2016年3月27日日曜日

ロンドン キャンプデンマンションズ(Campden Mansions)

キャンプデンマンションズを下から見上げたところ

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って、緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。


マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。

ケンジントンモール通り沿い(南側)に建つレストラン

ケンジントンモール通り沿い(南側)に建つパブ

マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。
地下鉄オルドゲート駅での調査を終えた後、ワトスンと一緒にウールウィッチへ向かう途中、シャーロックはロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)に立ち寄って、マイクロフト宛に電報を打ち、「英国に居る外国のスパイや国際的なエージェントの完全な一覧表を、彼らの住所付きで、ベーカーストリートへ届けてくれ。」と依頼した。

ケンジントンモール通りの東側から見た
キャンプデンマンションズ

シャーロックが地下鉄オルドゲート駅やウールウィッチでの調査を終えて、ワトスンと一緒にベーカーストリート221Bに戻ると、依頼通り、マイクロフトからの手紙が待っていた。彼の手紙によると、こんな大それた事件を手掛ける人物は、以下の3人しか居ない、と言う。
(1)ウェストミンスターのグレイトジョージストリート13番地に住むアドルフ・メイヤー(Adolph Meyer - 13 Great George Street, Westminster)
(2)ノッティングヒルのキャンプデンマンションズに住むルイス・ラ・ロティエール(Louis La Rothiere - Campden Mansions, Notting Hill)
(3)ケンジントンのコールフィールドガーデンズ13番地に住むヒューゴ・オーバーシュタイン(Hugo Oberstein - 13 Caulfield Gardens, Kensington)

キャンプデンマンションズの入口

マイクロフト・ホームズの手紙において、「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図盗難に関与している可能性がある容疑者の一人として言及されているルイス・ラ・ロティエールが住むキャンプデンマンションズであるが、通り名としては存在していないものの、建物としては実在している。

ケンジントンモール通りの西側から見た
キャンプデンマンションズ

キャンプデンマンションズは、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内にあり、地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の近くに建っている。具体的には、地下鉄ノッティングヒルゲート駅の前を通るノッティングヒルゲート通り(Notting Hill Gate)の一本南側のケンジントンモール通り(Kensington Mall)沿いに、キャンプデンマンションズは建っていて、建物の入口はケンジントンモール通り側に面している。ケンジントンモール通りは、ケンジントン地区からサウスケンジントン地区(South Kensington)へ向かうための通り道に該り、割合と車の往来は多い。

ケンジントンモール通りが
ケンジントンチャーチストリート(Kensington Church Street)に合流したところ

キャンプデンマンションズのうち、現在、フラットとして使用されている。ケンジントン地区という高級住宅街内にある上、地下鉄ノッティングヒルゲート駅へも歩いてすぐ近くという利便性があり、フラット1件あたりの価格は相当高いものと推測される。

2016年3月26日土曜日

ロンドン グレイトジョージストリート13番地(13 Great George Street)

グレイトジョージストリートの東側から西側を望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を彼の兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)が、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)を伴って、緊急の要件で訪れるところから、物語が始まる。
マイクロフトによると、同じ週の火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、死体となった彼のポケットから、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。


マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。
地下鉄オルドゲート駅での調査を終えた後、ワトスンと一緒にウールウィッチへ向かう途中、シャーロックはロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)に立ち寄って、マイクロフト宛に電報を打ち、「英国に居る外国のスパイや国際的なエージェントの完全な一覧表を、彼らの住所付きで、ベーカーストリートへ届けてくれ。」と依頼した。

グレイトジョージストリート1番地の建物

思った通り、手紙がベーカーストリート221Bで私達を待っていた。英国政府の配達人が大至急便でそれを配送したのである。ホームズは手紙の内容をちらっと見ると、それを私に投げて寄越した。

