2018年10月14日日曜日

ロンドン キーツハウス(Keats House)- その2


1818年に、英国のロマン主義の詩人であるジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)は、友人のチャールズ・アーミテージ・ブラウン(Charles Armitage Brown)と一緒に、スコットランドを旅行した際、偶然知り合った、ウェントワースプレイス(Wentworth Place→現在のキーツハウス(Keats House))の隣りの家に住むファニー・ブローン(Fanny Brawne)と知り合った。
スコットランド旅行から戻って来た後、ジョン・キーツは、チャールズ・アーミテージ・ブラウンが住むウェントワースプレイスへと移り住み、1818年12月から1820年にかけて居住した。そして、1819年には、ジョン・キーツは、ファニー・ブローンと婚約を交わしたのである。


ところが、1810年に母の命を、そして、1818年に弟トムの命を奪った結核に、ジョン・キーツも罹り、彼の病状は次第に悪化していく。そこで、医者の勧めに応じて、彼は英国の寒い気候を避け、イタリアで療養することを決め、ウェントワースプレイスを去ることになった。


ジョン・キーツは、ローマのスペイン広場近くに住まいを決めて、詩作を続けたが、残念ながら、彼の病状は好転せず、彼はファニー・ブローンとの結婚を諦める。そして、友人達の手厚い看護を受けながら、1821年2月23日、ジョン・キーツは、ロンドンから遠く離れたローマにおいて、25歳という若さで死去し、ローマの新教徒墓地に葬られた。


ジョン・キーツの死後、彼の妹ファニー・キーツ(Fanny Keats)が、夫と一緒に、1828年から1831年にかけて、ウェントワースプレイスに住み、兄ジョン・キーツの婚約者であったファニー・ブローンと知り合いになった。1829年にファニー・ブローンの母親が事故で亡くなり、1830年にはブローン一家はこの地を去ってしまう。


ウェントワースプレイスは、19世紀に入り、取り壊しの可能性もあったが、1925年5月9日に「キーツ メモリアル ハウス(Keats Memorial House)」として一般に公開された。
キーツハウスは、改修工事のため、2007年11月1日に一旦閉鎖され、改修工事後の2009年7月24日に再オープンして、現在に至っている。
現在、キーツハウスは、Grade I listed building に指定されている。

英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から
2016年に出版されている
「ジョン・キーツ詩集」の表紙
(Series design by Faber /
Illustration by Angela Harding)

キーツハウスの隣りの家は、1931年7月16日に「キーツ博物館(Keats Museum)」として開館した。博物館の一部は、現在、ボランティアが運営する図書館として使用されている。

英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から
2016年に出版されている
「ジョン・キーツ詩集」の裏表紙
(Series design by Faber /
Illustration by Angela Harding)

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