ロンドンの土産物店で販売されている 「切り裂きジャック」をテーマにしたパブの看板(その1) |
サイモン・クラーク(Simon Clark)編「 シャーロック・ホームズの探偵学校(Sherlock Holmes’s School for Detection)」に収録されている11短編の中で、一番最後の作品「The Monster of the Age(著者:Paul Finch)」は、「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」をテーマにしたものである。本作品は、短編とは言っても、約70ページあるので、実際には、中編の範疇に属する。
ロンドンの土産物店で販売されている 「切り裂きジャック」をテーマにしたパブの看板(その2) |
1922年3月、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、London Metropolitan Police の元警察官で、探偵学校の生徒である Miss Leticia (Letty) Feltencraft が書いた同年3月1日付の手紙を受け取った。
彼女の手紙によると、「自分が悪名高きホワイトチャペル地区(Whitechapel)の殺人鬼の正体を明らかにする。」とのこと。「切り裂きジャック」事件が起きたのは、1888年で、34年も経った今になって、一体、何が判ったのだろうか?
ホームズとワトスンが次に受け取った手紙は、3月3日付で、彼女は、現在、ランカシャー州(Lancashire)の Beardshaw 村に居るらしい。彼女は、ある手掛かりを追って、イングランド北部まで来ているようだ。
彼女は、警察官になる前、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中、看護師として、負傷兵の看病にあたっていた。1917年、フォークストン(Folkstone)の St. Michael’s Cottage Hospital に勤務していた際、そこに地雷で全身を、特に左腕を負傷した50歳近くのアーサー・ビショップボーン大尉(Captain Arthur Bishopbourne)が運ばれてきた。その後、負傷は癒えたものの、左腕には麻痺が残った上に、精神疾患もあり、治療が続いていた。彼は、通常、非常に温和であるが、何かの拍子にとても狂暴になり、特に女性の看護師に対して攻撃的になることが多々あった。彼女は、彼の精神治療の記録から、彼が「切り裂きジャック」なのではないか、と考えていた。
村の郵便局にある掲示板で見つけた求人広告に応募して、彼女は、Trawden House のメイドの仕事に就くことになった。金や銅等の取引で富を築き、Trawden House を所有していたランドルフ・ビショップボーン卿(Sir Randolph Bishopbourne)は1916年に、そして、妻のクララ・ビショップボーン(Lady Clara Bishopbourne)は1919年に亡くなり、現在、残された息子のアーサー・ビショップボーン大尉が、召使達と一緒に、暮らしているのだった。ただ、彼女が Trawden House で働くことに関して、郵便局の女主人や彼女が部屋を借りているパブのバーメイド達は、あまり良い顔をしなかった。
彼女によると、昨年のクリスマスイヴの晩、Trawden House から10キロ弱離れた町で、Valerie Blye という娼婦が、身体中を39箇所も刺されて殺害されるという事件も発生していたのである。
ロンドンの土産物店で販売されている 「切り裂きジャック」をテーマにしたパブの看板(その3) |
その後も、毎日のように届く彼女の報告書の束と、それらに基づくホームズとワトスンによる推理が繰り返されて行く。
ランドルフ・ビショップボーン卿が経営していた Bishopbourne Cooper & Gold 会社は、ロンドンのホワイトチャペル地区内にあるコマーシャルストリート(Commercial Street)にオフィスを有しており、「切り裂きジャック」事件が発生した当時(1888年)、18歳のアーサー・ビショップボーンは、修行も兼ねて、召使達付きで、当該オフィスの責任者として、故郷のランカシャー州から派遣されていたことが判った。更に、最後と言われている「切り裂きジャック」事件が発生した後、1ヶ月もしないうちに、何故か、当該オフィスは閉鎖されていたことも判明する。
そして、1888年以降、闇に包まれたままだった「切り裂きジャック」の正体が、ホームズ達によって、明らかにされる。
本作品は、あくまでも完全なフィクションではあるが、こういったストーリー展開もあるのかと、なかなかサスペンス的なドキドキもあって、非常に面白かった。
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