米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第11作目に該る「テニスコートの殺人」(The Problem of the Wire Cage → 2018年8月12日 / 8月19日付ブログで紹介済)において、フランク・ドランス(Frank Dorrance)の絞殺死体が発見されたテニスコートがあるニコラス・ヤング邸は、ロンドン北西部郊外の高級住宅街ハムステッド地区(Hampstead→2018年8月26日付ブログで紹介済)内にあるという設定になっているが、ハムステッド地区内には、「ウィローロード2番地(2 Willow Road)」と呼ばれる現代建築のテラスハウスが建っている。
ハンガリーのブダペスト出身の建築家で、家具のデザイナーでもあったエルノ・ゴールドフィンガー(Erno Goldfinger:1902年ー1987年)は、妻のウルスラ(Ursula)と一緒に、ブダペストからロンドンへと移住し、1934年にロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のハイゲート地区(Highgate)内にあるハイポイント(Highpoint → 2015年11月22日付ブログで紹介済)に住んだ。
エルノ・ゴールドフィンガーは、1939年にハムステッド地区内のウィローロード(Willow Road)沿いの土地を再開発して、コンクリートと赤煉瓦でウィローロード1番地から3番地で成る隣接したテラスハウスを建設した。彼の再開発により、以前建っていた多くの家屋が取り壊される関係上、近隣の住民は、彼に対して強く反対した。当時、彼に異を唱えた住民の中には、英国のスパイ小説家 / 冒険小説家出あるイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年→2018年2月3日 / 2月10日付ブログで紹介済)が居て、このことが要因となり、彼が発表したジェイムズ・ボンド(James Bond → 2018年1月28日付ブログで紹介済)シリーズに登場する悪人として、エルノ・ゴールドフィンガーに因み、オーリック・ゴールドフィンガー(Auric Goldfinger)と名付けられたと一般に言われている。
ウィローロード1番地から3番地のテラスハウスのうち、真ん中の一番広い2番地について、エルノ・ゴールドフィンガーは自分達が住むための家として設計しており、1939年に竣工した後、1987年に亡くなるまでの間、妻のウルスラや子供達と一緒に、ウィローロード2番地の家に住み続けた。また、彼は、ウィローロード2番地の家の中に置く家具に関しても、自分でデザインしたのである。