2022年2月27日日曜日

英国海軍艦(その6) - HMS ドレッドノート(Royal Navy Ship 6 - HMS Dreadnought)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
6番目に紹介するのは、「HMS ドレッドノート」で、
進水日ベースで言うと、唯一、
シャーロック・ホームズが活躍していた時代に登場した戦艦である。

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、6番目に紹介するのは、「HMS ドレッドノート(HMS Dreadnought)」である。


「HMS ドレッドノート」は、英国海軍の戦艦で、同名の鑑としては、6隻目に該るが、同型鑑はない。

「HMS ドレッドノート」の前級は「ロードネルソン級(Lord Nelson class)」で、後級は「ベレロフォン級(Bellerophon class)」となっている。


「HMS ドレッドノート」の建造は、1905年10月2日にポーツマス造船所(HMNB Portsmouth)において始まり、1906年2月10日に進水式を迎えた。そして、同年12月2日に就役した。

全長は約161m、全幅は約25m、装甲は約280mm、排水量は約22,000 t、そして、乗員は約800名となっており、兵装として、45口径連装砲5基地、45口径単装砲27基地、また、45cm水中魚雷発射管単装5門を備えていた。また、世界最初の蒸気タービン機関を搭載したことにより、就役当時、世界最速の21ノットの速力を誇った。なお、従来の戦艦の速力は、最大18ノット程度。


「ドレッドノート」は、「恐怖(Dread)」と「ゼロ(Nought)」の合成語で、「恐れを知らない」ことを意味するが、従来の戦艦に比べて、当艦が格段に強力だったこともあり、その後、「非常に強力である」ことを意味するようになる。


「HMS ドレッドノート」は、第一次世界大戦(1914年-1918年)に参戦。「HMS ドレッドノート」は、元々、対艦戦闘を主としていたものの、主な戦績としては、ドイツ軍の潜水艦「SM U-29」を撃沈した位で、第一次世界大戦中、対艦戦闘には参加していない。1916年5月、「HMS ドレッドノート」は、英仏海峡(English Channel)の海岸線防衛任務へとまわされた。

「HMS ドレッドノート」は、第一次世界大戦後の1919年2月に退役し、1923年に解体された。

今までに紹介した(1)「メアリーローズ(Mary Rose → 2021年11月21日付ブログで紹介済)」、(2)「HMS ソブリン・オブ・ザ・シーズ(HMS Sovereign of the Seas → 2021年12月19日付ブログで紹介済)」、(3)「HMS ビクトリー(HMS Victory → 2022年1月3日付ブログで紹介済)」および(4)「HMS ビーグル(HMS Beagle → 2022年1月16日付ブログで紹介済)」については、進水日ベースで言うと、識者の間では、1872年から1876年までの諸説が存在しているものの、シャーロック・ホームズ最初の事件である「グロリア・スコット号(The Gloria Scott → 2021年9月25日 / 10月3日 / 10月10日付ブログで紹介済)」以前の艦であるが、「HMS ドレッドノート」の場合、1906年2月10日に進水式を迎えているので、諮問探偵業から引退したホームズが「ライオンのたてがみ(The Lion’s Mane)」事件に遭遇した1907年7月末よりも前なので、唯一、ホームズが活躍していた時代に登場した戦艦と言える。 


2022年2月26日土曜日

ロンドン サザーク橋(Southwark Bridge)



英国の小説家で、推理 / サスペンスドラマの脚本家でもあるアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz:1955年ー)が、コナン・ドイル財団(Conan Doyle Estate Ltd.)による公認(公式認定)の下、シャーロック・ホームズシリーズの正統な続編として執筆の上、2011年に発表した「絹の家(The House of Silk)」では、以下のようにして、話が始まる。


ウィンブルドン(Wimbledon)に住む美術商で、共同経営者であるトバイアス・フィンチ(Tobias Finch)と一緒に、ロンドンの高級地区メイフェア(Mayfair)内にあるアルベマールストリート(Albemarle Street → 2021年2月19日付ブログで紹介済み)沿いでカーステアーズ・アンド・フィンチ画廊(Gallery Carstairs and Finch)を営んでいるエドムンド・カーステアーズ(Edmund Carstairs)が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズのところへ事件の相談にやって来た翌朝、エドムンドからホームズの元に電報が届いた。それは、昨夜、エンムンドと妻のキャサリン(Catherine Carstairs)が住むリッジウェイホール(Ridgeway Hall)に賊が侵入して、屋敷内の金庫が破られたことを知らせるものだった。


リッジウェイホールに到着したホームズとジョン・H・ワトスンに対して、エドムンドは「金庫から盗まれたのは、現金と宝石で、米国での銃撃戦で生き残り、ここのところ、自分に付きまとっていたキーラン・オドナヒュー(Keelan O’Donaghue)が、自宅に侵入したに違いない。」と話すのであった。

