2018年10月7日日曜日

ロンドン キーツハウス(Keats House)- その1

キーツハウス内の庭園から見たキーツハウスの全景(その1)

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage → 2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、英国のロマン主義の詩人であるジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)が住んでいた家があり、現在、「キーツハウス(Keats House)」という博物館として一般に公開されている。

キーツハウスの入口案内版

ハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)の南側を延びるイーストヒースロード(East Heath Road)をハムステッドヒース駅(Hampstead Heath Railway Station)へと向かって東へ下って行くと、イーストヒースロードは、右手から延びてくるダウンシャーロード(Downshire Road)と交差すると、サウスエンドロード(South End Road)へと名前を変える。ダウンシャーロードを過ぎた後、次に右手に見えるキーツグローヴ(Keats Grove)へと右折する。キーツグローヴをそのまま進み、サウスエンドロード(北側)とヒースハーストロード(Heath Hurst Road - 南側)に挟まれたキーツグローヴの左手に、キーツハウスは建っている。


キーツハウスは、1814年から1815年にかけて、ウィリアム・ウッズ(William Woods)によって建てられて、1815年11月から1816年2月の間に竣工したものと考えられている。キーツハウスが建っている通りの名前は、当初、キーツグローヴではなく、ジョンストリート(John Street)で、キーツハウス自体も、当初は、「ウェントワースプレイス(Wentworth Place)」と呼ばれていた。ウェントワースプレイスは、元々、隣りに建つ家と一対を成していた。

キーツハウス内の庭園から見たキーツハウスの全景(その2)

友人のチャールズ・アーミテージ・ブラウン(Charles Armitage Brown)がウェントワースプレイスに住んでいたこともあって、ジョン・キーツは1817年頃からこの家を訪問するようになった。

英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から
2016年に出版されている
「ジョン・キーツ詩集」の表紙
(Series design by Faber /
Illustration by Angela Harding)

1818年、ジョン・キーツが、チャールズ・アーミテージ・ブラウンと一緒に、スコットランドを旅行した際、偶然、ウェントワースプレイスの隣りの家に住むファニー・ブローン(Fanny Brawne)と知り合った。

英国の出版社である Faber & Faber Ltd. から
2016年に出版されている
「ジョン・キーツ詩集」の裏表紙
(Series design by Faber /
Illustration by Angela Harding)

スコットランド旅行から戻って来た後、ジョン・キーツは、チャールズ・アーミテージ・ブラウンが住むウェントワースプレイスへと移り住み、1818年12月から1820年にかけて居住した。そして、1819年には、ジョン・キーツは、ファニー・ブローンと婚約を交わしたのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