2016年1月31日日曜日

ロンドン ロイドスクエア(Lloyd Square)

ロイドスクエアの北側に建つ住宅

本作品は、アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の Jane Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、Jane Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。



第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。


アムウェルストリートからロイドスクエアを望む―
アムウェルストリートとロイドスクエアを結ぶ画面縦の通りが
ロイドベイカーストリート(Lloyd Baker Street)

ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていた。屋敷内には、他には、


(1)ジョン・キャヴェンディッシュ → エミリーの義理の息子(兄)

(2)メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)→ ジョン・キャヴェンディッシュの妻

(3)ローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish - 40歳)→ エミリー・イングルソープの義理の息子(弟)

(4)シンシア・マードック(Cynthia Murdoch)→ エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子

(5)エヴリン・ハワード(Evelyn Howard - 40歳位)→ エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)


が住んでいた。


ロイドベイカーストリーム経由、
アムウェルストリートからロイドスクエアへ入って来たところ

7月18日(水)の朝、エミリー・イングルソープがストリキニーネで毒殺されているのが発見された。


エミリー・イングルソープの前夫の遺言書によると、スタイルズ荘については、エミリー・イングルソープの死後、ジョン・キャヴェンディッシュが相続することになっていた。

一方、エミリー・イングルソープが保有する現金資産に関しては、彼女が毎年更新する遺言書の内容に従って分配されることになっており、彼女が作成した最新の遺言書によると、現在の夫であるアルフレッド・イングルソープが相続する内容だった。

前日の7月17日(火)、エミリー・イングルソープが、夫のアルフレッド・イングルソープか、義理の息子のジョン・キャヴェンディッシュとの間で、言い争いをしていたようだった。その後、彼女は遺言書を書き替えたが、その新しい遺言書は、どこにも見当らなかった。


エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われる。

ただ、彼女が毒殺された日の夜、彼はスタイルズ荘を不在にしていたが、何故か、居所を明らかにしようとしない上に、村の薬局において、ストリキニーネを購入したしたのは、自分ではないと強く否定する。

エミリー・イングルソープの話相手であるエヴリン・ハワードは、アルフレッド・イングルソープの従妹であるにもかかわらず、以前から彼のことを憎んでいるようで、エミリー・イングルソープを毒殺した人物は、彼で間違いないと言う出張を崩さなかった。


スタイルズ荘の近くのスタイルズセントメアリー村(Styles St. Mary)にベルギーから戦火を避けて亡命していた旧友ポワロと再会したヘイスティングス大尉は、ポワロに対して、この難事件の捜査を依頼する。


スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、エミリー・イングルソープの毒殺犯人として、アルフレッド・イングルソープを逮捕しようとするが、ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。


そのため、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。

ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。


果たして、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部による捜査通り、ジョン・キャヴェンディッシュが、義理の母であるエミリー・イングルソープを、ストリキニーネで毒殺したのであろうか?

ポワロの灰色の脳細胞は、どのような結論を導き出すのか?


ロイドスクエア中央にある庭園(その1

ロイドスクエア中央にある庭園(その2

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スタイルズ荘の怪事件」(1990年)の回では、物語の最後、ロンドンにあるジョン・キャヴェンディッシュの家を辞去した後、ポワロとヘイスティングスが連れ立って歩いている場面があるが、このシーンはロイドスクエア(Lloyd Square)で撮影された。

ロイドスクエアの西側に建つ住宅

ロイドスクエアは、前回(2016年1月24日付ブログを御参照)紹介したミデルトンスクエア(Myddelton Square)と同様に、ロンドン・イズリントン区(London Borough of Islington)のフィンスベリー地区(Finsbury)内にあり、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)/キングスクロス駅(King's Cross Station)からリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Station)へ向かうペントンヴィルロード(Pentonville Road)の中間辺りに位置している。ペントンヴィルロードからそれて、アムウェルストリート(Amwell Street)を少し南下した西側にロイドスクエアはある。なお、ミデルトンスクエアは、アムウェルストリートを挟んで、ロイドスクエアの反対側にある。最寄駅は、ノーザンライン(Northern Line)が通る地下鉄エンジェル駅(Angel Tube Station)。

ロイドスクエアの南側に建つ住宅

南北に延びるアムウェルストリート沿いには、パブ、カフェ、花屋、雑貨屋や不動産エージェント等が建ち並び、ハイストリートのようになっているが、ロイドスクエアの場合、ミデルトンスクエアと同じように、中央にある小振りの庭園を囲むように、四方が住宅街になっていて、外観が統一された建物が並んでいる。日中でも人通りはあまりない閑静な場所である。ポワロシリーズの「スタイルズ荘の怪事件」の時代設定である第一次世界大戦時(1914年ー1918年)と比べても、通りに駐車してある車を除けば、大きくは変わっていないのではないかと思われる。

