2019年9月29日日曜日

島田荘司作「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」(’A Study in 61 : Soseki and the Mummy Murder Case in London’ by Soji Shimada)–その2


英国留学のため、夏目漱石が短期間だけ滞在した最初の下宿があったガウアーストリート(Gower Street)–
中央に見えるガウアーストリート7番地(7 Gower Street)の建物は、
1848年9月、ジョン・エヴァレット・ミレー、
ウィリアム・ホルマン・ハントやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ達が
「ラファエル前派」と呼ばれる芸術グループを結成した場所である。

1900年(明治33年)5月、夏目漱石(本名:夏目金之助 / 1867年ー1916年)は、英語教育法研究のため、文部省より英国への留学を命じられ、同年9月10日に日本を出発した。そして、彼は、藤代禎輔や芳賀矢一のドイツ留学組とパリで別れた後、英仏海峡を渡り、同年10月28日、英国に辿り着いた。晩秋の倫敦(ロンドン)で、彼は留学生活を始めることとなった。

夏目漱石は、ロンドン中心部のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内のガウワーストリート(Gower Street)沿いの下宿に入り、一旦荷を解いたが、下宿代が非常に高かったため、もっと安い下宿を早急に探す必要があった。ガウワーストリートの下宿代は、当時の日本円に換算すると、週40円以上で、東京では2ヶ月分の月給に相当していた。


夏目漱石が2番目の下宿に決めたのは、ロンドン北西部のサウスハムステッド地区(South Hampstead)内にあるプライオリーロード(Priory Road)の高台にあった。そして、同年11月12日、彼はガウワーストリートの下宿から新しい下宿へと移って来た。新しい下宿は、木立に囲まれた赤煉瓦造りの一戸建てで、下宿代は週24円と、ガウワーストリートの下宿よりかなり安くなったものの、それでも高いと彼は感じていた。

夏目漱石がプライオリーロードの下宿に移って来て、少し経った同年12月初旬のある夜、彼が寝床でうとうとしていると、パチンと何かが爆ぜるような不審な物音を聞いたのである。最初はごく小さな音だったが、次第に大きくなってくるように聞こえた。当初は不審な物音だけだったが、息遣いのような音が更に聞こえてきて、次の夜には、「出て行け…。この家から出て行け…」という囁くような声に変わった。

毎夜の出来事に困惑した夏目漱石は、テムズ河(River Thames)南岸のキャンバーウェル地区(Camberwell)内のあるフロッデンロード(Flodden Road)沿いに手頃な下宿を見つけて、そこへ移った。新しい下宿は元は私立の学校だったようで、下宿代はプライオリーロードの下宿のほとんど半分となった。
一安心した夏目漱石であったが、同年のクリスマスの夜、例の何かが爆ぜるような音がまだ始まり、翌晩には息遣いが、そして、3-4日すると、例の囁き声が聞こえ始めたのである。

夏目漱石が移った3番目の下宿があったフロッデンロード(Flodden Road)の近く–
キャンバーウェル地区内を斜めに横切るキャンバーウェル ニューロード(Camberwell New Road)

折角、下宿を移ったにもかかわらず、事態の改善が見られなくて困った夏目漱石は、翌年の1901年(明治34年)2月5日、毎週個人教授を受けているウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)研究家のウィリアム・ジェイムズ・クレイグ(William James Craig:1843年ー1906年 / ベーカーストリートに在住)に対して、自分の亡霊体験談を話したところ、「近所に住むシャーロック・ホームズ向きの話なので、彼に相談した方が良い。」との提言を受けたのであった。


2019年9月28日土曜日

カーター・ディクスン作「白い僧院の殺人」(The White Priory Murders by Carter Dickson)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「白い僧院の殺人」の表紙−
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ氏
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏

「白い僧院の殺人(The White Priory Murders)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別のペンネームであるカーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で1934年に発表した推理小説で、「黒死荘の殺人(The Plague Court Murders→2018年5月6日 / 5月12日付ブログで紹介済)」(1934年)に続くヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第2作目に該る。当作品は、1934年に米国のモロウ社(Morrow)から、そして、1935年に英国のハイネマン社(Heinemann)から出版された。