現金と宝石の盗難について、エドムンドから先に知らせを受けていたスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Letrade)は、今朝、ウィンブルドン発ロンドンブリッジ(London Bridge → 2016年3月19日付ブログで紹介済)行きの午前5時始発列車に、米国訛りの男が乗車していたことを既に突き止めていた。


ベーカーストリート221Bに戻ったホームズは、翌朝、ベーカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のウィギンズ(Wiggins)達を呼び集め、盗まれたサファイアのネックレスは近くの質屋で処分された可能性が高いので、ロンドンブリッジ駅界隈の質屋を一軒一軒尋ね回るよう、指示を与えた。

カーステアーズ・アンド・フィンチ画廊において、ホームズがエドムンドとトバイアスの二人と話をしているところに、ウィギンズが飛び込んで来て、ブリッジレーン(Bridge Lane)の質屋で、該当の人物を見つけたと報告した。そして、ウィギンズに連れられて、ホームズ、ワトスンおよびエドムンドは、四輪辻馬車で現地へと向かう。


現地に到着したホームズとエドムンドを見ると、ウィギンズの仲間で、見張りのロス(Ross)は何故か後退りをして、ひどく怯えた表情をする。ウィギンズとロスの二人を後に残して、ホームズ、ワトスンとエドムンドの三人は、該当の人物が宿泊しているホテル内に入ると、そこには首の横にナイフが突き刺さった男が死亡していた。スコットランドヤードのレストレード警部が現場に駆け付ける中、何故か、ロスが姿を消してしまう。


その後、ロスは、サザーク橋(Southwark Bridge)を渡ったテムズ河(River Thames)の南岸において、惨殺死体となって発見される。更に、彼の手首には、白い絹のリボンが巻き付けられていた。


ロスの惨殺死体が発見されたテムズ河南岸の近くにあるサザーク橋は、テムズ河南岸にあるロンドン特別区の一つであるサザーク区(London Borough of Southwark)とテムズ河北岸にあるシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)を結ぶアーチ橋である。


以前のサザーク橋は、建築家のジョン・レニー(John Rennie:1761年ー1821年)によって設計され、1819年に開通した。3つの巨大なアーチを花崗岩の柱で支える構造のため、「石の橋」と呼ばれた。

当初、サザーク橋を渡るには、通行料が必要であったが、Bridge House Estates が管理を引き継いだ後、1864年から通行料は無料となった。


現在のサザーク橋は、建築家のサー・アーネスト・ジョージ(Sir Ernest George:1839年ー1922年)と技師のサー・バジル・モット(Sir Basil Mott:1859年ー1938年)によって設計された後、1913年に Sir William Arrol & Co. が着工して、1921年6月6日に開通した。全長は約244mで、幅は約17mである。

現在のサザーク橋は、1995年に、「Grade II isted structure(英国指定建造物の第2級)」に指定されている。

アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」において言及されているサザーク橋は、年代的には、現在の橋ではなく、以前の橋ということになる。 


2022年2月23日水曜日

ジョン・ディクスン・カー作「カー短編全集3 パリから来た紳士」(The Gentleman from Paris and Other Stories by John Dickson Carr)

東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集3 パリから来た紳士」の表紙
(カバー : アトリエ絵夢 志村 敏子氏)


「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


彼が、ジョン・ディクスン・カー名義で発表した作品では、当初、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務めたが、その後、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が探偵役として活躍した。彼は、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。


日本の出版社である東京創元社から、創元推理文庫の一冊として、「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課」が1970年に出版されているが、これは、ジョン・ディクスン・カー名義で出版された短編集「Dr. Fell, Detective and Other Stories」(1947年)、「The Third Bullet and Other Stories」(1954年)および「The Man Who Explained Miracles」(1963年)をベースにして、独自に編み直されている。


「カー短編全集3 パリから来た紳士」には、以下の短編が収録されている。


(1)「パリから来た紳士(The Gentleman from Paris)」(1950年)

本作品は、「妖魔の森の家(The House in the Goblin Woods)」(1947年)と並ぶ短編の代表作と評されている。老婦人を説得して、彼女の遺産を困窮している彼女の娘に譲らせるために、フランスから米国(ニューヨーク)へとやって来た主人公であったが、書き換えに成功した遺言状の所在が判らなくなってしまう。酒場に居た男が見事に謎を解いてくれるのだが、物語の最後に、思いがけない男の正体が明らかにされる。


(2)「見えぬ手の殺人(原題は「King Arthur’s Chair」であるが、その後、「 Invisible Hands」、次に、「Death by Invisible Hands」と改題されている)」(1957年)

岬の岩近くの海浜において、絞殺死体が発見されるが、周囲には、足跡が全く見当たらない。この不可能犯罪の謎を、ギディオン・フェル博士が解いてみせる。


(3)「ことわざ殺人事件(The Proverbial Murder)」(初出誌は不明)

特別捜査班が監視する状況下、スパイと目されているドイツ人の教授が射殺された事件に、ギディオン・フェル博士が挑む。


(4)「とりちがえた問題(The Wrong Problem)」(1938年)

