セントジョンズウッド ハイストリート(St. John's Wood High Street)と プリンス アルバート ロード(Prince Albert Road)が交差する角のフラット |
スカンディナヴィア国王の第二王女との婚約発表を数日後に控えていたボヘミア国王(King of Bohemia)は、フォン・クラム伯爵(Count von Kramm)と名のり、シャーロック・ホームズが住むベーカー街221Bを訪ねる。彼の依頼は、昔の愛人であるアイリーン・アドラー(Irene Adler)から、彼と彼女の二人が撮影された写真を取り返すことであった。アイリーン・アドラーは、コントラルト歌手で、かつ、オペラのプリマドンナであり、ミラノのスカラ座(La Scala)等で活躍し、現在はロンドンに居住している。ボヘミア国王は、既に五度にわたり、彼女の自宅の捜索や待ち伏せ等を配下の者に行わせたが、いずれも結果は無駄に終わった。そこで、ジョン・ワトスンを助手に、ホームズは変装の上、写真の隠し場所を探るべく、一計を案じて、アイリーン・アドラーの自宅に潜入する。
サー・アーサー・コナン・ドイル作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」において、アイリーン・アドラーの自宅は、セントジョンズウッド地区(St. John's Wood)のサーペンタインアベニュー(Surpentine Avenue)沿いのブライオニーロッジ(Briony Lodge)と記されている。
奥に見える建物は、セントジョンズウッド教会(St. John's Wood Church) |
セントジョンズウッド地区は、地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の北に広がるロンドン最大の公園リージェンツパーク(Regent's Park)とプリムローズヒル(Primrose Hill)に南と東を囲まれた高級住宅街である。19世紀初めにロンドンの郊外として開発され、現在では、不動産の地価が非常に高い地区の一つとなっている。現在の郵便番号上、セントジョンズウッド地区は「NW8」に属しており、住んでいる場所として「NW8」と言えば、セントジョンズウッド地区辺りに住んでいるということが判る。
地下鉄のセントジョンズウッド駅(St. John's Wood Tube Station) |
セントジョンズウッド地区には、地下鉄ジュビリーライン(Jubliee Line)が通っていて、ベーカーストリート駅経由、ロンドン中心部やシティー等との接続も便利である。そのため、ロンドン市内へのアクセスを考慮して、日本企業のロンドン支店長や英国現地法人の社長を初めとして、このセントジョンズウッド地区に居を構えている日本人も多い。
ローズ・クリケット会場にある記念碑 |
セントジョンズウッド地区には、有名なクリケット場のローズクリケット会場(Lord's Cricket Ground)があり、毎年クリケットの試合が開催される頃(春~夏)になると、毎週末、地下鉄ジュビリーラインのセントジョンズウッド駅からクリケット場に向かう観客で歩道は一杯になる。
その他に、ザ・ビートルズ(The Beatles)のアルバム「アビーロード(Abbey Road)」のジャケット撮影に使われた横断歩道が、セントジョンズ駅から徒歩5分程のアビーロード沿いにある。そして横断歩道のすぐ近くにEMIスタジオが建っている。残念ながら、アビーロード沿いの建物が建て替えられたため、当時の面影はあまり残っていないが、横断歩道近辺は、いつも多くの観光客で賑わっている。
現在の住所表記上、セントジョンズウッド地区には、アイリーン・アドラーの自宅があったとされているサーペンタインアベニューは存在していない。ベーカーストリート221Bと同様に、ドイルが架空の通りを設定したものと思われる。ロンドン市内のハイドパーク(Hyde Park)内に、夏場にはボート遊びが出来る位大きなサーペンタイン池(The Serpentine)があり、もしかしたらここから通りの名前を採ったのかもしれない。
セントジョンズウッド ロード(St. John's Wood Road)沿いにあるフラット |
ドイル原作の「ボヘミアの醜聞」には、矛盾点がある。
(1)ボヘミア国王がホームズを訪ねて来た1888年3月20日は火曜日である。ところが、ボヘミア国王がホームズに対して、「自分とスカンディナヴィア国王の第二王女との婚約発表が来週の月曜日に行われる。(That will be next Monday.)」と話したところ、ホームズは「それでは、我々にはまだ3日間あります。(Oh, then we have three days yet.)」と答えている。火曜日から3日後は金曜日であり、曜日の矛盾が発生している。
(2)ホームズ達に簡単な食事を用意してくれたベーカーストリート221Bの下宿女主人はターナー夫人(Mrs. Turner)となっているが、果たして、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)はどうなっているのだろうか?ターナー夫人がホームズ作品に登場するのは、本作品のみである。
それから、一つ気になることがある。物語の記述者であるワトスンは、事件の発生日として「1888年3月20日」と明確に記している。この物語の中では、ワトスンは既に結婚していて、ホームズと一緒にはベーカーストリート221Bでの共同生活を送ってはいない。しかしワトスンは、1888年9月の「四つの署名(The Sign of the Four)」の事件が発生したときは独身で、この事件の依頼者メアリー・モースタン(Mary Morstan)と出会って恋人となる。その後のいくつかの物語中で、「私の妻(My wife)」との記述があるが、これがメアリー・モースタンかどうかははっきりと記述はされていない。「ボヘミアの醜聞」事件発生時に、ワトスンは1回目の結婚をしていて、「四つの署名」が発生するまでの約半年の間に離婚もしくは死別し、独身に戻っていたことになる。ホームズの物語の中に、ワトスンの結婚や離婚については、はっきりとは書かれていない。後の研究者によるとワトスンは少なくとも3回結婚しているとのことだが、コナン・ドイルの作品が、事件の発生年月順に発表されている訳ではないので、執筆の段階で、コナン・ドイル自身、物語・登場人物の設定をそこまで厳密にコントロールしていなかったのだろう。
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