2016年1月30日土曜日

ロンドン エッジウェアロード(Edgware Road)

エッジウェアロードが始まるマーブルアーチの角に建つビル―
地上階には映画館オデオン(Odeon)やカフェ等が入居しているが、
現在、再開発の対象となっている

サー・アーサー・コナン・ドイル作「三人のガリデブ(The Three Garridebs)」では、ロンドンに長期滞在している米国人の法廷弁護士ジョン・ガリデブ(John Garrideb)が、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れる。彼によると、「ガリデブ」という名前が自慢だった米国人の大地主アレグザンダー・ハミルトン・ガリデブ(Alexander Hamilton Garrideb)が、自分の全財産を「ガリデブ」という姓を持つ成人男性の三人に遺すと明記した遺言書を残したらしい。ジョン・ガリデブは。同姓の二人を米国中で探し回ったが、残念ながら、一人も見つからなかった。そこで、彼はロンドンへやって来て、幸いにして、リトルライダーストリート156番地(156 Little Ryder Streetー2015年5月2日付ブログを御参照)に住むネイサン・ガリデブ(Nathan Garrideb)を見つけ出したのであった。本来であれば、ネイサン・ガリデブがホームズの元を相談に訪れる予定であったが、彼からその話を聞いたジョン・ガリデブが探偵の関与を良しとせず、彼の代わりにホームズのところに来た次第であった。


ジョン・ガリデブが帰った後、このうまい話を怪しんだホームズは、ネイサン・ガリデブに連絡をとり、彼が住むエッジウェアロード(Edgware Road)に近いリトルライダーストリート156番地を、ジョン・ワトスンと一緒に訪問する。そこへジョン・ガリデブが興奮の体で飛び込んで来た。バーミンガム(Birmingham)で農業機械の製作をしているハワード・ガリデブ(Howard Garrideb)、つまり、三人目のガリデブ氏を見つけたと言うのだ。ジョン・ガリデブは、(1)自分は米国人なので、ハワード・ガリデブには身元がはっきりした英国人が話をした方が良いこと、また、(2)明日、自分には別の予定が入っていることを理由に、ネイサン・ガリデブに対して、自分の代わりにバーミンガムへ出かけてほしいと依頼する。ジョン・ガリデブの話を聞いたホームズもネイサン・ガリデブに、バーミンガムのハワード・ガリデブに会いに行くよう、進めるのであった。
ジョン・ガリデブが再度帰った後、ホームズは、小博物館とも言えるネイサン・ガリデブのコレクションの話を再開する。

ネイサン・ガリデブが住む
「リトルライダーストリート156番地」(架空の住所)の候補地である
コノートプレイス(Connaught Place)

「ガリデブさん、あなたのコレクションを見せていただけますか?」と、彼(ホームズ)は言った。
「職業柄、あらゆる種類の雑学が役に立ちますし、あなたのこの部屋は、正にその宝庫と言えます。」
私達の依頼人(ネイサン・ガリデブ)の顔が喜びに輝き、大きな眼鏡の奥で目がきらめいた。
「お噂では、あなたが大変聡明な方だと、いつも聞いております。」と、彼は言った。「もしお時間があれば、今から私のコレクションを御案内しますよ。」
「残念ながら、今日は時間が空いていないのです。しかし、これらの標本はきちんとラベル付けして分類されていますので、あなたに個別に御説明いただく必要はあまりないようです。もし明日時間ができて、ここに寄ることができれば、あなたのコレクションをゆっくり見せていただいても宜しいでしょうか?」
「全く問題ありません。大歓迎です。もちろん、この部屋には鍵がかかっていますが、サンダース夫人が午後4時まで地下に居ますので、彼女の鍵で開けて入れてくれますよ。」
「明日の午後、時間が空くかもしれません。もしあなたからサンダース夫人に一言声をかけておいてただければ、大変助かります。ところで、この家の管理事務所はどちらですか?」
ホームズの唐突な質問に、私達の依頼人は驚いた。
「エッジウェアロードにあるハロウェイ&スティールです。でも、どうしてですか?」
「建物に関して、私はちょっとした考古学者でして。」と、ホームズは笑いながら言った。「この家がクイーンアン王朝様式とジョージ王朝様式のどちらかと思いましてね。」
「間違いなく、ジョージ王朝様式です。」
「そうですか。もう少し前かと思ったのですが...でも、簡単に確かめられますね。ガリデブさん、それではおいとまします。バーミンガム行きがうまくいくことを祈っていますよ。」

