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テムズ河上流の北岸からハマースミス橋を見たところ |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。
最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレード警部はホームズのところへ相談に来たのである。最初の事件は、4日前にモース・ハドソン氏(Mr Morse Hudson)がテムズ河(River Thames)の南側にあるケニントンロード(Kennington Road→2016年6月11日付ブログで紹介済)で経営している画廊で、そして、2番目の事件は、昨夜、バーニコット博士(Dr Barnicot)の住まい(ケニントンロード)と診療所(ロウワーブリクストンロード(Lower Brixton Road)→2017年7月20日付ブログで紹介済)で発生していた。続いて、3番目の事件がケンジントン地区(Kensington)のピットストリート131番地(131 Pitt Street→2016年6月18日付ブログで紹介済)にあるセントラル通信社(Central Press Syndicate)の新聞記者ホーレス・ハーカー氏(Mr Horace Harker)の自宅で起きたのであった。4体目の石膏胸像が狙われた上に、今回は殺人事件にまで発展したのだ。
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ハマースミス・アンド・フラム・
ロンドン自治区のハマースミス地区(テムズ河北岸)から
リッチモンド・アポン・テムズ・
ロンドン自治区のバーンズ地区(テムズ河南岸)へと
車で向かう |
ステップニー地区(Stepney→2016年7月16日付ブログで紹介済)のチャーチストリート(Church Street)にあるゲルダー社(Gelder and Co.)を訪れたホームズとジョン・H・ワトスンは、ナポレオンの石膏胸像が全部で6体制作され、3体がケニントンロードのモース・ハドソン氏の画廊へ、そして、残りの3体はケンジントンハイストリート(Kensington High Street→2016年7月9日付ブログで紹介済)のハーディングブラザーズ(Harding Brothers)の店へ送られたことを聞き出す。モース・ハドソン氏の画廊へ送られた3体は、全て何者かによって壊されたため、ホームズとワトスンはハーディングブラザーズの店へ出向き、ホーレス・ハーカー氏が購入した1体を除く残りの2体の行方について尋ねたのであった。
この大商店の創始者は、きびきびとして歯切れのいい小柄な男で、こざっぱりした服装をしていた。また、頭の回転が速く、口が達者な男だった。
「ええ、夕刊で既にその記事を読みました。ホーレス・ハーカーさんは、私どもの顧客でございます。数ヶ月前に彼に問題の胸像を配達しました。同じ種類の胸像は、ステップニー地区にあるゲルダー社に注文しましたが、もう全部売れてしまいました。誰にですって?ああ、売上台帳を見れば、簡単にお教えできますよ。ここに記載してあります。一つは、既に御存知の通り、ハーカーさん、もう一つは、チジック、ラバーナムヴェール、ラバーナム荘のジョサイア・ブラウンさん、最後の一つは、レディング、ロウワーグローヴロードのサンドフォードさんです。」
The founder of that great emporium proved to be a brisk, crisp little person, very dapper and quick, with a clear head and a ready tongue.
'Yes, sir, I have already read the account in the evening papers. Mr Horace Harker is a customer of ours. We supplied him with the bust some months ago. We ordered three busts of that sort from Gelder and Co., of Stepney. They are all sold now. To whom? Oh I dare say by consulting our sales book we could very easily tell you. Yes, we have the entries here. One to Mr Harker, you see, and one to Mr Josiah Brown, of Laburnum Lodge, Laburnum Vale, Chiswick, and one to Mr Sanderford, of Lower Ground Road, Reading.'
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ハマースミス橋から見たテムズ河の下流 |
11時にベーカーストリート221Bの戸口に四輪馬車が横付けされた。私達はそれに乗って、ハマースミス橋の反対側の場所へと向かった。そこで、馬車の御者は待つように指示された。少しばかり歩くと、一目につかない道に出た。その道の周辺には、自分の敷地にそれぞれ建てられた感じの良い家が並んでいた。街灯の明かりで、それらの家の一つの門柱に「ラバーナム荘」と書かれていることが見てとれた。住人は既に就寝しているようだった。というのも、玄関口の上の扇形の明かりを除くと、家全体が真っ暗だったからだ。扇形の明かりは、庭の小道にぼんやりとした光の輪を落としていた。庭を道から隔てる木製の塀が、内側に濃く、そして、黒い影を落としていた。私達は、正に、その影の中にしゃがみ込んで、身体を低くしたのである。
A four-wheeler was at the door at eleven, and in it we drove to a spot at the other side of Hammersmith Bridge. Here the cabman was directed to wait. A short walk brought us to a secluded road fringed with pleasant houses, each standing in its own grounds. In the light of a street lamp we read 'Laburnum Villa' upon the gatepost of one of them. The occupants had evidently retired, for all was dark save for a fanlight over the hall door, which shed a single blurred circle on the garden path, The wooden fence which separated the grounds from the road threw a dense black shadow upon the inner side, and here it was that we crouched.
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ハマースミス橋を渡りきって、
リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区の
バーンズ地区へと入る |
夜の11時過ぎに、ホームズ、ワトスンとレストレード警部の3人が四輪馬車で向かったハマースミス橋(Hammersmith Bridge)は、テムズ河(River Thames)に架かるサスペンション橋(吊り橋)で、テムズ河北岸にあるハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)とテムズ河南岸にあるリッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区(London Borough of Richmond upon Thames)のバーンズ地区(Barnes)を繋いでいる。