2018年10月6日土曜日

ロンドン ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)

ロンドン大火記念塔を下から見上げたところ

地下鉄モニュメント駅(Monument Tube Station)の近くに、ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)が建っている。

ロンドン大火が発生した
トマス・ファリナーのパン屋があったプディングレーンから
ロンドン大火記念塔を望む

1666年に発生して、旧セントポール大聖堂(Old St. Paul’s Cathedral→2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)を含むシティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の8割以上を焼き払ったロンドン大火(The Great Fire of London→2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)からの復興を記念する塔(column)の建設が、1660年の王政復古(Restoration)後の英国王であるチャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)による主導の下、1669年に英国議会により承認された。

ロンドン大火によって最初に焼き払われた
聖マーガレット教会が建っていた場所を示すプレート

当初、記念塔の建設場所として、ロンドン大火によって最初に焼き払われた聖マーガレット教会(St. Margaret’s)が建っていたフィッシュストリートヒル(Fish Street Hill)か、あるいは、ロンドン大火が発生したトマス・ファリナー(Thomas Farriner / Thomas Faryner)のパン屋があった場所が計画されていた。

ロンドン大火記念塔の台座(東側ーその1)
ロンドン大火記念塔の台座(東側ーその2)

チャールズ2世からの命を受けた英国の建築家 / 天文学者 / 数学者で、同年に王室建設局(Royal Board of Works)の建築総監(Surveyor General)に任命されていたサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)は、英国の物理学者 / 化学者で、世界で初めてグレゴリー式望遠鏡をつくったロバート・フック(Robert Hooke:1635年ー1703年)と一緒に、記念塔の設計に取り掛かった。
1671年に彼らの設計案がシティー・オブ・ロンドンにより承認された後、フィッシュストリートヒルを建設場所として、1671年から1677年にかけて建設された。

ロンドン大火記念塔の一番上の台座には、
ロンドン大火を表す金色の炎が設置されている

ロンドン大火記念塔は、ポートランドストーン(Portland stone)と呼ばれるドーリア式の柱(Doric column)で、一番上の台座には、ロンドン大火を表す金色の炎が設置されている。
ロンドン大火の高さは61mで、記念塔が建っている場所からロンドン大火が発生したトマス・ファリナーのパン屋があったプディングレーン(Pudding Lane)の地点までの距離と同じである。

ロンドン大火記念塔の台座(西側ーその1)
ロンドン大火記念塔の台座(西側ーその2)
ロンドン大火記念塔の台座(西側ーその3)

地上から311段の螺旋階段を登りきると、上の展望台からは、シティー・オブ・ロンドン内の360度パノラマ風景を見ることができる。1788年から1842年にかけて、6名が展望台から投身自殺を遂げたため、安全上の観点から、また、自殺防止の観点から、展望台には金網が張られることになった。

ロンドン大火記念塔への入口(その1)
ロンドン大火記念塔への入口(その2)

ロンドン記念塔の台座があるモニュメントストリート(Monument Street)は、2006年に歩行者専用道路へと改修された。
また、ロンドン大火記念塔は、改修工事のため、2007年7月に一旦閉鎖され、約1年半にわたる改修工事後の2009年2月に再オープンした。
ロンドン大火記念塔は、現在、グレード I(Grade I listed building)に指定されている。

ロンドン大火記念塔の台座があるモニュメントストリートは、
現在、歩行者専用道路となっている

ロンドン大火記念塔の近くにある地下鉄モニュメント駅は、記念塔に因んで命名されている。

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