マーブルアーチから北上するエッジウェアロードを望む

'I wish I could look over your collection, Mr Garrideb,' said he. 'In my profession all sorts of odd knowledge comes useful, and this room of yours is a storehouse of it.'
Our client shone with pleasure and his eyes gleamed from behind his big glasses.
'I had always heard, sir, that you were a very intelligent man,' said he. 'I could take you round now, if you have the time.'
'Unfortunately, I have not. But these specimens are so well labelled and classified that they hardly need your personal explanation. If I should be able to look in tomorrow, I presume that there would be no objection to my glancing over them?'
'None at all. You are most welcome. The place will, of course, be shut up, but Mrs Sanders is in the basement up to four o'clock and would let you in with her key.'
'Well, I happen to be clear tomorrow afternoon. If you would say a word to Mrs Sanders it would be quite in order. By the way, who is your house-agent?'
Our client was amazed at the sudden question.
'Holloway and Steele, in the Edgware Road, But why?'
'I am a bit of an archaeologist myself when it comes to houses,' said Holmes, laughing. 'I was wondering if this was Queen Anne or Georgian.'
'Georgian, beyond doubt.'
'Really. I should have thought a little earlier. However, it is easily ascertained. Well, goodbye, Mr Garrideb, and may you have every success in your Birmingham journey.'

最近再開発されたオフィスビル―
地上階には、各種店舗が入居している

マリルボーン・フライオーバー手前に建つホテル
「Hilton London Metropole」

エッジウェアロードは、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある通りで、ハイドパーク(Hyde Park)の北東の角にあるマーブルアーチ(Marble Arch)から北西へ延びている。この通りは、地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を通って西へ向かうマリルボーンロード(Marylebone Road)の高架(通称ー「マリルボーン・フライオーバー(Marylebone flyover)」)下をくぐって、最終的には、ロンドン・バーネット区(London Borough of Barnet)内にあるエッジウェア地区(Edgware)へと至る。ただし、この通りがエッジウェアロードと呼ばれるのは、メイダヴェール地区(Maida Vale)までで、隣り合うセントジョンズウッド地区(St. John's Wood)からメイダヴェール地区へ向かって下りてくるセントジョンズウッドロード(St. John's Wood Road)と交差したところからは、メイダーヴェール通り(Maida Vale)、そして、キルバーン地区(Kilburn)に入ると、キルバーンハイロード(Kilburn High Road)と名前を変える。

中東系の薬局が地上階で営業しているビル

エッジウェアロードの起源は、ローマ時代まで遡り、当時はワトリングストリート(Watling Street)と呼ばれていた。前述の通り、エッジウェア地区までほぼ真っ直ぐに延びる通りであることから、エッジウェアロードと呼ばれるようになったものと思われる。
19世紀後半に入ると、アラブ系の移民がエッジウェアロード一帯に多数流入するようになり、1950年代にはエジプト系の移民も増え、1970年代には移民の居住地域が拡大していく。エッジウェアロード一帯は「リトルカイロ(Little Cairo)」や「リトルベイルート(Little Beirut)」という通称で呼ばれている。
現在も、エッジウェアロード沿いには、中東系のカフェ、レストランや薬局等が軒を並べているが、最近はビルの再開発が行われ、オフィスが上階に入居し、地上階には英国のチェーン店舗等が入っているので、中東色は若干弱まっている。ただ、マリルボーン・フライオーバーを通り過ぎたエッジウェアロードの北側部分の両側は、いまだに中東色が非常に強い。

サークルライン/ディストリクトライン/ハマースミス&シティーラインが
停車する地下鉄エッジウェアロード駅

地下鉄エッジウェアロード駅前に設置されている
ブロンズ像「窓拭き」(The Window Cleaner)

エッジウェアロード近辺には、地下鉄エッジウェアロード駅(Edgware Road Tube Station)が2つあい、マリルボーン・フライオーバーの南側にある駅には、サークルライン(Circle Line)、ディストリクトライン(District Line)とハマースミス&シティーライン(Hammersmith & City Line)の3線が停車し、マリルボーン・フライオーバーの北側にある駅には、ベーカールーライン(Bakerloo Line)のみが停車する。ただし、これらの両駅は地下通路等でつながっていないため、乗り換えの際には、一旦駅外へ出て、徒歩で移動する必要がある。あるいは、地下鉄パディントン駅(Paddington Tube Station)であれば、サークルライン(Circle Line)/ディストリクトライン(District Line)とベーカールーライン(Bakerloo Line)の乗り換えは可能である。