物語は、米国の外交官を務めるジェイムズ・ボイントン・ベネットが、英国の陸軍省情報部長の要職にある伯父のヘンリー・メルヴェール卿のオフィスを訪れるところから始まる。

女優のマーシャ・テイト(Marcia Tait)は、ロンドンの舞台において、彼女の経歴のデビューを飾ったものの、残念ながら、劇評家達に「彼女に芝居は無理だ。」と手厳しくやり込められた結果、失意のうちに米国のハリウッドへと渡った。奇跡的な巡り合わせで知り合った映画監督であるカール・レインジャーの手腕と広報担当者であるティム・エメリーの成果により、6ヶ月後、マーシャ・テイトは、ハリウッドにおいて、人気女優となった。

そんなマーシャ・テイトが、突然、ハリウッドからロンドンに戻って来ることになった。新作の舞台に主演するためであった。彼女の野心は、ただ一つ。以前、ロンドンで彼女の芝居を酷評した劇評家達に一泡吹かせて、復讐するのが、目的と言えた。

彼女が主演する予定の新作の芝居は、以下の通り。

・演目: チャールズ2世(Charles IIー王政復古期ステュアート朝のイングランド、スコットランド及びアイルランドの王 / 1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)の私生活
・主演: マーシャ・テイト、ジャーヴィス・ウィラード(英国きっての性格俳優)
・製作: ジョン・ブーン
・脚本: モーリス・ブーン(ジョン・ブーンの兄 / オックスフォード大学の元首席学監で、「17世紀の政治経済史講義」を執筆)

ジョン・ブーンの友人で、マーシャ・テイトの魅力にあてられた新聞業界の大物であるカニフェスト卿が、その芝居に出資するという話も出ていた。

ハリウッドのシネアーツ社は、マーシャ・テイトに対して、1ヶ月の猶予を与え、撮影所に早く戻るよう、伝えたものの、彼女にはハリウッドへ戻るつもりは全くなく、映画監督のカール・レインジャーと広報担当者のティム・エメリーの二人が、彼女をハリウッドへ連れ戻すべく、ロンドンへと向かう前に彼女が滞在していたニューヨークへと慌ててやって来た。

ジェイムズ・ベネットは、ニューヨークにおいて、マーシャ・テイト一行と知り合いになった。米国政府から英国政府に宛てた決まり文句だらけの親善文書を携えて、英国へ赴くことになったジェイムズ・ベネットは、偶然、マーシャ・テイト一行と同じ定期航路船ベレンガリア号に乗船して、一緒にロンドンに到着したのであった。

そんな不穏な雰囲気が流れる中、ある事件が勃発する。何者かがロンドンに居るマーシャ・テイトの元へ毒入りチョコレートの箱を送ってきたのである。

2019年9月22日日曜日

島田荘司作「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」(’A Study in 61 : Soseki and the Mummy Murder Case in London’ by Soji Shimada)–その1

光文社が発行する光文社文庫
島田荘司作「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」(完全改訂総ルビ版)の表紙
カバーデザイン:泉沢 光雄氏
    カバーイラスト:城芽 ハヤト氏
   カバー印刷:近代美術

「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」は、日本の推理小説家 / 小説家である島田荘司氏(1948年ー)が1984年に発表した推理小説で、彼の7冊目の長編に該る。当作品において、島田荘司氏は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が生み出したシャーロック・ホームズという架空のキャラクターの世界に、日本の小説家 / 評論家 / 英文学者である夏目漱石(本名:夏目金之助 / 1867年ー1916年)という実在の人物を客演させている。

夏目漱石は、「我輩は猫である」(1905年ー1906年)で小説家としてデビューする前の1900年(明治33年)10月から1902年(明治35年)12月までの間、文部省に命じられて、英文学研究のため、英国に留学しており、ロンドンに下宿していた。夏目漱石がロンドンに下宿していた時期は、ホームズが諮問探偵としてロンドンで活躍していたとされる時期(1881年ー1903年 / ただし、1891年4月から1894年4月の間を除く)の終盤と、偶然にもうまくオーバーラップしている。つまり、霧深きロンドンにおいて、夏目漱石がホームズと出会っていたとしても、決しておかしくないという訳である。

