2017年2月15日にロイヤルメール(Royal Mail)から発行されたウィンザー城の記念切手− ロングウォーク(Long Walk)は、ウィンザー城のジョージ4世門から ホームパーク(Home Park)とウィンザーグレートパーク(Windsor Great Park)の二つの広大な公園を 突っ切るように、南へ真っ直ぐ延びる並木道で、全長は約5キロ |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を、彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)がスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。
ラウンドタワー(Round Tower)に王室旗が掲げられている場合は、 国王 / 女王がウィンザー城に滞城していることを、 また、ラウンドタワー(Round Tower)に英国旗が掲げられている場合は、 国王 / 女王がウィンザー城を不在にしていることを示す |
マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Stationー2016年3月5付ブログで紹介済)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。
マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。
マイクロフトの求めに応じて、事件の捜査を始めたシャーロックは、マイクロフトから提供された主な外国のスパイ情報を手掛かりに、ケンジントン(Kensington)のコールフィールドガーデンズ13番地(13 Caulfield Gardensー2016年4月16日付ブログで紹介済)に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein)が今回の事件の黒幕であることを突き止める。ディリー・テレグラフ新聞の私事広告欄に奇妙な広告を見つけたシャーロックは、偽の広告を利用して、設計図を盗み出した実行犯を誘き寄せた。なんと、実行犯は、設計図盗難事件後に急死した潜水艦局長サー・ジェイムズ・ウォルター(Sir James Walter, the head of the Submarine Department)の弟ヴァレンタイン・ウォルター大佐(Colonel Valentine Walter)であった。彼は株取引の失敗により多額の借金を負い、破産の危機に追い込まれていたのである。
ホームズが仕掛けた囮にヒューゴ・オーバーシュタインは喰いつき、英国の刑務所に15年間収監されることになった。また、彼の靴の中から残りの3枚の設計図が無事見つかった。ヒューゴ・オーバーシュタインは、欧州海軍首脳全員に対して、これらの設計図を競売にかけていたのである。
ウォルター大佐は、懲役2年目の終わり近くに、刑務所で死んだ。(中略)数週間後、ホームズが非常に見事なエメラルドのタイピンを付けて帰って来たことから、私は彼がウィンザーで一日を過ごしたことを偶然に知った。私が彼にそのタイピンを買ったのかと尋ねたところ、幸運にも、ある慈悲深い女性のために一度小さな使命を果たすことができたので、その女性からのプレゼントだと、彼は答えた。彼はそれ以上何も言わなかったが、私はその女性の尊い名前を言い当てることができると思う。そのエメラルドのタイピンを見ると、ブルース・パーティントン型潜水艦の設計図に関する冒険のことをホームズの記憶にいつも蘇らせるのは、まず間違いない。
Colonel Walter died in prison towards the end of the second year of his sentence. … Some weeks afterwards I learned incidentally that my friend spent a day at Windsor, whence he returned with a remarkably fine emerald tiepin. When I asked him if he had bought it, he answered that it was a present from a certain gracious lady in whose interests he had once been fortunate enough to carry out a small commission. He said no more; but I fancy that I could guess at that lady’s august name, and I have little doubt that the emerald pin will forever recall to my friend’s memory the adventure of the Bruce-Partington plans.
ワトスンが言う「ある慈悲深い女性」とは、ヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)のことで、「ウィンザー」とは、英国王室が所有するウィンザー城(Windsor Castle)のことである。ウィンザー城は、ロンドンの西側にあるバークシャー州(Berkshire)の都市ウィンザー(Windsor)内に所在する城である。
0 件のコメント:
コメントを投稿