2016年1月24日日曜日

ロンドン ミデルトンスクエア(Myddelton Square)

紅葉が映えるミデルトンスクエア内の住宅街外壁

本作品は、アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の Jane Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、Jane Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。



第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。


ミデルトンスクエアを囲む住宅街(その1)

ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていた。屋敷内には、他には、


(1)ジョン・キャヴェンディッシュ → エミリーの義理の息子(兄)

(2)メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)→ ジョン・キャヴェンディッシュの妻

(3)ローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish - 40歳)→ エミリー・イングルソープの義理の息子(弟)

(4)シンシア・マードック(Cynthia Murdoch)→ エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子

(5)エヴリン・ハワード(Evelyn Howard - 40歳位)→ エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)


が住んでいた。


ミデルトンスクエアを囲む住宅街(その2)

7月18日(水)の朝、エミリー・イングルソープがストリキニーネで毒殺されているのが発見された。


エミリー・イングルソープの前夫の遺言書によると、スタイルズ荘については、エミリー・イングルソープの死後、ジョン・キャヴェンディッシュが相続することになっていた。

一方、エミリー・イングルソープが保有する現金資産に関しては、彼女が毎年更新する遺言書の内容に従って分配されることになっており、彼女が作成した最新の遺言書によると、現在の夫であるアルフレッド・イングルソープが相続する内容だった。

前日の7月17日(火)、エミリー・イングルソープが、夫のアルフレッド・イングルソープか、義理の息子のジョン・キャヴェンディッシュとの間で、言い争いをしていたようだった。その後、彼女は遺言書を書き替えたが、その新しい遺言書は、どこにも見当らなかった。


エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われる。

ただ、彼女が毒殺された日の夜、彼はスタイルズ荘を不在にしていたが、何故か、居所を明らかにしようとしない上に、村の薬局において、ストリキニーネを購入したしたのは、自分ではないと強く否定する。

エミリー・イングルソープの話相手であるエヴリン・ハワードは、アルフレッド・イングルソープの従妹であるにもかかわらず、以前から彼のことを憎んでいるようで、エミリー・イングルソープを毒殺した人物は、彼で間違いないと言う出張を崩さなかった。


スタイルズ荘の近くのスタイルズセントメアリー村(Styles St. Mary)にベルギーから戦火を避けて亡命していた旧友ポワロと再会したヘイスティングス大尉は、ポワロに対して、この難事件の捜査を依頼する。


スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、エミリー・イングルソープの毒殺犯人として、アルフレッド・イングルソープを逮捕しようとするが、ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。


そのため、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。

ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。


果たして、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部による捜査通り、ジョン・キャヴェンディッシュが、義母であるエミリー・イングルソープを、ストリキニーネで毒殺したのであろうか?

ポワロの灰色の脳細胞は、どのような結論を導き出すのか?


ミデルトンスクエアを囲む住宅街(その3)

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スタイルズ荘の怪事件」(1990年)の回では、アーサー・ヘイスティングスの旧友で、スタイルズ荘の持ち主エミリー・イングルソープの義理の息子であるジョン・キャヴェンディッシュが妻のメアリーと一緒に暮らすロンドンの住居として、ミデルトンスクエア(Myddelton Square)が撮影に使用された。

ミデルトンスクエアガーデンズ内に建つ
セントマーク教会(St. Mark Church)

ミデルトンスクエアは、ロンドン・イズリントン区(London Borough of Islington)のフィンズベリー地区(Finsbury)内にあり、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)/キングスクロス駅(King's Cross Station)からリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Station)へ向かうペントンヴィルロード(Pentonville Road)の中間辺りに位置している。ペントンヴィルロードからそれて、アムウェルストリート(Amwell Street)を少し南下した東側にミデルトンスクエアはある。最寄駅は、ノーザンライン(Northern Line)が通る地下鉄エンジェル駅(Angel Tube Station)。

ミデルトンスクエアガーデンズ内から見た
セントマーク教会の裏側

南北に延びるアムウェルストリート沿いには、パブ、カフェ、花屋、雑貨屋や不動産エージェント等が建ち並び、ハイストリートのようになっているが、ミデルトンスクエアの場合、中央に建つ St. Mark Church やミデルトンスクエアガーデンズ(Myddelon Square Gardens)を囲むように、四方が住宅街となっていて、日中でも人通りはあまりなく、閑静な場所である。ミデルトンスクエアは、北側のペントンヴィルロード、東側のセントジョンストリート(St. John Street)、南側のローズベリーアベニュー(Rosebury Avenue)、そして、西側のアムウェルストリートを繫ぐ広場なので、通り抜けに使う人が多いようである。