島田荘司氏が1984年に当作品を発表した際、表紙裏に「A Study in 61 : Soseki and the Mummy Murder Case in London」という英文の題名が付されていた。
これは、(1)ホームズが登場する記念すべき第1作目の長編「緋色の研究(A Study in Scarlet→2016年7月30日付ブログで紹介済)」に題名を合わせていることに加えて、(2)当作品内に出てくる「61」という謎の数字を題名に使用していることだけではなく、(3)コナン・ドイルの原作である正典60編(長編:4編+短編:56編)に続いて、当作品が61番目の正式なホームズ作品だという島田荘司氏の自負が込められているものと思われる。

「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」については、

・1984年9月ー集英社ハードカバー
・1987年10月ー集英社文庫
・1994年2月ー光文社文庫
・2008年1月ー「島田荘司全集Ⅱ」(南雲堂)
・2009年3月ー光文社文庫(完全改訂総ルビ版)

が刊行されている。

2019年9月21日土曜日

アニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」–その4

「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」全26話のうち、
21話から26話までが収録された DVD –
パイプを咥えたシャーロック・ホームズの絵が使用されている

1984年11月6日から1985年5月20日にかけて、テレビ朝日系列で放送されたアニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」の全26話は、以下の通り。

*第1話(放送日:1984年11月6日)ー彼がうわさの名探偵 <英語タイトル:The Four Signatures> → 「四つの署名(The Sign of the Four)」を参考にしている。
*第2話(放送日:1984年11月13日)ー悪の天才モリアーティー教授 <英語タイトル:The Crown of Mazalin> → 「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」や「マザリンの宝石(The Mazalin Stone)」を参考にしている。
*第3話(放送日:1984年11月20日)ー小さなマーサの大事件!? <英語タイトル:A Small Client> → 「技師の親指(The Engineer’s Thumb)」を参考にしている。
*第4話(放送日:1984年11月27日)ーミセス・ハドソン人質事件 <英語タイトル:Mrs Hudson Is Taken Hostage>
*第5話(放送日:1984年12月4日)ー青い紅玉(ルビー) <英語タイトル:The Adventure of the Blue Carbuncle> → 「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」を参考にしている。
*第6話(放送日:1984年12月11日)ー緑の風船の謎をとけ! <英語タイトル:The Green Ballon>
*第7話(放送日:1984年12月18日)ー大追跡ちびっこ探偵団 <英語タイトル:A Sacred Image Disappears>
*第8話(放送日:1984年12月25日)ーまだらのひも <英語タイトル:The Speckled Band> → 「まだらの紐(The speckled Band)」を参考にしている。
*第9話(放送日:1985年1月8日)ー海底の財宝 <英語タイトル:Treasure Under the Sea>
*第10話(放送日:1985年1月15日)ードーバー海峡の大空中戦! <英語タイトル:The White Cliff of Dover>
*第11話(放送日:1985年1月22日)ーねらわれた巨大貯金箱 <英語タイトル:The Sovereign Gold Coin>
*第12話(放送日:1985年1月29日)ー教授嵐の大失敗!! <英語タイトル:The Stormy Getaway>
*第13話(放送日:1985年2月5日)ー貨車が消えた!?教授の大魔術 <英語タイトル:The Runaway Freight Car loaded with Gold Bullion>
*第14話(放送日:1985年2月12日)ー珍味!さんごのロブスター <英語タイトル:The Coral Lobsters>
*第15話(放送日:1985年2月19日)ー見たか!ピカピカの大どろぼう <英語タイトル:The Golden Statue of the Great Burglar>
*第16話(放送日:1985年2月26日)ー魔城!ホームズ生か死か? <英語タイトル:The Secret of the Sacred Cross Sword>
*第17話(放送日:1985年3月5日)ーテムズ川の怪物 <英語タイトル:The Adventure of the Thames Monster>
*第18話(放送日:1985年3月12日)ーネス湖に散ったドジ作戦! <英語タイトル:The Adventures of the Three Students>
*第19話(放送日:1985年3月19日)ー漱石・ロンドン凧合戦! <英語タイトル:The Rosetta Stone> → 日本の小説家、評論家で、英文学者でもあった夏目漱石(本名:夏目金之助 1867年ー1916年)が、重要な役割で登場している。勿論、シャーロック・ホームズやジョン・ワトスンと同様に、夏目漱石も、擬人化した犬となっている。
*第20話(放送日:1985年3月26日)ー飛行船しろがね号を追え! <英語タイトル:The Silver Blade Getaway> → 「白銀号事件(The Silver Blaze)」を参考にしている。
*第21話(放送日:1985年4月15日)ーブンブン!はえはえメカ作戦 <英語タイトル:The Disappearance of the Splendid Royal Horse>
*第22話(放送日:1985年4月22日)ーハチャメチャ飛行機レース!? <英語タイトル:Disturbance, The World Flight Championship>
*第23話(放送日:1985年4月29日)ー知恵くらべ!オウム対教授 <英語タイトル:The Secret of the Parrot>
*第24話(放送日:1985年5月6日)ー聞け!モリアーティ讃歌 <英語タイトル:The Bell of Big Ben>
*第25話(放送日:1985年5月13日)ー大混乱!人形すりかえ事件 <英語タイトル:The Priceless French Doll>
*第26話(放送日:1985年5月20日)ーさよならホームズ!最後の事件 <英語タイトル:The Missing Bride Affair>