「小バエは無数に居るが、こんな大事件を手掛けるのは、ほとんど居ない。調査すべき人物は、ウェストミンスター、グレイトジョージストリート13番地のアドルフ・メイヤー、ノッティングヒル、キャンプデンマンションズのルイス・ラ・ロティエール、そして、ケンジントン、コールフィールドガーデンズ13番地のヒューゴ・オーバーシュタインだ。最後の人物は、月曜日にロンドン内に居たことが判っているが、今はロンドンに居ないという報告が為されている。光明が見えたと聞いて嬉しいよ。内閣はお前の最終報告を待ち望んでいる。最高責任者の方から緊急の陳情が届いた。必要であれば、英国軍がお前の後ろ盾となる。
マイクロフト」

グレイトジョージストリートの西側から東側を見たところ―
画面左手奥に見えるのは、国会議事堂

Surely enough, a note awaited us at Baker Street. A government messenger had brought it post-haste. Holmes glanced at it and threw it over to me.

There are numerous small fry, but few who would handle so big an affair. The only men worth considering are Adolph Meyer, of 13 Great George Street, Westminster; Louis La Rothiere, of Campden Mansions, Notting Hill; and Hugo Oberstein, 13 Caulfield Gardens, Kensington. The latter was known to be in town on Monday and is now reported as having left. Glad to hear you have seen some light. The Cabinet awaits your final report with the utmost anxiety. Urgent representations have arrived from the very highest quarter. The whole force of the state is at your back if you should need it.
Mycroft

画面奥の道路がグレイトジョージストリート―
画面左手の建物がグレイトジョージストリート12番地で、
画面奥の建物には、財務省が入居している

マイクロフト・ホームズの手紙において、「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図盗難に関与している可能性がある容疑者の一人として言及されているアドルフ・メイヤー(Adolph Meyer)が住むグレイトジョージストリート(Great George Street)は実在の通りで、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)内にある。グレイトジョージストリートは、国会議事堂(House of Parliament)前にあるパーラメントスクエア(Parliament Square)から始まり、セントジェイムズパーク(St. James's Park)の南側に沿って西に延びる通りである。

グレイトジョージストリート側に面している
財務省が入居している建物の門

グレイトジョージストリートの北側には、財務省(Her Majesty's Treasury)等の英国政府機関が入居する建物が建っているが、入口として主に使用されているのは、グレイトジョージストリート側(南側)ではなく、反対のキングチャールズストリート側(King Charles Streetー北側)である。ちなみに、財務省が入居する建物の北側には、外務省(Foreign and Comonwealth Office)が入居する建物があり、その入口もキングチャールズストリートに面している。

グレイトジョージストリート12番地には、
「RICS (Royal Institute of Chartered Surveyors)」
(土地/不動産/建築分野における国際的な職業専門家団体)が入居している

グレイトジョージストリート1番地は同ストリートの西端に建っていて、東側、すなわち、パーラメントスクエアへ進むに従って番地が増えていくが、現在の住所表記場、12番地まではあるようだ。よって、アドルフ・メイヤーが住んでいたグレイトジョージストリート13番地は架空の住所で、実在していない。

2016年3月20日日曜日

ロンドン アレクサンドラコート(Alexandra Court)

アレクサンドラコートの正面全景

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、エルキュール・ポワロが謎多き裕福な蒐集家であるシャイタナ氏(Mr Shaitana)からブリッジパーティーへの招待を受けるところから、物語が始まる。「まだ告発されていない殺人犯を招いた上でのパーティーだ。」と言うシャイタナ氏の趣旨に興味を覚えたポワロは、パーティーへの参加を決める。

入口門の左側に架けられている表示

シャイタナ氏の自宅で行われたパーティーに招待されたのは、以下の8人だった。
(1)探偵組
*エルキュール・ポワロ
*バトル警視(Superintendent Battle)ースコットランドヤードの警察官
*レイス大佐(Colonel Race)ー秘密情報局の情報部員
*アリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs Ariadne Oliver)ー女流推理作家
(2)容疑者組
*ロバーツ医師(Dr Roberts)ー成功をおさめた中年の医師
*ロリマー夫人(Mrs Lorrimer)ーブリッジ好きな初老の女性
*デスパード少佐(Major Despard)ー未開地を探索する探検家
*アン・メレディス(Anne Meredith)ー内気で若く麗しい女性