ミデルトンスクエアガーデンズ内から見た
ミデルトンスクエアの住宅街

ポワロシリーズの「スタイルズ荘の怪事件」の時代設定である第一次世界大戦時(1914年ー1918年)と比べても、通りに駐車してある車を除けば、大きくは変わっていないのではないかと思われる。

2016年1月23日土曜日

ロンドン キルバーン(Kilburn)

ケンブリッジアベニュー(Cambridge Avenue)沿いのバス停

サー・アーサー・コナン・ドイル作「青いガーネット(The Blue Carbuncle)」では、クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースン(Peterson)が、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)とグッジストリート(Goodge Street)の角で発生した喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを、ベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元に届けて来た。ホームズに言われて、ピータースンは拾ったガチョウを持って帰ったが、その餌袋の中から、ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に滞在していたモーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)の元から12月22日に盗まれて、懸賞金がかかっている「青いガーネット」が出てきたのだ。

ケンブリッジアヴェニュー沿いにある
地下鉄キルバーンパーク駅(Kilburn Park Tube Station)

ホームズは早速新聞に広告を載せて、ガチョウの落とし主を探したところ、ヘンリー・ベイカー氏(Mr Henry Baker)が名乗り出て来た。ベーカー氏によると、大英博物館(British Museum)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn)」の主人ウィンディゲート(Windigate)がガチョウクラブを始め、毎週数ペンスずつ積み立てていくと、各人クリスマスにガチョウを一羽ずつ受け取れる仕組みだと言う。
ジョン・ワトスンを連れて、アルファインに赴いたホームズは、そこで主人のウィンディゲートから、「問題のガチョウは、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market)にあるブレッキンリッジ(Breckinridge)の店から仕入れた」ことを聞きつける。
そこで、二人はブレッキンリッジの店へと向かった。


ブレッキンリッジの店に着いたホームズ達は、店仕舞いをしていた経営者から訝るような視線を受けながらも、パブ「アルファイン」に販売したガチョウの仕入れ先について尋ねたところ、ブリクストンロード117番地(117 Brixton Road)にあるオークショット夫人(Mrs Oakshott)の飼育場だとという回答を得る。

キルバーンハイロード沿いに建つパブ「The Old Bell」

ブリクストンロード117番地へ向かおうとするホームズとワトスンであったが、ブレッキンリッジの店で同じようにガチョウのことを尋ねる男が目に入った。ホームズが彼を詰問すると、当初はジョン・ロビンソン(John Robinson)という偽名を使ったが、ホームズの目をごまかすことはできず、自分の本名がジェイムズ・ライダー(James Ryder)であることを明かす。彼はホテルコスモポリタンの接客係主任(Head attendant)で、彼こそがモーカー伯爵夫人から「青いガーネット」を盗んだ犯人だったのだ。彼のホームズへの自白が始まった。スコットヤードに容疑者として逮捕された配管工ジョン・ホーナー(John Horner)は無実だったのである。

キルバーンハイロード沿いに建つ
Kilburn Library Centre

「昔、モーズリーという名前の友人が居ました。彼は悪事の道へ走り、ペントンヴィル刑務所に服役して、ちょうど出所したばかりでした。ある日、彼と会った際、盗みのやり方や盗品をどのように処分するかという話になりました。私は彼の秘密を一つ二つ握っていたので、彼が私に忠実であることを知っていました。そこで、私は彼が住んでいるキルバーンへ行って、逆に、彼に私の秘密を打ち明けようと決心したのです。私が盗んだ宝石をどのように換金するのかを、彼は私に教えてくれるだろうと思いました。しかし、問題は、どうやって彼のところまで安全に行けるかでした。私は、ホテルからここへやって来るまでに、どれ程の大変な思いをしたのかを考えました。私はいつ何時逮捕されれ、身体検査をされるかもしれません。その場合、私のポケットに入れた宝石が見つかってしまいます。私は壁にもたれて、私の足元をよたよたと歩いているガチョウを見ていた時、突然、あるアイデアが降ってわいたのです。そのアイデアは、過去に存在した如何なる最高の探偵さえも出し抜くことができる程、すばらしいものでした。」

キルバーンハイロードに面する
マリオットホテル(Marriott Hotel)

'I had a friend once called Maudsley, who went to the bad, and has just been serving his time in Pentonville. One day he had met me, and fell into talk about the ways of thieves, and how they could get rid of what they stole. I knew that he would be true to me, for I knew one or two things about him, so I made up my mind to go right on to Kilburn, where he lived, and take him into my confidence. He would show me how to turn the stone into money. But how to get to him in safety? I thought of the agonies I had gone through in coming from the hotel. I might at any moment be seized and searched, and there would be the stone in my waist pocket. I was leaning against the wall at the time and looking at the geese which were waddling about round my feet, and suddenly an idea came into my head which showed me how I could beat the best detective that ever lived.'