2019年9月17日火曜日

ダフニ・デュ・モーリエ作「いま見てはいけない」(Don’t Look Now by Dame Daphne du Maurier)–その2

2006年に Penguin Classics として出版された
ダフニ・デュ・モーリエ作「Don't Look Now and Other Stories」–
本の表紙には、ニコラス・ローグが監督した
「Don't Look Now」の一場面が使用されている

その後、ジョン(John)とローラ(Laura)の二人は、堂々巡りをした挙句、やっとサン・ザッカリア教会(church of San Zaccaria)に到着して、目に入った小さなレストランへと入った。
テーブルにつき、ジョンはローラにメニューを渡して辺りを見回したところ、向こう端の席に、昼間、トルチェロ島(Torcello)のレストランで出会った双子の姉妹が座っていることを見つける。果たして、偶然の一致なのか?それとも、あの双子の姉妹は、自分達の後をこっそりとつけているのか?
双子の姉妹の存在に気付いたローラが挨拶に向かい、暫くして戻って来ると、ジョンに告げた。双子の姉妹によると、ジョンとローラの娘(長女)で、髄膜炎で亡くなったクリスティン(Christine)が、何か伝えようとしていて、それは「二人がこのままヴェネツィア(Venice)に留まった場合、二人は危険な目に遭うので、二人にできるだけ早く、ヴェネツィアから離れてほしい。」ということだった。

ジョンとローラの二人がホテルに戻ると、そこには、二人の息子(長男)ジョニー(Johnnie)が虫垂炎で入院したことを知らせる寄宿学校の校長であるチャールズ・ヒル(Charles Hill)からの電報が待っていた。心配したローラは、一時間以内にヴェネツィアを発つチャーター便に席を確保できたため、急遽、飛行機で英国へと帰ることになった。

ジョンとローラの二人は知らなかったが、観光シーズンのヴェネツィアにおいて、正体不明の人殺しが出没していて、先週、喉を切り裂かれた女性の観光客が発見され、そして、今朝方、同様の老人の遺体が見つかっていた。動機が見当たらず、警察は異常者の仕業と考えていた。

ニコラス・ローグが監督した「Don't Look Now」の DVD

英国の小説家であるディム・ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier:1907年ー1989年)が執筆した短編「いま見てはいけない(Don’t Look Now)」は、1973年、

*監督: ニコラス・ローグ(Nicolas Roeg)
*主演: ジュリー・クリスティー(Julie Christie) / ドナルド・サザーランド(Donald Sutherland)

で映画化された。ちなみに、邦題は「赤い影」としてリリースされている。
当映画は非常にダークで幻想的な作品で、邦題通り、赤いコートの少女を初めとして、赤いイメージが各所に鮮明に使われている。

