法月綸太郎作「法月綸太郎の消息(The News of Norizuki Rintaro)」(2019年)に収録されている「白面のたてがみ」は、著者である法月綸太郎(1964年ー)氏が当短編集用に書き下ろした作品である。
秋分の日の振替休日の昼食時、このところ仕事で家に閉じこもりがちだった法月綸太郎のところに、ライターくずれの何でも屋で、自称よろずジャーナリストの飯田才蔵(いいだ さいぞう)から電話があり、彼が根城にしている中野坂下のファミレスへと呼び出される。飯田才蔵は、キナ臭い揉め事を嗅ぎつける才能の持ち主で、自分の手に負えないネタに遭遇すると、以前事件で知り合った法月綸太郎の好奇心に訴えて、いつも助力を請うのであった。用件を問う法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「シャーロック・ホームズ関連の曰く付きのお宝が手に入った。」と言う。
車で30分程のところにあるファミレスに着いて、店内に目を走らせた法月綸太郎は、いつもと同じテーブル席に座っている飯田才蔵の姿を見つける。ヘルシーかつ丼を注文した後、先を急かす法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「堤豊秋(つつみ とよあき)の未発表原稿を手に入れた。」と告げるのであった。
堤豊秋(「犯罪ホロスコープⅡ 三人の女神の問題」(2012年)の「錯乱のクライシス」と「引き裂かれた双魚」に登場)は、オカルト研究家として名を馳せていた人物で、バブル期から2000年代にかけて、カルト的な人気を得ていたが、彼の経歴には謎が多く、政官界への影響力が取り沙汰される一方で、黒い交友関係の噂が絶えなかった。
法月綸太郎と飯田才蔵の二人は、堤豊秋が怪しげな輪廻転生思想を吹き込んでいた総合美容グループの女性会長のことを心配した彼女の甥から相談を受けて、堤亀戸のセミナーハウスに乗り込んだところ、セッション終了後、堤豊秋が講師控え室で脳梗塞で倒れ、緊急搬送されるも、そのまま意識を回復することなく、翌日の午前中に息を引き取るということも起きていた。
飯田才蔵によると、堤豊秋の七回忌の集まりで知り合った関係者を通じて、彼の遺族が引き取った原稿の一部を見せてもらい、その中から問題の未発表原稿を見つけた、とのこと。亡くなる2年位前に、ホームズ愛好家の団体から講演依頼があり、そのために、堤豊秋が原稿を準備したものの、本人の体調不良により、講演が取り止めとなり、そのまま未発表となったらしい。
先を急ぐ法月綸太郎に対して、飯田才蔵は「堤豊秋の未発表原稿は、『サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作ホームズシリーズ(全60編ー長編4作+短編56作)のうち、ジョン・H・ワトスンが語り手を務めず、ホームズの一人称で書かれた2作品である「白面の兵士(The Blanched Soldier)」(「ストランド」誌1926年11月号に掲載)と「ライオンのたてがみ(The Lion’s Mane)」(「ストランド」誌1926年12月号に掲載)について、どうしてこの2作品がホームズの一人称で書かれたのか?』という問題を取り扱っている。」と話すのであった。
両方とも、コナン・ドイル晩年の作品で、ホームズシリーズの第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿(The Case-Book of Sherlock Holmes)」(1927年)に収録されている。
堤豊秋は、晩年のコナン・ドイルが心霊主義に心酔していたこと、また、両作品とも、いずれも犯罪を扱ったものではなく、一種の症例報告に他ならないことに注目し、「コナン・両作品について、ドイルがホームズの一人称で書いたのは、コナン・ドイル自身が、ホームズの肉声、より正確に言うと、コナン・ドイルの医学生時代の恩師だったジョーゼフ・ベル博士の霊との交信に成功して、ジョーゼフ・ベル博士の霊から両作品の元となるエピソードを聞いたのではないか?」と主張していたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