キルバーンハイロード(北側)からマリオットホテルを望む

ジェイムズ・ライダーの友人であるモーズリー(Maudsley)が住んでいるキルバーン地区(Kilburn)は、ロンドン北西部に位置しており、ロンドン・ブレント区(London Borough of Brent)、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)とシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の3区に分かれている。
キルバーン地区の中心部を北西から南東へ向けて横断するキルバーンハイロード(Kilburn High Road)がメインストリートであり、ロンドン・ブレント区(西側)とロンドン・カムデン区(東側)を2つに分ける境界線となっている。通りの起源はローマ時代まで遡る、とのこと。元々は、ロンドン北西のハートフォード州(Hertfordshire)セントアルバンス(St. Albans)にあるセントアルバンス大聖堂(St. Albans Cathedral)へと向かう道として開発されたもので、当時は、ワトリングストリート(Watling Street)と呼ばれていた。

南側から見たキルバーンハイロード

キルバーン地区は、ハムステッド(Hampstead)からハイドパーク(Hyde Park)を通ってテムズ河(River Thames)へと流れるウェストボーン川(River Westbourne)沿いの街として始まった。記録上、キルバーンの名前は、12世紀前半に登場する。1714年に、鉄分を多く含み、薬用効果がある源泉/井戸が発見されたことに伴い、キルバーンへ湯治に来る習慣が流行した。そのため、キルバーンハイロード沿いには、庭園や宿泊施設等が次々に設けられた。
19世紀に入ると、肝心な源泉が枯渇してしまうが、ソロモン・バーネット(Solomon Barnet)がキルバーン地区一帯の開発を行い、彼が住んでいた英国西部や当時有名だった詩人の名前等にちなんで、通りを命名した。

キルバーンハイロード沿いに建つパブ「Queens Arms」

現在、キルバーン地区には、アイルランド、カリブ海、インド、バングラディシュ、パキスタンやエチオピア等の出身者が数多く住んでいて、国際色豊かな場所になっている。特に、アイルランド出身者はキルバーン地区住民の15%弱を占めており、毎年3月の St. Patrick's Day はキルバーン地区内では盛大に祝われている。

2016年1月17日日曜日

ロンドン 中央刑事裁判所(Central Criminal Court)

中央刑事裁判所の上部全景

本作品は、アガサ・クリスティーの商業デビュー作であり、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編第1作目、かつ、ポワロの初登場作品に該る。

なお、本作品は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の1916年に執筆され、米国の Jane Lane 社から、1920年(10月)に発表されている。英国本国の場合、Jane Lane 社の英国会社である The Bodley Head 社から、1921年(1月)に出版された。



第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳)は、英国に帰還する。旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)の招きで、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れたヘイスティングス大尉であったが、到着早々、事件に巻き込まれるのであった。


ジョン・キャヴェンディッシュの義母で、スタイルズ荘の持ち主である老婦人エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop - 70歳を超えている)は、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚して、屋敷で暮らしていた。屋敷内には、他には、


(1)ジョン・キャヴェンディッシュ → エミリーの義理の息子(兄)

(2)メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish)→ ジョン・キャヴェンディッシュの妻

(3)ローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish - 40歳)→ エミリー・イングルソープの義理の息子(弟)

(4)シンシア・マードック(Cynthia Murdoch)→ エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子

(5)エヴリン・ハワード(Evelyn Howard - 40歳位)→ エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)


が住んでいた。


7月18日(水)の朝、エミリー・イングルソープがストリキニーネで毒殺されているのが発見された。


エミリー・イングルソープの前夫の遺言書によると、スタイルズ荘については、エミリー・イングルソープの死後、ジョン・キャヴェンディッシュが相続することになっていた。

一方、エミリー・イングルソープが保有する現金資産に関しては、彼女が毎年更新する遺言書の内容に従って分配されることになっており、彼女が作成した最新の遺言書によると、現在の夫であるアルフレッド・イングルソープが相続する内容だった。