アレクサンドラコート前のクイーンズゲート通り

食事の最中、シャイタナ氏はパーティーの出席者に対して、謎めいた告発を行う。そして、食事が済むと、容疑者組の4人はメインルーム(客間)で、また、探偵組の4人は別の部屋でブリッジを始めることとなった。シャイタナ氏はメインルームの暖炉の側に置かれた椅子を自分の居場所として、ブリッジへの参加を辞退する。
ブリッジが終わり、ポワロとレイス大佐がシャイタナ氏に暇を告げようとした際、彼らはシャイタナ氏が彼の蒐集品であるナイフで胸を刺されて死んでいるのを発見する。
果たして、シャイタナ氏が謎めいた告発をした対象の人物は誰だったのか?そして、その人物がシャイタナ氏を刺殺したのだろうか?
名探偵、警察官や情報部員等が同席しているパーティーの最中、大胆にも行われた犯行を解き明かすべく、ポワロの灰色の脳細胞が、ブリッジの点数表の内容にその糸口を見いだすのであった。

クイーンズゲート通りから見上げたアレクサンドラコート

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ひらいたトランプ」(2006年)の回では、シャイタナ氏を殺害した犯人を突き止めようとする探偵組4人のうちの一人であるアリアドニ・オリヴァー夫人が住むフラットの外観として、「アレクサンドラコート(Alexandra Court)」が撮影に使用されている。

クイーンズゲート通りの北側突き当たりにある
ケンジントンガーデンズのクイーンズゲート―
手前の通りはケンジントンロード
クイーンズゲートのアップ

アレクサンドラコートは、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内にあり、(1)地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)へ向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Roadーハイドパーク/ケンジントンガーデンズ(Hyde Park / Kensington Gardens)の南側を通る)と(2)地下鉄ナイツブリッジ駅からヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)/自然史博物館(Natural History Museum)の前を通って南西に延びるクロムウェルロード(Cromwell Road)を南北に結ぶクイーンズゲート通り(Queen's Gate)沿いに建っている。この通りの北側突き当たりに、ケンジントンガーデンズのクイーンズゲートがあるため、その名前に因んで、クイーンズゲート通りと名付けられたものと思われる。

エキシビションロード沿いに建つインペリアル カレッジ ロンドン

アレクサンドラコートの住所は「171 - 175 Queen's Gate, London SW7 5HG」で、クイーンズゲート通りの東側中間辺りに位置している。アレクサンドラコートからは、自然史博物館、その北側にあるインペリアル カレッジ ロンドン(Imperial College London)やアルバートホール(Albert Hall)等を望むことが可能。観光客や学生等で騒がしい場所ではあるが、騒がしいのは、自然史博物館の東側を南北に走るエキシビションロード(Exhibition Road)辺りまでで、自然史博物館の西側のクイーンズゲート通りから高級住宅街が始まるので、日中でも非常に閑静な場所である。

2016年3月19日土曜日

ロンドン ロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)

テムズ河北岸から「ザ・シャード」ビルを望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「ブルース・パーティントン型設計図(The Bruce-Partington Plans)」では、1895年11月の第3週の木曜日、ある電報がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元に届けられるところから、物語が始まる。その電報は、シャーロックの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)からで、「カドガン・ウェストの件で会う必要がある。直ぐにそちらへ行く。マイクロフト(Must see you over Cadogan West. Coming at once. Mycroft)」という文面だった。兄マイクロフトがやって来る前に事実関係を把握すべく、シャーロック・ホームズはジョン・ワトスンに対して、新聞に載っている記事を調べるよう、依頼する。
新聞によると、火曜日の朝、ウールウィッチ兵器工場(Woolwich Arsenal)に勤めるアーサー・カドガン・ウェスト(Arthur Cadogan West)が地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Station)の線路脇で死体となって発見された、とのことだった。前日の月曜日の夜、彼は婚約者のヴァイオレット・ウェストベリー(Violet Westbury)をその場に残したまま、突然霧の中を立ち去ってしまったと言う。そして、翌朝、彼の死体が発見されるまでの消息は不明であった。

