クリスティー自身が執筆した戯曲としては、「ブラックコーヒー」が初作品である。



「ブラックコーヒー」は、エンバシー劇場において、1930年12月8日から同年12月20日にかけて上演された後、翌年の1931年4月9日から同年5月1日までの間、ロンドン市内のセントマーティンズ劇場(St. Martin’s Theatre → 2014年8月10日 / 2015年10月4日付ブログで紹介済)において再演された。


アガサ・クリスティーによる戯曲「ねずみとり(Mousetrap)」のロングラン公演が
行われているセントマーティンズ劇場 -
画面上は、63周年(2015年時点)であるが、
2025年2月27日時点では、73周年を既に達成済で、
同年11月25日には、74周年を迎える。


エンバシー劇場は、1956年に売却され、同劇場は改装された後、現在、Royal Central School of Speech and Drama が使用している。 


           

2025年3月1日土曜日

ロンドン ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の伯母で、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)の顧問弁護士であるエドマンド・セデン(Edmund Sedden)がパートナーの一人を務めるセドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所の住所として、「ブルームズベリースクエア104番地(104 Bloomsbury Square)」と記載されている。



セドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所が所在するブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square → 2025年2月24日 / 2月26日付ブログで紹介済)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London  Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある広場で、その北側を大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の正門前を通るグレイトラッセルストリート(Great Russell Street)に、そして、その南側をブルームズベリーウェイ(Bloomsbury Way)に挟まれている。



ブルームズベリースクエアの中央には、ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)と呼ばれる庭園が整備されている。

ブルームズベリースクエアガーデンズは、一般向けに開放されており、2003年に改修された。



また、ブルームズベリースクエアガーデンズは、歴史的な公園 / 庭園(Historic Parks and Gardens)の一つとして、「グレード II(Grade II)」に指定されている。



グレイトラッセルストリートに面したブルームズベリースクエアの北側には、英国の政治家であるチャールズ・ジェイムズ・フォックス(Charles James Fox:1749年ー1806年)のブロンズ像が建っている。



1749年1月24日、ホイッグ党(Whig)の政治家である初代ホーランド男爵ヘンリー・フォックス(Henry Fox, 1st Baron Holland:1705年ー1774年)の次男として出生したチャールズ・ジェイムズ・フォックスは、オックスフォード大学(University of Oxford)ハートフォードカレッジ(Hertford College)を卒業した後、1768年にホイッグ党の庶民院議員に初当選して、政界入りを果たす。

ホイッグ党の改革派閥である第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトスン=ウェントワース(Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham:1730年ー1782年)の派閥に属して、頭角を現わす。



そして、チャールズ・ジェイムズ・フォックスは、以下の内閣において、外務大臣を務める。


(1)第2次ロッキンガム侯爵内閣

*首相:第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトスン=ウェントワース

*外務大臣在任期間:1782年3月27日ー1782年7月5日


(2)第2次ポートランド公爵内閣

*首相:第3代ポートランド公爵ウィリアム・ヘンリー・キャヴェンディッシュ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク(William Henry Cavendish Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland:1738年ー1809年)

*外務大臣在任期間:1783年4月14日ー1783年12月19日


(3)グレンヴィル男爵内閣

*首相:初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル(William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville:1759年ー1834年)

*外務大臣在任期間:1806年2月7日ー1806年9月13日


チャールズ・ジェイムズ・フォックスは、自由主義的な政治家で、米国独立、フランス革命、議会改革や奴隷貿易廃止を支持したが、1806年9月13日、西ロンドンのチジックハウス(Chiswick House)において死去、57歳だった。彼の遺体は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に葬られた。


2014年7月2日から同年9月15日まで、「ブックス・アバウト・タウン(Books about Town)」というイべントがナショナルリテラシートラスト(The National Literacy Trust)によって開催され、


(1)ブルームズベリー(Bloomsbury)

(2)シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)

(3)ロンドン橋(London Bridge)近辺のテムズ河南岸(Riverside)

(4)グリニッジ(Greenwich)


の4つの地区に、本の形をしたベンチ(BookBench)が、全部で50個展示された。ロンドン市民、特に子供達に本を読む楽しみをもっと知ってもらう目的のためである。


なお、ブルームズベリースクエアには、以下の2つのブックベンチが設置された。


(1)アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチ(→ 2014年7月13日付ブログで紹介済)


アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチの表側

アガサ・クリスティー / エルキュール・ポワロをテーマにしたブックベンチの裏側

(2)ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチ(→ 2018年1月28日付ブログで紹介済)


ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの表側

ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの裏側


                                            

2025年2月28日金曜日

アガサ・クリスティー作「ブラックコーヒー」<戯曲版>(Black Coffee by Agatha Christie )- その2

英国の Harper Collins Publishers 社から現在出版されていた
アガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズ
「ブラックコーヒー」のペーパーバック版表紙 -
研究していた新しい原子爆発の方程式が盗まれた
科学者のサー・クロード・エイモリー

飲んだブラックコーヒーが入ったコーヒーカップが描かれている。


1930年にロンドン北西部のスイスコテージ(Swiss Cottage)内に所在するエンバシー劇場(Embassy Theatre)において初演されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)による戯曲「ブラックコーヒー(Black Coffee)」は、以下の3幕で構成されている。。


<場所>

科学者のサー・クロード・エイモリー(Sir Claud Amory)邸の読書室


*第1幕:午後8時30分

*第2幕:翌朝

*第3幕:その15分後


科学者のサー・クロード・エイモリーは、新しい原子爆発の方程式を研究していたが、金庫からその方程式が盗まれていることを発見する。そこで、サー・クロード・エイモリーは、ロンドンのエルキュール・ポワロに電話を掛け、助力を求めた。

なお、サー・クロード・エイモリー邸は、アボットクレーヴ内に所在しており、ロンドンから約25マイル離れていた。


ポワロの到着を待つ間、サー・クロード・エイモリーは、以下の家族達を読書室に集めた。


(1)リチャード・エイモリー(Richard Amory:サー・クロード・エイモリーの息子)

(2)ルシア・エイモリー(Lucia Amory:イタリア人で、リチャード・エイモリーの妻)

(3)キャロライン・エイモリー(Caoline Amory:サー・クロード・エイモリーの妹)

(4)バーバラ・エイモリー(Barbara Amory:サー・クロード・エイモリーの姪)

(5)エドワード・レイナー(Edward Raynor:サー・クロード・エイモリーの秘書)

(6)カレリ博士(Dr. Carelli:イタリア人で、ルシア・エイモリーの旧友)


読書室に家族達を集めたサー・クロード・エイモリーは、彼らを前にして、


*彼が研究していた新しい原子爆発の方程式が、金庫から盗まれたこと

*ロンドンから私立探偵のエルキュール・ポワロを既に呼び、現在、彼の到着を待っていること


を告げる。


ルシア・エイモリーが皆にブラックコーヒーを配るが、それを飲んだサー・クロード・エイモリーは、「苦い味がする。」と話した。


サー・クロード・エイモリーは、読書室に鍵を掛けると、「部屋を真っ暗にしておく間に、原子爆発の方程式が入った封筒をテーブルの上に戻してほしい。そうすれば、このことはなかったことにする。ただし、原子爆発の方程式が入った封筒が返されない場合、容赦は一切しない。」と、彼らに勧める。


読書室の電気が点いた時、テーブルの上に、封筒が置かれていることに気付いた皆は、驚きの声を上げる。

丁度その時、サー・クロード・エイモリーに呼ばれていたポワロが、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)とスコットランドヤードのジャップ警部(Inspector Japp)を伴って、邸に到着。

リチャード・エイモリーが、ポワロに対して、「事件は無事解決しました。」と告げたものの、彼らが読書室に戻ったところ、サー・クロード・エイモリーは椅子に座ったままで亡くなっており、その上、テーブルの上に戻された封筒の中は空っぽだった。


サー・クロード・エイモリーの家族は、ポワロ達に対して、彼の死の捜査を依頼。

ルシア・エイモリーが配ったブラックコーヒーを飲んだサー・クロード・エイモリーが「苦い味がする。」と話していたことから、ポワロは、サー・クロード・エイモリーが飲んだブラックコーヒーに毒が入っていたものと考える。つまり、サー・クロード・エイモリーが読書室に鍵を掛けて、家族達を室内に閉じ込めた時点で、彼は既に毒を飲まされていたことになる。


果たして、サー・クロード・エイモリーが研究していた新しい原子爆発の方程式を金庫から盗んだ上に、彼を毒殺した犯人は、一体、誰なのか?

ヘイスティングス大尉とジャップ警部を助けを借りつつ、ポワロは、サー・クロード・エイモリー毒殺事件の捜査を進めるのであった。