前日の7月17日(火)、エミリー・イングルソープが、夫のアルフレッド・イングルソープか、義理の息子のジョン・キャヴェンディッシュとの間で、言い争いをしていたようだった。その後、彼女は遺言書を書き替えたが、その新しい遺言書は、どこにも見当らなかった。


エミリー・イングルソープの死により、最も大きな利益を得ることになる夫のアルフレッド・イングルソープが、まず容疑者として疑われる。

ただ、彼女が毒殺された日の夜、彼はスタイルズ荘を不在にしていたが、何故か、居所を明らかにしようとしない上に、村の薬局において、ストリキニーネを購入したしたのは、自分ではないと強く否定する。

エミリー・イングルソープの話相手であるエヴリン・ハワードは、アルフレッド・イングルソープの従妹であるにもかかわらず、以前から彼のことを憎んでいるようで、エミリー・イングルソープを毒殺した人物は、彼で間違いないと言う出張を崩さなかった。


スタイルズ荘の近くのスタイルズセントメアリー村(Styles St. Mary)にベルギーから戦火を避けて亡命していた旧友ポワロと再会したヘイスティングス大尉は、ポワロに対して、この難事件の捜査を依頼する。


スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部(Inspector James Japp)が、エミリー・イングルソープの毒殺犯人として、アルフレッド・イングルソープを逮捕しようとするが、ポワロは、ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡ではないことを証明して、アルフレッド・イングルソープの逮捕を思いとどまらせた。


そのため、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部が、アルフレッド・イングルソープの次に疑ったのは、エミリー・イングルソープの死により利益を得る上に、事件当夜のアリバイがないジョン・キャヴェンディッシュであった。

ストリキニーネ購入時における薬局の記録上の署名が彼の筆跡に酷似していること、また、アルフレッド・イングルソープとよく似た付け髭と鼻眼鏡が発見されたことが決め手となり、ジョン・キャヴェンディッシュは逮捕されてしまう。


果たして、スコットランドヤードのジェイムズ・ジャップ警部による捜査通り、ジョン・キャヴェンディッシュが、義母であるエミリー・イングルソープを、ストリキニーネで毒殺したのであろうか?

ポワロの灰色の脳細胞は、どのような結論を導き出すのか?


オールドベイリー通り(南側)から見た
中央刑事裁判所

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「スタイルズ荘の怪事件」(1990年)の回では、エミリー・イングルソープを毒殺した犯人として、スコットランドヤードのジャップ警部に逮捕されたヘイスティングスの旧友ジョン・キャヴェンディッシュの裁判が行われる場所(外観)として、中央刑事裁判所(Central Criminal Court)が撮影に使用されている。

中央刑事裁判所(オリジナル)の入口

入口脇に掲げられた看板

刑事法院(Crown Court)は、イングランドとウェールズにおける刑事事件を扱う裁判所で、現在、
(1)イングランド/ミッドランド
(2)イングランド北東部
(3)イングランド北西部
(4)イングランド南東部
(5)イングランド南西部
(6)イングランド/ロンドン
(7)ウェールズ
の7つの地区に分かれている。
中央刑事裁判所は、当初、国会制定法に基づいて設置されたものの、現在は刑事法院に属して、上記(6)の通り、ロンドンにおける主要な刑事裁判所の一つである。

入口から見上げた中央刑事裁判所の建物外観

中央刑事裁判所は、ロンドンの経済活動の中心地シティー(City)の西端近くに位置しており、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)方面からセントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)へと向かうラドゲートヒル通り(Ludgate Hill)から北へ延びるオールドベイリー通り(Old Bailey)沿いに建っている。
それ故、中央刑事裁判所は、「Central Criminal Court」という正式名称ではなく、通り名にちなんだ「Old Bailey」という通称名で呼ばれることが非常に多い。

画面奥が中央刑事裁判所(オリジナル)で、
手前の建物が増設されたサウスブロック

中央刑事裁判所の起源は、16世紀後半まで遡る。その当時、ニューゲート監獄(Newgate gaol)の隣に、裁判所は建てられた。1666年のロンドン大火(Great Fire of London)により焼失の憂き目に会うが、1674年に再建。1734年に建物の改修が実施され、裁判所を壁で取り囲んだりして、野次馬等を遠ざける措置が行われたが、1750年、逆にこれが裁判所内での発疹チフス流行を招き、シティー市長(Lord Mayor)を含む60名が死亡するという事態が発生し、1774年に再度建て替えられる。1834年には、裁判所の名前が現在の「Central Criminal Court」へと変更された。