偶然遭遇した白髪の小男が語る回想話を聞いたギディオン・フェル博士が、30年前、密室(池の中の島 / 屋根裏部屋)状況下で発生した2つの殺人事件の真相を看破する。


(5)「外交官的な、あまりにも外交官的な(Strictly Diplomatic)」(1939年)

主人公の弁護士が一目惚れした女性は、彼が見ている中、並木道を通り抜けた筈にもかかわらず、反対の出口に居たシルヴァニア大使は、彼女を見かけていないと答える。この並木道には、通り抜ける以外、他にも出口はない。彼女は、どこに消失してしまったのか?我々の盲点が突かれることになる。


(6)「ウィリアム・ウィルソンの職業(William Wilson’s Racket)」(1941年)

最年少の大臣の婚約者である伯爵令嬢によると、婚約相手の大臣は、パーティーの席上、失態を演じるだけでなく、ある事務所(ウィリアム・アンド・ウィルへルミナ・ウィルソン商会)において、別の女性を膝に乗せている現場に出くわした。伯爵令嬢を見た大臣は、慌てて逃げ出し、ビルの一室に服や持ち物だけを残したまま、失踪してしまったのである。伯爵令嬢の訴えを聞いたロンドン警視庁D三課の課長であるマーチ大佐(「カー短編全集1 不可能犯罪捜査課(The Department of Queer Complaints)」に登場)が、その謎を解明する。


(7)「空部屋(The Empty Flat)」(1939年)

深夜の静寂を震わせるラジオの音を不快に感じたフラットの住民達が調べてみると、騒音の震源地である部屋から、ショック死の死体が発見される。「ウィリアム・ウィルソンの職業」に登場したマーチ大佐が、推理眼を披露する。


(8)「黒いキャビネット(The Black Cabinet)」(1951年)

米国人を父に、そして、イタリア人を母にして生まれたヒロインは、母親達が失敗したナポレオン3世の暗殺を実行しようとする。暗殺実行の直前に、邪魔が入るが、「パリから来た紳士」と同様、物語の最後に、邪魔に入った男の正体が明らかにされる。


(9)「奇蹟を解く男(原題は「Ministry of Miracles」であるが、その後、「All in a Maze」、次に、「 The Man Who Explained Miracles」と改題されている)」(1955年)

結婚前にロンドン観光へとやって来た女性が、誰も居ない筈の回廊において、死の予告を聞いただけでなく、密閉された室内でガス栓が捻られる等、不可解な出来事に遭遇する。女性の身辺に迫る魔手の話が、首都警察の捜査第8課、通称、「奇蹟担当局」を主導するヘンリー・メルヴェール卿のところに持ち込まれる。 


2022年2月20日日曜日

アラン・メルヴィル作「スラックリー屋敷での週末」(Weekend at Thrackley by Alan Melville)

大英図書館(British Library)から2018年に出版された
アラン・メルヴィル作「スラックリー屋敷での週末」の表紙


「スラックリー屋敷での週末(Weekend at Thrackley)」は、英国の推理作家で、プロデューサー、劇作家や脚本家でもあったアラン・メルヴィル(Alan Merville:1910年-1983年)が、1934年に発表した推理小説である。


アラン・メルヴィル(本名:ウィリアム・メルヴィル・カヴァーヒル(William Merville Caverhile))は、イングランド北部のノーサンバーランド州(Northumberland)内を流れるツイード川(River Tweed)の河口に位置するベリック・アポン・ツイード(Berwick-upon-Tweed)に出生。

学校を出た後、彼は家族が経営する材木会社に入るが、仕事が合わなかったため、独立するべく、自宅を出ると、ベリック・アポン・ツイード内のホテルに居を構えた。そして、彼は、材木会社で勤務する一方、夜間、タイプライターを使って、小説を書き続けた。

まもなく、子供向けの短編が BBC によって採用され、その後、詩や小説等も続き、1934年に発表した本作が商業的な成功を収めたので、彼は、材木会社を辞めて、作家業に専念することになった。


大英図書館から2018年に出版された
アラン・メルヴィル作「スラックリー屋敷での週末」の裏表紙

「スラックリー屋敷での週末」の主人公であるジェイムズ・ヘンダースン(James Henderson - 愛称:ジム(Jim))は、バートラム夫人(Mrs. Bertram)が営む下宿に住んでいた。

ジムは、学校を出た後、(第一次世界大戦(1914年-1918年)に)従軍した。彼は、大尉(Captain)まで昇進し、無傷で戦争から戻って来たが、不幸なことに、従軍中に、彼の母は死去していた。残念ながら、従軍経験は、孤族になった彼にとって、日常生活を送る上で、何のプラスにもならず、なかなか仕事が見つからず、仮に見つかっても、長くは続かないという状況が続いていた。


そんなある日、ジムは、サリー州(Surrey)ノースアダリー(North Adderly)に所在するカントリーハウスのスラックリー(Thrackley)屋敷に住むエドウィン・カースン(Edwin Carson)から手紙を受け取る。