ダフニ・デュ・モーリエの作品は、一般に論理的な解決がつかない結末を迎えることが多く、当作品の場合も同様で、結末に驚くべき恐に満ちたものとなっている。

2019年9月16日月曜日

漫画「シャーロック・ホームズの挑戦(Les Enquêtes De Sherlock Holmes)」

「シャーロック・ホームズの挑戦」のフランス語訳版の表表紙–
画面右手前の人物がシャーロック・ホームズ、
画面右手奥の人物がジョン・ワトスンで、
そして、画面中央奥に居る眼鏡をかけている人物が
ジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の原作をベースに、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの活躍について、小結はるか氏が漫画化した「シャーロック・ホームズの挑戦」が、マンガジュニア名作シリーズの一作として、学研教育出版社から2011年12月に出版された。
「シャーロック・ホームズの挑戦」は、フランス語に翻訳の上、2015年に「Les Enquetes De Sherlock Holmes」というタイトルで出版されている。

「シャーロック・ホームズの挑戦」のフランス語訳版には、以下の5話が収録されている。

(1)Enquête 1 : Les six Napoleons
物語の序盤、つまり、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew’s Hospital→2014年6月14日付ブログで紹介済)において、ワトスンがホームズに初めて出会う場面のみ、ホームズの記念すべき第1作目の長編である「緋色の研究(A Study in Scarlet→2016年7月30日付ブログで紹介済)」に基づいているが、ワトスンがホームズと出会った後は、「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」に収録されている「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」の内容に沿っている。

(2)Enquête 2 : La bande mouchetee
「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている「まだらの紐(The Speckled Band)」の内容に沿っている。

(3) Enquête 3 : La ligue des rouquins
「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている「赤毛組合(The Red-Headed League)」の内容に沿っている。

「シャーロック・ホームズの挑戦」のフランス語訳版の裏表紙–
シャーロック・ホームズが、セントバーソロミュー病院において、
実験を行なっている場面が描かれている

(4) Enquête 4 : Le dernier problème
物語の前半は、「シャーロック・ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)」に収録されている「瀕死の探偵(The Dying Detective)」に基づいているが、物語の後半は、「シャーロック・ホームズの回想(The Memoirs of Sherlock Holmes)」に収録されている「最後の事件(The Final Problem)」の内容に沿っている。

 (5) Enquête 5 : La maison vide
 シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」に収録されている「空き家の冒険(The Empty House)」の内容に沿っている。

学研教育出版社のマンガジュニア名作シリーズ自体、小学生の高学年を対象にしている関係上、内容は判りやすく、漫画化されている。また、コナン・ドイルの原作が、老若男女に関係なく、全世代に理解しやすい内容になっていることもあって、フランス語訳で読んでも、大人でも非常に面白く感じられる。

2019年9月8日日曜日

アニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」–その3

「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」全26話のうち、
11話から15話までが収録された DVD –
画面手前(右側)がシャーロック・ホームズで、画面奥(左側)がジョン・ワトスンである

アニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」の配役は、以下の通り。

(1)ホームズ 
<劇場版> 柴田侊彦(1943年ー) / <テレビ版> 広川太一郎(1939年ー2008年)
広川太一郎は、英国の俳優ロジャー・ムーア等の吹き替えや「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの古代守役 / 「ムーミン」のスノーク役等で有名。

(2)ワトスン
富田耕生(1936年ー)
富田耕生は、「ゲッターロボ」、「ゲッターロボG」、「超電磁ロボ コンバトラーV」、「惑星ロボ ダンガードA」や「サイボーグ009」等の博士役で知られている。

(3)ハドスン夫人
<劇場版> 信沢三恵子(1947年ー) / <テレビ版> 麻上洋子(1952年ー)
麻上洋子は、「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの森雪役や「シティーハンター」シリーズの野上冴子役等で有名で、現在、一龍斎春水という名で講談師をしている。

(4)レストレード警部
<劇場版> 玄田哲章(1948年ー) / <テレビ版> 飯塚昭三(1933年ー)
玄田哲章は、アーノルド・シュワルツェネッガー等の吹き替えや「シティーハンター」シリーズの海坊主役 / 「クレヨンしんちゃん」のアクション仮面(郷田剛太郎)役 / 「トランスフォーマー」シリーズのコンボ司令官等で有名。また、飯塚昭三は、アニメ / 特撮作品の悪役(首領や幹部クラス)等で知られている。