建物の上部に設置された「正義の女神」像

現在の建物は、取り壊されたニューゲート監獄の跡地に建っており、1902年に建設工事が開始された。設計者は英国の建築家エドワード・ウィリアム・マウントフォード(Edward William Mountford:1855年ー1908年)で、ザクセン-コーブルク&ゴータ朝(Saxe-Coburg and Gotha)のエドワード7世(Edward Ⅶ:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)の立会の下、1907年2月27日に正式に業務を開始した。
建物の上部には、英国の彫刻家フレデリック・ウィリアム・ポメロイ(Frederick William Pomeroy:1856年ー1924年)が制作した「正義の女神(Lady Justice)」像が設置されている。「正義の女神」像は、右手に剣を、そして、左手に天秤を持っている。元々は、目隠しは剣と天秤が意味する正義とは矛盾するという解釈だったと考えられ、この像は目隠しをしていない。その後、目隠しの意味が「人物の外見等を顧慮しない公正さ」に転換したため、19世紀頃からは目隠しをした像が主流になっていく。

増設されたサウスブロックの建物外観

サウスブロックの入口上部の表示

第二次世界大戦(1939年ー1945年)、ドイツ軍による爆撃により、中央刑事裁判所の建物も甚大な被害を受け、1950年代初めに復旧工事が行われた。
また、1968年から1972年にかけて、英国の建築家ドナルド・マクモラン(Donald McMorran:1904年ー1965年)とジョージ・ウィットビー(George Whitby:1916年ー1973年)が設計した「サウスブロック(South Block)」と呼ばれる建物が建設され、より近代的な法定が増設された。

現在、合計で18の法廷が使用されている。今も、BBC等のニュース映像で、大きな刑事事件の場合、中央刑事裁判所が頻繁に映し出される。

2016年1月16日土曜日

ロンドン ロイヤルアーケード(オールドボンドストリート28番地/アルベマールストリート12番地(Royal Arcade - 28 Old Bond Street / 12 Albemarle Street)

アルベマールストリート側から見たロイヤルアーケード全景

アガサ・クリスティー作「クリスマスプディングの冒険 / 盗まれたロイヤルルビー(The Adventure of the Christmas Pudding / The Theft of the Royal Ruby)」の冒頭、ある東洋の国の王位継承者である王子がロンドンで知り合った若く魅力的な女性にその国に伝わる由緒あるルビーを持ち逃げされてしまう。間もなく、王子は従姉妹と結婚する予定で、このことが公になった場合、大変なスキャンダルになる可能性が非常に高かった。その国との関係を重要視する英国政府(外務省)の説得を受けたエルキュール・ポワロは、ルビーを持ち逃げした女性が潜んでいるというキングスレイシー(Kings Lacey)の屋敷で開催されるクリスマスパーティーに参加するのであった。

ロイヤルアーケード内の天井(その1)―
自然光を取り入れるため、ガラス張りになっている

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「盗まれたロイヤルルビー」(1991年)の回では、ポワロがキングスレイシーを訪問する前に、キングスレイシーに住むエジプト学者のレイシー大佐(Colonel Lacey)がエジプト美術商のデイヴィッド・ウェルウェン(David Welwyn)の店に訪れる場面として、ロイヤルアーケード(Royal Arcade)が撮影に使用されている。

アルベマールストリート側から見たロイヤルアーケード内

ロイヤルアーケードは、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級地区メイフェア(Mayfair)内に位置しており、共に南北に延びるオールドボンドストリート(Old Bond Street:東側)とアルベマールストリート(Albemarle Street:西側)を東西に結ぶ屋根付きの街路で、両側に商業用店舗が軒を並べている。そのため、「オールドボンドストリート28番地(28 Old Bond Street)」と「アルベマールストリート12番地(12 Albemarle Street)」という二つの住所を有している。

アルベマールストリート側の入口
オールドボンドストリート側の入口

ロイヤルアーケードは、元々、1879年に建設され、当初は、単なる「アーケード(The Arcade)」と呼ばれていたが、同アーケード内にあった下着/肌着メーカーの「H. W. Brettel」を当時のヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)が気に入って贔屓にしたため、「ロイヤルアーケード」の名前に変更された。

ロイヤルアーケード内の天井(その2)

オールドボンドストリート側の入口左側に入居している「Charbonnel et Walker」は、英国王室御用達のチョコレート店で、ロイヤルアーケード完成当時からのテナントの一つである。現在、上記以外には、アンティークショップ、時計店、画廊、靴屋や宝飾品店等が入居している。

オールドボンドストリート側から見たロイヤルアーケード内―
左手に英国王室御用達のチョコレート店
「Charbonnel et Walker」が入居している