ジムは、エドウィン・カースンという名前には心当たりはなかったが、手紙によると、エドウィン・カースンは、ジムの父親と親友で、ジムの父親エドワード・ヘンダースン(Edward Henderson)が亡くなるまで、南アフリカで一緒に住んでいたとのこと。また、エドウィン・カースンは、イングランドに来た際に、ジム本人にも、1-2回会ったことがあると言う。

エドウィン・カースンは、最近、海外からイングランドに戻って来たところで、暫くの間、サリー州の屋敷に滞在する予定なので、ジムに対して、次の週末、サリー州の屋敷に遊びに来るよう、打診してきたのである。

エドウィン・カースンのことを思い出せないジムであったが、何も予定がない彼は、エドウィン・カースンの招待を受けることにした。


ジムが、ストランド通り(Strand)にある紳士クラブ「グラハムズ(Graham’s)」に行くと、そこで親友のフレディー・アッシャー(Freddie Usher)に会った。

フレディーによると、驚くことに、エドウィン・カースンは、宝石の蒐集家として、世界的に非常に有名な人物だ、とのことだった。ジムの話に興味を覚えたフレディーは、自分の車で、ジムをサリー州のスラックリー屋敷まで送っていく、と申し出る。


スラックリー屋敷に到着したジムとフレディーの二人は、執事のジェイコブスン(Jacobson)の出迎えを受ける。招待主であるエドウィン・カースンと会ったジムは、自分と父親とエドウィン・カースンは、南アフリカの刑務所において、知り合いになったという衝撃の事実を聞かされる。

また、ジムとフレディー以外に、その週末、スラックリー屋敷には、数名のゲストが招待されており、彼ら全員が宝石を蒐集する裕福な人物であることが判る。

ジムは、何故、そういったゲストと一緒に、自分が招待されたのか、大きな疑問を感じるのであった。


そして、その週末、ある事件が発生し、最終的に、ジムは、自分の過去と向き合うことになる。


ジムとフレディーの掛け合いを含めて、読みやすくなっているが、内容的には、推理小説と言うよりは、どちらかと言うと、推理的な要素を伴ったドラマに近いのではないかと思う。本作は、英国における「推理小説の黄金時代」と言われる1920年代から1940年代にかけて登場した作品の一つではあるが、黄金時代の主流となった本格推理小説を期待して読むと、若干、期待外れに終わる可能性がある。


2022年2月19日土曜日

ロンドン アルベマールストリート(Albemarle Street)


英国の小説家で、推理 / サスペンスドラマの脚本家でもあるアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz:1955年ー)が、コナン・ドイル財団(Conan Doyle Estate Ltd.)による公認(公式認定)の下、シャーロック・ホームズシリーズの正統な続編として執筆の上、2011年に発表した「絹の家(The House of Silk)」では、以下のようにして、話が始まる。


1890年11月も終わりに近付いた頃、メアリー・モースタン(Mary Morstan)と結婚していたジョン・H・ワトスンは、古巣ベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズの元を訪れた。ワトスンの妻は、ちょうどその時、以前家庭教師をしていたセシル・フォレスター夫人(Mrs. Cecil Forrester)の子息リチャード(Richard)がインフルエンザに罹患したので、見舞いの為、キャンバーウェル地区(Camberwell → 2017年12月9日付ブログで紹介済)へと出かけて、ケンジントン地区(Kensington)の自宅を留守にしていたのである。ワトスンがホームズを訪ねたのは、妻がキャンバーウェル地区へ出発するのを見送った駅からの帰りであった。

そんな中、ウィンブルドン(Wimbledon)に住むエドムンド・カーステアーズ(Edmund Carstairs)が、ホームズのところへ事件の相談にやって来る。彼は美術商で、共同経営者であるトバイアス・フィンチ(Tobias Finch)と一緒に、アルベマールストリート(Albemarle Street)沿いでカーステアーズ・アンド・フィンチ画廊(Gallery Carstairs and Finch)を営んでいると言う。

アルベマールストリートを北側から望む -
画面右手奥にブラウンズホテルの表玄関がある


アルベマールストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級地区メイフェア(Mayfair)内にある通りである。

トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から西へ延びるパル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)は、セントジェイムズパレス(St. James’s Palace)に至ったところで垂直に曲がり、セントジェイムズストリート(St. James’s Street → 2021年7月24日付ブログで紹介済)へと名前を変えて、北へ向かって延びる。セントジェイムズストリートは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)からハイドパーク(Hyde Park)へ向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)と交差した後、アルベマールストリートへと名前を変えて、更に北上する。


初代準男爵サー・トマス・ボンド(Sir Thomas Bond, 1st Baronet:1620年頃ー1685年)がこの一帯を開発した際に、アルベマールストリートも設けられた。