「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」全26話のうち、
16話から20話までが収録された DVD –
画面手前(右側)がシャーロック・ホームズで、画面奥(左側)がジョン・ワトスンである

(5)モリアーティー教授
大塚周夫(1929年ー2015年)
大塚周夫は、チャールズ・ブロンソン等の吹き替えや「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男役等で知られている。

(6)スマイリー(モリアーティー教授の部下)
<劇場版> 二又一成(1955年ー) / <テレビ版> 千田光男(1940年ー)
二又一成は、「めぞん一刻」の五代裕作役等で知られている。

(7)トッド(モリアーティー教授の部下)
<劇場版> 肝付兼太(1935年ー2016年) / <テレビ版> 増岡弘(1936年ー)
肝付兼太は、「ドカベン」の殿馬一人役、「銀河鉄道999」の999号車掌役や 「ドラえもん」の骨川スネ夫等で有名。また、増岡弘は、「サザエさん」のフグ田マスオ役や「それいけアンパンマン」のジャムおじさん等で有名(最近、年齢を理由に、両方の役を降板し、後進に道を譲っている)。

2019年9月7日土曜日

ダフニ・デュ・モーリエ作「いま見てはいけない」(Don’t Look Now by Dame Daphne du Maurier)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫
デュ・モーリア傑作集「いま見てはいけない」の表紙−
カバーイラスト:浅野 信二氏
カバーデザイン:柳川 貴代氏 + Fragment

「いま見てはいけない(Don’t Look Now)」は、英国の小説家であるディム・ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier:1907年ー1989年)が執筆した短編で、1971年に発売された短編集「Don’t Look Now and Other Stories」に収録されている。

物語は、イタリアのヴェネツィア(Venice)において、幕を開ける。

「ねえ、いま見ちゃいけないよ。(Don’t look now.)」と、ジョン(John)は妻のローラ(Laura)に話しかけた。二つ向こうのテーブルに居る二人連れの老女が、ジョンとローラの方を凝視していたのだ。

最近、ジョンとローラは、5歳の娘クリスティン(Christine)を重い髄膜炎で亡くし、娘に夢中だったローラは、精神的にまいってしまったため、クリスティンの兄であるジョニー(Johnnie)を寄宿学校に残したまま、療養を兼ねて、休暇をとり、二人でヴェネツィアまで旅行に来ていたのである。今日は、ボートでヴェネツィアからトルチェロ島(Torcello)まで観光に来て、レストランでランチをしているところだった。

ジョンとローラの方を凝視する老女二人の正体を探るため、トイレに発った老女の一人に続いて、ローラが面白半分に後を追った。漸くトイレから戻って来たローラは、ほとんどショック状態で、ジョンが居るテーブルによろよろと歩み寄ると、椅子に座り込んだ。心配するジョンであったが、ローラの顔には、恍惚感に近いものが浮かんでいた。

ローラによると、トイレ内で後をつけた老女から急に話しかけられた、と言う。老女二人は、スコットランドのエディンバラ(Edinburgh)出身で、世界一周旅行の途中だった。トイレに発った方は、引退した医者で、妹。そして、テーブルに残っていた方が姉で、数年前に視力を失っている、とのこと。姉の方は、昔からオカルト研究をしていて、霊感が強く、視力を失って以来、霊媒みたいにいろいろと見えるようになり、今回、ジョンとローラの間に、小さな娘(クリスティン)が座って笑っているところを見た、と言うことだった。娘クリスティンが今も自分達と一緒に居ることを告げられたローラは、言葉に言い表せない位の喜びで、感激していた。