ホームズの元を訪れたマイクロフトによると、死体となった彼のポケットからは、英国政府の最高機密で、ウールウィッチ兵器工場の金庫室内に厳重に保管されていたはずの「ブルース・パーティントン型潜水艦」の設計図10枚のうちの7枚が出てきた。ところが、一番重要な残り3枚はどこにもなかったのである。
マイクロフトは、シャーロックに対して、(1)新型潜水艦の設計図が何故持ち出されたのか、(2)アーサー・カドガン・ウェストは本件にどのように関与しているのか、(3)彼はどのようにして殺されて、現場まで運ばれたのか、そして、(4)残りの3枚の設計図は一体どこへ消えたのかを早急に調べるよう、強く要請した。そこで、シャーロックは、ワトスンを連れて、地下鉄オルドゲート駅へと向かった。

地下鉄オルドゲート駅での調査を終えた後、ワトスンと一緒にウールウィッチへ向かう途中、ホームズはロンドンブリッジ駅(London Bridge Station)に立ち寄った。

ロンドンブリッジ駅の入口

ロンドンブリッジ駅で、ホームズは兄のマイクロフト宛に電報を打った。電報を打つ前に、彼は私に内容を見せてくれた。次のような文面であった。

暗闇の中に一筋の光明が見えたが、今にも消えてしまうかもしれない。それまでの間に、英国に居る外国のスパイや国際的なエージェントの完全な一覧表を、彼らの住所付きで、ベーカーストリートへ届けてくれ。
シャーロック

「ワトスン、これは役に立つに違いない。」と、私達がウールウィッチ行きの列車に乗った際、彼が言った。「間違いなく、僕達はマイクロフトに大きな借りができたな。何故なら、本当に注目すべき事件になりそうなヤマを、彼は僕達に紹介してくれたんだからね。」

ガラス張りの壁面に架けられているロンドンブリッジ駅名の表示

At London Bridge, Holmes wrote a telegram to his brother, which he handed to me before dispatching it. It ran thus:

See some light in the darkness, but it may possibly flicker out. Meanwhile, please send by messenger, to await return at Baker Street, a complete list of all foreign spies or international agents known to be in England, with full address.
SHERLOCK

'That should be helpful, Watson,' he remarked as we took our seats in the Woolwich train. 'We certainly owe brother Mycroft a debt for having introduced us to what promises to be a really very remarkable case.'

撮影時は帰宅時間帯(午後6時頃)だったため、
ロンドンブリッジ駅は帰宅客で混雑していた

ウールウィッチへと向かう前に、シャーロック・ホームズが兄のマイクロフト・ホームズ宛に電報を打ったロンドンブリッジ駅は、現在、ナショナルレールと地下鉄が乗り入れている駅で、ロンドン・サザーク区(London Borough of Southwark)内に所在している。
ナショナルレールについて言うと、テムズ河(River Thames)の南岸にある二大ターミナル駅の一つで、もう一つはウォータールー駅(Waterloo Station)である。地下鉄に関して、ジュビリーライン(Jubilee Line)とノーザンライン(Northern Line)の2線が乗り入れている。

ロンドンブリッジ駅の電光掲示板

ロンドンブリッジ駅が1836年12月14日に開業した後、1864年1月に通過型プラットフォームが導入されて、ロンドンブリッジ駅からウォータールーイースト駅(London Waterloo East Station)、チャリングクロス駅(Charing Cross Station)、ブラックフライアーズ駅(Blackfriars Station)やキャノンストリート駅(Cannon Street Station)の各駅まで路線が延長された。
ロンドンブリッジ駅からは、英国の南部と南東部へ向かう列車が発着している。