ロンドン市内の交通渋滞を緩和するために、アルベマールストリートは、南から北へと向かう一方通行となっている。

アルベマールストリートと並行する通りとして、東側のオールドボンドストリート(Old Bond Street)と西側のドーヴァーストリート(Dover Street)があるが、オールドボンドストリートは、北から南へと向かう一方通行で、ドーヴァーストリートは、アルベマールストリートと同じく、南から北へと向かう一方通行である。なお、アルベマールストリートは、最終的に、東西に延びるグラフトンストリート(Grafton Street)に突き当たるが、このグラフトンストリートは、東側のオールドボンドストリートと西側のドーヴァーストリートへの抜け道となっている。


アルベマールストリート側から見たロイヤルアーケード全景


アルベマールストリート12番地(12 Albemarle Street)には、東側にあるオールドボンドストリート28番地(28 Old Bond Street)との間を結ぶロイヤルアーケード(Royal Arcade → 2016年1月16日付ブログで紹介済)という屋根付きの街路があり、両側に商業用店舗が軒を連ねている。

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、ポワロがキングスレイシーを訪問する前に、キングスレイシーに住むエジプト学者のレイシー大佐(Colonel Lacey)がエジプト美術商のデイヴィッド・ウェルウェン(David Welwyn)の店に訪れる場面として、ロイヤルアーケードが撮影に使用されている。

ブラウンズホテルの表玄関
(アルベマールストリート側)


アガサ・クリスティー作「バートラムホテルにて(At Bertram's Hotel)」(1965年)では、ミス・ジェイン・マープルが古き良きエドワード朝時代の面影を今なお残しているバートラムホテル(Bertram's Hotel)を訪れるところから、物語の幕が上がる。

彼女は、まだ14歳の時に、伯父夫妻に連れられて、バートラムホテルに宿泊したことがあった。今回、甥のレイモンドと彼の妻ジョーンが、ミス・マープルのために、ここに2週間程滞在する費用を出してくれたのだ。昔を懐かしむミス・マープルは、半世紀ぶりにバートラムホテルを再訪することになるが、昔と全く変わっていないことに驚く。しかし、その裏で事件の影が蠢いていたのである。

宿泊客のキャノン・ペニーファザー牧師(Cannon Pennyfather)が消息不明になり、そして、ある霧深い夜、ホテルのドアマンであるマイケル・ゴーマン(Michael Gormanー宿泊客の女性冒険家レディー・ベス・セジウィックの元夫)が射殺される。レディー・ベス・セジウィック(Lady Bess Sedgwick)と彼女の娘エルヴァイラ・ブレイク(Elvira Blake)の周囲で、何か不穏な動きがあるのだが、一体それは何か?

バートラムホテルは架空のホテルで、ロンドン市内に実在していないが、アルベマールストリート33番地に建ち、作者のアガサ・クリスティーがロンドン滞在の際の宿としていたブラウンズホテル(Brown's Hotel → 2015年5月10日付ブログで紹介済)がそのモデルだと一般に言われている。


2022年2月14日月曜日

英国海軍艦(その5) - HMS ウォーリア(Royal Navy Ship 5 - HMS Warrior)

英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、
5番目に紹介するのは、「HMS ウォーリア」で、
就役した1861年8月時点で、その姉妹艦である「HMS ブラック・プリンス」と並び、
世界最大最強の軍艦だった。

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、5番目に紹介するのは、「HMS ウォーリア(HMS Warrior)」である。


「HMS ウォーリア」は、鉄製の船殻と装甲を持った英国海軍最初の装甲艦である。


1858年5月に、フランスによる装甲艦「ラ・グロワール(La Gloire)」とその姉妹艦の建造計画が、極秘情報として、英国海軍本部にもたらされた。当初、英国政府は、これを深刻な脅威とは捉えなかったが、フランスが「ラ・グロワール」とその姉妹艦を完成させた場合、蒸気推進艦について、フランスは英国に肩を並べるとともに、装甲艦に関しては、英国を凌駕することが、同年8月に明らかになった。そのため、同年11月22日、英国海軍本部は、「ラ・グロワール」と同等の木造装甲艦の設計を指示した。


英国海軍本部の指示を受けて、主任設計士のアイザック・ワッツ(Issac Watts:1797年ー1876年)と主任技師のトマス・ロイド(Thomas Lloyd)が設計を行なったが、


(1)当時の木造艦建造能力が既に最大サイズに達していたこと

(2)森林破壊により、英国では、木材供給能力が低かったこと

(3)英国海軍本部から速やかな建造を求められていること


等を勘案、鉄製の装甲艦への建造へと舵が切られた。


アイザック・ワッツとトマス・ロイドによる設計案は1858年12月末に承認され、複数の鉄製造船会社に対して、詳細設計が依頼された。

その後、入札が行われて、1859年5月11日の発注に基づき、テムズ鉄工造船所(Thames Ironworks and Shipbilding Company)において、1859年5月25日に着工され、約1年7ヶ月後の1860年12月29日に進水式を迎えた。