大運河(Grand Canal)に程近いホテルへと戻り、一休みした後、歩いて食欲をかきたてるため、ジョンとローラは、サン・ザッカリア教会(Church of San Zaccaria)辺りにあるレストランへと徒歩で向かった。途中、二人は道に迷ってしまい、狭い路地に出てしまった。狭い路地に沿って走る水路も狭く、両岸の家々がすぐ側まで迫っているように感じられた。
突然、対岸の家のどれかから、悲鳴が聞こえた。「酔っ払いか何かだろう。」と答えるジョンであったが、実際には、誰かが首を絞められ、その苦悶の叫びが喉を締め付けられるうちに鎮まったという感じだった。気味が悪くなったローラは、路地を足早に進み出した。
その時、ジョンの目が、小さな人影を捉えた。5~6歳位の女の子が、突然、対岸の家の地下室の入り口から出て来て、すぐ下の細長いボートへと飛び乗ったのである。その女の子は、小さなスカートを履いて、短いコートを纏っていた。そして、頭には、トンガリ頭巾を被っていた。狭い水路には、4隻のボートが互いにロープで繋がれて浮かんでいたが、その女の子は、驚くべき敏捷さでボートからボートへと飛び移り、水路の反対岸にある別の地下室の入り口へと姿を消した。

ジョンが目撃したあの女の子は、一体、何者だったのだろうか?

2019年9月1日日曜日

アニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」–その2

「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」全26話のうち、
1話から5話までが収録された DVD –
シャーロック・ホームズの絵が使用されている

1982年にアニメーション「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」の制作は一旦中断したが、宮崎駿氏(1941年ー)が徳間書店の月刊アニメ雑誌「アニメージュ」誌上で漫画「風の谷のナウシカ」を連載していた関係上、「アニメージュ」が「名探偵ホームズ」を誌上で度々紹介したり、イベント上映したりして、宣伝に努めていた。
そして、徳間書店が宮崎駿監督のアニメーション映画「風の谷のナウシカ」を制作したことが切っ掛けとなり、広告代理店がテレビのスポンサー獲得に動き始め、テレビ朝日での放送が決まって、「名探偵ホームズ」の制作が再開された。宮崎駿氏の後を継いで、「ルパン3世(TV第2シリーズ)」の演出をメインで担当していた御厨恭輔氏が監督に就任した。また、東京ムービー新社からの発注を受けて、スタジオぎゃろっぷが制作の中心的な役割を果たした。

1984年3月11日にアニメーション映画「風の谷のナウシカ」が公開された際、宮崎駿氏が監督した「名探偵ホームズ」の6話のうち、「青い紅玉(ルビー)」と「海底の財宝」の2話が同時上映された。
上記の2話が「風の谷のナウシカ」と同時上映された時点において、「名探偵ホームズ」はサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の原作には基づかない旨を断るクレジットが入っている。コナン・ドイルは1930年に亡くなっているため、日本の著作権法上、死後50年を経過すると、著作権が消滅する扱いであり、通常であれば、1980年の時点でコナン・ドイルの著作権は消滅しているという理解であった。ところが、実際には、英国は、日本にとって、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の交戦国であった関係上、著作権法における戦時加算があり、上記の2話が「風の谷のナウシカ」と同時上映された1984年の時点で、コナン・ドイルの著作権はまだ存続していたことが、同時上映の直前に判明。そのため、コナン・ドイルの著作権に抵触しないよう、急遽、上記の2話に登場する人物の名前が変更されたのである。

具体的には、
(1)シャーロック・ホームズ → シャーベック・ホームズ
(2)ハドスン夫人 → エリソン夫人
(3)レストレード警部 → レストラント警部
(4)モリアーティー教授 → モリアッチ教授
といった変更が行われている。

「名探偵ホームズ(Sherlock Hound)」全26話のうち、
6話から10話までが収録された DVD –
レストレード警部の絵が使用されている

アニメーション映画「風の谷のナウシカ」のヒットにより、アニメーション作家としての宮崎駿氏の知名度が高まったところで、1984年11月6日から1985年5月20日にかけて、アニメーション「名探偵ホームズ」全26話(御厨恭輔監督分:20話+宮崎駿監督分:6話)が、テレビ朝日系列で放送された。テレビ放送の際には、権利関係の問題は解決していたようで、コナン・ドイルが原作者としてクレジットされている。

1986年8月2日に宮崎駿監督のアニメーション映画「天空の城ラピュタ」が上映された際、宮崎駿氏が監督した「名探偵ホームズ」の6話のうち、「ミセス・ハドソン人質事件」と「ドーバー海峡の大空中戦」の2話が、テレビ放送後にもかかわらず、同時上映されている。