サザーク大聖堂(Southwark Cathedral)越しに見上げた
「ザ・シャード」ビル

利用客の大幅な増加に対応するため、現在、ロンドンブリッジ駅は数年間にわたる大改装工事中であるが、工事計画の策定が不十分だったことが要因となり、連日大混乱に陥っている。特に、朝の通勤時と夕方の帰宅時には、プラットフォーム内の大混雑を避けるべく、入場規制がかけられ、改札口には長蛇の列が伸びて、利用客からは大きな不満が寄せられている。ロンドン市長がロンドンブリッジ駅を管理するネットワークレール(Network Rail)に対して改善策の検討を強く要請しているが、今のところ、目立った進展は見られていない。

真下から見上げた「ザ・シャード」ビル

ロンドンブリッジ駅の近く(南西側)には、現在、「硝子(ガラス)の破片」を意味する「ザ・シャード(The Shard)」、または、「シャード・ロンドンブリッジ(Shard London Bridge)」という超高層ビル(地上87階建ー尖塔の高さ:309.6m)が聳え建っている。外観が竣工した当時(2012年7月5日)、ヨーロッパ一の高さを誇るビルであったが、その後、ロシア/モスクワに建設された「マーキュリー・シティー・タワー(Mercury City Tower)」に抜かれたため、今は西ヨーロッパ一の高さとなっている。

イタリア人風景画家のカナレットが当時住んでいた
ビークストリート(Beak Street)沿いの建物ー
ビークストリートは、カーナビーストリート(Carnaby Street)の近く

設計者は、フランス/パリのポンピドゥーセンター(Pompidou Centre)や日本の関西国際空港旅客ターミナルビル等の設計で知られるイタリア人建築家のレンゾ・ピアノ(Renzo Piano)で、18世紀のイタリア人風景画家カナレット(Canaletto:1697年ー1768年 本名:ジョヴァンニ・アントニオ・カナール Giovanni Antonio Canal)がロンドンの風景画に描いた教会の尖塔や帆船のマストに着想を得た、とのこと。ビルは、「ザ・シャード」の名の通り、互いに接触しない8つのガラス張りの面から構成されている。

カナレットが住んでいたことを示す表示が
建物外壁に架けられている

2016年3月13日日曜日

ロンドン アルバート公記念碑(Albert Memorial)

アルバート公記念碑の全景

アガサ・クリスティー作「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)は、エルキュール・ポワロが謎多き裕福な蒐集家であるシャイタナ氏(Mr Shaitana)からブリッジパーティーへの招待を受けるところから、物語が始まる。「まだ告発されていない殺人犯を招いた上でのパーティーだ。」と言うシャイタナ氏の趣旨に興味を覚えたポワロは、パーティーへの参加を決める。

アルバート公記念碑を囲む柵のアップ

シャイタナ氏の自宅で行われたパーティーに招待されたのは、以下の8人だった。
(1)探偵組
*エルキュール・ポワロ
*バトル警視(Superintendent Battle)ースコットランドヤードの警察官
*レイス大佐(Colonel Race)ー秘密情報局の情報部員
*アリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs Ariadne Oliver)ー女流推理作家
(2)容疑者組
*ロバーツ医師(Dr Roberts)ー成功をおさめた中年の医師
*ロリマー夫人(Mrs Lorrimer)ーブリッジ好きな初老の女性
*デスパード少佐(Major Despard)ー未開地を探索する探検家
*アン・メレディス(Anne Meredith)ー内気で若く麗しい女性

アルバート公記念碑を見上げたところ

食事の最中、シャイタナ氏はパーティーの出席者に対して、謎めいた告発を行う。そして、食事が済むと、容疑者組の4人はメインルーム(客間)で、また、探偵組の4人は別の部屋でブリッジを始めることとなった。シャイタナ氏はメインルームの暖炉の側に置かれた椅子を自分の居場所として、ブリッジへの参加を辞退する。
ブリッジが終わり、ポワロとレイス大佐がシャイタナ氏に暇を告げようとした際、彼らはシャイタナ氏が彼の蒐集品であるナイフで胸を刺されて死んでいるのを発見する。
果たして、シャイタナ氏が謎めいた告発をした対象の人物は誰だったのか?そして、その人物がシャイタナ氏を刺殺したのだろうか?
名探偵、警察官や情報部員等が同席しているパーティーの最中、大胆にも行われた犯行を解き明かすべく、ポワロの灰色の脳細胞が、ブリッジの点数表の内容にその糸口を見いだすのであった。