そして、1861年8月1日に就役したが、最終的に竣工したのは、その約3ヶ月後の同年10月24日である。


就役した1861年8月時点において、「HMS ウォーリア」は、その姉妹艦の「HMS ブラック・プリンス(Black Prince)」と並んで、それまでの装甲艦よりも際立って大きく(全長:約130m / 全幅:約18m / 排水量:約9、200t)、また、最高速、重装備、かつ重装甲の軍艦で、フランスの「ラ・グロワール」対比、2倍の大きさで、速度、装備および装甲においても、完全に上回っていた。


これが契機となり、高威力の艦砲と高い防御装甲の両方を兼ね備える軍艦を建造する激しい競争が始まり、「HMS ウォーリア」とその姉妹艦の「HMS ブラック・プリンス」は、その競争に巻き込まれた。海軍の技術進歩は著しく、就役時に世界最大最強の軍艦だった両艦は、直ぐに時代遅れとなってしまった。

「HMS ウォーリア」は、就役中、実戦に参加することもなく、1883年5月31日に退役し、現在は、ポーツマス港(Portsmouth Harbour)において、博物館船(museum ship)となっている。


2022年2月13日日曜日

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts) - その2

イーデン・ヘンリー・フィルポッツは、
ダートムーアを舞台にした田園小説を敢行するとともに、
1912年以降、推理小説を精力的に発表している。

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年)は、1888年に「フライングスコッツマンの冒険(My Adventures in the Flying Scotsman : A Romance of London and North-Western Railways Shares - 快速鉄道フライングスコッツマン号を舞台にした連作短編集)」を刊行した後、初期には、戯曲の執筆を主に活動した。

彼が執筆した三幕ものの喜劇「農夫の妻(The Farmer’s Wife)」(1916年)は、ロンドンにおいて、1,329回の上演記録を達成した。この喜劇は、英国の映画監督 / 映画プロデューサーであるアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock:1899年ー1980年)によって、彼の英国時代の1928年に映画化され、その後、1941年には、ノーマン・リー監督とレスリー・アーリス監督によって再映画化されている。


イーデン・フィルポッツは、ダートムーア(Dartmoor)を舞台にした田園小説の長編18冊と短編集2冊を発表しており、そのうち、「The River」(1902年)と「The Secret Woman」(1905年)が彼の代表作と言われている。一方、イーデン・フィルポッツ自身は、「The Thief of Virture」(1910年)を自作のベストとして挙げている。


田園小説で有名となったイーデン・フィルポッツは、ミステリー要素のある長編「The Three Knaves」(1912年)を発表した後、


(1)「灰色の部屋(The Grey Room)」(1921年)

(2)「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes)」(1922年)

(3)「闇からの声(A Voice from the Dark)」(1925年)

(4)「密室の守銭奴(Marylebone Miser)」(1926年)

(5)「溺死人(Found Drowned)」(1931年)

(6)「医者よ自分を治せ(Physician Heal Thyself)」(1935年)

(7)「極悪人の肖像(Portrait of a Scoundrel)」(1938年)


を刊行するとともに、別名義のハリントン・へクスト(Harrington Hext)でも、


(8)「テンプラー家の惨劇(The Thing at Their Heels)」(1923年)

(9)「怪物(The Monster)」(1924年)

(10)「だれがコマドリを殺したのか?(Who Killed Cock Robin?)」(1924年)


等の推理小説を精力的に発表した。


イーデン・フィルポッツは、1959年に「老将の回想(There Was an Old Man)」を発表した後、1960年12月29日、終の棲家となったデヴォン州(Devon)ブロードクライスト(Broad Clyst)において、98歳の生涯を終えた。


イーデン・フィルポッツは、1892年に結婚したエミリー・トーパムとの間に、娘と息子を設けており、娘のアデレイド・イーデン・フィルポッツ(Adelaide Eden Phillpotts:1896年ー1993年)は、後に小説家になっている。

1928年にエミリーに先立たれたイーデン・フィルポッツは、1829年にルーシー・ロビーナ・ウェブと再婚し、彼女と共作した喜劇を上梓している。


2022年2月12日土曜日

アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」(The House of Silk by Anthony Horowitz) - その3

2015年10月に角川文庫として出版されている
アンソニー・ホロヴィッツ作 / 駒月 雅子訳
「シャーロック・ホームズ 絹の家」の文庫版
(カバーイラスト : 西山 寛紀 氏 / カバーデザイン : 須田 杏菜 氏)


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆(4.0)


「瀕死の探偵(The Dying Detective)」事件で衰弱したシャーロック・ホームズの体調を気遣ったジョン・H・ワトスンがベーカーストリート221Bを訪れるところから、物語が始まる。「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2021年5月11日 / 5月19日付ブログで紹介済)」や「恐怖の谷(The Valley of Fear)」の長編のように、米国における因縁話がベースになっているものの、そこから別の事件が大きく絡んできて、最後には、元の話に戻ってくるという構造になっており、一本の流れとして、うまく纏め上げられている。


(2)物語の展開について ☆☆☆☆(4.0)


