1818年に、英国のロマン主義の詩人であるジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)は、友人のチャールズ・アーミテージ・ブラウン(Charles Armitage Brown)と一緒に、スコットランドを旅行した際、偶然知り合った、ウェントワースプレイス(Wentworth Place→現在のキーツハウス(Keats House))の隣りの家に住むファニー・ブローン(Fanny Brawne)と知り合った。
スコットランド旅行から戻って来た後、ジョン・キーツは、チャールズ・アーミテージ・ブラウンが住むウェントワースプレイスへと移り住み、1818年12月から1820年にかけて居住した。そして、1819年には、ジョン・キーツは、ファニー・ブローンと婚約を交わしたのである。
ところが、1810年に母の命を、そして、1818年に弟トムの命を奪った結核に、ジョン・キーツも罹り、彼の病状は次第に悪化していく。そこで、医者の勧めに応じて、彼は英国の寒い気候を避け、イタリアで療養することを決め、ウェントワースプレイスを去ることになった。
ジョン・キーツは、ローマのスペイン広場近くに住まいを決めて、詩作を続けたが、残念ながら、彼の病状は好転せず、彼はファニー・ブローンとの結婚を諦める。そして、友人達の手厚い看護を受けながら、1821年2月23日、ジョン・キーツは、ロンドンから遠く離れたローマにおいて、25歳という若さで死去し、ローマの新教徒墓地に葬られた。
ジョン・キーツの死後、彼の妹ファニー・キーツ(Fanny Keats)が、夫と一緒に、1828年から1831年にかけて、ウェントワースプレイスに住み、兄ジョン・キーツの婚約者であったファニー・ブローンと知り合いになった。1829年にファニー・ブローンの母親が事故で亡くなり、1830年にはブローン一家はこの地を去ってしまう。
ウェントワースプレイスは、19世紀に入り、取り壊しの可能性もあったが、1925年5月9日に「キーツ メモリアル ハウス(Keats Memorial House)」として一般に公開された。
キーツハウスは、改修工事のため、2007年11月1日に一旦閉鎖され、改修工事後の2009年7月24日に再オープンして、現在に至っている。
現在、キーツハウスは、Grade I listed building に指定されている。
英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から 2016年に出版されている 「ジョン・キーツ詩集」の表紙 (Series design by Faber / Illustration by Angela Harding) |
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