金色に輝くアルバート公像

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ひらいたトランプ」(2006年)の回では、シャイタナ氏が住むピーコックハウス(Peacock House→外観はデベナムハウス<2016年2月21日付ブログ御参照>が、そして、内部はレイトンハウス博物館<2016年3月5日付ブログ御参照>が、撮影に使用されている)で、彼が刺し殺された翌朝、探偵役であるポワロ、アリアドニ・オリヴァー夫人、ジム・ウィラー警視(Superintendent Jim Wheelerーアガサ・クリスティーの原作では、バトル警視)とヒューズ大佐(Colonel Hughesーアガサ・クリスティーの原作では、レイス大佐)の4人が歩く場面の背景として、アルバート公記念碑(Albert Memorial)が使用されている。

横から見たアルバート公像

世界最大で最強の国を誇った大英帝国の黄金期を築いたヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)を支えた夫君がアルバート公(Albert Prince Consort:1819年ー1861年)で、アルバート公記念碑は彼の業績を記念する像である。
アルバート公は、元々、ドイツ出身だたこともあって、1840年にヴィクトリア女王と結婚した以降も、英国民になかなか受け入れられなかったが、1851年に彼が世界で最初の万国博覧会(Great Exhibition)であるロンドン万博を大成功に導いたことにより、やっと英国民に受け入れられることとなった。

ケンジントンロードを挟んで
反対側に建つロイヤルアルバートホール

大成功をおさめたロンドン万博の余剰金を使って、後に、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のブロンプトン地区(Brompton)には、アルバート公の名を冠したヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)やロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall)が建設された。

アルバート公像の四方に設置されている「農業」像
アルバート公像の四方に設置されている「商業」像

1861年12月14日、アルバート公が42歳の若さで腸チフスにより死去したため、彼の記念碑を建設する計画が1862年1月に始まり、記念碑の設計案は最終的に二つに絞り込まれて、1863年2月にヴィクトリア女王に渡された。そして、その2ヶ月後の同年4月に、ゴシック復興様式(Gothic Revival Style)をベースとする建築家サー・ジョージ・ギルバート・スコット(Sir George Gilbert Scott:1811年ー1878年)の設計案が承認された。
その後、アルバート公記念碑の建設が始まり、10年近くの歳月を要し、ヴィクトリア女王による除幕が行われたのは、1872年7月にあったが、金色に輝くアルバート公の像が設置されたのは、3年後の1875年である。
アルバート公記念碑の建設費用として、当時のお金で12万ポンドを要したと言われている。現在の貨幣価値で言うと、約1千万ポンド(約20億円)に相当するとのこと。

アルバート公像の四方に設置されている「工学/技術」像
アルバート公像の四方に設置されている「製造業」像

アルバート公記念碑は、地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)へ向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を間に挟んで、ロイヤルアルバートホールとは反対のケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)の南端に建ち、ロイヤルアルバートホールを見守っている。

アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アジア」像
アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アフリカ」像

アルバート公の像の四方には、大英帝国の繁栄をモチーフにした以下の像が設置されている。
(1)農業(Agriculture)
(2)商業(Commerce)
(3)工学/技術(Engineering)
(4)製造業(Manufactures)

アルバート公記念碑の四隅に置かれている「アメリカ」像
アルバート公記念碑の四隅に置かれている「ヨーロッパ」像

また、記念碑の四隅には、大英帝国が支配した大陸をモチーフにした以下の像が置かれている。
(1)アジア(Asia)
(2)アフリカ(Africa)
(3)アメリカ(America)
(4)ヨーロッパ(Europe)