派手な展開はないが、上記の通り、物語は一本の流れにうまく纏め上げられている。作者のアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz:1955年ー)は、ITV1 で放映されている「バーナビー警部(Midsomer Murders)」や「刑事フォイル(Foyle’s War)」等の脚本を書いている(エルキュール・ポワロシリーズにも参加)ので、なかなか手堅い。

ただ、途中から大きく絡んでくる事件が、ホームズ作品としては、かなりショッキングな内容で、近年、英国において、似たような問題が新聞で頻繁に騒がれており、そういった意味では、昔からあったことなのであろう。また、ワトスンが世間に公表するのを渋ったうまい理由付けになっている。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆☆半(3.5)


諸々の理由により、英国政府、特に、兄のマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)による手助けを期待できない中、ホームズは孤独な闘いを強いられる。最後には、全ての真相に到達するものの、ベーカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のロス(Ross)に行方をくらませられたり、また、その後、捜査のためにアヘン窟に潜入して、敵に捕まり、身に覚えがない殺人の罪を着せられる等、物語の展開上、必要な流れなのかもしれないが、若干、ホームズらしくない気がしてしまう。


(4)総合評価 ☆☆☆☆(4.0)


「ドラキュラ伯爵(Count Dracula)」、「ジキル博士とハイド氏(Dr. Jekyll & Mr. Hyde)」や「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」等の有名な対決相手もなしで、あくまでもホームズものという枠組みの内で執筆された作品で、若干ホームズらしからぬと思える箇所はあるものの、非常に手堅く、かつ、うまく纏め上げられている。コナン・ドイル財団(Conan Doyle Estate Ltd.)の初公認作品とされるだけのレベルを兼ね備えていると言える。



2022年2月6日日曜日

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts) - その1

イーデン・フィルポッツは、英国において、田園小説作家として有名であるが、
日本では、「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes)」(1922年)や
「闇からの声(A Voice from the Dark)」(1925年)等の
推理小説作家として、非常に有名。

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年)は、田園小説で有名な英国の作家である。


彼がデヴォン州(Devon)トーキー(Torquay)に居た際、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年 → 当時は、まだ、旧姓のアガサ・メアリー・クラリッサ・ミラー(Agatha Mary Clarissa Miller))の近所に住んでおり、創作を始めたばかりの彼女(19歳)が執筆した「砂漠の雪(Snow in thw Desert - エジプトのカイロが舞台)」を読んで、的確な助言を与え、彼女を文筆の道へ進むよう、後押ししている。

イーデン・フィルポッツからの後押しを受けたことは、アガサ・クリスティーの自伝に記されているとともに、彼女が1932年に発表したエルキュール・ポワロシリーズの一つである「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」は、イーデン・フィルポッツに献辞されている。「エンドハウスの怪事件」は、セントルー(St. Loo - 架空の場所)のマジェスティックホテル(Majestic Hotel - 架空のホテル)が舞台になっているが、アガサ・クリスティーの故郷であるトーキーにあるインペリアルホテル(Imperial Hotel)が、そのモデルになっているからである。


イーデン・フィルポッツは、1862年11月4日、英国陸軍大尉の父ヘンリー・フィルポッツ(Henry Phillpotts)が駐在官として赴任したインド北西部ラジプターナ地方(Rajasthan)のマウントアブー(Mount Abu)

で、長男として出生。

1865年に父ヘンリーが赴任先のインドで亡くなると、21歳で未亡人となった母アデレード(Adelaide)は、イーデンと二人の弟を連れて、英国へと戻り、プリマス(Plymouth)に居を定めた。


イーデン・フィルポッツは、プリマスの私立学校マナミードスクール(Mannamead School)に入学するが、彼が17歳だった1879年、大学には進まず、ロンドンへと出て、1880年、サン火災保険会社(Sun Fire Office)のトラファルガースクエア(Trafalgar Square)にあるオフィスに職を得た。


保険会社に勤務するかたわら、イーデン・フィルポッツは、俳優を目指して、2年間、演劇学校に通うが、最終的には、自分は演技に向いていないと見切りをつけると、仕事の余暇に執筆を始め、次第に原稿料を稼ぐようになった。

自分の筆で生活できるようになったと自信を得たイーデン・フィルポッツは、1890年にサン火災保険会社を退職した。退職後、彼は、一時期、ロンドンの週刊誌「ブラック・アンド・ホワイト・マガジン(Black and White Magazine)」の編集を手伝っていたが、間もなく、筆一本の生活に入る。


1892年にエミリー・トーパムと結婚したイーデン・フィルポッツは、大都会よりも郊外の生活を好んだため、ロンドンを離れると、英国における自分の故郷であるプリマスがあるデヴォン州に移り住んだ。

彼は、最初、トーキーに、そして、ブロードクライスト(Broad Clyst)に居を構えると、ブロードクライストに終生住み続けた。

彼がロンドンから最初に移り住んだトーキーにおいて、アガサ・クリスティーの隣人となっているのである。 


2022年2月5日土曜日

アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」(The House of Silk by Anthony Horowitz) - その2

