「兄の殺人者(My Brother’s Killer)」は、 英国の推理作家であるデイヴィッド・マクドナルド・ディヴァイン(David McDonald Devine:1920年ー1980年)が、英国コリンズ社主催の大学教員を対象にした書き下ろし推理小説コンクールに応募したものである。実際のところ、D・M・ディヴァインは、大学教員ではなく、事務局の職員だったこともあって、残念ながら、受賞には至らなかったものの、当時審査員の一人を務めていたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1970年)は、「最後の最後まで楽しんで読めた。極めて面白い犯罪小説」という最高の褒め言葉を残している。
4月中旬のある深い霧の夜、バーネット・ウォーターストン・アンド・ファーガスン弁護士事務所の共同経営者であるオリヴァー・バーネット(Oliver Barnett)からの急な呼び出しを受けて、自宅から事務所へと呼び戻された弟のサイモン・バーネット(Simon Barnett)は、そこで兄オリヴァーの射殺死体を発見する。オリヴァーは、家庭内の不和と仕事上の軋轢をいろいろと抱えており、トラブルには事欠かなかった。
ブリックフィールド署のケネディー警部(Inspector Kennedy)やスコットランドヤードのガーランド警視(Detective-Superintendent Garland) / ベーカー部長刑事(Detective-Sergeant Baker)による捜査の過程で、次々と暴かれる兄オリヴァーの忌まわしい「秘密」。
・グリブル街(Gribble Street)に保有している密会用のアパート
・謎の愛人
・ゆすり / 恐喝等
兄オリヴァーは、それが原因で殺害されたのか?
警察の捜査で、昔の友人であるシーラ・グラント(Sheila Grant)が逮捕されるに及んで、サイモンは、兄オリヴァーの汚名をそそぎ、また、第一容疑者となった友人を苦境から救うために、独自の捜査に乗り出す決心を固める。そして、サイモンは、弁護士事務所の事務員アラン・ケリー(Allan Kelly)とオリヴァーの秘書だったジョイス・ガラザス(Joyce Garruthers)に助けを求めて、捜査チームを立ち上げる。
私生活でも、また、仕事上でも、いろいろとトラブルを抱えていた兄オリヴァーを殺害したのは、一体誰なのか?彼を殺したいという動機をもつ容疑者は、非常に多かった。
(1)エドワード・ファーガスン(Edward Fergusson):弁護士事務所の共同経営者の一人。前年の冬に行われた弁護士事務所のクリスマスディナー / ダンスパーティーにおいて、オリヴァーとの間で謎の諍いを起こしている。
(2)サー・チャールズ・ウォーターストン(Sir Charles Waterston):弁護士事務所の共同経営者の一人。ある件で、オリヴァーから強請られていたことが判明。
(3)マリオン・バーネット(Marion Barnett):オリヴァーの妻。数年前にあった車の衝突事故により、顔半分にひどい傷跡が残っていて、自暴自棄になっており、家庭内の不和の原因となっていた。
(4)リンダ・バーネット(Linda Barnett):サイモンの妻で、現在、別居中。サー・チャールズ・ウォーターストンの娘でもあり、ある件でオリヴァーが父親を強請っていたことを知り、なんとか自分の父親を助けようとしていた。
(5)ロジャー・グラント(Roger Grant):農場主で、サイモンの昔の友人。昔からシーラを愛していて、彼女の為であれば、どんなことも厭わない。
(6)シーラ・グラント:ロジャーの妻で、サイモンの昔の友人。若き日、ナイトクラブ「ポリゴン」であったある件の写真が、オリヴァーの金庫内に保管されていた。
(7)ミリー(Millie):バーネット家の家政婦で、現在は、マリオンの世話をしている。
果たして、兄オリヴァーを殺害したのは、これらの容疑者の中に居るのか?それとも、別に居るのか?
容疑者の数名は、彼の殺害時刻の頃、弁護士事務所のオフィス近辺に出没していた。
サイモンは、別居中とは言え、自分の妻であるリンダまでも、兄オリヴァーの殺害容疑者として疑わざるを得ない厳しい捜査を続けるのであった。
サイモンは、自分には警察にない利点として、関係者とその性格・背景を個人的によく知っていることを挙げている。通常の推理小説において活躍する名探偵や警察官は、基本的に、事件自体の部外者であり、本作品のように複雑に絡み合った人間関係を解きほぐして、真相に迫っていくには、適していないという訳である。逆に、事件関係者として複雑な人間関係の真っ只中に居る自分の方が、いろいろなことがよく見え、真相に到達することができるのだと、サイモンは確信する。ただし、そうは言っても、犯罪捜査の専門家ではなく、所詮は素人であるので、サイモンは、途中、何度も誤った結論に至り、そのために挫折を味わうのである。
ここが、ある意味、作者のD・M・ディヴァインの非常にうまいところで、複雑な人間関係や際立った人物描写等を前面に押し出し、それらを主人公であるサイモンの目というレンズを通すことにより、物語を面白くする一方、読者をサイモンに同化させることで、読者の目を曇らせて、作者が意図する方向(つまり、真相から遠ざかる方向)へと巧妙に導いていくのである。つまり、本作品では、伝統的な本格推理小説と人間ドラマが見事に融合している訳で、通常の推理小説では為し得ていないことを達成したという意味で、高得点を与えたい。
物語の最後で、思ってもみなかった意外な犯人の正体が明らかにされる。実際、物語を読み進んでいくと、微妙に違和感を感じるところが所々出てくるのだが、サイモンの目を通して事件を見ているために、作者の非常にうまいミスディレクションにより、なかなかうまく真相に到達できないのである。
なお、「兄の殺人者(My Brother’s Killer)」は、東京創元社から創元推理文庫として、2010年5月に翻訳版が刊行されている。
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