英国の The Orion Publishing Group 社から2011年に出版された
アンソニー・ホロヴィッツ作「絹の家」の裏表紙(ハードカバー版)


ウィンブルドン(Wimbledon)に住む美術商で、共同経営者であるトバイアス・フィンチ(Tobias Finch)と一緒に、アルベマールストリート(Albemarle Street - ロンドンの高級地区メイフェア(Mayfair)内にあり)沿いでカーステアーズ・アンド・フィンチ画廊(Gallery Carstairs and Finch)を営んでいるエドムンド・カーステアーズ(Edmund Carstairs)が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)のシャーロック・ホームズのところへ事件の相談にやって来た翌朝、エドムンドからホームズの元に電報が届いた。それは、昨夜、エンムンドと妻のキャサリン(Catherine Carstairs)が住むリッジウェイホール(Ridgeway Hall)に賊が侵入して、屋敷内の金庫が破られたことを知らせるものだった。電報を読んだホームズとジョン・H・ワトスンは、早速、ウィンブルドンへと向かう。


リッジウェイホールに到着したホームズ達に、エドムンドは「金庫から盗まれたのは、現金と宝石で、米国での銃撃戦で生き残り、ここのところ、自分に付きまとっていたキーラン・オドナヒュー(Keelan O’Donaghue)が、自宅に侵入したに違いない。」と話すのであった。宝石はエドムンドの母親の形見(サファイアのネックレス)で、1年前、就寝中、寝室でのガスストーブによる中毒により、彼女は亡くなっていた。同じ屋敷内に住むエドムンドの姉イライザ(Eliza Carstairs)は、ホームズ達に対して、「母は、元々、エドムンドとキャサリンの結婚に反対で、結婚後も、キャサリンとの折り合いは悪く、それを苦にした自殺だ。」と話し、リッジウェイホール内で、エドムンド / キャサリンとイライザの間に、大きな感情的な溝があったことを浮き彫りにするのであった。


現金と宝石の盗難について、エドムンドから先に知らせを受けていたスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Letrade)は、今朝、ウィンブルドン発ロンドンブリッジ(London Bridge → 2016年3月19日付ブログで紹介済)行きの午前5時始発列車に、米国訛りの男が乗車していたことを既に突き止めていた。目撃者が証言した服装や右頬の傷痕等から、エドムンドは、「リッジウェイホールから逃げ出したキーラン・オドナヒューは、ロンドン市内へ向かったに違いない。」と断言する。


ベーカーストリート221Bに戻ったホームズは、翌朝、ベーカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のウィギンズ(Wiggins)達を呼び集める。リッジウェイホールに侵入した賊は、ロンドンブリッジ駅近辺のホテル / 下宿屋に滞在しており、盗んだサファイアのネックレスを近くの質屋で処分した可能性が高いと考えたホームズは、ウィギンズ達に対して、ロンドンブリッジ駅界隈の質屋を一軒一軒尋ね回るよう、指示を与えた。


ウィギンズ達による捜索を待つ間、ホームズは、ワトスンを誘って、アルベマールストリートのカーステアーズ・アンド・フィンチ画廊を訪問する。

ホームズがエドムンドとトバイアスの二人と話をしているところに、ウィギンズが飛び込んで来た。彼は、仲間のロス(Ross)と一緒に、ブリッジレーン(Bridge Lane)の質屋で、該当の人物を見つけたと言う。

ウィギンズに連れられて、ホームズとワトスンは、四輪辻馬車でバーモンジー(Bermondsey)のオールドモア プライベートホテル(Mrs Oldmore’s Private Hotel)へと向かう。エドムンドも、彼らに同行する。


荒れ果てたホテルに到着したホームズとエドムンドを見ると、見張りのロスは何故か後退りをして、ひどく怯えた表情をするのだった。何か隠し事をしている態度だった。

とりあえず、ウィギンズとロスの二人を後に残して、ホームズ、ワトスンとエドムンドの三人は、ホテル内に入り、フロントの老人から教えてもらった6号室の施錠したドアを体当たりで破ると、そこには、首の横にナイフが突き刺さった男が死亡していたのである。

スコットランドヤードのレストレード警部が現場に駆け付ける中、ロスが姿を消してしまう。一体、ロスは何を隠しているのか?


その後、ロスは、サザーク橋(Southwark Bridge)を渡ったテムズ河(River Thames)の南岸において、惨殺死体となって発見される。更に、彼の手首には、白い絹のリボンが巻き付けられていた。この白い絹のリボンは、一体、何を意味するのか?

ホームズによる捜査の過程で浮上する「絹の家(House of Silk)」と言う謎の言葉。一体、「絹の家」とは、何なのか?


途中、ホームズは、敵の罠に陥り、見に覚えのない殺人の罪をきせられるが、最後には、驚愕の真相を暴き出すのであった。それも、非常にショッキングな真相が明らかにされるのである。